たくさんのひとが、しにました。
あなたのしあわせ わたしのしあわせ
〜Prologue〜
「…少し、寒い、な……」
大きな大きな月夜の下、ビルの屋上に少年はいた。
待ち人は今だ来ず。もう少しでこちらに来ると思われる。
「また、警察はダミーに引っかかってるのか。」
サイレンの音が、全くもってこちらとは逆方向に鳴り響く。
それはいかに彼の持つ技術が凄いということなのだが、流石にこれでは彼も飽きてくるだろう。
「そろそろ、かな…?」
少年は手すりに身を寄せて白い息を吐く。
「こんばんは、名探偵」
少年の後ろから、声が聞こえた。
その声に反応し、少年は音もなく振り返る。
かの少年の相対するは、白き怪盗。
二人を包む空気は、何故か、ひどく暖かくて…とても、敵対するような関係の者に流れる者ではなかった。
「確認は終わったのか? 終わってないなら早く済ませろ」
普段ならそんな事は言わない少年の反応に、怪盗はポーカーフェイスの下で苦笑
した。
「ええ、そうですね。」
怪盗は、盗んできた宝石を月にかざす。
それに何の意味があるのかは、少年は知らない。ただ、彼の捜し物の見分け方であるということだ。
かざしていた手が下り、ほんの少し――――少年でなくてはわからないくらい、少し、怪盗は落胆の表情を浮かべた。
「…違ったのか?」
「ええ、違ったようです。これは、名探偵から返してもらいますか?」
「わかった。」
綺麗な孤を描いてその宝石は少年の手の中に収まる。
「それで、名探偵。今宵も私を捕まえに?」
「そんな訳ないだろ。お前が何らかの理由で探し物をしていることを知っているし、それによって裏の組織から狙われることも知ってる。
そんな奴を俺に捕まえろって?」
「――――知っていたんですか。」
「当たり前だ。俺とお前しかいないのに、回りに別の気配を感じたら、何かあるって感じるに決まってるだろうが。
どうせ、俺が帰ったあとに対峙してるんだろ。」
「正解です。さすがですね、名探偵」
そろそろ、俺としての本題を切り出さなきゃな。早く切り出さなきゃ、この怪盗は帰ってしまう。
「それで、今回はそんなことを言いに来たんじゃないんだ」
「それでは、何を言いに?」
少年は軽く深呼吸する。返ってくる答えは、多分決まっているだろう。
――――でも、言ってみたいことがあるから。
「お前、俺のトモダチにならないか?」
瞬間、空気が凍結した。
「…何のご冗談ですか? 名探偵」
想像していたとおりだけど、少し、悲しかった。
「冗談なんかじゃ、ない」
その声音は真剣そのもので、その瞳も、冗談ではないことを物語っている。
その瞳は、あまりにも真剣で、真っ直ぐで、普通の人は見惚れてしまいそうになるが、ここにいるのは白き怪盗。
己を罪人だと戒めている彼には、少年の真っ直ぐな瞳はあまりにも強すぎて、怪盗は無意識のうちに目を背ける。
「キッド? どうかしたか?」
不意に目を背けた怪盗に少年は首を傾げる。
「いえ、何でもありませんよ。どんな人にでも優しいんですね、名探偵は」
怪盗の言葉に、少年は目を丸くする。
優しい? この俺が? 何を言ってるんだ? こんな…俺みたいな偽善者のどこが優しいんだ?
俺はただの偽善者で、目的のためなら、どんなことだってやってみせる、冷徹な人間。
そんな人間の、どこが優しいと?
「…俺は、優しくなんかない。お前、俺に対する見方を間違ってるんじゃないのか?」
「いえ、お優しいですよ。こうやって何も言わず宝石を返却してくれるあたり、特に。」
「――――そうでも、ない。」
本当に、そうでもない。宝石を返却する事なんて、当然のこと。
こいつなら簡単に返却できそうだけど、ここに探偵の俺がいるんだから、俺に頼むなんて当たり前のこと。
「それで、返答は?」
答えは、多分「No.」
だって、こいつは誰かを巻き込むことを嫌い、俺と友達になることも嫌だと思うから。
「勿論、Noです。解っているんでしょう、名探偵。探偵と怪盗は友達にはなれないんですよ。」
――――あぁ、やっぱり。想像通りの答えだ。
少年と怪盗の関係は、酷く友人じみていて。
それでも、友人という関係にはなれず、今は好敵手という関係。
「知ってる。でも、それは道徳的観念だろう? 俺達には意味を成さない。」
探偵と怪盗には、道徳的観念は意味を成そうとしても成せない。
少年は、ゆっくりと怪盗の瞳を見る。何かを見据えるように、見定めるように。
「変人ですか? 名探偵」
その言葉には呆れの色を見え隠れさせているが、その瞳は少し苦しそうな色があった。
――――どうやっても、俺に諦めさせたいんだな。
「…そう、か。Noか。それじゃ、仕方がない」
ここでは引き下がるけど、次は引き下がるかどうかはわからない。
怪盗に背を向けて、少年は歩き出す。
「あ、そうだ、キッド」
少年は怪盗のいる方に顔を向けて、ふわりと淡く微笑む。
「また、な」
そしてドアノブを回して、少年は階段を下りていった。
「…何を考えているんでしょうね、名探偵は」
残された怪盗はそう呟き、苦笑しながら去っていった。
たくさんのひとがしにました。
なんにんも、なんにんも、ほんとうにたくさんのひとが、しにました。
たくさんのひとのしんじつがあって、たくさんのひとのおもいがありました。
それは、いずれはわすれられていくものです。
だから、おぼえていようとおもいました。
いまでも、ちゃんと、ここにあります。
そのおもいが、ちゃんとあるのです。
⇒第一話
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