天使も踏むをおそれるところ 12 一瞬体を引いた一乗寺くんの肘を軽く掴んで、真直ぐに目線を合わせる。軽い調子で断定してみせると、見開かれる黒い目。ああ、楽しいな、悪趣味ってわかってるんだけど。 「キミはね・・望んでるんだ、またああいうことが起こればいいって」 「タケルく・・」 「キミにはそれだけの力がある。キミが望めばまたああいう事が起こる。あの時の子ども達には闇の印がある。それを使ってきっとまた・・。ううん、方法はいくらでもあるだろうけど」 「違う!」 「違わない。言ったでしょ、ヤツ等はまた帰ってくるって」 「僕は・・」 「そうしたら、キミはまた大輔くんと・・」 「本宮?」 一乗寺くんの顔から目を逸らさずにできるだけ静かに、今思い付いたことじゃなく、前から冷静に吟味していたかのように。 「心臓の音をひとつに重ねることができるんだ」 「な・・」 予想外?図星?どっちにしてもボクはこうなっちゃもう止まれない。悪い癖だよ、ホントにバカだよ、でも仕方ないんだ。 「ね、どうだったの?すごかったんでしょ、大輔くん言ってたじゃない」 一乗寺くんが後ずさろうとする。パイプ椅子が軋むイヤな音。 「皆呆れちゃってたんだよ、なんていうのかな、まるでさあ、初エッチの報告みたいな」 顔が赤い、怒ってる?否定の言葉も出ないくらい動揺してる?それともその通りだったのかな。ボクは脳天気な声で続ける。 「ボクなんて相手伊織くんだったじゃない、3年生の子相手にそれはないでしょってマジで悩んじゃったあ。だからかなあ、ジョグレス一番遅かったのって」 「何が言いたい・・っ」 押さえ付けた腕に力が入る。痛いだろうな、パイプに食い込んで。きっと跡になるだろうな。うへ、想像しちゃった。前にボクが殴った時も跡になった?見たかったなあ、すっごく。 「八百屋お七って知ってる?」 返事はない。睨みつけてくる目。ゴーグルだかサングラスだかに隠れてたけど、こんな顔してたのかな、あの時も。悔しそうな、強情そうな、半分諦めたみたいな。 「昔、江戸に大火事があってね、普通の火事の後にもう一回。後の方はお七っていう娘が前の火事で避難した先で恋仲になった相手にまた会うために、放火したんだってさ。あわれ女の浅知恵ってね」 くすくす笑ってみせる。キチガイを見るような目。物知りのキミだから知ってると思ったんだけど、例えが突飛だったかな。ボクだってこんなの母さんがしょっちゅう言ってなきゃ知らなかったよ。お七は「丙午」で、丙午の女性は男を食い殺すって言い伝えの実例。案外そういうの気にするんだ、母さんは。あーーー、そこ、歳を計算しないように。 「何・・」 「ね、キミだけじゃないんだよ、好きなんだったら当然とは言わないけど。犯罪だもんね。でも人の心はどうしようもないじゃない。」 「何の話・・」 「いいじゃない、正直になりなよ。またああなればいいって。もしゲートが開いて・・何か起こったとしても、キミたちが何とかしてくれるでしょ」 「ふざけ・・」 「何回言わせる気?ふざけてなんかないよ」 「君の言い分はわかった。もし、仮に・・だ。そうだとして」 眇めた目に、剣呑な火花がひらめいたと思うと消えて、つまんないな、意外と冷静なんだ。ボクだけか、立っちゃうくらい興奮してるのって。 「君の望みは何なんだ・・?」 「ボク・・の?」 「僕がそれを・・仮に、だ。そんな事があったとして。僕が願って・・ゲートが開いてそれで君は・・」 ボクの望み・・? 「そのためなんだろ?」 「何のこと?」 今はボクの話なんか・・ 「僕を見張って、挑発して・・それで?君の望みは?何を引き出そうっていうんだ」 「今はそんな話・・」 「言えよ!」 「怒鳴らないでよ!」 こっちも怒鳴り声だ、一乗寺くんの体が竦む。望み?ボクの?もし、ゲートが開いたとして。そんなのどうでもいいって言ったらショックかな?だってさ、あそこはもうボク達のデジタルワールドじゃない。見たでしょ、アイツがした事。まあ、彼にも同情すべき点はあるんだろうけど。ボクは許してなんかないんだ、誰にも言う必要ないことだけどさ。 「へえ、叶えてくれるんだ、ボクの望み」 答えはなくて、押し殺した吐息に震える唇が妙な具合に引き絞られる。痛いんだろうな、思わず腕に力が入る。片側に比重がかかったパイプ椅子がいきなり傾いて、一瞬胃が浮く感じ。このままだとひどい音を立てて倒れてしまうだろう。あのお爺さんに聞こえてしまうかな、あんなゆっくりな歩き方でも間に合うかな、ボクたちの重なりあった姿を目撃するのに。お気に入りの探究心溢れる生徒が自分の管轄内でさ。それも面白いかもしれない、ボクは一乗寺くんの頭に腕をまわしてわざと体重をかける。ひんやりした髪の感触、手が滑ってもう一度。もうすぐ床にぶつかって酷い目に合うんだ、わかっててもなんだか嬉しい。バカだよね。 「あぶな・・」 駄目だって、声出しちゃ。ボクは一乗寺くんに覆い被さるようにして、なんとか声を止めようと、ああもう、邪魔だよ、この椅子。腕が折れてしまわないように肘の内側をパイプに押し当てるのが精一杯。なんだってこう滞空時間が長いんだ?余計な事ぐるぐる考えちゃうじゃない、さっさと終わらせてよ、でないと。 |