夕食の後、幾分か固めの声でシリウスが自分の名を呼んだので、リーマスは「ああ、来たな」と思った。
思えばあの時は、十三年ぶりの再会にしてはいかにも慌ただしすぎた。
お互いに重要なこと一点だけを確認し――リーマスとしては、シリウスが裏切り者ではないということ、シリウスにとってはリーマスが自分を信じてくれたということ――、他のことは全部押しやって成し遂げようとした敵討ちは、当然その権利のある彼の息子によって阻止され、その後はリーマスは満月によって、シリウスはディメンターによって、とても話などできない状態で別れることとなってしまった。
それからお互いの無事を確認するために短い手紙のやり取りはしたけれど、本当に話したいことは文字になどできず、極端に事務的な文章の羅列に終始してしまった。
そして、ダンブルドアの指示でシリウスが自分の家に来るということを知った時、リーマスはずっと置き去りにしていた問題に決着をつけなければならないと覚悟を決めた。つまり、お互いの関係をはっきりさせるということだ。
自分達は出会ってから6年間は友人という関係でいたけれど、その後の年月は恋人と行ってもいい関係だった。その関係がいつ終わったのか、それともまだ継続中のものなのか、リーマスは測りかねている。そもそも、本当に自分達の関係が恋人同士というものだったのか、それが疑問だ。してきたことはそれらしきことだったけれど、当時リーマスがシリウスに対して抱いていた感情が恋愛感情と言えるようなものではなかったことを、今のシリウスはわかっているかもしれない。今の自分の感情は、当時とはまた違っているのだけれど…… とすると、自分はいったいどういった態度をとればよいのだろう。
そんなことをしばらく思い煩ったが決着はつかず、ともかくシリウスの態度によって出方を決めようというひどく後ろ向きな結論に至ってから少しして、シリウスはリーマスの家を訪れた。
顔を合わせた時、シリウスもひどく困惑した表情でリーマスを見た。その顔を見たリーマスは、ここはひとまず「友人」の態度をとるべきだろうとの判断を下し、笑顔で右手を差し出した。
ささやかではあるが、できるだけシリウスの好みに合うようにしつらえた夕食の後、いつもの習慣で紅茶をいれている時に、シリウスに名を呼ばれたのだ。
「リーマス」
その声には決然とした、しかし何処か痛々しいような響きがあり、リーマスは手を止めた。
「何だい、シリウス?」
何気なさを装ってリーマスが応えると、シリウスは深く息をついてから、何かを振り切るように顔を上げた。
「リーマス、こっちを向いてくれ。正直に答えてほしいことがある」
少し躊躇ってから、リーマスはポットを置いてシリウスに向き直った。
こんな時なのに、ポットの中の紅茶は渋くなって飲めなくなってしまうななどという考えが頭をよぎり、そんな自分がちょっとおかしかった。
「何だい?」
もう一度問うと、シリウスはひたとリーマスを見つめて口を開いた。
「おまえはどうしてあの時、俺に黙って姿を消したんだ?」
あの時。
それがいつを指すのかは、問わなくてもわかった。
十四年前、リーマスはすぐ戻るかのように嘘をついてシリウスと一緒に暮らしていた家を出て、そのまま戻らなかったのだ。実際は、極秘裏に闇の勢力の動向を探っていたのだが公的機関との連携はなかったため、完全に消息を絶った彼を転向者と断じる者も多かった。
しかし、そんなことより何より。シリウスにとっては。
「おまえはあの時イエスと答えた。だが、それは本心だったのか?」
姿を消す数日前、リーマスはシリウスのプロポーズにイエスと答えた。だが、その時は。
「答えられないのか?」
シリウスの声は詰問するような強さがあったが、その目の色はひどく悲しげだった。
「じゃあ、代わりに言ってやる。おまえは、俺を油断させるためにイエスと言ったんだ。おまえが数日留守にすると言っても、俺が疑いを抱かないように。あれは方便で、おまえの本心じゃない」
リーマスは何も言わず、そっと目を逸らした。
「そもそも、おまえは俺に特別な感情を持ってはいなかった。ただ、俺が求めたから応えただけだ。おまえは、俺を愛してはいなかった」
そう。あの頃は。
誰かを愛することも、誰かに愛されることも、自分にとっては遠いことだった。
だが、シリウスと一緒にいるのは心地よかった。抱き締められる時の温かさや、惜しみなく注がれる優しさ。笑顔を向けられる時の、胸が満ちる感じ。それらが手に入るならば、自分の心がどうであろうと問題ではなかったのだ。
それをあきらめて、闇の力と戦うために彼から離れることを決意した時、確かに自分の中で変わったものはあったのだけど。
でも、それは今更だ。
「うん。そうだね」
リーマスが一言そうつぶやくと、シリウスが息を呑む気配があった。
おかしいよ。君がそうしむけたくせに。本当は否定してほしかったのかい?
当時の自分の気持ちがどうだったのかと問われれば、シリウスの指摘にうなずかない訳にはいかない。それを見抜かれているのに言いつくろうつもりはない。そんなむしのいいことはできない。
それに……いずれ冤罪が晴れればシリウスは自由の身だ。なのに、今から彼を縛ることなどしてはいけない。
「悪かった。今になってこんなことを……」
うつむいて黙り込んだままのリーマスを気遣ってか、シリウスがおろおろと声を掛けてきた。
「おまえを責めようというんじゃないんだ。すまなかった。忘れてくれ」
「うん、わかってるよ」
リーマスは顔をあげ、弱く微笑んで見せた。
恐らくシリウスは、これでもう二度とこの話を蒸し返そうとはしないだろう。
「疲れたろう? 今夜はもう休むといいよ」
「ああ、そうさせてもらう」
何事もなかったかのようにリーマスはシリウスを寝室に案内し、居間に戻ると飲めず仕舞いだった紅茶を片付けた。
そして、流れていく琥珀色の液体を見つめながら、心の中でつぶやく。
わかってるよ。今更君を愛しているなんて、言っても仕方がないことだ。
to be continued