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秋風吹く教室



作:逃げ馬






校舎の廊下にチャイムの音が響き、廊下で御喋りをしていた女子も、ふざけあっていた男子生徒も教室に戻っていく。
その中に他の生徒とともに、小太りの体を揺らしニコニコ笑いながら歩いていく男子生徒がいる。
彼…堀尾達也は、箱崎高校の2年生。
今日も皆と楽しく学校生活を送っている…はずだが…。



授業が始まった。
いつもと同じ…また、どこの学校とも変わり映えのしない単調な授業が続いている。
しかし、この日はどこの学校の生徒でも嫌がる“イベント”が待っていたのだが…。

黒板の前に立っていた教師がちらっと腕時計に視線を移し、教卓の下から紙の束を取り出した。
「それじゃあ、この前のテストを返すぞ!」
たちまち生徒たちから、
「エ〜〜〜ッ?!」
「マジかよ?!!」
と声が上がった。
「はい…静かに!」
教師は生徒たちを静かにさせると、順番にテストを返していく。
教卓の前でテストを受け取った生徒は、思わずガッツポーズをする者、あるいはガックリと肩を落とす者…悲喜交々だ。
「伊藤!」
教師に呼ばれて女子生徒が教卓の前に進んだ。歩くたびに黒い艶やかなロングヘアが揺れる。
教師の顔に微笑みが浮かんだ。
「さすがだな…満点は君だけだよ」
教室の中では、生徒たちのかすかなどよめきが起きたが、伊藤は一礼をしただけで自分の席に戻って行った。

彼女…伊藤未奈は常に成績は学年トップ。 そして2年生ながら生徒会の会長。 その上、美少女となるとクラスのアイドルになりそうなものだ。
しかし、彼女はクラスメイト達に“壁”を作っていた…そのためかこのクラスでは、どことなく浮いた存在になっていた。
それでも隣の席に座る未奈を、微かな羨望の眼差しで見つめる達也。
未奈はチラッと達也を見たが、すぐに横を向いてしまった。
「堀尾!」
「はい!」
達也が大きな体を揺すりながら教卓の前に出ると、
「もっと頑張らなきゃだめだぞ」
「はい」
チラッと答案に書かれた点数を見ると、ニコニコしながら戻っていく達也。
「堀尾! 笑っている場合じゃないぞ!」
教師の声に教室内に笑いが起きる。
達也は席に腰を下ろすと頭を掻いた。
「何点だったんだ?」
後ろに座る男子生徒…竹原が尋ねてきた。チラッと答案を見せると、
「ドヒャ〜〜…確かに笑っている場合じゃないな?!」
大げさに驚く竹原に、
「まあな!」
思わず笑い出す二人に、
「こらそこ! 二人とも笑っている場合じゃないだろう!」
教師に指をさされる二人。 また教室に笑いが起きる。
そんな達也を無表情に見ていた未奈は、笑い声が起きる教室の中で達也から目を逸らすように教室の壁を見詰めていた。



チャイムが鳴り授業が終わると、また校舎の中に生徒たちの笑い声が戻ってきた。
「堀尾!」
後ろから聞こえた竹原の声に、達也は教科書などを片づけていた手をとめた。振り返ると、
「これから体育祭の練習…来るんだろ!」 
「もちろん!」
ニッコリ笑うと、
「堀尾君!」
ショートカットの髪を揺らしながら女子生徒がやってきた。
「細田さん?」
「さあ、練習に行こう!」
細田さんは大きな瞳をキラキラさせながら、達也と竹原に微笑んだ。
達也は肯くとかばんを持って立ち上がった。
「みんな、行こう!」
「おう!」
「行こうぜ!!」
達也が笑顔で声をかけると、教室のあちこちから元気な声が返ってきた。
達也が歩きだすと、未奈と視線が合った。
「伊藤さんは、これから生徒会に?」
達也が尋ねても、未奈は教科書やノートをかばんに入れるだけで何も答えない。
「頑張ってね!」
達也が歩きだす。
「何だよ…」
「失礼ね…」
周りで見ていた竹原や細田が、小さな声で言う言葉が未奈に突き刺さる。
未奈は小さくため息をつくと、かばんを手に席を立った。



校舎の窓から未奈が校庭を見つめている。
夕方の校庭。
夕日が生徒たちを赤く照らし、長い影が校庭に伸びている。
学生服姿の達也が大きな声で号令をかけると、クラスメイト達が息を合わせて応援を始める。
未奈は少し淋しそうな表情を浮かべると、窓のそばを離れた。



翌日
校庭からはスピーカーから軽快な音楽が流れ、生徒たちの元気な歓声が聞こえてくる。
「よ〜い…」
教師がピストルを持つ手を上に挙げる。
ピストルの音とともに、男子生徒たちが次々トラックを走っていく。
「次!」
教師の号令で生徒たちがスタートラインに並んだ。緊張した顔が並ぶが、その中で一人だけ笑顔なのが、あの達也だ。
「堀尾! がんばれ!!」
後ろに並ぶ竹原から声援が飛ぶ。
「よ〜い…」
ピストルを持つ手が上にあがる。
ピストルの音とともに生徒たちが駆け出す…が…?
「ほりお〜〜!!」
竹原が叫ぶ。
「頑張れ!!」
クラスの男子生徒はもちろん、女子生徒たちからも声援が飛ぶが、達也はドタドタと走るだけで、なかなか前に進まない…一人取り残されるように、最下位でゴールをした。
息を切らせながらゴールをし、列に並ぼうとする達也に、
「ご苦労さん」
「Nice Fight!」
仲間たちから声がかかる。
「全然ダメだったな…」
残念…と苦笑いをする達也に、
「また、来年だよ…来年!」
明るい声がかかる。

走り終えた達也たちが話をしているうちに、女子の100m走が始まった。
「位置について…」
号令がかかると、未奈がスタートラインに立った。
「よ〜い…」
ピストルの音とともに駆け出す。健康的な足が大地を蹴ると、たちまちのうちに他の生徒たちを引き離していく。
未奈は圧倒的な速さでゴールテープを切った。
しかし、誰も声をかけない。
未奈は何事もなかったかのように列の後ろに並ぼうとすると、誰かが拍手をしていた。
「伊藤さん、速いね!」
達也が“おめでとう”と言うように拍手をしても、未奈はツンと横を向いて歩いて行く。
「堀尾…あんな奴に関わるなよ」
後ろから竹原が声をかけると、
「だって、同じクラスだろう?」
「まあ、そうだけどさ…」
肩をすくめる竹原に、
「彼女だって、仲間だよ…」
ニコニコする達也に、竹原は苦笑するしかなかった。
「伊藤にお前の10分の1でもそういう気持ちがあればなあ…あれだけ美人で頭がいいのだから…」
達也の笑顔を見ているうちに竹原も笑いだす。その笑いは気がつけば周りを巻き込んでいた。


そして応援合戦が始まった。
達也たちのクラスは、学生服姿の達也を先頭に一糸乱れぬ応援をしている。
勉強や運動が苦手な達也も、この時ばかりは真剣な表情で大きな声で応援をしている。
秋の日差しが達也の顔に噴出した汗をキラキラと輝かせている。
生徒会のテントの下で、未奈は達也をじっと見つめていた。



達也たちが引き揚げてきた。
「堀尾…すごいな」
後ろを歩く竹原が声をかけてきた。
「何が?」
「いや…こういう時には、お前はみんなを引っ張ってくれるなあ…って」
「みんなが合わせてくれてるだけだよ」
達也が笑うと、
「そういうところが、堀尾くんなのよね」
チアガールの衣装を着た細田さんが笑った。他のみんなも笑う。
その時、
「堀尾君!」
女の子の声が聞こえ、皆がそちらを見ると体操服姿の未奈が、まるで睨むように達也を見つめていた。
「伊藤さん?」
何の用なんだ…? クラスメイト達の視線が未奈に集中する。
「…お…お疲れ様…」
ぎこちない未奈に、
「ありがとう!」
ニッコリと笑う達也。
「…放課後、教室で待っていてね」
未奈は、そう言うといつものようにプイっと横を向くと、生徒会のテントに向かって歩いて行く。
クラスメイト達は、
「あいつ…何なんだよ?」
「堀尾君、関わらない方がいいよ」
口々に言うが、達也はいつものようにニコニコと笑っていた。



放課後の教室
体育祭も終わり、生徒たちが帰り支度をしている。
「堀尾! 今日はお疲れ様!」
竹原が言うと、
「100m走…今年もダメだったなあ…」
ニコニコしながら達也が言った。
「だから、あれは来年頑張ればいいって!」
竹原が笑った。
「そうよ! その分、応援合戦は優勝だったんだから!!」
細田さんが微笑んだ。
小さくうなずく達也に、
「さあ、帰ろうか?」
竹原が言った。
「あ…僕は約束があるから」
「約束って…まさか伊藤と?」
首を傾げる竹原。
「うん」
「駄目よ…彼女とは関わらない方がいいわよ」
細田さんが心配そうに言った。
「でも、約束をしたから…」
いつものように、ニコニコしながら達也が言った。
その表情を見ていると、二人は何も言えなくなってしまった。
「…それじゃあ…」
二人が教室を出ていく。 その二人の背中に、
「また明日!」
達也の明るい声が飛んだ。

達也は二人が教室を出ていくと、また自分の席に腰を下ろした。
ふと何かを感じて、教室の窓の方に視線を移した。
校庭に面している教室の窓は、開け放たれたままだった。
校庭から入ってくる風が、窓のカーテンを揺らしている。
「堀尾くん」
名前を呼ばれた達也が入口を見ると、制服姿の未奈が立っていた。
「…待っていてくれたのね…」
じっと達也の目を見つめる未奈に、
「約束だから」
達也はいつものように微笑んだ。
「そう…」
達也には、未奈がかすかに微笑んだように見えた。
未奈は教室の窓に歩み寄ると、校庭を見つめていた。
「堀尾君は、いつもそうよね…」
「何が?」
微笑みを浮かべた達也が問い返す。
「何があっても、くよくよしないで、いつも“友達”のことを思っていて、約束を守って、“友達”も堀尾君のことを思っていて…」
未奈は校庭を見つめたまま言った。 その視線の先では、体育祭を終えた生徒たちが、校門に向かって歩いていた。
「伊藤さんだってそうだよ」
「何が?」
未奈が振り返って首を傾げた。
「伊藤さんだって、僕の友達じゃないか」
達也の言葉を聞いた未奈は、複雑な表情を浮かべた。
笑おうとしているのだろうか…しかし、それは歪んだ笑いにしかならなかった。
「うらやましいな…」
未奈は、ようやく絞り出すように呟いた。
「何が?」
「堀尾君が…」
未奈の言葉を聞いた瞬間、教室に達也の大きな笑い声が響いた。 驚いた未奈が、達也を見つめている。
「どうしたの?」
「だって…あの伊藤さんが、僕のことをうらやましいなんてさ…」
達也は大きなおなかを抱えて、涙を流して笑っていた。
「本当のことよ!」
「うらやましいのは、僕の方だよ…伊藤さんは勉強ができて、スポーツが万能で、その上、美人で生徒会長で…」
「でも堀尾君は、わたしにないものを持っているのよ?」
「何を?」
なにかあるの?…という表情で、達也は未奈を見つめていた。
「…友達…そして人を引き付ける明るさ…」
わたしには、それがないの…と呟く未奈に、達也は微笑みながら、
「そんなの、伊藤さんにだって…」
「わたしはダメなの!!」
未奈は顔を覆って泣き出した。
「わたしも堀尾君を見ていて“あんな風に頑張ろう”と思って頑張ってみた…でもダメなの!!」
「伊藤さん…」
達也は何も言えず、未奈を見つめていた。
「勉強を頑張れば…スポーツができれば、みんなが友達にしてくれるかと思っていたの…でも、違っていた」
未奈は、顔を上げると、
「本当に大事なのは、堀尾君の持っている“温かさ”なの…」
未奈は、また歪んだ笑いを浮かべていた。
「そんな…さっきも言ったけど、伊藤さんは僕なんかが持っていないものを…」
「じゃあ、堀尾君にあげる!!」
「へッ?」
未奈の言ったことを、達也はとっさに理解できなかった。
「…わたし、もう疲れちゃったの…堀尾君になら、わたしを…全部あげる!」
「あげるっていっても…」
困惑している達也と、達也をじっと見つめている未奈。その二人の足元で何かが輝いた。
「…これは…魔方陣?!」
教室の床に光で描かれた魔方陣、それが眩い閃光を放った瞬間、達也の意識は遠のいて行った…。



「ほりお〜〜」
「堀尾さん!」
遠くから名前を呼ぶ声に、達也は眼を覚ました。
「う…う〜〜〜ん…」
体を起こす達也。いつの間にか、自分の席で眠ってしまったようだ。
しかし、何かが…?
自分の体を見下ろす達也。そこには太った自分の体はなかった。
クリーム色のベストに包まれた細いからだ。それとは反対に、大きく膨らんだ胸元と、その上に乗る青いリボンタイ。 そして、今の自分の足を包んでいるのはチェック柄のスカート?
「エ〜〜〜ッ?!」
驚いてあげた声は、女の子の声だ。
達也は窓に駆け寄った。ガラスに映るその姿は、あの伊藤美奈の姿だった。
「…伊藤さん…」
咄嗟に膨らんだ胸元の胸ポケットから学生証を引っ張りだした。
『堀尾美奈』と書かれた名前と、美しいロングヘアの少女が写った写真が貼られていた。
突然、教室の扉が開いた。
「ほりお〜〜。 遅いぞ!」
「もう、いくら待っても来ないから、心配で迎えに来たわよ!」
竹原と細田さんが笑いながら入ってきた。
「竹原…ボク、伊藤さんに…」
竹原は小さく肩をすくめると、
「堀尾…何言っているんだ?」
「生徒会と掛け持ちだから、疲れちゃったのね」
細田さんが笑った。
「さあ、帰ろう!」
二人がニッコリ笑うと歩きだした。 達也も歩きだそうとしたが、足を止めて教室の窓に視線を向けた。

『わたし…もう疲れちゃったの…』
『堀尾君になら、わたしを…全部あげる!』

「伊藤さん…ボクに“伊藤さん”をくれたのか…」
達也は淋しそうに笑った。 だが、それも一瞬だった。 いつものようにニッコリ笑った。
「竹原! 細田さん、待って!」
達也が元気に歩きだした。 

窓から教室を吹き抜ける秋風が、“美奈”のスカートを揺らしていた。




秋風吹く教室


(おわり)


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