「○曜サスペンス劇場 脅迫した女〜臨床犯罪学者と推理作家の災日〜」後編
数日後、ワープロとにらめっこをしていた私を、火村が訪ねてきた。
「明日ヒマか?」
勝手知ったる何とやらで、戸棚から灰皿――ほとんど彼専用となっているものだ――を取り出しながら、台所の私に問いかけてきた。コーヒーを手渡し、手帳を出してきて座る。
「別に何も予定は入ってへん。今書いてるやつも、〆切までは充分時間あるし」
何かあるのか、と言いかけてふと気付いた。
「もしかして、例の彼女か?」
「ああ」と短く答えて、キャメルに火を点ける。そのクールな顔からは、何も読み取れない。
今の火村の心中は、私には想像もつかない。脅迫紛いのことを言ってしまうほど――火村は何も言わなかったが、私はそう確信している――の愛を、おそらく歪んだ形となっているであろうその愛を、彼はどのように受け止め、そしてどのように突き返すつもりなのだろうか。
何とか表情からその感情を読み取ろうとする私と、火村の目が合った。別に悪いことをしているわけでもないのに、慌てて目をそらしてしまう。
そんな私の様子を見て、火村はニヤニヤとした笑いを口元に浮かべた。
「おいおいアリス。いくら俺が男前だからって、穴が開くほど見つめるなよ」
「誰が見つめてんねん。第一、君が男前というその前提が間違ってるわ」
他人の私が真剣に悩んでいるのに、当の本人がこの調子とは・・・。
いや、彼はおそらく私に見えないところで――あるいはわざと見せない様にして――深く悩んでいるに違いない。
昔からそうだった。悩みを相談するのはいつも決まって私の方で、彼は何でもない悩みですら、こちらから聞き出さないと話そうとはしなかった。つくづく人付き合いの下手なヤツだと思う。それとも、自ら他人との深い付き合いを拒んでいるのだろうか。
「それより、明日の何時にどこで会うねん。と言うか、何で君ここにおるんや?」
明日私がヒマかどうかぐらい、電話で済むではないか。まさか、明日のことが不安で一人で居たくない、と思春期の乙女のようなことを思っている訳でもあるまい。
「ああ、明日難波で会う予定だから、今日はお前ん家に泊めてもらおうと思ってな」
「はぁ?」
なんとも間抜けな声をあげてしまう。
「また何でナンバやねん。確かその彼女は英都の学生なんやろ?京都でええんちゃうんか」
火村は「院生だ」と小さな訂正を加え、溜息をついて話し始める。
「確かにその女性はうちの院生で、おまけに京都在住だ。しかし、だからと言って京都で会ってみろ。誰に目撃されるか判ったもんじゃねぇ。その所為であらぬ噂が流れるのも不本意だ。その点、大阪のほうが誰かに会う可能性が低いだろ?分・か・り・ま・し・た・か?有栖川先生」
火村の複雑な心境がすこし窺えたようだ。だが、確かに京都より目撃される確率は低いかもしれないが、もし目撃されたときの言い訳は難しくなるのではないか。まさか、京都在住の二人が偶然大阪の難波で会ってお茶している、なんて苦しい言い訳をすることも出来まい。疑問をぶつけると、助教授はさらりと告げた。
「そのためにお前を連れて行くんだろ」
なるほど。二人きりなら言い訳も苦しくなるが、火村が私を訪ねて大阪に来ていたことにすれば、そんな偶然があっても不自然ではなくなる――かもしれない。
「まぁとにかく、明日の一時にOCATの英國屋で会うことになっている。それだけだ」
そう言うと新しいキャメルに火を点ける。もうこの話に触れるな、と言いたげなその態度に、話題を変えることを余儀なくされた。
翌日は、厭味なくらい晴天だった。
午後一時十五分過ぎ、白いワンピースのその女性は、我々の前に姿をあらわした。
「すみません、お待たせしてしまって」
柔らかいソプラノだった。思わず「今来たところですから」と言いそうになったが、火村の不機嫌な声に止められた。
「今来たところだ、なんて言いませんよ。十五分待たされたなら、十五分早く終わらせるだけです」
彼女は、そのあからさまな棘を気にする様子もなく、火村の正面に座った。
見えない火花を散らし合う二人をよそに――第三者の私が割って入れる空気ではなかっただけだが――火村をここまで追い詰めた張本人をそっと観察する。
腰まではゆうにある、今どき珍しいぐらいの真っ黒なストレートヘア。顔立ちは、私の好みではないが――まぁ私の好みなどこの際どうでもいいが――充分美人の部類に入るであろう端正な造りをしている。
しかし、どこから見ても上品そうな女性である。彼女が火村を脅しているということが有り得るのだろうか?ふと、『女は魔物』という言葉が頭に浮かんだ。静かに微笑んでいるこの女性も、一皮剥けば山姥なのかもしれない。
不意に、彼女が紅い口唇を開いた。
「先生?恋人を連れて来て下さるって仰いましたよね。その方はどちらに?」
そう言って微笑んだ彼女の顔は、明らかに勝利を確信した者のそれだった。
そんな彼女の様子を気にすることもなく、火村はさらりと――あまりにも自然で、すぐにはその言葉の意味が判らなかったほど――とんでもないことを言ってのけた。
「ええ、確かに言いました。だから連れて来たんですよ」
数秒の沈黙の後、自分のことを言われたのだと気付いた私が抗議の声をあげるより早く、彼女の苛立った声が届いた。
「火村先生。馬鹿にしてるんですか?」
火村を困らせている彼女を応援するわけではないが、これは怒って当然であろう。どう答えるのかと隣りの助教授を見ると、他人事のような顔をして煙草を燻らせている。
そして平然と、
「馬鹿になどしてませんよ。貴女こそ私を馬鹿にしている。私に恋人がいないことを知っていて、あんな条件を出したのでしょう?今隣に女性が座っていたとしても、貴女は言った筈だ『本当の恋人ではありませんね』と」
彼女の顔が僅かに曇った。
「なら、何故私の条件を飲んで今日のこの席を設けたんです?」
そう、それは不思議だ。火村に恋人がいないことを彼女は知っていた、ということを知っていた火村――何やらややこしい表現だが――は何故わざわざ彼女を呼び出したのだろう。
「貴女と学校を離れて話したかったからです」
灰皿に煙草を押しつけながら答える。
「貴女は、私を愛していると言った。そしてその愛を受け取ってもらえないと知ると、私を脅迫にかかった。まぁ脅迫とも呼べないような稚拙なものでしたが」
おお、やっぱり脅迫されてたのか。自分の推理が当たり喜んだと同時に、そんな場合ではない、と気を引き締める。
彼女は、青ざめた唇を噛んで黙っていた。
「貴女は私が脅迫に負けたのだと思ったのでしょう。でも私はそんなものは気にはしていなかった。むしろ、たかが恋愛ゴッコに脅迫という手段を用いた貴女自身が気にかかった」
それまで無言だった彼女が急に口を開いた。
「たかが恋愛ゴッコ?私の愛はそんなものじゃ…」
捲くし立てる彼女を、火村の冷徹な声が遮る。
「恋愛ゴッコです。自分の想いが受け入れられないからといって、幼稚な脅迫を行なうなど、『ゴッコ』以外の何でもない」
力が抜けたように俯く彼女に、火村は少し口調を和らげて続ける。
「私が貴女の愛を受け入れられないことは理解してもらえますか?」
微かな頷き。
「貴女の幸せは、私ではない誰かと繋がっている。その誰かを捜すことが、貴女が幸せになるための第一歩です」
歯の浮くような科白だ、と批評していると、火村は既に立ち上がり、レジに向かっている。俯いた彼女には見えないだろうとも思ったが、軽くお辞儀をして慌ててレジの火村に追いつく。
無言のまま店を出た火村の後ろを歩きながら、気になることがいくつか出てきた。私がいくら悩んでも出ることのない解答は、やはり当事者に訊くのが一番だろう。
エレベータに乗ったのを機に問おうとしたが、甘ったるい会話を交わすカップル――冬なのに暑苦しい――が乗り込んで来たのでタイミングを失った。地下まで下り、地下鉄へと向かう。途中何度も訊こうとしたが、その度にタイミングを失い、結局夕陽丘に到着してしまった。
地上に出たところで、ようやく話を切り出せた。
「なぁ、火村」
「ああ?」と気だるそうな返事が戻ってくる。
「彼女、あのままでええんか?」
「いいんだよ」
つれない返事だが、私の話はちゃんと聞いてくれているようなので、疑問をぶつける。
「どういうネタで脅迫されてたんや?火村センセは」
おや?返事が返ってこない。さては人には言えないようなことを…。
「幼稚な脅迫だって言っただろ。くだらねぇことだよ」
まぁそうだろう。変わったヤツだが、脅迫されるようなことをする男ではないことはよく知っている。ならば次の質問だ。
「『彼女』を連れて行く、って言うたんは彼女を呼び出すためのエサみたいなモンやったんやろ?」
「エサねぇ」と苦笑する火村。気にせず先を続ける。
「なら何で朝井さんに彼女のフリを頼んだんや?別にホンマに誰かを連れて行かんでもええやん」
「連れて来れるはずのない『彼女』を俺が連れて行った時の彼女の反応を見たかったのさ。万が一の場合を考えてな」
万が一?もしかすると、彼女が狂気に足を踏み入れるかもしれなかったということか。火村はそれを鋭く感じていたのかもしれない。
「今日のあの様子なら大丈夫だろう。そう心配することもなかったな」
「そうやな…。それにしても、『愛』に燃える女は怖いなぁ」
思わずしみじみと愚痴ってしまう。
「おや?知らなかったのか?有栖川先生。恋愛は女を女神や天使にするが、同時に魔物にも出来るんだぜ」
「女嫌いの火村先生よりはよく判ってるつもりやけど?」
「へぇー、それはそれは」
おっと、雑談をしている場合ではない。最後の、しかも最大の疑問がまだ残っていた。
「さっきレジに向かうとき、彼女に何か言うたやろ。何て言うたんや?」
そう、慌てて立ちあがろうとした時にバッチリと目撃した。横を通ろうとする火村を縋るように――これは私の予想だが――見た彼女に、彼は小声で何かを囁いたのだ。それを聞いた彼女は、安心したような、救われたような表情で再び俯いた。
「さぁな」
「さぁな、ってお前」
また言葉を濁す気か、と問い詰めようとすると、「ただ…」と独白のように呟いた。
「ただ?何や?」
「ただ…。人を愛するという行為は、尊くもあり恐ろしくもあるってことだよ…」
そう言って火村が吐き出したキャメルの煙は、雲一つない冬の青空へと吸い込まれて消えていった。
完
おまけ
「そういえば、人命が掛かってるって言うてなかったか?」
「ああ、そんなことも言ったな。俺の命が危なかったんだよ」
「彼女に殺されると思ったんか?」
「は?違うよ。論文書いてて徹夜続きで死にそうだったんだ」
「…あほ。心配して損したわ」
「誰も心配してくれなんて言ってねぇだろ」
「もう二度と心配せぇへんからな」
「まぁそう怒るなって」
「誰が怒らしてん」
「いいじゃねぇか減るモンじゃなし」
「お前なぁ…」
・・・エンドレスえんどれす(笑)
あとがき
火サス風味ということで書いた作品、如何でしたでしょうか。
原作の二人に少しでも近付けようと頑張ってみましたが、なかなか上手くいきませんで…。
研究が足りないんですね。(溜息)
こんな駄文を最後まで読んでくださって、有難う御座いました。
これからも懲りずに駄文を書き続けたいと思いますので、もしよろしければ他の作品も御覧下さいませ。