ザー―――――…。























THE DAYS-涙雨


















いま、何刻頃だろう。

真っ暗な空と土砂降りの雨のせいで、時間なんてわかったもんじゃない。
学園の門をくぐって、大木先生の言う通り学園長に報告する気にも、
部屋に戻る気にもなれずに、学園内を歩き回った。
歩くたびに、ぬかるんだ地面が雨の海に溶けて土色に染まる。
おそろしいくらいの雨音に、生徒の話す声すら聞こえない。
知らないうちに中庭の井戸に辿り着いた。
ふらふらと近付いて、井戸の底を覗き込む。
いつもより水かさが上がっている。
ガラ、と目の前に垂れ下がっていた綱を引いた。
ガラガラと、何を思ったか、井戸から水を汲み上げて、頭から思い切りかぶった。
ぶっかけた水と雨が一緒くたになって肌に染みる。
意味なんて無い。
もともと頭から足下まで、濡れ鼠。
服も髪も、水を吸って重い。
男の返り血はとっくに雨に流されていたし、体は熱いどころかすっかり冷え切っている。
雨は自分をいじめるように叩きつける。
無数の雨粒が項垂れた体を殴ったけれど、痛くなんてなかった。
痛くなんて、ない。

「疲れた…」

立っている事さえ面倒になって、バシャン、と音を立てて地面に座り込んだ。
そのうち体を支えるのも億劫になって、重力に任せ、雨と泥の海に横たわった。
水の表面に大きな波紋が浮かぶ。
真っ黒い空とそこから物凄い勢いで落ちて来る雨を見上げる。
布越しに伝わる水の感触や、自分めがけて降り注ぐ雨に酔って、俺は目を閉じた。
このままいたら水になれるかもしれない、と思った。














もう、つかれた。


































「そのツラは素顔か」

重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
かすかに首を傾けると、廊下の屋根の下に黒髪の上級生が目に入った。

「立花先輩」

何となしに口ずさむ。

「随分、無様な姿だな」

鼻で笑われた。

「そうですね…」

そう言って、力無く笑い返してやった。
先輩は黙って、俺を見続けた。
…射竦められてる。
俺はじっとそれを窺っていたが、やがて視線を水面に落した。

「…先輩。あんた、何で知ってるんですか」

問う。
先輩は、微動だにしない。

「…想像だ。大体合ってると思うがな」

俺は、渇いた笑いを漏らした。

「だったら話は早いっすね」

ぬめる地面に手をついて軽く身を起こす。

「俺はもうには必要ないみたいです」

無機質な声だった。

「用無しなんです」

自嘲の笑いを浮かべる。
先輩は、顔色一つ変えず、それを聞いていた。
そして、こう。

「腰抜け」

「…は?」

思わず、間抜けな声が出る。
びっくりして、先輩の顔をうかがった。
予想だにしていなかった返答。
俺がわけもわからず固まっていると、先輩は次々に言葉を続けた。

「あいつに拒まれたから帰ってきたのか?
そこでお前はあいつに何をしてやった?
あいつは今、一体どれだけ苦しんでる?」

沈黙。
何も答えられない。

ふいに、刺さる視線が緩む。

「…昔…8年前だ。女の子が居た。家族も、村も失った子だ」
「…?」

仙蔵がとつ、とつ、と話し始めた。

「女の子はある人に連れられて、この学園に来た。だが、その晩だった。
その子は突然狂ったように泣き叫びはじめた…。『兄上、兄上』ってな」
「…!」
「女の子は、母と兄と暮らしていた。しかし、その子は母親の浮気で出来た子供だった。
女の子の実の父も、もともとの夫も、それが知れてから出て行ってしまった。
母親は娘に冷たくあたった。だが兄は違った。兄は妹を心から愛して、可愛がった」
「………」
「そんなある日だった。突然、村の近くの城の者がその母親を誘い出した。
村の向こうの城を滅ぼしたい。が、村が邪魔だ。そのうえ村には敵方の忍びが居る。
…うまくやれば、何でも褒美をとらせる。村を焼き討て、とな」
「………」
「母親は狂った。村人はもちろん、自分の家族まで手に掛けようとした。
女の子も、殺そうとした。だけどできなかったんだよ。兄がそれを庇ったから…」
「………」
「家から飛び出したを大木先生が守った。だけどが家に帰ったとき見たのは…、
首の飛んだ兄の死体だよ…」
「………」
「自分の母が村を焼いて、兄は自分を庇って死んで、あいつは独りになった。
だけどは泣いたりしなかった。全部、自分の記憶から消してしまったんだから」

ザンザンと雨が二人の間に降り注ぐ。

「なあ、鉢屋」












































「お前に、が救えるか?」




















































「俺は…」

耐え切れなくなって目を伏せた。

「俺は…」

頭の中がごちゃごちゃで、何も考えられない。
何も考えたくないのかもしれない。

「お前があいつに何を求めてたのか知らないが、
 もう一度、よく考えてみるんだな」

そう言い残し、先輩は柱に手を沿わせ、廊下の角に消えていった。

またひとり、取り残された俺は、雨粒を受けながらも澄んで落ち着いた雨だまりを見つめた。
かるく手を沿わすと、透明な水面からは想像もつかない、ぬるりとした泥の沈殿。
長い雨の間に積もった深い沈殿は、深く俺の手を飲み込んでいった。
ヌチャリとした気持ち悪い感触を、拭い去るように水の中で手を振った。
すると底に溜まった泥が静かに浮かび上がり、水の色が変わった。
土色の濁った水の底に触れた。

そして感じたさらさらとした、驚くほど心地よい大地の感触。





































































































駆け出した彼の後に残るのは、

たとえ濁っていても、清らかな底の雨の海。



















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