■ 未完成交響曲第5番 ―終章― ■
―――バーハラ城・執務室
日が傾き空が赤く染まりはじめる頃…セリスはオイフェと入れ替わりに執務室に入った。
先刻終了したオイフェの執務の報告を読むために。
明日になれば執務の終了したオイフェはティルナノグに帰る。
彼にも為政者としての仕事があるからだ。
そんなわけで。明日からはオイフェの後を引き継ぐ形でセリスは執務を開始しなければならない。
今まで人が無く空いていた役職の雇用など、セリスが本格的に統治を開始するまでの下地はこの7日間で終了していた。
後は…セリスが行って行かなければならない。だが…彼は書類に目を通してはいなかった。
彼は窓から夕日に染まる光景を見ていた。特に何があるというわけでもないのだが…
「明日からは私が…私一人で執務をこなしてこなくてはならない…できるのか…はたして」
不安げに呟くセリス。不安になるのも無理はないだろう。
今までの戦いとは今回はわけが違うのだから。まず、「統治」と「戦い」では根本的に違う。
ただ、敵と戦っていれば良いわけではないのだ。責任の重さはどちらも同じではあるが。
そして。なによりも…今までの戦いの様に助けてくれる仲間はもう、いない。
皆、それぞれ統治者として、またその補佐役として。各地に散って行ったのだから。
これからは独りで(と言っても彼一人で全ての決定を行うわけでもないだろうが)戦っていかなくてはいけない。
これまでの様に明確な「敵」と…ではなくもっと別のものと、ではあるが。
(誰か居てくれたら…なんて都合良すぎるよね…)
こうセリスが考えてしまうのを誰が責められるだろうか?それは人としての弱さなのかもしれない。
「為政者」である以上、常に「完璧」、「完全」である事を求めるものも居るかもしれない。
だが…「不完全」なのが人ではないだろうか?
どんな英雄でも結局は「人」であり弱さを持っている。そして…それは必要な要素ではないだろうか?
血の通った人間だと思えばこそ、そこに魅力を感じるのではないだろうか?
完璧過ぎる者は近寄りがたい…そう考えるのが普通である。
まあ、だからと言ってセリスの不安が消えるわけでもないのだが。
と…ドアが唐突にノックされた。遠慮がちに2度。
(この叩き方…ラナかな?)
何故か音だけでドアの向こうの人物を予測するセリス。
余談ではあるが…この正解率、実に90%。驚異的な数値である。
「鍵は開いてるよ。どうぞ」
セリスの言を受けて執務室のドアがゆっくりと開く。
ドアの微かに軋む音を立てて現れたのは…はたして、ラナだった。
「ラナ…」
其の姿に言い知れない安堵感を覚えるセリス。
(…っダメだ…こんなことじゃあ…)
頼ってしまってはダメだ…と、セリスは思う。
今日でラナは行ってしまう。こんな気持ちで話していたら「ココに残ってくれないか?」
そう言ってしまいそうな気がして…セリスは思わずラナから顔を背けた。
「セリス様…」
そんなセリスをラナは悲しそうに見つめた。自分が…避けられていると思ったから。
「今日で…7日になりましたよね」
寂しげにラナ。それが何を意味するのか。お互いに判らないわけではなかった。
「…そうだね。今日で7日…最後なんだね…」
最後…そう、今日はラナがここから去る日だった。そして、もう2度と…
ふと、顔をラナの方に向けてしまって…セリスは後悔した。
ラナの瞳には…涙が浮かんでいたから。泣くのを堪えているのが判ってしまったから。
(私は…私は…っ)
どうすれば良いのかはわかっていた。どうすれば、其の涙を流させずにすむのか。
だが…セリスは…ただ、ラナに背を向けただけだった。
辛いものから…目を逸らすかのように。
「…っ」
それを見て…ラナが一層辛そうにするのがセリスには分かった。
背を向けていても…彼にはわかってしまった…。
「…私…お母様の…修道院に…戻ろうと思います…」
つっかえつっかえ話す、ラナ。セリスは背を向けたまま黙って聞いていた。
「今まで…有難うございました…色々ありましたけど…貴方といれて私は…」
最期の言葉はセリスには聞こえなかった。いや、聞かなかったのかもしれない。
聞いてしまえば、きっと…
「…それでは…お邪魔、しました…」
ラナはそう言うと胸元のペンダントを強く握り締め…ドアに手をかけて。
「…」
ただ、一言、呟き…走り去った。
幸か不幸か。セリスは耳は悪くなかった。もし、耳が悪ければ最後のそれは聞こえなかったかもしれない。
だが…セリスは聞いてしまった。ラナが、最期になんと言ったのか。
「これで…これで良かったのか…?私は…私は…っ」
セリスを残して誰もいなくなった其の部屋で。彼はただ…泣いた。


―――数時間後
トントン…と執務室の扉を叩く音が響いた。先ほどの来訪者とは違う響き。
「セリス様…?」
返事が無いのを不審に思ったのかドアの向こうから声が聞こえてくる。
「…どうぞ。鍵は…あいてるから…」
弱弱しい声でセリスは其の声に応えた。本当は今は誰とも会いたくなかったのだが。
「すみません…こんな時間に…」
おずおずと部屋に入ってきたのは、ユリアだった。
「ユリア…どう、したの…?こんな時間に」
何故かユリアの顔を見ないで床に目を向けて話す、セリス。
その理由をユリアは何となくだが、理解していた。
先ほど…一瞬だがセリスの目が見えたから。其の目は…赤くなっていたから。
何があったのかはわからない。ただ、其の顔を見せたくないのはわかった。
だから…ユリアはその事については何も言わないでおこう、と思った。
(私では…貴方の悲しみを消す事は出来ないから…)
「…少し、お話があります」
短く、それだけを淡々と告げる。其の他の想いは全て、胸にしまって。
セリスは何も言わずに肯いただけだった。それを見て、ユリアは続けた。
「私も…ココから去ろうと思います…」
「…!?」
其の瞬間。セリスは弾かれたように顔を上げた。
「ユリア…?」
そして、不思議そうに問いかける。何故、ユリアがそんな事を言ったのか判らないといった表情だった。
今度はユリアが俯いて目をそらす番だった。セリスの目を見ていられなかったから。
「…私がいると皆…不幸になるから…皆…私の前からいなくなってしまうから…」
ユリアが紡ぐ言葉にセリスは何も言えなかった。
其の言葉は、深い悲しみに彩られていたから…。
「私は…貴方にもラナにも不幸になって欲しくない…いなくなって欲しくない…だから…」
「だから…?」
思わず聞き返すセリス。
「…私は…ココから去ります。私がいなくなれば…誰も不幸になる事は無いから…」
「…そんな事無いよ…何で、君がいたら不幸になる?そんな事っ…」
セリスにしては珍しいほどに感情を乱した声。焦っているのだろうか?
そんなセリスにユリアはふるふる…と首を横に振っただけだった。
其の動作でセリスは理解した。もう、これは変えられない事なのだ…と。
何を言ってもユリアの決心を変える事は出来ないのだ…と。
そして。もし仮にそれが成功したとしてもユリアは幸せにはなれない気がしていた。
そう…それは結局、自分の勝手な自己満足になってしまうだろう。
セリスはそう、思った。だから。ただ、こう告げる。
「いつ…ココをたつの?」
全ての感情を押し殺して。悲しくない振りをして。セリスは言った。
「…明日、には。もう…準備はしてありますから…」
こちらは寂しげに。告げるユリア。
「明日…?随分と急な…」
と、セリスは最期まで言えなかった。ユリアが、突然に抱き着いてきたから。
「…ごめんなさい…私の最後のワガママを…聞いてもらえますか…?」
セリスの胸に顔を押し当てて。其の表情を見せまいとするユリア。
セリスは何も言わずにユリアの髪を撫でた。それが返答だとでも言うかのように。
「もう少しだけ…このままで…」


翌日。ラナはエーディンの修道院へと行き。オイフェはティルナノグに帰還。
ユリアは…何処へともなく姿を消し…
王都にはセリスだけが残った。

「…結局、渡せずじまい…か」
銀色の腕輪を見ながら呟くセリス。はたしてそれを彼が誰に渡したかったのか。
知るものは…誰も、いない…
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 ・
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この物語はこれで、おしまい。
この後、彼らがどうなったのか…ここにはそれは語られていません。
ここには…その後セリスが他に類を見ない善政を行った事のみが記されています…






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