春の道











辺り一面が、うっすら白い霧に包まれていた。ボクはどこかの家の中庭みたいなところに居て、中庭の真ん中には小さいけれど噴水のある池が見える。噴水が気になって近くで見てみようって思ったボクは、一歩踏み出した。踏み出したと同時に、足の下でぐにゃっとした感触。何かをふんづけたみたいだ。足を除けると果たしてそこにはぺしゃんこになった蛙が。そこで目が覚めた。なんてリアルな感触。踏んだ瞬間に、蛙の絶命の声さえ聞こえたような。気を取り直して水でも飲もうかって置き上がったら、そこはベッドじゃなかったみたい。隣で微かなうめき声。狐につままれたみたいな気分で、ぼんやり頭を巡らせた。

「一乗寺くん?」

もしかして蛙の感触って。

「うわ?ボクどこ踏んじゃった?」

ボクは慌てて、布団の中で丸くなってる体を撫でたりさすったり。薄闇に目が慣れて、君の歪んだ表情が分かるようになって余計に焦った。息を殺して痛みに耐えているみたいじゃない?お腹だったんだろうか、足の裏の感触を思いだそうと努める。

「ねえ?大丈夫?」
「わ!どこ触ってるんだよ、大丈夫……だからっ」

手を払われた。痛みをやり過ごす君の荒い息を聞いてたらいたたまれ無くなって、ボクはキッチンに向かった。静まり返った家の中。コップを水道の蛇口に下に差し入れて一瞬迷った末、振り返って冷蔵庫を開ける。そして冷えたウーロン茶をコップに注いで一気に飲み干した。ボクの部屋には、ボクのベッドの隣には、いま一乗寺くんが居る。戻るに戻り辛いけど、ボクは意を決して部屋に向かった。




******





この頃は日が伸びて暗くなるのが遅くなってきたとはいえ、さすがに辺りが夕闇に包まれる頃。来訪を告げるピンポンが鳴って、たいして大きくもない荷物を下げて一乗寺くんはボクんちの玄関先に立っていた。扉を開けると、いつもの控えめな笑顔。

「さ、どうぞ。大輔くんがお腹空かせて待ってるよ」

ひとまず荷物はその辺に置いといて貰うということにして。冗談ですまなかったボクの一言で、こうして事態は取り返しが付かない状態にまで進展しているというわけ。いったん家に帰って荷物を作ってきた一乗寺くんを待って、ボク等は子供だけの夕食にありつこうというところ。

「遅ぇよ、賢!!」
「ごめん、先食べててくれて良かったのに」

持参のミニタオルかなんかで洗った手を拭いながら、一乗寺くんは席に着く。そんなささいな仕草にも、ボクは小さなわだかまりを感じてしまう。これから一週間ここに暮らすのに、まだどこか他人行儀な君。そんな事を思いながら、無意識のうちに目で追ってしまっていた。そのためかどうか、テーブルの上を一瞥して申し訳なさそうな小さな声が呟くのを、ボクは聞き逃さなかった。

「食事の支度、手伝えなくて悪かったな……」
「支度って言ったって、湯煎するだけだったもん。すぐだったよ、ね?!大輔くん」
「ん?でも俺ほとんど何にも―――」
「あー、じゃあ揃ったところで食べようか!!」

ちょっと上の空の大輔くんを制して早速食べ始めることにしたけれど、気詰まりなことこの上なかった。食べ終わった後の事を考えて、ボクはほとんど食が進まない。いつも食べつけているエビチリの海老が、今日に限って味気ない。何故なら。

「ごっそうさまー!じゃ、俺そろそろ……」
「えっ?!大輔もう帰っちゃうのか?もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「帰って明日の朝練の準備!悪ぃな!タケル、賢のことよろしくな」

ほんとに食べ終えるやいなや、嵐のように大輔くんが去って行って、残されたボク等は大洋の中取り残された小船。沈黙に耐えられなくなったボクは、のろのろと椅子から立ち上がった。ボクの気詰まりはこれなんだ。てっきり大輔くんも家に泊まるって言い出すと思っていたのに、本入部が決まった大輔くんはそれどこじゃないらしい。

「……お風呂の準備してくる」

浴槽を洗いながら、小さく溜息。別に嫌なわけじゃない。口が滑ったとはいえ、もともとは自分が言い出したことなんだし?なんとなく落ち着かない気分になるだけなんだ。大輔くんが居ないときに二人だけになる機会も、今まで何度かあった。一乗寺くんはお喋りなほうじゃないし、無理して話題を見つけて会話を続けなくても大丈夫なんだけど。朝起きるとそこに居て、向かい合ってご飯食べて。一緒にテレビ見て感想言い合ったり、お風呂入って寝るまで時間を共有するなんて。そこまで考えて、はたと気付いた。寝るまでじゃなくて……寝るのも一緒なんだ。いいのかな、なんだかまずいんじゃないかな。そんな邪念を払いのけるように。泡をシャワーで綺麗に流して、給湯のスイッチ押してお風呂の準備を終える。部屋に戻る前に鏡の中の自分の顔を見たら、どこかやましい顔をしてるみたいで我ながら驚いてしまった。ボクは両手で頬を叩いて、そんな気持ちを追い払った。

「着替えの用意してるうちに入れるようになると思うから、お風呂先にどうぞ」
「ありがとう」

一乗寺くんは傍らの小さな鞄を開いて、着替えを取り出したりしている。ボクはその様子を見るとはなしに見ていた。彼が大輔くんちに泊まる時は、こういう瞬間大輔くんは何をしてるんだろう。それじゃって言って君が居間を出て行った後、暇を持て余したボクはつまんないテレビをぼんやり見てた。待ちくたびれた頃、ようやくぺたぺたと廊下を歩く足音がして、一乗寺くんが戻ってきた。濡れてるせいでいつもより真っ黒く見える髪から、嗅ぎ慣れたシャンプーの香りが漂う。いつもは幾分青ざめて見えるほどなのに、上気した頬は薔薇色だったりするからボクは妙な動悸を覚えてしまう。話題を探そうとして、それも叶わなかったんでボクは唐突に切り出した。

「んで……どこ寝る?ボクの部屋でいい?」
「迷惑じゃなければ」

ベッドの傍らに客用布団を敷いた。一乗寺くんも手伝ってくれて、無言で二人でシーツを広げたりしてると、なんかこそばゆい。狭い部屋なもんだからベッドの傍らに布団を敷いたら、それだけで壁一杯一杯になっちゃって、もうここは寝るだけの部屋になっちゃったも同然だった。

「布団でいい?ベッドのがいいなら譲るけど」
「いや、いいよ」

君がくすっと笑ったような気がした。先が思いやられるよ。一週間、ボクはうまくやり過ごすことが出来るのかな?




                            
******





部屋の扉が細く開いていて、そこから部屋の様子が伺えた。一乗寺くんは今は何ともなさそうに寝ているようだった。だけど、ボクが布団を踏まないようにベッドまで歩いて行こうとしたら、布団の中で一乗寺くんが体を縮めたのが分かった。例えば夜中にトイレに行かなくて済むように、寝る前は水分を控えようとボクは心に誓った。







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