アレゴリーの海 「サカナって。泳いでないと、死んでしまうんだろうか。」 誰に言うともなく、そもそも一乗寺はこちらから話し掛けないとあまり話さないから。どんな下らない事でも声を聞きたい、だからボクは何かしら彼に誘いをかける。色んなもの見に行こうよ、と。何かを見れば言葉も出るんじゃないかな、例えば象を見て、わ、大きい、でもいいんだ。勿論これはボクの自己満足、それで一向に構わない。 「そんな事ないんじゃない?あの底の方にいるヤツなんかさっきから全然動いてないよ。」 「ほんとだ。」 コバルトと黄色の波が虹を連れてひんやり君を彩る。君が見ている灰色のずんぐりした魚なんかより、よっぽど、ずっと、海の底にいるみたいだ。 「不思議だな。」 「何が?」 ラッコやイルカの水槽の前とは違って、この辺りは人が随分と少ない。長椅子なんかもあって、一休みにはもってこいって感じ。 「上層部であんな大群が回遊しているのに、下の方の群れは流されないなんて。」 「そう言えばそうだよね、流れるプール状態なんだろうに。」 よっぽどガンコなんじゃない?と僕が笑う。一乗寺は笑わない。回遊する群れを見てる。姿勢、いいよなあ、なんてボクもぼんやり一乗寺を眺める。 「わ、一乗寺、ジンベイザメ!」 このアクリルガラスは厚さ30センチもあるって書いてあったけど、ウソだろっていうぐらいの迫力だ。 「うわっ。」 一乗寺もちょっと後ろに仰け反る。・・らしいような、らしくないような。 「いっぱいくっついてるね〜。」 周りにひと群れの魚を引き連れて、お腹と背中にはコバンザメ。巨大水槽の中間あたり、見上げる僕達の視界いっぱいのお腹。ゆっくりゆっくりターンする。 「いち、にい・・うわあ、四匹もついてるよ!」 「周囲の奴らも、慣性が働いているから楽なんだろうな。」 ・・カンセイって何だっけ。一乗寺と話してると時々。 「いいなあ、ボクはコバンザメになりたいよ。」 「コバンザメに?」 「うん、大物にくっついて、一生ラクに生きるんだ。」 ちょっと不思議そうに一乗寺がボクを見る。 「何?ボク何かヘンな事言った?」 「いや、特には・・。」 「ふうん、そう?一乗寺は?どれになりたい?」 一乗寺の事、もっと知りたい。途切れがちだという記憶をこじ開けるんじゃなく、君の言葉で話して欲しいんだ、君自身の事。 「僕?」 「うん、どの魚がいい?」 真剣な顔で君は大きな水槽を検分する。蒼い影がゆらゆら、館内放送も遠くに聞こえる。ボク達は今海の底でふたりっきりだ、なんてさ。 「大輔くんならさ、問答無用でジンベイザメだろうね。」 「あはは、言えてる。」 今日初めて声を出して笑ったのが大輔くんの話題だなんて。いいけどさ。 「そうだな、僕は・・特になりたい魚は・・。」 「強いて言えば?」 食い下がるボクに、場を白けさせちゃいけない、って気遣いだけで君が答える。 「僕は、貝になりたい、かな。」 ちょっと照れたように笑って。なんか聞いた事ある、何かの台詞だったっけ。小さな警報が胸の奥で鳴る。わざとおどけて、ボクは後ろの長椅子に倒れこむ。 「貝、かあ。一乗寺ってボクより面倒臭がりなんだあ。」 「そ、そうかな。」 「そうだよ。」 つられて君も座って。二人で巨大水槽を見上げる。 「ああしてぐるぐる回ってて、楽しいんだろうか。」 「見てる方は、なんだかずーっと見ちゃうけどね。」 「何だか。あまりいい趣味じゃない気がするな。」 しばらくどちらも何も言わなくて。 「動物園とかさあ。もうやめちゃう国もあるんだって。」 「どうして?」 「さあ?可哀想だからとか。動物愛護でしょ?」 「生き物を閉じ込めるのは感心しないけど・・。なくなってしまうっていうのも淋しい話だね。」 「勝手だよね、人間って。」 一乗寺は否定も肯定もしない。ただ、ずっと回遊する魚を見てる。もし君が貝になれたら、ずっとこうして見上げてるのかな、光の中、ぐるぐる回る魚たちを。 |