ブリア・サヴァランかく語りき


1


「なあ、賢」
「何?本宮」
「いやぁ・・。なんでもねー」

時折本宮に請われて、サッカーの練習に付き合う。勿論、僕には以前のようなプレイはできない。それでもいいと本宮が言うので、互いの都合を見てはこうして会っている。以前程ではないとはいえ、僕だって全くサッカーができなくなった訳ではないから、それなりの内容にはなっている筈だ。

・・筈だったのに。

一休みのつもりが結局そのまま座り込んでしまって嘘みたいな夕焼けを眺める。今日は僕が本宮についていけないって事が何度かあって、仕舞いにはへたり込んでしまった。怠ってるつもりはないけど、やっぱり。どこかのクラブに入り直そうか、なんて、どうせ顔を知られているからできやしないんだ。本宮にも何度も誘われたけど、同じチームで庇われながら、なんて御免だ。本宮とはライバルでありたい、なんて、つまらない意地かもしれない。でも、そのうち本当に引き離されてしまう日が来るだろう。今となっては僕は本当にサッカーが好きだったのかでさえ。

「なあ。賢、その。」
ホコリまみれの陽に焼けた頬が夕日を映して輝いてる。眩しくて羨ましくて目にゴミでも入ったみたいにゴロゴロして。
「あー。喉乾かねえ?」
きっと僕は今変な顔してるんだ。困ったように本宮が僕に尋ねる。僕はすぐに返事が出来ず、息を切らしてるだけ。いつも本宮は僕に良すぎる程良くしてくれる。出会っていなければどうなっていただろう。感謝の念と共に胸の奥に頑固なしこり、否定できない天の邪鬼な。

「買って来ようか?」
やっと出た声は自分でも情けなくなるぐらい掠れている。
「いや、オレが行く。賢はポカリでよかったっけか」
「いいよ、僕が行く」
起き上がろうとして、腰に根が生えたように動けない事に気付く。
「いいって。お前、疲れてんだろ?」
労るように腕に触れられて、頬に血が昇る。
「まさか、あれぐらいで」
なんとか立ち上がって、カバンから財布を取り出そうとした所を意外な程の力で引き戻される。
「本宮?」
「サ店で金払ってるおばちゃんじゃねんだからさぁ。遠慮すんなよ、お前、悪い癖だぜ?」
「どっちが」
もみ合うみたいになって、力の入らない腕を益々意識してしまう。
「・・けん?」
狼狽えたような本宮の声。
「どした?オレ、なんか気に障るよーな・・」
「何でもないっ・・」
本宮の手が頬に触れる。
「ゴメン、キツかっ・・」
「そんなんじゃない!」
振り払って睨み付ける。滑稽だ。本宮はただ、困ったような顔をしているだけだっていうのに。
「いや、結構オレもさ、あったりすっから。こないだの合同練習ん時だって、半分がキツくて泣いちまっ・・」
「そんなんじゃないって言ってる」
「じゃあ、何なんだよ。賢、お前さぁ。最近」
大きな茶色の目が腹立たしいぐらいに寂しそうに揺れて。
「楽しそうじゃねえよな、オレと遊んでても」
違う、楽しくないのは君の方だろ、僕はもうあの頃の僕じゃない。君が尊敬してると迄言ってた、あの技量なんてもう。
「すまない、本宮」
顔を見られたくなくて膝を抱える。
「何謝る事があるってんだ?」
少しかさついた手が腕に触れて、その暖かさにまた涙が出そうになる。
「もう、君とは付き合えない」
絞り出した声は嫌になるぐらい冷静で。
「賢!」
「誤解しないで欲しいんだ、ただ僕は」
「やっぱつまんねえ?オレ、サッカーまだまだだし」
そんな情けない声を出す謂われは何もないのに。
「そうじゃない、これは僕自身の問題だ」
「頼む、賢。言ってくれよ、わかんねえよ、オレ」
自虐的な気分で顔を上げ、僕を覗き込む本宮に対峙する。友情と勇気。どちらにも僕は値しない。
「僕は・・以前みたいな闘争心というか。何が何でも勝ちたいという気持ちが無くなってしまったみたいなんだ。悪いけど、君の役には立てないと思う」
「・・賢」

心配そうに問い掛けてくる真っすぐな瞳から目を逸らす。ウソだ。本当の僕を知られたくないだけだ。あんな事態を招き寄せた僕の内面は変わってなんかいないんだ。今だって悔しくてしょうがない。君には決して分からないだろう、こんな焦燥感。全て受け入れると言ってくれた君に安堵する一方で、君に良く思われたい、君の友情に報いたいと無駄にあがいて格好つけて。

「ゴメンな。オレ・・。わかっててあったりまえの事だったのに」
本宮の手がゴーグルに伸びる。彼の勇気の象徴。
「ゴメンな、わかってやれなくてさ。オレ、ずっと賢にイヤな事思い出させてたんだな」
「本宮のせいじゃ・・」
ゴーグルを弄ぶ指がホコリで白く汚れてる。
「でもな、オレ、これっぽっちも思ってねえぞ、お前に前みたいになって欲しいなんて」
「わかってるよ」
だったらなんでだよ、って本宮はずるい。僕には免疫がない、こんな気持ち。本宮が常に変わらず差し出す暖かいものに取り込まれてしまいそうで。僕が黙っていると、痺れを切らしたように肩を掴んで強引に自分の方を向かせようとする。
「イヤか?」
返事出来ずに顔を背ける。
「オレうるせえ?しつこいか?」
本宮の指が僕の頬に触れそうなぐらいに近付く。思わずぎゅっと目をつぶる。じんじんする目蓋の裏が赤い。びっくりする位近くで名前を呼ばれて、顔を膝の上に押し当てる。
「なあ・・」
そんなことない、だから辛いんだ。君はいつも好意を向けてくれていたのに。
「機嫌直せよ、なあ」
どうして返事もできないんだろう。嫌ってくれても構わない、いや、違う。僕は狡い。嫌われたくないから。
「だから。もう練習には誘わねえから。何か。賢の好きな事して遊ぼうぜ!な?」
背中に暖かい感触。上下にゆっくり。小さい子をあやすように。
「すまない、それも・・」
自分のものではないような声。
「賢!」
本宮の声に狼狽の気配を受け取って小気味よく思ってるなんて。
「・・わかった。気の済むよーにしろ。お前も頭冷やせ、な?こんな事で・・」

立ち上がる気配。一瞬ゾッとしてバラバラになりそうな四肢をぎゅっと引き付ける。頭を小突かれて顔を上げると、本宮はもう走りだした後だった。しばらく立ち上がれずに、夕闇が辺りを覆って行くのを眺める。暗闇は苦手だけどこの色合いは。肌寒い風に身を震わせて、僕は一人だ、と。前みたいに戻った訳じゃない、ただ。

これは必要な事なんだ。一人で立たなければ、と。そうでなければ僕は本宮の影としてしか皆の前に存在できない。唐突に浮かんだ明るい色調を持つ面影に苦笑する。何故今更、彼に認められたいだなんて。嫌悪を押し殺した笑顔で値踏みするかの様に僕を見ていた。闇を誰より憎んでいたのに、それを必然だと言い切った。あの時初めて彼の顔をちゃんと見た気がする。希望的観測でなしに真実を見ようとする青い目。遺伝的特徴に何かの象徴を見ようなんて馬鹿げてる。把握できないまま逸らされた視線に訳もなくどぎまぎして。

D-3の着信音で我に返る。発信者は果たして今しがた別れた本宮だった。一言、今晩どうすんだ、と。そうだった、いつも本宮の家で着替えさせて貰って、そのまま泊めて貰うのが定例になっていたんだ。辺りはすっかり暗くなっている。てっきり僕も一緒だと、夕食の準備なんかも。すまない、の後が続かなくて、しばらく指が止まる。本宮の家へ行くことは僕も毎回心待ちにしていた。余所の人だと思うだけでどうしてこんなに気が楽になるのだろう、本宮といるだけで、どうして何気ない事がこんなに楽しいのだろうと。なのに僕は自分からそれを捨て去ろうとしているんだ。

結局返信しないまま立ち上がる。自分の衝動的な行動が信じられない。考えてみれば荷物は本宮の家にある訳だし、一旦は顔を合わせなければ。








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