ブリア・サヴァランかく語りき


4


「なんでケンカなんかしたの?差し支えなければ・・」
水の匂いを夜風が運んでくる。違う街にいるんだと感じる瞬間。僕は大きく息を吸う。
「聞いてくれるかな、もし。高石君がよければ、だけど」
「もちろんだよ、一乗寺・・ってさ、やっぱ照れるよね」
促されるまま路肩に座る。水面が月を映して揺れている。僕はかいつまんで、あの諍いとも言えない本宮とのやり取りを高石君に話した。
「ふうん。やっぱり仲いいんだね、君達」
「仲よかったんだろうけどね」
ここの砂はどこから来たんだろう、指で訳のわからない模様を描いては消す。
「でもさ、そういうのって思いやりなんじゃないの」
「思いやり?」
「相手によかれと思ってやってる事でしょ」
「どうかな、むしろ僕は自分のためだけに・・」
「大輔くんだってそうだよ。お互いそうやって利益が一致すれば、思いやりって事になる。一致しなければただの我儘かな」
僕は黙って淡々と話す高石君を盗み見た。背後の灯りに照らされて、顔の輪郭が白く浮かび上がる。女子に人気があるって本当なんだろうな、僕が見たって格好いいと。
「何?ボクの顔、何かついてる?」
目線を合わされて、慌てて前方の海に目を遣る。
「いや、高石って手厳しいな、と思って」
「あはは、苦労してるんだから、これでも」
そういえば高石君の家って。
「それでさ、共通の利益って何だったの?」
何だったんだろう。言葉にすると全てが終わってしまうような。
「パイルドラモン、かな」
「・・はあ?」
今のは笑うところだって言ったらどうするんだろう。高石君の呆気にとられた顔。
「サッカーでもそうだけど。本宮はいつも力を求めていて」
まるで拗ねてるみたいだ。いかにも彼が間違っているかのように。
「あの頃はそりゃ、まあね」
「本当は、僕がそれを望んでいたのかも。あの種の力はあの世界だけの事じゃなく」
よく言うよ、殊勝げに。
「あのねえ」
頭に手をやって、高石君が僕を覗き込む。
「これは、ボク等の間のさ、ちょっとしたイイ話って事になってるんだけどさ」
「イイ話?」
僕は喋りすぎだ。自己憐憫の波から顔を上げる。
「うん、ボクが話したって大輔くんには言わないでくれる?」
「ああ。」
「いつだったかな、そうだ。田町が襲われた時かな。お兄ちゃん達も協力してくれて。」
「ああ、インペリアルドラモンの・・」
「その時かな。君が帰った後で、空さんが言ったんだ、あの子雰囲気変わったわねって。そしたら大輔くんがさあ」
「・・本宮がなんて?」
「気付かなかったって。変わったのかどうなんだか。一乗寺は一乗寺だって。皆呆れちゃったよ」
僕は何も言えずに高石君を見つめた。
「みんなとりあえず笑ってさ、大輔くんらしい、で片付いちゃったけどね」
「それは、どういう・・」
あの頃の僕は一番気負っていた筈だ。仲間だと認められる事をやっと自分に許す事が出来るようになって。変わった、と言うより、偽っていたとも言える位に、それ位必死で。
「さっき一乗寺は言ったよね、自分は変わってないんだって。」
「ああ、でもそれは」
「・・大輔くんって。洞察力ゼロなんだか、あり過ぎるんだか」
高石君は空を仰いでため息を吐いた。
「本宮は僕の何を見ていたんだろう」
「さあね。聞いてみれば?」
D-ターミナルを開く。謝罪の言葉を打ち込もうとして手が止まる。
本宮は電話する、と。だが、僕はまだここにいる。何て言えば。
「どうしたの?」
手が止まったのを高石君に目ざとく指摘されて我に返る。
「あはは、本当に意地っ張りだよね、一乗寺って。変わってないってそういう事なんだ?」
君も変わらず嫌味だよ、等と言い返せる訳もなく。
「貸して?」
「高石く・・返してくれ!」
パパッと打ち込んで、送信ボタンまで。
「一体何のつもり・・」
ズボンを払って高石君が立ち上がる。
「今日は話せてよかったよ。あのさ、今度一緒にどっか行かない?」
「はあ?」
「図書館とか美術館とか、そういう所。君と行ったら楽しそうかなって」
「どうして・・」
「君なのかって?」
からかうような口振りに僕の頬が熱くなる。
「高石君も・・興味あるのか?元天才少年っていうのに」
みっともない、自意識過剰で自虐的。些細な事でも自分の価値をいちいち測ろうと。わかっているのに、どうしてこんな。
「一乗寺さぁ。」
膝に手をついて高石くんが屈み込む。全て見透かされているような落ち着かない気分。
「・・何だよ」
「それ、答えになってないでしょ?行くの?行かないの?」
「それは・・構わないけど」
弾かれたように高石くんが立ち上がる。
「じゃ、決まりだね!メール・・ううん、電話するよ」
「う・・うん」
「またね!」
駆け出してく後姿に聞こえないかも、と思いながら、さよなら、ありがとう、と叫んでそれがひどく打ち解けない挨拶だという事に気がついて、少し後悔する。


「そうだ、D-ターミナル・・」
高石君は一体本宮にどんなメールを出したんだろう。蓋を開けて送信履歴を呼び出す。そこには。
「けーーーん!!」
『デッキ前の海岸で待ってる 賢』と。
「賢!だいぶ待ったか!?とりあえずメール見て飛んで来た!」
ご褒美をねだる犬みたいだ、とハアハアいいながら僕を見上げる本宮を眺める。
「一体どーしたんだよ?」
「なんでもない、ただ」
そこで言葉が止まってしまった。
「座っていいか?」
「座ってるじゃないか」
「あ〜」
がしがし頭を掻いて、本宮はそっぽ向く。
「用事、終わったのか?」
「うん、思ったより早く済んで」
「そっか」
海からの風に目をこらして、高架に沿って並ぶオレンジの灯りを追う。
「あのな、晩メシ、結局ラーメンとったんだけどさー、これがマズイのなんのって」
心底情けない声。
「ああ、そうだってね」
僕はほとんど予想通りであろうその先を促す。
「ほとんど残しちまったんだ」
「珍しいな、君が食べ物を」
うんうんと頷いてどさっと後方に倒れこむ。
「今になってハラ減ってさあ」

「お前、ハラ減ってねえ?」
食物を提供したり共有したりする事がどうもほとんどの人々にとって好意を示す手段であるらしい事は、なんとなく僕にもわかる。
「さっきちょっと、でも」
あからさまに落胆の表情を浮かべた本宮に笑いかける。
「まだ空いてるかな、走り回ったからね」
どうしてこんなに、胸が痛む位簡単なんだろう。僕が何物で何を考えていようと、関係ないのだろうか、それがいつで何がきっかけでその情報の信憑性など問題ではなく。
「行っか!?」
背伸びして無理に肩に回された腕、好意の奔流に巻き込まれ、また僕は僕でなくなっていく。


< 「なあ、賢。お前用事ってさぁ」
路肩のブロックをふらふらと辿りなから、本宮が言う。
「え?」
「ウソだろ?ホントはひとりでここにいたんじゃねぇのか?」
本宮の丸い大きな目。この目の前で平気で嘘がつける事を僕は知っている。
「ひとりで考え過ぎんなよ」
飛び降りる気配、硬い髪が僕の頭に触れる。くすぐったさと微かな痛み。
「賢はウソ下手なんだからさ」
「お互い様だろ」

僕等はいかにも親友同士のように頭をぶつけ合い、互いに謝罪の言葉を口にし、笑い合った。リボンのように細く棚引く雲が後ろに流れて水と闇が合わさる所へ吸い込まれてゆく。













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