話は戻って半年ほど前
辞令が出たのは、今年の三月


そのさらに二か月前に
デトロイト(ミシガン州南東部に位置する
自動車工業系の街)から、
編集長の姉婿・ジェイ氏が来阪していた。

噂には聞いていたけど、
あちらで経済紙聞の出版請負を
生業としているだけあって(実際に版して販売する
事業なので、編集などとは関係ないのだけど)
快活で実に頭が切れる人だった。
当然日本語は流暢に使っているし、正月過ぎに
里帰りしたのでモチ、カズノコ、クリキントンを
やたら連発して喋っていた。

編集長の家系は元々文化系で、
祖父の代からカメラや8ミリを
専門的に収集しているというだけに、
この職業選択には納得がいくが、血の繋がりが
なくても、同じ分野で間接的に巡り合う。
縁とは不思議なものだとつくづく思った。

かかしと私の縁、それはなんだろう?
わたしはともかく、かかしにとってはこの出会いに
何の「メリット」があったんだろうか?

それは今も変わらず、ずっと思っている。
そんな事を思う時点で普通じゃないかも知れない。
もちろん、本人には言えない事だ。

話は戻るけれど
その所謂「上司」間で、
ある話が持ち上がる。
現在うちが単独で出しているコレクトカー月刊誌を
あちらでも出さないかという…

地元のデトロイト自体は、C社など
外資の生産拠点であるため、そこは避け、
Tシンジ、H工業など日系開発者が多く滞在している
地区に社屋を構える事になった。
社屋、とはいえ事務所はきっと手狭で
印刷スペースを大半が占める建物になるだろう。
今の仕事場とは全然違う。

ところで問題なのはやはり人材の派遣で、
専任のトオノさんは掛け持ちで
(つまり当面米オリジナルでは
作らない=日本誌の輸出版のため、
出版のたびに飛行機で往来するのだ)、
また入稿作業に必要な通訳や、現地案内、
それから(多分地獄の)徹夜組として
私、Rさんらが数人選ばれた。
選ばれたというか何というか、当たり前のように。


向こうには日系渡米者が多いらしく、
ジェイ管理長の部下も少し日本人がいると
聞いてあまり不安はなかった。
カタコトなら若干の自信があるし、
自炊なら毎日している、好き嫌いもない。

でも母国を離れるとはどうゆう感じだろう?
想像がつかない。親も兄弟も友達も、
側には居ない。
東京という土地でさえ、こんなに距離を感じているのに…


そこでかかしの事をすごく
考えたかと言うと、そうではなかった。

前回言ったように年末、年初めの
殺伐とした仕事の状況。
お互いが
何をしているのか、考えているのかも
ほとんど分からなく、疑心暗鬼さえ芽生えていた。

彼はどうだったろう?
・・・心の中までは見えない。
何を言っても私の一人合点なので、書きはしない。


こうゆう感覚が死んでいる、
壊死しつつある時期って
結構誰にでもあるかもしれない。
その何万、何億分の一の
存在でしかない私。
かかしには特別に映っていたのだろうか?

彼が辛い時、寂しい時、痛い時
一緒に居たわけではないじゃないか。

それが、私は一番辛かった。


決定的な事は
辛いから、逃げたんだと、そう思う。





そして、
申し出を二つ返事でOKした。





つづく

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