■ 幼い日の思い出 ■
――イザーク、森に囲まれた小さな村
…燃えている。
最初に浮かんだ一言は、ただそれだけだった。 大きな音に目が覚めて…目の前に飛びこんできた光景を私はすぐに理解できなかった。
私が寝室の窓から見た光景は…夜のハズなのに赤で埋め尽くされていた。
全て燃えていた。仲良しだった子の家も…気の良いおじさんの雑貨屋も。
全部…燃えていた。
何が起きたか理解できない…そう思えた方がまだ良かったかもしれない。
でも…私の頭の冷静な部分が私に告げていた。
また奴らが来たんだ、逃げないと殺されるぞ…と。
狂えた方が幸せだったかもしれない。
でも、私はそうはなれなかった。現実が見えてしまったら…やる事は1つだった。
とにかく…逃げなきゃ。幸い、まだ私の家に火の手は上がっていなかった。
とはいっても、火がつけられるのは時間の問題だろう。
私は寝室を出て裏口に走った。正面からでると見つかるだろうし…それに燃えている家々をもう1度見るのは嫌だった。
そして私は裏口から出た。どうすれば見つからずに逃げきれるか。そう考えながら逃げ道を探していると…
「嫌ッ…離してっ!」
突然、悲鳴が聞こえてきて…その瞬間…心臓が、跳ねた。
…その声は私と一番仲良くしていた女の子の声だったから…。
「まだこんな所に生き残りがいたとはな」
続いて、しわがれた男の声が続く。おそらく定刻郡の兵士だろう。
「遅かれ早かれ死ぬというのに…ムダな抵抗をするな」
男はそう毒づいた。自分の家の入口…そう、建物を挟んですぐそこに。
私の友人と兵士がいる…。このままじゃ、あの子は殺される…ううん…殺されるよりもっと酷い目に会わされるかもしれない。助けなきゃっ!
…ども。私の足は動かなかった。私が何とかしなければいけないのに…なのに…私は…っ。
「……や、やめてっ」
ザシュッ。
…鈍い音が聞こえた…。あの子の悲鳴と一緒に。
剣が何かを斬った音に違いなかった。きっとあの子は…
…何故こんな目に合わなきゃいけないの?あの子が何をしたというの!?
もう、今度こそ私はパニックに陥った。わけがわからない…どうしたら良いのかさえも。
「い…いやぁぁぁぁっ!」
私はただ叫んだ。目の前の事態の不条理さに。何もできなかった無力で臆病な自分に。
そうすれば…この悪夢から解放されると信じて。
でも…悪夢は現実で。現実は…どうしようもなく残酷だった。
「ん…そこに誰かいるな…?」
私の声を聞きつけたのだろう。足音がこちらに向かってくる。あんな大声を上げたんだ…当然の結果だった。
待っていれば私もあの子と同じ運命が待っている。このままここで死んだら苦しまなくて済む…そんな考えが頭をよぎった。でも…私は死にたくなかった。だから…とにかく
「チッ…ガキがまだ生きていやがったか。待ちやがれ!」
男も走ってきたようだ。いくら差があいているとはいえ、相手は大人。遠からず追いつかれてしまう…
(どうせ捕まるんだ。だったら速く抵抗を諦めた方が楽なんじゃない?)
頭の中に響く囁き。確かにどうしようと結果は変わらないのだろう。
実際、男の気配はすぐそこまで近づいている。対して私はもう行きが上がってしまっていた。
どうしよう…うっ…
ドタッ
「痛…」
足がもつれて私はこけてしまった。口の中に砂の味が広がる。苦い…
「…ったく…どいつもこいつも手間かけさせやがって」
男が何事か言っているようだったが、私にはもはや聞こえなかった。
恐怖のあまり、思考が半ば停止していたから。
ともかく…立たなきゃ。私は恐怖に支配されて思うように動かない体を何とか動かした。
何とか体を起こしたものの…立てない。そうこうしているうちに、男は私の目の前まで迫ってきていた。
一瞬、目が合う。
「…!」
目を見て…私は激しく後悔した。男の目は人を殺す事に何のためらいも感じない目だったから…。
さっきよりもより強い恐怖が私の心をわしづかみにする。今度こそ、私は完全に動けなくなってしまった。
「…観念したか。安心しな…苦しまねぇようにしてやるからよ」
男はそう言うと剣を振り上げた。あの剣が振り下ろされる時、私は死ぬんだろう。
死んだらあの子の所にいけるかな…そんな事を思いながら、私は目を閉じた。
ザシュッ
刃が肉を切り裂く音が聞こえた。
男の剣が私の体を斬ったのだろう。…苦しませないって言ったくせに。何よ…私はまだ死んでないじゃない。
斬られたのに死ねないなんて、かなり痛…くない!?
斬られたハズなのに痛みを感じないのに驚いて私は目を開いた。
私に見えたのは自分が想像していたのとは全く違っていた。
「ぐっ…」
男のうめき声。男は足から血を流して倒れていた。
そして。その男の前には剣を持った小さな人――おそらくまだ子供――が立っていた。
突然の不可解な出来事に、私は再び混乱した。でも…自分が目の前にその人のおかげで助かった事はわかった。
お礼を言わなきゃ…そう思ったけれど私の口は動かない。未だ恐ろしさが体から消えていないみたいだった。
「ふう…。あ、大丈夫?」
私が何とか口を開こうと悪戦苦闘していると、その人はこちらを向いて話しかけてきた。
「え…あ、あの…」
私は何を言っているんだろう…どうしてもうまく話せない。もっとも、今は怖いからじゃなくて…緊張してるから。
その人は、年は多分私と同じくらい。暗くてよくは見えないけど…瞳はすごく綺麗だと思った。
そして瞳と同じくらい綺麗な青い髪。多分…男の人。この人を見ていると不思議と落ちついてくる…
「あ、ごめん…こんな酷い目にあったんだ…辛いよね。無理して話さないで」
気遣わしげにかけられたその言葉に私は慌てた。余計な心配をかけてしまった…
何とか、自分は大丈夫だと伝えたかったが、やっぱりうまくいかない。
「…っと、ここにいては危ないな…。立てる?」
そう言うと、その人は手を差し出してきた。わたしはおずおずとその手を握り立ち上がった。手から温かさが伝わってくる。
「よし…じゃぁ、行こうか。あ…そういえば自己紹介がまだだったね。僕はセリス。この近くの小さな村に住んでるんだ。良かったら後で君の名前を教えてね」
私は小さく頷くと、その人に手を引かれるまま歩き続けた。
どこに行くのかわからなかったけれど、不安はなかった。手から伝わる温かさ…それがあるならどこに行っても良いと思った…





――イザークの修道院
「…また、あの夢…」
辺りはまだ暗いというのに私は目を覚ました。
今はもうかなり回数も減ったものの、夢を見て目が覚める事は少なくない。
7年前の悪夢…自分の住んでいた村の焼かれる夢。大好きだった友人が死ぬ夢。
そして…セリス様と初めて会った夢。
悪夢だけどセリス様と会えるから見たくないわけじゃない…でもやっぱり怖いとは思う。
あの時から色々あった…スカサハ、ラクチェと出会って。
それからしばらくしてからデルムッドとレスター兄様と会って。私には家族なんていないと思ってたから。
あの時は嬉しかったな…
それからの5年間は本当に幸せでした。悪夢に苦しめられたけれど皆がいてくれたから…。
でも、今は皆と別れて1人、この修道院に住んでいます。
2年前、レスター兄さんから母様が遠くの修道院にいると聞いて。
私は悩んだ末に修道院に入る事にしました。母様と会いたかったですし…シスターになりたいという気持ちもありましたから。
私みたいな思いをした人達のために何かしてあげたかったし…。
こんな私でも誰かのために何かができる…そう、ある人が思わせてくれたから。
私を暗闇から救ってくれた…そして私に勇気をくれたあの人。
「セリス様…」
私は思わずそう呟いて胸元のペンダントを握りしめ…
トントン
「はうっ」
変な声を上げてしまいました…。
こ、こんな時間に…どなたでしょう?
「ラナ、起きてる?私だけど…いいかしら?」
扉の向こうから聞こえてきたのはエーディン母様のものでした。
「あ、はい…鍵は開いていますから…どうぞ」
今から眠れるとは思えませんし、誰かとお話ししたいという気持ちもありましたから、母様に入って頂く事にしました。でも…何かあったのでしょうか?
「ごめんなさいね…こんな夜更けに。眠れなくてね…」
そう言うと母様は部屋に入られました。月の光に照らされた母様の表情<かお>はどこか淋しげでした。
「そ…そんなっ、気にしないで下さいっ。私も眠れなくて誰かと話したいと思ってましたから」
「ふふ…ありがと。折角、貴女がここに来てくれたのにゆっくりと話した事はなかったわね。
良かったら…イザークでの事、聞かせて貰えないかしら?」
「あ、はい。少し長くなりますけど…」
そうして、私はまずイザークに行く前のこと…悪夢の事を話しました。
それからイザークの事を…


7年前のあの日、私がセリスさんに連れられてきたのは、私が住んでいたのと同じぐらい小さな村でした。
それからセリスさんは私を村の人達に紹介してくれました。
周りは知らない人ばかりで緊張していたんだけれど、皆さん、私に良くして下さいました。
私はもうだいぶ前からその村にいるような気分になってしまって。
それをセリスさんに話したら笑われてしまいました…。
「あはは…でも、そう思ってもらえると嬉しいな。ここを好きになって欲しいしね。これからはここで暮らすんだし…ね」
でもその言葉も笑顔も、その時の私にはすごく嬉しくて。セリスさんと話していると、とても温かい気持ちになれたんです。
その後で、この村は今の帝国のやり方に反抗する人達の村である事、私の村と同じように何度か襲われた事、
…子供がさらわれたり殺されたりしてほとんどいない事、食事前のつまみ食いが見つかったら食事はヌキになる事…
それらを教えてくださいました。
「明日、スカサハやラクチェ――僕の幼なじみなんだけど――を紹介するね。
今日はもう疲れただろうし…他の皆も明日には帰ってくると思うから」
「帰ってくる?」
「えっとね…1月に1度、大人達は大きな街に買い出しに出るんだけど、それに何人かついていっててね。明日に帰ってくる予定なんだよ」
「大きな街…どんな所なんですか?」
「う〜ん…僕も1回しか行った事ないんだけど…人がたくさんいて、にぎやかで…そこにいるだけで楽しくなる、そんな所だよ」
「そうなんですか…行ってみたいな」
「うん、僕もまた行きたいね…あ、そうだ。いつか一緒に行かない?1人より2人の方がきっと楽しいよ」
「はいっ!」
そう言って2人で笑い合いました。とにかく私は嬉しい気持ちで一杯でした。
でも、その夜は…。
夜になり、私は与えられた部屋で眠ろうと、明かりを消しました。
すると…その瞬間、私の周りの光景はあの燃えている村になっていました…。
もちろん、それはただの幻覚…私があの恐ろしかった場所に戻ったわけではありません。
でも…その時の私にはそんな事などわからなくて。泣きわめいてしまって…。
あの兵士がまた襲ってくるんじゃないか…と。
しばらく私は正気に戻れず泣きわめいていました。でも…誰かが私の手を握ってくださって…その手の暖かさを感じた瞬間、正気に戻りました。正気に戻ってみてみると、何の事はない…暗い闇に包まれた自分の部屋です。
ただ、明かりを消す前と違ったのは、隣にセリス様がいて私の手を握っていて下さった事でした。
「セ…リス様…?」
「あ…良かった…さっきはどうしようかと思ったよ。明日の事を伝え様と思って来たら泣き声が聞こえてきたから…」
「すみません…セリス様…こんな姿…」
「あはは…実は僕は暗い所じゃ目が見えなくてね。だから…今、君がどんな顔なのか見えてないんだ」
その時は気付かなかったけどセリス様、暗闇の中でもちゃんと目が見えてるんですよね。
「あ…さっき部屋に入る時に驚いて明かりを落としちゃったみたいだ…これじゃあ自分の家まで戻れないな。ラナ…申し訳ないけど、今日は泊めてもらえないかな?」
妙に、芝居じみた口調でセリス様はおっしゃいました。
今思えば、自分がいなくなったら怖がると思って気を使って下さったんでしょうね。
その時、やっぱり私は気付きませんでしたけど。とにかくセリス様がいて下さる事が嬉しくて。
その後、セリス様は私の手を握ったまま一緒に寝てくださいました…。
それから、私が普通に眠れるようになるまで、ずっと。

「ふふ…」
「エーディン母様?」 そこまで話したところで、母様は微笑を浮かべて私を見つめて…いえ、私ではない…もっと向こうの何かを見ているようでした…。
「…ごめんなさいね。ちょっと…昔の事を思い出してしまって…。気にしないで。
ところで、そのペンダントは?」
「あ、これですか?これは私が修道院に入る時に頂いたんです。私が1人でも淋しくないように…って」
「そう…。大切にしなさいね?」
「ええ…もちろんです」
そう、私は力一杯答えました。セリス様から頂いたものですもの…大切にしないわけがないです。
「ラナ…貴女には辛い思いをさせてしまってごめんなさい…。でも、今の貴女はきっと幸せよ。
淋しがる事はないわ。だって貴女は…1人じゃないのだから、ね」
「母様…」
母様は私が眠れなかった事に気付いていたのかも知れません。それでこうして…
「長々とありがとう。貴女と話せて良かったわ。じゃぁ、私は部屋に戻るわね」
「あ、はい。こちらこそありがとうございました」
私は去って行こうとする母様の背にそう言いました。
「ラナ。…セリス様の事、諦めちゃダメよ。貴女なら、きっと…」
「え…か、母様、何を…」
「それと。私相手に敬語は不要よ。今度敬語で話したら修道院内の部屋を掃除させますからね」
そう言って母様はこちらを向き、微笑まれました。
「はいっ、わかりました」
「よろしい。それじゃあ…またね」
母様はそうして去って行きました。
その後、部屋には私1人が残されたのですが…私はもう淋しくはありません。
だって私の心の中には皆が…そして、セリス様がいて下さるのですからっ。



その後、セリスとラナがどうなったのか。そしてエーディンはラナに何を見ていたのか。
それはまた…別のお話。





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