授業中(2) 『駄目だよ、そんな。今、授業中だろ?』 僕の方はと言うともう、すっかり乗り気になっていた。『授業中』というお堅い言葉に反骨精神が刺激され、ますますやる気を掻き立てられた。目の前には、手を伸ばせば届く距離に、愛しい人の細い肩。僕はこの前、その肩から薄いシャツを引き落とし、滑らかなカーブを指で撫で、舌でなぞって味わったのだ。思い出すと、気持ちはますます高ぶってくる。 弛まぬ決心をした僕は、メモ用紙にメッセージを書き込むと、先生の目を盗んでこっそりと、前の席に手渡した。 『いいじゃん。だって僕は君が大好きなんだもの。君とだったら、いつでもどこでも、どんな形ででも、抱き合いたいと思ってるんだ。』 びっくりしたのか、一乗寺君からは直ぐに返事が返ってきた。 『駄目だよ、そんな事書いちゃ!見つかったら本当にどうするんだ?』 あーん、もお、一乗寺君は心配性だからなあ。まあ、そんな処も可愛いんだけど。 口元をほんの僅かに吊り上げて、僕は手の中のシャーペンを指先でくるりと一回まわした。 でもね、そう簡単に諦める僕じゃないから。ここはひとつ食い下がって。 『見つかったら、成りきりチャットしてたって言えばいいんだよ。これもれっきとした国語の勉強だと思わない? 作文の練習だよ。恋愛小説の創作だって言えばさ。だから、ね? お願い! 君のうなじ、み・せ・てっv』 実は一乗寺君、こんな風に甘えられると結構弱いんだよねー。 僕は思いっきり可愛い眼差しで(もちろん一乗寺君からは見えないが)願いを込めて、彼の背中をじっと見つめた。 ふうっと諦めた様に一回ため息をつき、恋人はさり気なく右手を上げた。頭を掻くふりをしながら、後ろ髪をふわりと掻き上げる。どうやら僕の望みは叶えられるらしい。視線をじっとそこに当てると、目の前で艶々の毛先がぱらりと散らばり、制服の襟元に僅かに覗く白いうなじが一瞬だけ露になった。 色っぽい襟足のライン。いつもは長髪で隠された、柔らかそうな白い肌。洗い立ての黒髪からはほんのりと、シャンプーの香りが漂ってくるようだった。こんなさり気ない仕草だけでも、僕の恋人はとても上品。僕の背筋に下の方からぞくぞくと、歓びの波が走り上がった。 『これで満足?』 頭を振り上げた一乗寺君から、ややぶっきらぼうな走り書きが戻ってきた。 あはは。一乗寺、もしかして照れてる?可愛いなあ。 気分が良くなった僕はうーんと考えると、慎重に言葉を選びながら返事を綴った。 『ありがとv 君のうなじって最高に素敵だよ。この前みたいに君の肩から服を落として、その肌にキスしてあげたいな。ね、させて? 嫌だって言っても、僕の中ではもう始まっている。ほら、感じる? 君を逃がさない様に、後ろから両腕を捕まえて、僕の唇が君の背中に触れるのを……』 書き終えてから、自分の書いた文章をもう一度素早く読み返した。 うーん、これって一体?正にどこぞのXXX小説?って感じだったかもしれないけど、僕は決めると、構わずそれを前に回した。だって僕はその時本当に、一乗寺君を抱き寄せてキスしたい思いで一杯で。溢れる思いが止まらないから、それをそのまま伝えたかった。現状なんか気にしてらんない。 注意深く視線を前に当てていると、メモを見た一乗寺君の肩がピクリと小さく震えた。かなり長い間固まっていたが、頭が落ちて鉛筆が動き出す。 『困るよ、 今授業中なのに。 君の悪戯なんて振り払ってしまいたい。でも何故だろう……感じるんだ。君のタッチを。僕の背中に。だって僕は忘れられないから、この前の出来事を……。』 返事を見た僕の胸はふわーっと膨らみ、顔が大きく緩まずにはいられなかった。 だってだって……これは大きな二重丸!いや、思いっきりピンクの花丸だ! これであっさり無視されてたら、当分の間マジで立ち直れないところだったよ。(まあ空振りだったら、そこはさり気なく、冗談だよーって誤魔化すつもりではいたけどさ。)でも、一乗寺君はやっぱり優しい。僕の甘えもわがままも、かなり偏った趣味でさえも、いつも優しく受け止めてくれる。 僕に合わせてくれてるのかな? 僕の遊びに付き合ってくれるつもり? それとも実は本当に、ちょっと感じてくれてるとか? 僕が忘れられないの?ホントに? でも、僕だってそうなんだ。毎日毎日朝から晩まで、君で頭が一杯で。僕たち同じ気持ちなの? どうしよう、君の言葉を真に受けちゃいそうだ。って言うか、真に受けたい。 舞い上がって勢い付いた僕は、続きを素早く書き込んだ。 『大丈夫。心配しないで、僕に全てを委ねてみて。君を気持ち良くしてあげる。君の肩を撫でながら、首筋に口づけするよ。耳の下から舌を這わせて、肩先までゆっくりと。さらさらの髪を片手で掻き上げ、うなじにもキスを落とす。』 うん、我ながら……なかなかいい感じじゃない?なんて、自分の文才に感心しながら、僕はそれを前に渡した。 顔を上げて授業の様子を伺うと、教科書の音読はまだ続いている。読み終わるまで、もう少し時間が掛かりそうだ。そのテキストは、教科書に載ってる中では一番長い読み物だったから。 一乗寺君の返事を待っていると、頭の中には次から次へと続きの文句が浮かび上がる。 いつの間にか僕は、この遊びにすっかり夢中になっていた。先生の目を盗んでこっそり回す秘密のメモ。クラスの皆が真面目に国語の勉強をしている最中に、恋人を抱く妄想に溺れ、それを文章にしたためるスリリングさ。このイケナイ感じが堪らない。 僕を余計に嵌まらせる。 目の前では一乗寺君が、首筋を伸ばす様に頭をゆっくり傾けた。鉛筆を持った細い手だけが、微かに震えている。 『やだよ、本当に感じてしまうじゃないか。でも、君の愛撫には逆らえない。それにそこは……うなじは本当に弱いんだ。そこに触られると、僕は涙が出てしまう程……。どうして? あの種のせいだと思う?』 返事を受け取った僕は、一乗寺君のうなじにちらりと目をやり、軽い興奮を覚えながら、ためらわずに書き込んだ。 『ううん、関係ないよ。暗黒の種のせいじゃない。そこはね、ライオンが獲物にとどめを刺す所なんだ。急所なんだよ。でも僕には晒してくれるよね? 君の全てを。強い所も弱い所も。隠れた所も、一番敏感な所までも。今まで誰にも見せたことなくても、触られたことなくっても。全て、全て、僕には見せてくれるよね? 触れて、キスさせてくれるでしょ? 僕は君を泣かせたりしないから、絶対に。』 メモを見た一乗寺君の肩が、ほおっと大きく沈み、頭を小さく振った弾みで、細い髪の毛先が揺れた。 そして返事が戻ってきた。 『君以外の誰にも触らせたりしない。でも君には僕の全てを。僕は君のものだから。君の好きにしていい……』 僕の胸はドキンと大きく跳ね上がった。 なんか……やるじゃん。 いつも引き気味に控えめで、どっちかと言うと淡淡としている一乗寺君から、こんなに情熱的な発言と積極的なお誘いが来るとは思ってもみなかった。紙上で、と言うまどろっこしいやり方ではあるが、だからこそ大胆に振る舞える。だからこそ照れも見栄も取り払って、さり気なく本音が言えたりするもんだ。表面上いつも和やかな一乗寺君の、でも実は熱くて、とても一途な一面を、僕は密かに知っていた気がする。口では言ってもらえない事だって、紙の上では引き出せる。文章にはしてもらえる。 でも、これってお互いに逞しい想像力がないとできない事だ。だって、もしこの相手が大輔君だったりしたら(うわ、考えただけでもおぞましいけど。) 『タケル、じゃますんな。せんせーに目つかんぞ。』 でやり取りは終わってしまうだろう。でも一乗寺君は素晴らしい。(「愛撫」や「悪戯」なんて漢字が書けるんだよ!)打てば響く様な感性と流れる様な表現力、ノリの良さと素直さと、感度の良さまで加わって。やっぱり僕の恋人って……。わあ、僕はもう、どうしよう! 僕も負けてなんかいられない。 僕の言葉でどれだけ君を愛し、感じさせてあげる事ができるんだろう? どうすればよりリアルに、より深く、君に触れる事ができるんだろう? でも悩んでいる暇はない。早く書かなきゃ。待たせちゃいけない。だって今は授業中。ぼやぼやしてると君の注意が離れていってしまうから。 先生に見つからない様に、こっそり、素早く。僕の手口をこの指先で。君が喜んでくれるのなら、僕は書かなきゃ。言葉にしなきゃ。 |