ブリア・サヴァランかく語りき


5


再度の来訪に本宮のお母さんは嫌な顔ひとつせずに迎えてくれ、お姉さんとも、パンチの応酬をしている所を見ると、仲直りしたらしい。あたり触りのない会話の後、お風呂を借りる。なんとか床が見えるといった状態の本宮の部屋に布団が運び込まれて、疲れていた僕は半乾きの頭のまま潜り込む。

「お疲れっ!お休み〜!」

電気が消えて、ぼす、とベッドに飛び込む気配。枕元の時計の音を途切れがちに聞きながら、薄明るくふわふわした夢の尻尾を手繰り寄せ、抱き締めかけた所で、断続的に腕に触れるリアルな感触に呼び戻される。腕の形を確かめるように上下に、それから一旦離れてまた。

何故だか声が出ない。遠くなる夢の尻尾が全ての答えをそのまま持って行ってしまったんだという喪失感に憤りすら覚えるがそれもすぐに消えて、蘇りはじめた感覚がその感触を追う。本宮の手が僕をまさぐる。始めはおずおずと、それから僕が目を覚まさないと見てとったのか、耳を辿り頭髪をかき回す。
「起きてんだろ」
間近に声と息遣い。耳に血が昇って感覚が鋭敏になる。
「・・本宮?」
やっと出た声はかすれて上ずって。
「ちょっと詰めろよ」
上掛けを捲る間もなく、本宮がもぐり込んでくる。ずっと布団の外にいたんだろうか、本宮の体は冷たかった。

首の下にもぞもぞ腕らしき物が突っ込まれ、耳の傍の押し殺したような息の下。
「賢。オレの事嫌いになんないでくれよ」
どうしたんだろう、悪い夢でも見たのだろうか。間近に人の気配があるのって落ち着かない。先刻の高石君の言葉が頭をよぎる。赤ん坊や動物みたいな無条件の好意なんてありえない、いくら本宮でも。
「嫌いになんか」
痺れたように重い腕を上げて、背中をさすってやる。本宮はいつも自信に溢れてる。喧嘩をしてもすぐに謝る事ができるのはそのせいだ。こんなに尾を引くなんて、他に何か。
「お前おかしーよ」
本宮の腕が首に巻き付く。
「夕方あんな突っ掛かってきた癖にケロッと戻ってきやがって」
「先に帰ったのは本宮じゃないか」
もう片方の腕が片割れを追うように回されて、ぎゅっと力が込められる。
「ヤだったんだよ、賢がイヤそーにオレを見るのが」
「君が嫌だった訳じゃ」
「んなんわかってら。前の自分がヤなんだろ。でもな、そんなんいねえじゃねえか、前の一乗寺賢なんか。もしお前が戻りたいと思ったって」
本宮の手は丁度あの場所にある。データだ、思い込みだとわかっていても、本当に何かが埋められ、僕を変えた場所。
「本宮、事実僕は・・」
「なんだってそんな、自分をいじめるよーな考え方ばっかすんだよ」
本宮が僕の頭に頭を押しつける。僕はため息をつく。自己懲罰、自己犠牲、それが彼の考える僕の姿なんだろうか。
「もう、変な事言わないよ」
「違う、言うのはいーんだ、全部オレに言ってくれよ。オレ、わかんねーかも知んねーけど」
本宮の指が僕の頭をかき回す。考えようとしていた事が夢の断片のように溶けだしていく。本宮は暖かい。速い鼓動が間近にあって、全て大丈夫だと。暖かい息がかかって、柔らかい頬が触れる。何度か繰り返されて、それが頬ではなく。


いくら本宮でも、これは行き過ぎだ。頭を振って逃れようとすると、肩を掴んで尚も顔を押しつけてくる。
「もとみ・・」
口を塞がれて言葉が途切れる。実際は呼吸一回分程だったのだろうけど、息ができるようになるまでひどく長く思えた。
「びっくりしたか?」
まだ唇が重なっているような生々しい感覚に、慌てて袖で口元を擦る。
「賢ってさ、言葉で言ってもわかんねーじゃん」
僕の頭に口を押しつけ、くぐもった声で本宮は言った。
「な・・」
「オレ、こんな事出来ちまう位お前がスキだ」
何と言えばいいんだろう、こんな時。
「・・勇気あるよ、さすがだ」
「だろ?」
「でも、もうこんなの。勘弁してくれよ」
僕は起き上がってぐちゃぐちゃになった髪を撫で付け、一息ついた。本宮も上半身を起こしてこっちを伺っている。気配を察して慌てて分かったからもう、と言おうとして、再度襲撃をくらう。
「本宮、いい加減に・・っ」
大きな動物を相手にしてるみたいだ。ワームモンもスティングモンもじゃれつくなどという事はなかったけど。高石君のお兄さんのガルルモンだとこんな感じかもしれない。本宮は四つ這いになって僕の上にのしかかって、唸り声まで上げている。
「あんまり騒ぐとまた起こられるぜ?」
僕は両手を上げて襲撃を防いで進言した。声に笑いが混じってるるように、なんていらない気を使いながら。
本宮はうなり声を揚げ続ける。
「しつこいぞ、僕はもう寝てたんだから」
また間近に本宮の顔が迫ってきて、僕の手を掴んで両脇へと押しやる。
「もとみ・・」
薄暗がりの中、ぼんやり見えた本宮の顔は僕が想定していた、悪戯めいた笑顔ではなく。
「・・バーカ」
ここの所気掛かりになっていた失望の表情を浮かべていた。僕は今度は何の失敗をしたんだろう。ほとんど冷たいとさえ言える目で本宮が僕を見ている。
「バカとは何だ」
僕は耐えられなくなって視線を外す。本宮の指が開いて僕の手が自由になる。
「・・オヤスミな」
本宮は立ち上がって自分のベッドに滑り込んだ。


僕は本宮に声をかけることができずに、その場に座ったままベッドの膨らみをぼんやり見ていた。狐につままれた、というのはこの場合当てはまらないだろう。僕は本宮を失望させた。本宮はあれをただの悪ふざけではなく、おそらく、もっとちゃんとした喧嘩にしたかったのだ。殴り合って笑って全てが解決するような、子供らしい喧嘩に。本宮はこっちに背を向けて眠ってしまったようだ。カチコチと時計の音が響いている。さっきまで彼の鼓動がここにあって、それはジョグレスの時の様ではなく、僕とは全く違うリズムが僕達は別個の人間だと告げていた。













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