天使も踏むをおそれるところ 7 『わ!タケル君、生まれたよ!』 ケンくんの手のひらの上で赤いゼリーみたいな幼年期がぽよぽよしてる。 『プニモンだね!』 コイツは多分、エレキモンになる。それから。 『技をよっつ憶える筈だよ』 『こうやって強いデジモンになっていくんだ・・』 『すごいよね』 ケンくんって結構感動屋さんなんだな、ってボクはなんだか可笑しくなっちゃって。 『なんだよ、何笑ってるんだ?』 真面目で大人しいけど、負けず嫌いの頑張り屋さんだったり。旅をして少しずつケンくんの事がわかってきた。 『可愛いなって』 『あ、うん。可愛いね』 ケンくんがつつくとプニモンがぴぎーってちょっと怒ったような声を上げた。 『ワームモンはどうして進化しないんだろう』 『ぼくにもわかんないよ、ケンちゃん』 『ボクだってアーマーがないとダメなんだよ?』 浮かび上がってプニモンを眺めていたパタモンがボクの頭の上に着地する。 『パグモンの言ってた特定ジョグレスっていうのに関係あるのかなぁ』 特別な組み合わせによる特別なデジモン。パートナーがいるっていうのは充分特別だから。 『そうだよ、きっと。ワームモンは特別なんだよ』 ケンくんが抱き上げると不満げだったワームモンの表情がとろけそうになる。 『きっと・・もうひとつの世界と統合されて、リョウさんに会えたら』 『リョウさん?』 『僕達、春に一緒に見てたんだよ、ネットでデジモンが闘ってたのを』 『そうなんだ?』 誇らしい気持ちが沸き上がる。言いたくてうずうずする。そうなんだ、あれはボクのお兄ちゃんだったんだ、でも。 『それからだった、兄さんのパソコンをいじってたら、これが』 ボク達と同じデジバイス。二つを見比べてみる。これで選ばれし子供は九人?十人? 『この春休みまで、パソコンの中に入れるなんて知らなかったよ。ボク、パソコンなんて使えないしさ』 デジバイスをケンくんに返す。ケンくんは大事そうにそれをポケットに仕舞う。 『触ってるの見つかったら兄さんに叱られるんだけどね』 『ケンくんのお兄ちゃんってコワイんだ?』 『そんな事ない!・・優しいよ』 『ふうん』 お兄ちゃんなんてどこも同じ、勝手なもんだよね。お兄ちゃんの話になったらリコンの事やなんかの話になっちゃいそうで。 『デジバイスで進化しないのかな、ワームモンは』 ボクは話を逸らす。 『そんな機能があったんだ?』 ケンくんは心底不思議そうな声を出す。 『ボク達の時はそうだったよね、タケユ。デジバイスから光がぱーっと射してさ、力が漲ってくるんだ〜』 『ぼくも進化したいよ、ケンちゃんを守りたいんだ』 『いいんだよ、ワームモンはそのままで。それに時期が来ればきっと』 ね、とケンくんがボクの顔を覗きこむ。どうしてだろう、ボクはその答えを知ってる気がする。 『そうだね、時期がくれば』 その時が来れば? どうなるんだろう、どうなったっけ? お兄ちゃんやヒカリちゃん達と一緒だ、キミもボクを置いて行ってしまうんだ。どうしていつもボクじゃダメなんだろう?どうしてみんな他の人と手を取り合って行ってしまうの?皆それぞれ役割があるって言ってたのは、いつも体を張ってボクを助けてくれた人だった。手の中でぽよぽよ震える、使い捨てにされていく小さな命。生きているものは皆尊いだなんて言ったのは、キレイで真っすぐな彼にちゃんと説明できなかったからなんだ。淘汰された命を蹴散らして未来を誇ったボク達がしてきた事、これからする事に彼は気付かないまま大きくなるんだろうか。不思議とそれに対して欺瞞だと言う気になれなくて、ボクはただ黙って見ていただけ。 『タケル君?』 『あ、ゴメン、行こうよ、この子に名前つけなくちゃ』 夢の時間はもう終わりだ。本当の望みに気が付いて、何もできないまま現実と向き合うんだ。ボクのなりたいもの、ボクの夢。皆のデジタルワールドなんて消滅してしまえ、ボクのなりたいものなんかどこにもないんだから。 母さんの部屋から明かりが漏れてる。充分以上に暑いっていうのにお腹に乗っけられたタオルケットが重い。メールの返事、送らなきゃ。 『どうして僕なんだ?』 どうしてなんだろう、皆と同じ?キミが現れてからみんなそうであるように、ボクもキミに恋してる?何度か体験した明け方の現象みたいな、暴力と凌辱の象徴だったらよかったのに。ボクはただのヘンタイで、手近にたまたま彼がいたからってだけだったら、どんなにか。いつだったか見た、アウトサイダーアートってやつ。おとなしい独身で変人のおじいさんが残した大量の絵物語。男の子の性器を持った幼い女の子達が殺され、犯されて。その人は別に男の子が好きだとかそういう種類のヘンタイじゃなくて、知らなかったんだろうってさ。女の子のアソコがどうなってるかってのを。ボクは薄ら寒くなるのと同時にひどく興奮してしまった。ヘタクソな子供みたいな絵、女の子みたいな髪型をしてリボンなんかをつけてる幼い男の子達が、お腹から血塗れの腸を垂らしながら兵隊かなんかの格好をした大人の人に画面の隅に追い込まれてる。そういう種類の欲望があるって事、人畜無害の人の中にだって。そしてそれを持ち上げる人もいるんだ。なら、ボクがそれを願ったって、誰にもわからなければ。白昼夢の中なら、何だって。 そんな考えをボクは打ち消そうと、そしてそれは成功してた筈なんだ。『モー娘。』の誰かで何回抜いたかなんて話とたいして変わりはないんだから。なのに。夢の中のボクより背の高い、記憶にあるより短い髪の子。控えめにだけどよく笑って、デジモンワールドでの冒険に瞳を輝かせて。あんなものを作り出すぐらいボクは切羽詰まってるって訳か。 「・・バカみたい」 汗が冷えておデコが冷たい。 「どうせなら、もっと都合のいい夢見ればいいのに」 そうだよ、例えば誰もいない夏休みの教室に呼び出すとかさ。相手もボクがすっと好きだったなんてさ。D-ターミナルを開いてメールを呼び出す。きっと彼はまだ悔恨の思いとやらに囚われているんだろう。でなければこんな、細い小さな蜘蛛の巣なんかに引っ掛かったりしない筈だ。ボクはわかってた。彼が必ず興味を示すだろうって事。今ならなかった事にできる。メールして都合が悪くなったとか、テーマを変えたとか、理由はいくらでも。けれど、それもなんだか億劫だ。 「いざとなったらドタキャンすればいいし」 D-ターミナルに話し掛けてる自分は滑稽だ。夢の中みたいに、屈託なく彼と話せるかもなんて望みをまだ持ってるなんていうのも。天使も踏むのを恐れる場所なんてホントにいくらでもあるんだ。それでもまあいいか、なんてさ。地雷で一杯の野原での休戦協定。なんていうか。ボクってちょろいよ、思わせ振りな言葉にホントに弱くてさ。ね、ヒカリちゃん。相談してみようかなんて一瞬。思わせ振りに気を引こうとするのはいわゆる弟タイプってやつなんだろうか。 夜明けまでまだまだ間がある。父親が消えて全てうまくいくハッピーエンドにでも付き合うかな。冒険が終わってめでたしめでたしなのは、物語の中で死んだ人だけだよね。時々彼がうらやましくなっちゃうな。だってボク達にはどうしたって明日が来ちゃうんだから。 |