ブリア・サヴァランかく語りき





エピローグ



いつもの川原、少し離れた所から聞こえる怒鳴り声に僕は本から目を上げて、一緒にいた筈の友人の姿を探す。低学年ぐらいの子達の集団の中、見慣れたツンツン頭が突き出していて、おめえらいい加減にしろ、と、また。振り替え休日、どちらも予定が無かったものだから、朝一番のメールで僕は本宮の所謂『ボールの散歩』に付き合う事になり。

「賢!手伝え〜!紅白戦やろーぜ!」
小さい子達が一斉に僕を振り返る。僕は引っ掛けていたパーカーを脱いで立ち上がる。
「こっちのお兄ちゃんもサッカー選手?」
一人の子が僕をじろじろ眺めて言う。
「お前なあ、失礼だぞ」
上がったゲンコを押し止めて、無理もない、ロゴ入りの真っ赤なウィンドブレーカーの本宮に対して僕は。
「男の子だったら誰だって少しぐらいはやった事あるさ」
シャツの袖を捲って、ボールを掬い上げ、何度かリフティングをしてみせる。
「わーーーー!!」
「おし、決まりな!組み分けだ!」
号令一下、賑やかなジャンケンの掛け声。
「お手柔らかに」
「負けねえぜ?」
僕達は目を見交わす。にわかチームが出来上がり、あーあ、オレクジ運悪いんだよな、と落胆の表情を隠そうともしないさっきの子に声をかける。
「君は何が得意?」
「え?オレ?」
「うん、そう」
「シュート!」
負けん気の強そうな小鼻をぴくつかせ、打てば響くように宣言する。
「ケイタはエースストライカーだよな!」
仲間に肩を叩かれふんぞり返って。
「よし、じゃあケイタくん、君はこっちだ」
総勢4名、勿論本気の試合ではないが。僕は各自の希望ポジションを聞いて、シンプルな指示を与える。理解の色と共に皆の顔が少しずつ真剣みを帯びてくる。
「勝てるね!」
「勝つさ」
向こう陣営から聞こえる、「ガーッと」だの「バァーッと」だのに苦笑して僕が答える。

果たして、試合は僕の思惑通り。徹底的に僕をマークしてくる本宮をボールから引き離し、何度かの空回りなパスの応酬の後、ケイタ君が、地面に引かれたゴール代わりの線によろけるようにシュートを決める。

「やったあ!」
「ナイスシュート!」
ラテン系選手ばりに跪き両手を天に上げ、僕を振り返って。
「なっほど。フォーメーションなんとかってか」
僕の脇腹を肘で突いて本宮が鼻の下を擦る。
「本気で行くかんな!」
弾かれたように飛び出した本宮の後を追う。呆気に取られるシンジ、というディフェンダー志望の子からボールを奪って。
「勝負だ、賢!」
「ケイタ君はそのままゴール前、シンジ君は僕について来い!カズキ君はマークを続けろ!」
僕の声は聞こえたのだろうか、彼らは歓声を上げて試合はそっち除け。ゴール迄の距離はサッカー場とは比べるべくもなく。
「おりゃあ、シュートだあっ!」
本宮の迫力にキーパーはほとんど逃げ出さんばかり、もう少し距離があればなんとか。
「大人げないぞ、大輔」
「オレは子供だっつーの。それにな、オレがあの位の時の先輩も容赦なしだったぜ」
涼しい顔で言ってのけて、これで振り出しに戻ったな、と。それからも、こちらが優勢になると本宮が潰しにかかり、にわかチームに疲労と不信が広がっていった。
「お兄ちゃんだってすごい上手なんでしょ?」
「え?」
「オレ達、勝ちたいんだ!」
息を弾ませたケイタ君が僕に詰め寄る。
「ぶっとばしちゃってよ!」
「君たち・・」
僕は幾つかの言葉を飲み込む。僕がもし本宮に勝てたとして、それがこの子達にどんな意味があるというのだろう。そしてその逆もまた。
「わかったよ、やってみる」
僕にとっても意味のある事じゃない、ただのゲーム、走ってボールを目的地に運ぶだけの。けれど彼らには。
「ただし。そうすると、君達はボールに触れなくなるんだぞ?それでもいいのか?」
負けず嫌いな三組の目が揺らぐ。
「それでも・・そんなの」
蚊の鳴くような声。
「どうなんだ?」
イヤだ、と聞こえたか聞こえないかの声、僕は順繰りにみっつの頭を小突く。
「絶対ついて来るんだぞ」
膝に手をついて前かがみで円陣の真似事。
「おい、何時まで会議してんだよ!」
「今終わった!」
本宮に怒鳴り返し、コーナーへ。パスが繰り出されると同時に走り出す。以前の僕なら、まるで後に目がついてでもいるかのように、全体の状況を把握できた。今は精々人並みの勘に頼るしかない。視界の隅にシンジ君、それもすぐに本宮の笑い顔に隠れて見えなくなる。
「すげえ飛ばしてんじゃんか」
それに答える余裕などなく、僕は斜め前方に意識を集中させる。体が憶えてるのとは違うフィールド、走るのには向かない靴に突きささるような砂利の感触。本宮が突き出す足を辛うじて避け、相手がバランスを崩した隙に一気に加速する。地面がせり上がる、息をするのももどかしく、耳元でがんがん鳴る鼓動。前方で怯えたように僕を見ている相手方のキーパー。僕だけの物だった世界の振動と風が乱れて、隣に誰かが並んだことを告げる。少しだけ顔を傾け、本宮以下敵味方団子状態で固まって。何だよ、本当にガキのサッカーだ、苦しい息の下、苦笑が漏れる。
「賢、お前ホント、脚だけは・・っ」
本宮の声、来る、と思う間もなく、急停止をかけ。団子に入らなかった才覚、あるいは遠慮を持った誰か。兄に憧れ、サッカーを始めた僕は、兄の迷惑にならない事だけを考えていた。ボールに乗り上げた足を軸に無理矢理方向転換させる。彼は一瞬目を逸らし、それから身構えて頷く。取れないかもしれない、避けるかも、この、高さの足りない集団を抜けるには。
「シンジ君、ヘディング!」
不様によろけた僕の上に何人かが倒れこみ、服の色からしてケイタ君と思われる尖った肘で目の横を強かに突かれて、僕は砂利に顔を摺りつける羽目になる。痛みのせいで永遠とも思える数刻の後。

「は・・はいった、やったああ!」

「シンジ、すげえっ!」
ついでとばかりに僕の背中を踏み付けて、ケイタ君が跳び上がる。
「ふわぁって来たんだ!それでボク、えーいって!えーいってやったんだ!」
シンジ君のはしゃいだ声。ありがたい事にケイタ君の着地点は僕ではなく。
「賢、お前なあ・・」
差し伸べられた手に掴まって立ち上がる。
「うわ、ひでえ!」
ひりひりする顔をバキッと音がする位強引に向き直させられ。
「あのまま突っ込むと思ったんだけどなぁ」
「それで君に止められる訳か」
「お前、顔が取り柄だっつーのに」
ひどく擦り剥けたらしい頬をわざとらしく撫でられる。
「触るなよっ」
「血ィ出てるぜ?」
本宮が人差し指を突き付ける。
「舐めてやろっか?」
「余計なバイキンまで入るだろ」
ただの擦り傷だけれど、確かにこれは少しひどいかもしれない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「オレも舐めてやる!」
ケイタ君が僕の髪を引っ張って、本当に舐めそうな勢いで顔を寄せてくるのを慌てて押し止める。
「いいよ、大丈夫、こんな掠り傷・・」
「・・知ってる、オレ、どっかで見たことある!」
僕の髪を掴んだまま、大きく目を見開いて、僕の顔を注視して。
「賢、向こうに水道あったから、傷、洗って来いよ」
本宮がケイタ君の襟首を掴んで僕から引き剥がす。
「げいのーじん?違う?」
「うっせえな、んな訳ねえだろ!」
「絶対見たことあるって!なあ、カズキ!」
「オレ、げいのーじん詳しくない・・」
「もー試合終わりだ、ほら礼!」
「誤魔化してんな!」
素っ頓狂な声をあげるケイタ君に苦笑しながら僕は荷物の方に戻り、ハンカチを取り出す。水道の水に浸して血と汚れを粗方落として、これまたひどい有様の服も拭う。
「だいじょーぶか?」
本宮が隣の蛇口に口をつけて水を飲んでる気配。
「多分、これ飲用じゃないと・・」
「じゃなくて。顔」
「ああ、大げさだな。擦り傷じゃないか」
「げいのーじんが顔に傷つけちゃヤバイだろ」
僕がそれには何も答えないでいると、あー、ゴメン、と本宮がバツが悪そうに鼻の下を擦って言った。
「どういたしまして」
「なんつーかさ、お前にはお前のやり方があんだなって」
蛇口をひねって僕にくしゃくしゃのハンカチを差し出す。
「わかったよーな気がする」
「それはどうも」
茶化すなよ等と、ぶつくさ言う本宮がおかしくて僕は笑いを押さえきれなくなり。
「おにいちゃん達、またねえ!」
「またやろーぜ!」
さっきの子達に手を振って、濡らしたせいで余計ひどく痛む顔におっかなびっくりで本宮の清潔とは言い難いハンカチを押し当てる。










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