24時間

田中さんの場合



作:逃げ馬








 その日、僕はオフィスで課長の前に呼び出されていた。
 「田中・・・・・なんだ? この書類は!!」
 課長が、机の上の書類を指差しながら僕の顔に冷たい視線を向けている。
 「その書類が・・・・何か?」
 僕は、眼鏡を直しながら課長に尋ねた。
 僕は、田中健一郎・・・30歳。大手電器会社、東西電機の開発3課に勤務するエンジニアだ。
 今日の朝、僕は開発課の課長に新製品の企画書を提出した。研究室に戻ると、課長から電話で呼び出された・・・・どんな用件で呼び出されたのか、僕には想像もつかなかったが・・・・。
 「何かだって? この企画書だよ・・・・なんだこれは?」
 課長が、机の上に置いてある僕の提出した企画書を掌で叩いた。部屋の中にいるスタッフ達が心配そうに僕達二人を見つめている。
 「おまえは・・・・この企画書の内容だと、今販売をしている、私の開発した製品を否定することになるじゃないか・・・・」
 課長は、額にまるでミミズのような青筋を浮かべて、血走った目を僕に向けている。
 そう・・・今、僕が開発している商品は、全くの新機軸・・・従来の商品とは、全く異なるものだった。遠巻きに見守っている人垣を掻き分けて、開発主任の立花さんがこちらにやってきた。
 「課長・・・田中君の企画・・・・なかなか良いと思います。もう一度見てやって貰えませんか?」
 課長の頬が震える。唇をピクピクさせると、
 「頭を冷やして出直して来い!!」
 


 「困ったものだな・・・・」
 夕方、勤務が終わると、僕は立花さんと一緒にオフィスを出た。スーツ姿の二人の男が、廊下を歩いて行く。
 「課長・・・・いったいどうして・・・・」
 僕が首を傾げながら呟くと、
 「アア・・・・嫉妬だよ・・・嫉妬!」
 「エッ?」
 僕は、驚いて立花さんの顔を見た。僕達は、会社を出ると、駅に向かって歩いて行く。
 「新製品に関する、君の企画書・・・素晴らしかったよ。 否のうちどころはなかった・・・・そして、その分野で今、我が社が売っているのは、課長の開発した製品だ。 それが気に食わなかったんだろう・・・・」
 「そうですか・・・・」
 僕は、大きくため息をつくと、ずれ落ちそうな眼鏡を直した。立花さんが、ニコニコ笑いながら僕の肩をポンと叩いた。
 「そんなに神経質になるなよ・・・・あれだけ課長に突っ込まれるということは、それだけ、君の企画がすごいと言うことだぞ・・・・もっと自信を持て!」
 そう言うと、立花さんは軽く手を上げて、急ぎ足で改札口に向かっていく。僕は、大きくため息をつくと、立花さんの後姿を見送った。
 僕は駅のコンコースを行き交う人達に目をやった。足早に家路を急ぐサラリーマン。背中をピンと伸ばして歩いて行くOL.。いつしか僕は視線を、楽しそうにお喋りをしながら歩いて行く女子高校生に向けていた。携帯電話の画面を見ながら、楽しそうに笑い転げる女子高生・・・・。
 「良いよな・・・・あの娘たちは・・・・悩みなんてないんじゃないかな・・・・」
 僕は、首を振りながらコンコースから、再び街に向かって歩き出した。夜の駅前・・・・繁華街は、たくさんの人でごった返している。その人達を縫うように僕は歩いていると、
 「もしもし、そこのお兄さんや」
 突然、誰かが僕を呼びとめた。思わずあたりを見まわすと、前に“易”と書かれた布を被せた台を置いてちょこんと座っている白い顎鬚を蓄えた、和服を着た老人がいた。
 「“お兄さん”って・・・・・僕のこと?」
 「ああ・・・・そうじゃよ・・・・」
 老人が、優しく微笑みながら頷いた。
 「あんた・・・・ちょっと、見てやろう・・・・そこに座りなさい・・・・」
 そう言うと老人は、微笑みながら台の前に置かれた小さな椅子を指差した。僕は、引き寄せられるように、その椅子に腰を下ろした。僕と、占い師の老人が、お互い向かいあった。
 「さて・・・・」
 老人が、大きな虫眼鏡を左手に持つと、
 「さあ、ちょっと見てやろう・・・・右手を出しなさい・・・」
 老人が、僕の手を取ると、虫眼鏡越しに僕の手を見つめている。老人は、頷いたり、首を傾げたり、はたまた大きくため息をついてメモをとったり・・・・・やがて、
 「あんた・・・かなり悩んでいるようじゃの・・・・」
 「エッ?」
 僕は、驚いて老人の顔を見た。老人がニッコリ笑った。老人は、また、虫眼鏡を見ると、
 「頑張って仕事をしても、なかなか認められない・・・・」
 僕は何も言えずに、ただ老人の顔を見つめていた。老人は、虫眼鏡から顔を上げて僕の顔を見つめている。
 「しかし・・・・だからと言って、人の人生を羨ましがっても仕方がないじゃろう?」
 「しかし・・・・」
 どうしたのだろう・・・突然、僕の目頭が熱くなってきた。思わず後ろを振り返り、歩道を行き交う人達に視線を移した。携帯電話で話をしながら、ブレザーの制服を着た女子高校生が歩いて行く。明るい笑い声が、僕の耳に聞こえてきた。思わず、大きなため息をついてしまった。
 「ふむ・・・・」
 老人が、歩き去る女子高校生をちらりと見ると、
 「さて・・・・これからのあんたはのう・・・・」
 「・・・ハイ・・・・?」
 僕が老人に向き直ると、老人は、大きな虫眼鏡を僕に向かってかざしていた。
 「フム・・・・・あんたは近々、不思議な一日を過ごすと出ているぞ・・・・・」
 「エッ? 不思議な一日って・・・・・」
 僕は、微笑んでいる老人の顔を見つめながら、
 「・・・いったい・・・・どんな?」
 老人が、明るく笑った。
 「・・・それが分かれば、不思議な一日にはならんじゃろ・・・・」
 明るい笑顔を浮かべながら、僕の目をしっかり見ながら、
 「まあ・・・・不思議な一日・・・・しっかり体験することじゃ・・・・」
 


 翌日

 「一番線に、東京行きの快速が入ります・・・・白線の内側に・・・・」
 プラットホームに放送が流れると。銀色の車体にクリーム色と紺色の帯を巻いた電車がホームに入ってきた。電車が停まり、ドアが開くと、ホームにあふれた人達を、その中に飲み込んで行く。僕は、ホームで待っている人達に押し込まれるように電車に乗った。
 「ク〜〜〜ッ・・・・いつもながらきついな・・・・」
 僕は、顔をしかめながら何とか体を真っ直ぐにしようとしたが、ギュウギュウ詰の車内では、それもままならない。
 電車が発車した。電車のスピードが上がってくると、揺れが大きくなってくる。僕の前には、ブレザーを着た背中まである綺麗な長い髪の女子高校生が立っていた。彼女の髪から匂うシャンプーの良い香りが、僕の鼻を擽る。
 大きく電車が揺れた。僕は、つま先で立ちながら、必死に足を踏ん張った。
 「おいおい・・・・こんなところで、彼女にぶつかっちまったら、僕は痴漢と間違われちまうぞ・・・・」
 思わず呟いていた。しかし、
 『ガクン!』
 駅が近づき、電車が大きく減速した。
 「?!」
 思わずよろめいた。
 『ヤバイ!!』
 そう思ったが、混雑した車内で倒れそうになった僕は、体を立てなおすことが出来ない。そのまま、僕の体は、前に立つ少女にぶつかってしまった。



 「う・・・・うーん・・・」
 僕は、ゆっくり目を開けた。掌には、柔らかい感覚が・・・・ふと見ると、僕は、少女の着ているブレザーの上から、彼女の胸を・・・・。
 「あ・・・・ごめん・・・・」
 僕は慌てて、彼女の体から手を離した。電車のドアが開き乗客達が降り始めた。突然、彼女が僕の手首を掴むと、まるで僕を引きずるようにドアに向かって歩いて行く。
 「ちょっと・・・悪かった・・・・悪かったって・・・・」
 耳までおかしくなったのだろうか? いつもの僕の声とは違うようだ。なんだか・・・・女の子の声のような・・・・。
 僕は、彼女に腕を引っ張られながら電車を下りた。
 「ちょっと・・・・僕が降りるのは・・・・」
 『プシュ〜〜〜〜ッ・・・・』
 ドアが閉まってしまった・・・・ゆっくりと電車が動き出す。
 「もう・・・・なに、訳の分からないことを言っているのよ・・・・」
 彼女が、呆れたような目で僕を見ながら、クスクスと笑っている。
 「エッ?」
 「早く行かないと、学校に送れるよ・・・・」
 「学校ってさ・・・・」
 そう言いながら、僕は自分の体を見下ろしたが・・・・。
 「・・・・・?!」
 僕の視線に飛び込んできたのは、彼女と同じ紺色のブレザーと、ブルーのチェック柄のプリーツスカート・・・。
 「そんな・・・」
 僕は、思わず走り出した。駅長室の窓ガラスに自分の姿を映してみると、そこには大きな眼鏡をかけた、三つ編みの髪の女の子が・・・・・細い眉。ふっくらとした唇。驚いて顔に当てた小さな手。そして、自分でその手を見てみると、細く白い綺麗な指が・・・・胸につけた赤いリボンの下の、ブレザーに包まれた胸は、ふっくらと膨らんでいる。
 スーツを着ていたはずなのに、ズボンの感覚は全く無い・・・・空気に曝された、細く綺麗な足。それに、アタッシュケースを持っていたはずなのに、持っているのは学生かばん?
 「もう・・・美紀? いいかげんにしてよ・・・・遅刻すると、洒落にもならないわよ・・・・」
 そう言うと、長い髪の彼女は、僕の手首をしっかりと掴んで走り出した。僕は、訳が分からないまま、彼女の後を走って行った・・・・。



 「しかし・・・いったい・・・・なぜ?」
 僕は、彼女に手を引かれながら、学校の校門をくぐっていた。
 『純愛女子学園』と書かれた校門。学校の中にある立派な礼拝堂。
 「なんなんだよ・・・・・」
 呆然として立ち尽くす僕に向かって、
 「ほら・・・・美紀!」
 彼女が、腕を引っ張る。
 「美紀? 美紀っていったい・・・・それに、君は・・・?」
 「もう・・・・いいかげんにしてよ!」
 彼女が、腰に手をあてて口を尖らしている。大きくため息をつくと、
 「あなたは、田中美紀。 この学校の1年生。 そして、私は、鳥居睦美・・・あなたのクラスメイトじゃない・・・・・とぼけるのも、いいかげんにしてよ!」
 そう言うと、さっさと校舎に向かって歩いて行く。僕も、慌ててその後を追った。


 その日は、僕にとっては文字通りの“未知との遭遇”の一日だった。
 女子校の授業・・・・1時間目は、教室の“僕の席”に座っての授業・・・・学校の授業は、相変わらず退屈なものだった。
 しかし、その後、僕は普段は女の子が見せない一面を見てしまう事になる・・・・。
 チャイムが鳴り、1時間目が終わると、睦美が僕の机にやってきた。
 「さあ、美紀。 2時間目は体育よ」
 「エッ?」
 驚く僕に向かって睦美が微笑む。
 「ほらほら・・・・遅くなるよ・・・・」
 睦美は、僕の腕を引っ張りながら歩いて行く。
 「ちょっと・・・待ってよ・・・・ちょっと!」
 そして、僕達の歩いて行く方向にあるドアに書かれた表示は、
 『女子更衣室』
 「ちょっと・・・・駄目だよ!」
 慌てる僕にかまわず、睦美は更衣室のドアを開けた・・・。クラスの女の子達が、僕の目の前で着替えている。僕は、目のやり場に困って俯いていた。すると、
 「ねえ、美紀・・・・どうしたのよ!」
 顔を上げると、制服を脱いで下着だけになった睦美がニコニコしながら僕を見つめている。
 「エッ?」
 「もう・・・・いつも遅いんだから・・・・早くしないと授業が始まっちゃうよ!」
 睦美が僕に向かって言った・・・・着替え終わった女子生徒たちが、僕の周りに集まってきた。ショートカットの髪の活発そうな少女が、
 「美紀・・・まだ制服のままなの? もたもたしていると・・・・」
 ニッコリ笑ったと思った瞬間、
 「「「「それっ!」」」」
 みんなが僕に飛び掛ってきた。
 「ちょっと・・・・やめてよ・・・・オイッ?!」
 僕は、女の子達に制服を脱がされていく。
 「ほら・・・・美紀・・・・ちゃんと体操服を持ってきているじゃない」
 睦美の声が聞こえてそちらを見ると、睦美が僕のかばんの中から体操服とブルマを取り出していた。
 『そんな・・・・』
 下着姿のまま、痺れたような頭で考えていると、女の子達が睦美の手から僕の体操服?を受け取って、また僕に着せていく。
 「ハイ・・・・準備完了!」
 そう言われて僕は自分の体を見下ろした。体操服の胸のあたりがふっくらと膨らんでいる。そして、白く細い腕。丸く膨らんだヒップは、紺色のブルマに包まれている。そこからスラリと伸びた健康的な太股・・・・。思わず顔が赤くなってしまう。
 「さあ・・・・行こう!」
 睦美は、突っ立ったままの僕の手を握ると、校庭に向かって駆け出した。



 一日は、あっという間に過ぎてしまった。
 僕は、睦美と肩を並べながら、校門を出ると、駅に向かっていた。僕たちは歩きながら、いろいろな話をしていた。家族のこと、好きな男の子のこと、そして・・・・。
 「ねえ・・・・美紀は・・・・・将来、何になりたいの?」
 突然、睦美が僕に向き直って尋ねた。綺麗な長い髪が、くるりと一瞬靡いた。
 「エッ?」
 咄嗟に、僕は答えることが出来ない。何しろ、本当は僕は30歳・・・・どう答えて良いか、全く分からなかったのだ。
 「わたしはね・・・・」
 睦美が僕に背を向けると、
 「本当は、盲導犬の訓練士になりたいの・・・・でもね・・・・・」
 彼女は、ゆっくりと歩きながら話続ける。
 「両親は、大学に行けと言うし・・・・反対がすごいの・・・・」
 睦美が『フフフッ』と力なく笑った。
 「なんだか・・・授業を受けてもやる気が出なくて・・・・」
 睦美の淋しそうな横顔を見ていると、僕は咄嗟に言葉が出なかった。
 『そうか・・・・楽しそうに見えても、彼女たちは彼女たちで戦っているんだ・・・・』
 僕は、彼女と一緒に歩きながら、
 「ねえ・・・睦美?」
 「うん?」
 「思いっきり・・・・両親とぶつかってみなよ・・・・」
 「エッ?」
 「睦美が、どうしても訓練士になりたいなら、その思いを両親にぶつけないと、分かってもらえないんじゃないかな・・・・・」
 睦美は、黙って僕の横顔を見つめている。
 「良い子ぶって、中途半端に黙っていると、その程度の決心なんだと思われちゃうよ・・・」
 僕の言葉に、睦美の表情が明るくなった。
 「そうか・・・・そうだよね・・・・」
 彼女は、大きく両手を上げると、
 「よし・・・・やるか!」
 明るい声で言った。 僕は、そんな彼女を微笑みながら見つめていた・・・・。
 夕日が、二人を優しく照らし、影を地面に長く伸ばしていた・・・・。



 翌日

 「一番線に、東京行き快速が入ります・・・・」
 僕は、駅のプラットホームで電車を待つ人達の列に並んでいた。
 昨日、仕方なくマンションに帰ると、僕の持ち物が、全て高校生の女の子の持ち物に変わっていた。
 今日はどうするのか・・・・・この姿で会社に行っても、誰も僕とは気がつかないだろう。その上、定期券も“田中美紀16歳”のものなのだ。僕は、仕方なく今日も“純愛女子学園”に行くために、駅で電車を待っていた。
 電車が到着し、ドアが開くとホームの乗客達を飲み込んで行く。電車に乗ると、
 「美紀!」
 誰かが、僕の腕を引っ張った。睦美が、ニコニコ笑いながら片手を上げた。
 「おはよう!」
 僕と睦美は、体をくっ付けるようにしてたっていた。
 「昨日ね・・・・両親と大喧嘩しちゃった・・・・」
 睦美がおどけながら言った。
 「でもね・・・・おまえがそこまで思うのなら、とにかく今は、高校の勉強を頑張れ・・・・って」
 睦美が舌を出して肩を竦めた。
 「とにかく・・・・今の段階では、分かってくれたみたい・・・・」
 「よかったね・・・!」
 僕も、微笑みながら頷いた。
 突然、電車が大きく揺れた。
 「「アッ?!」」
 僕は、睦美と激しくぶつかってしまった。
 「大丈夫?」
 僕は、睦美を助け起こしたが、
 「アッ?」
 同じ位の視線だったのに、僕は睦美を見下ろしていた。着ているのも、さっきまでの制服ではない・・・・・紺色の、いつものスーツだ。
 「ありがとうございます・・・」
 睦美が、よそよそしく言った・・・さっきまでの親しさは無い・・・・睦美は、ドアの向こうに見える景色を見つめている。僕は、言い知れない淋しさを感じていた・・・・。
 電車が駅に着いた、ドアが開き乗客達が降りて行く。睦美が、ホームに下りて改札口に歩いて行く。
 『あの子達も、いろいろな悩みと戦っているんだ・・・・・』
 「・・・しっかり頑張れ・・・・睦美! 僕も、また、頑張るから・・・・」
 僕は、睦美の後姿に向かって呟いた。



 ドアが閉まり、電車が走り出した。
 プラットホームに、あの占い師の老人が立っていた。
 老人は、優しく微笑むと、淡い光の中に、その姿を消していった・・・・・。




 24時間 田中さんの場合  (終わり)






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