邂逅するケモノ




ザンと雨が振り込んできたかと思うと、黒い影が堂内に軽く飛び込み、
それを見るや否や、潮江は体側の刀を引っつかみ、舌打ちしながら床を蹴った。
強い力で体を突き飛ばされ、私は突然の事にかたまったまま、床に吹っ飛んだ。
したたか背中を打って、はっと顔を上げたときには、ギン!と金属特有の鈍い音が響き、
潮江と黒い忍び装束の男が刀を交えていた。
ギリギリと互いに刀を押し合い、睨み交わしている。
突然襲撃してきた男は覆面で頭を隠しており、その間から垣間見える
眼の鋭さに、ぞっと背筋が凍った。
「くそっ」と、潮江が低いうめきを漏らし、一瞬ひいて相手の刀を弾き飛ばすと、
いまだ轟音を響かせる土砂降りの中に、飛び出していった。
黒ずくめの男もすぐに体を翻し、それを追って刀を片手に駆けでていく。

堂の中に私ひとりになると、すぐに外から刀を交わす音が聞こえてきた。
一瞬の出来事に呆然としていると、床に点々とした赤い染みが目に入った。
それはまっすぐに堂の外に続き、潮江の傷口が開いたのだと直感した。

「潮江!!」

急いで先に出て行った二人を追いかけ、私も土砂降りの中に飛び込出していった。



ドォッといっぺんに雨音が大きくなり、視界一面にかかった霧に息が詰まる。
白いもやの向こうにかすかに見える潮江の衣からは血が滲み出し、
相手に押されて足下もおぼつかないのがわかった。

「潮江!」

まるで川のようになった地面に足をとられながら、なんとか二人に近付いた。
しかし激しく立ち回る二人の間には入れず、もどかしさに気を揉むしか出来ない。
そのとき、黒い装束の男の背に潮江が回りこみ、手刀を繰り出そうとした。
だが瞬間、男がそれを逆手に取り、体を返しながら腕を引き、横に凪ぎ飛ばした。
だが潮江の手は男の覆面をガッシリと掴んでおり、二人一緒くたになって
バシャンと派手な音を立てて地面に倒れこんだ。
本調子でない体に顔をしかめる潮江とは対照に、男はすぐさま起き上がり、
潮江にひっつかまれたままの覆面を片手で剥ぎ取った。
そして現れた顔は…。

「…っ立花!」

雨に濡れた艶やかな黒髪、雪のように白い肌、整った目鼻立ち。
覆面の下からあらわれたのは、紛れもない、立花仙蔵の顔だった。
だがその表情は、かつて見慣れた端正な笑顔ではない。
瞳の奥に冷たい炎を宿した、感情のない、「忍」の顔だった。
呆然とした私に一瞥くれると、立花は立ち上がって再び潮江に刀を突きつけた。

「やめて!」

私はいっぱいに手を広げて二人の間に立ちふさがった。

「やめて立花!こいつ怪我してるの、見たらわかるでしょ?」

しかし返される視線はゆるぎないものだった。
知らない。こんな立花、私は知らない。
ゾクリとした感覚に襲われる。背筋が凍るようだった。

「こいつのこと追ってるの…立花だったの?」

震える声で、言葉を搾り出す。
答えは無言。
背中越しに、潮江のあえぎが聞こえた。

「カ…ッは…はは…雨だとお前の得意な火薬も使えねえわな…」

肩越しに、地面に膝をついて腹部を押さえている潮江が目に入った。

「何…?知り合いなの…!?」
「そうだなァ…旧友ってヤツか!?」

そう叫ぶや否や、潮江は私を押しのけ、懐から出した苦無を片手に
立花に飛び掛った。腕に仕込んだ棒手裏剣で刀を払いのけるが、
済んでのところでまたも勢いよく地面に引き倒された。

「おねがい、やめてぇ!」

またも刀を構えなおす立花を見て、私は潮江の体の上に覆い被さった。
そのとき触れた体は、これまで雨に打たれ続けていたとは思えないほど熱く
呼吸も荒くなっていた。
これ以上動けば、ほんとうに死んでしまうかもしれない…。
立花は雨で顔に張り付いた髪をふりはらい、刀を握りなおした。
私は、キッと立花を見据えた。

「立花、何で潮江を狙うの…」

潮江の苦しそうな息と、雨の轟音しか聞こえない。

「友人だったんでしょ!?」

そのとき、立花の瞳がわずかに揺れた。
しかしそれも一瞬で、私がそれが何なのか理解する前に元の冷たい目に戻ってしまった。

「気付いてなかったのか…」
「何に!?」

久方ぶりに聞く声にも感情はこもっておらず、それが私を一層苛立たせた。
しかし立花はそんな私の気持ちをいともたやすく切り捨てて、
雨の音さえ掻き消すように、冴えた声でこう言った。

「お前の薬をすり替えたのは、お前が今庇っている男だ」

一瞬、時が止まった。

「………………え?」
「若君を殺すため、薬を毒にすり替えたのはそいつだといってるんだ」

…潮江が、薬を、すりかえた?
………………うそでしょう。
私は縋るかのように、潮江の顔を覗き込んだ。
潮江は、目をあわそうとしない。

「…そんな…」
「わかっただろう。そういうことだ」

頭上から、立花の冷たい声が浴びせられる。

「でも……でも…!」

言葉を詰まらせながら立花に訴えかける。
それを制したのは、潮江の左手だった。

「どいてくれ、センセイ」

肩に手をかけて、潮江はゆっくりと立ち上がり、私を後ろに追いやる。
私は抗う事も出来ずに地面にへたり込んで、潮江の背中を仰ぎ見た。

「俺ぁ、何にしろもう逃げらんねえんだよ」
「潮江…?」

佇まいをなおしながら、潮江はハッと自嘲するかのように笑う。

「おら、殺せ仙蔵。お前になら殺されても惜しかねえ」
「何、いってんの…馬鹿言わないで!」

この上ないほど落ち着いて「殺せ」と言う。
その冷静さが何よりも怖くて、切に叫んだ。
だが、それさえも静めたのは、肩越しに見せた、

あの、おだやかな笑み。

ゆっくりと、刀を携えた立花が潮江に近付く。
そして、雨に濡れた切っ先を、高く、ふりかぶった。

「わるかったな、センセイ…」

ビュン!と勢いよく振り下ろされる。
その後の惨烈な光景を想像して、私は堅く目を塞いだ。しかし。

ゴッ!

……鈍い、音。
血の音も、しない。
そっと目を開けると、ただ潮江の体が立花の腕に崩れ落ちているだけだった。
一体何が起こったのか。
疑念を抱いていると、チャッと立花が刀を持ち替える音がし、はっと気付いた。
みねうち…。
安堵し、立ち上がろうとしたが腰が抜けていて叶わなかった。
立花はそんな私に目もくれず、刀をしまい、グイと潮江の体を担ぎ上げて歩き出していた。

「立花、待って!」

立花は、足を止めた。

「…潮江は…どうなるの?」
「知らん」

立花は背中を向けたまま言葉を続けた。

「お前はもう城のものではない。情報を漏らすわけには行かない。
 本当ならこの場で切り捨てるべきだが、元同僚のよしみで見なかったことにする」
「…」
「………全て忘れて、里に帰れ」

吐き捨てるようにそう言うと、立花は潮江とともに雨の向こうに消えてしまった。





…わたしは。
わたしは、どうすればいいのだろう。
立花を止めるわけには行かなかった。
彼はあの城の忍びだもの。
潮江を取り逃がしたとなれば、今度は彼に咎がかかる。
さりとて、このまま見過ごせば今度は潮江の命がない。
だけど、潮江は薬を…。
どうしよう。
どうしよう?
どうしよう…!

(もう一回やりなおしてみろや、…センセイ)

ハッと顔を上げた。
彼が薬をすり替えたのは事実に違いない。
しかし、さっき私にいったあの言葉に偽りはない。
私は彼に人生を狂わされたかもしれない。
けど、その彼の言葉で今度は癒された。
今、私の気持ちはどうだ?
答えは決まってる。

「潮江、最後まで首突っ込ませてもらうわよ」

私は、雨で消えそうになっている立花の足跡を追って走り出した。






…ケモノの温もり






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