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ある夏の日


作:逃げ馬





オフィスの窓からは夕方の日差しが差し込んでいる。
あちこちの机の上で、電話のコール音が鳴り、また、机を挟んでスタッフが議論をしている。
コピー機の音が唸り、次々書類を吐き出すと、可愛らしい制服を着たOLが手際よく仕分けをして、スタッフたちの机に配っている。
「ハイ・・・課長」
「ありがとう! 南原君」
彼女はニッコリ微笑みながら歩いていった。
その後姿を見送ると男は資料を手に取り、目を通し始めた。しばらくするとこくりと頷いて。
「OK! 南原君、これをメールで工場に送っておいて!」
「わかりました!」
彼女がパソコンのモニターの向こうで笑った。
オフィスにチャイムが鳴った。男が時計を見た。 5時だ。
「さて・・・悪いが、僕は帰らしてもらうよ」
「お疲れ様です」
スタッフたちが挨拶をした。
「課長! 週末はお嬢さんとお出かけされるのですか?」
南原が悪戯っぽく微笑んだ。
「そうだな・・・夏休み中だし、どこかに連れて行かないといけないかな?」
男は笑うと、「お疲れ様」と言ってオフィスを後にした。



『まもなく一番線に、特急が・・・』
アナウンスが流れるとオレンジ色と黄色のツートンカラーの電車が駅に入ってきた。
ホームにあふれる乗客たちを、その車内に飲み込むとドアを閉めて走り出す。
男は座席に座ると、携帯電話をチェックした。幸いメールは入っていない。男は背もたれにもたれると、目を閉じた。

男は東秀俊(あずま ひでとし)45歳。大手総合電機メーカーのSONA電子のエンジニアとして開発セクションの課長をしている。
開発部門をまとめるだけに、彼の日常は会社を中心にして回っている。 それだけに家庭が気になっていても、なかなか省みることはできない。
彼には大学時代に知り合った妻がいたが、彼女は娘を産んですぐ、病を得て亡くなった。
電車のスピードが落ちてきた。滑るように駅に入っていく。
秀俊は立ち上がると、網棚に置いていたアタッシュケースを手にした。
電車が止まるとドアが開き、車内の乗客をホームに吐き出した。流れに乗り、秀俊もホームに降りた。
「お父さん!」
声が聞こえた方向を見ようとしたその時、誰かが秀俊の右手を掴んだ。
純白の丸襟のブラウスと、赤いリボンタイ。そして紺色のチェックのプリーツスカート、紺色のハイソックスが美しい足を引き締めている。ショートカットの髪が活発そうな印象を与えている。
「美沙・・・今帰りかい?」
「うん・・・お父さんも、一週間お疲れ様」
エヘヘッ・・・と笑いながら、彼女は秀俊の右腕に手を絡ませようとした。
「おいおい・・・やめなさい」
「あ・・・お父さん照れてる」
美沙が悪戯っぽく笑った。

彼女は東美沙(あずま みさ)。秀俊の娘だ。 
美沙は西北女子学園高校2年生・・・この日は夏期講習に参加をするため学校へ行っていた。
美沙は生まれてすぐに母親が亡くなった、そのため当然、母親の顔は知らない。
男手ひとつで美沙を育てると誓った秀俊は、幼い美沙に写真を見せながら母親の思い出話をしてやったり、忙しい中、なるべく一緒に食事を摂り、親子で会話をするようにしていた。
そのおかげか? 美沙は素直にすくすくと成長し、今は名門女子高に通っている。
しかし、秀俊には一つ困ったことがあった。
美沙がいつも秀俊と一緒に行動をしようとするのだ。
美沙も17歳・・・そろそろボーイフレンドを作ってもおかしくないのだが、買い物に出かけるのも、映画を見に行くのも秀俊と一緒に出かけようとするのだ。
世間で父親は、娘に『臭い』とか『気持ち悪い』とか言われがちなものだ。
それに比べれば『贅沢』といわれるかもしれないが、娘の成長を思うと、秀俊は複雑だった。
最近は、何かと用事を『作って』、美沙を友人たちと出かけさせるように気を遣っている秀俊だ。

駅からの帰り道、美沙は秀俊に学校であった出来事や、友達の話を話した。
秀俊も感想を言ったり、時には質問もしたりした。
家に近づくと近所の住人と出会った。
「おばさん、こんばんは!」
美沙が微笑みながら挨拶をすると、
「おかえりなさい、美沙ちゃん」
美沙が一礼して歩いて行くと、おばさんは秀俊に向って、
「きちんと挨拶が出来て、お父さんと一緒に帰ってくるなんて、美沙ちゃんは本当に良い娘さんですね・・・羨ましいわ」
「いえいえ・・・」
おつかれさまです・・・と秀俊も一礼をすると、二人は自宅に入った。



家に入ると、美沙はスリッパを履きながら、
「タイマーをセットしておいたから、お風呂が沸いているはずよ。 先に入ってね」
そう言うと美沙は台所へ行き、夕食の準備を始めた。
秀俊も自室でスーツを脱いで着替えを用意すると、
「じゃあ、先に入るよ」
「うん」
美沙はフライパンで野菜を炒めている。
秀俊はそのまま風呂に向かった。服を脱ぎ浴室に入る。体に湯をかけ、湯船の中に体を沈めた。
「フ〜〜〜〜〜ッ・・・」
明日は土曜日・・・暑さと疲れで体力の落ちている秀俊は、ゆっくりと休養をしたい。読みたい本もあるし、撮り貯めをしたテレビ番組もある。週明けからは、また仕事に追われるのだからゆっくりしよう。
秀俊はそう考え、浴室を出た。




秀俊と美沙は、向かい合って夕食を食べていた。
「お父さん、一週間お疲れさま」
「ありがとう!」
美沙がグラスにビールを注ぐと、秀俊は旨そうに口を付けた。 それを見届けてから美沙は、
「お父さん?」
「うん?」
秀俊はグラスを置くと、美沙に視線を戻した。
「明日はお休みよね」
「ああ・・・そうだよ」
「わたし、お父さんとプールに行きたいの」
「ハッ?!」
秀俊はキョトンとしてしまった。秀俊も“不惑”の年齢を超えて、世間で言うところの“メタボ”気味だ。
しかも、一緒に行くのが年頃の娘となると・・・。
「プールか・・・友達と行くと楽しいよ」
頭から否定をするべきではない・・・そう考えて答えたのだが、この言葉が美沙に火をつけることになったようだ。
「お父さん、最近は“忙しいから”と言って、なかなかわたしと一緒に出かけてくれなかったじゃない」
「でも、お父さんもね・・・お腹がブヨブヨだから・・・」
「関係ないわよ・・・ねえ、行こうよ、お父さん!」
じっと秀俊を見つめる美沙の瞳。 それを見ているうちに、秀俊は根負けをしたように、
「・・・うん・・・わかったよ」
「よかった! うれしい!!」
さあ、準備しなくちゃ・・・と自分の部屋に戻っていく美沙。
そんな美沙の後姿を、秀俊はため息をついて見送った。



翌日

夏の厳しい日差しの下で、トランクスタイプの水着を履いた秀俊が、プールサイドに立っていた。
傍から見ると、“家族連れの父親”だろう。それは、間違いではないのだが・・・。
「お父さん、お待たせ!」
声が聞こえてそちらを見ると、水色のビキニを身に付けた美沙だった。
「どうかな?」
クルッと回ってポーズをとる美沙。周りを歩く男性たちの視線が集中する。
豊かな胸。 細く括れたウエスト。 そして大きく膨らんだヒップと、そこから続く太ももと細く締まった足。
電車の吊広告で見かけるアイドルにも負けないと、秀俊は思っていた・・・が、問題は、その美沙と一緒にいるのが世間で言われる“メタボ状態”の父親だということだ。
「可愛いよ」
「ありがとう!」
うれしそうな美沙・・・だが、秀俊は、
「美沙は、遊んできなさい。お父さんは、ここから見ていてあげるから・・・」
美沙は、頬を膨らませると、
「もう! お父さんは、まだ気にしているの?」
美沙が秀俊の腕をつかむと、
「ほら、行きましょう!」
二人がプールサイドを歩くと、周りの客は、ちょっと不思議そうな視線を二人に向けてくる。
「お父さん、あれに行きましょう!」
美沙の指差した先には、落差の大きなウオータースライダーがあった。
「ちょっと待ちなさい、美沙!」
止めようとする秀俊に構わず、美沙は腕を引っ張って歩いて行く。
「あれを滑ってみたかったんだ♪」
階段に並び、順番を待つ二人。
周りはカップルや、美沙と同年代の男の子・女の子たちだ。
「美沙・・・」
困惑する秀俊、だが、美沙はお構いなしだ。
「お父さん、これ、本当に楽しいのよ!」
順番が進み、“建物”の最上部・・・スライダーの滑り口のある階にやってきた。
このスライダーは、カプセルのような物の中に入るようだ。
「はい、次の方どうぞ・・・」
係員がカプセルの入り口を開けると、美沙と同年代の女の子が中に入った。係員がカプセルを閉めた。
スイッチを入れると、“落とし穴”のように床が開くのだろう。女の子の姿がカプセルの窓から消え、悲鳴が聞こえてきた。
「美沙・・・」
「大丈夫よ、お父さん!」
微笑む美沙。 だが、秀俊は気が気でない。実は彼は、高所恐怖症なのだ。
「次の方」
係員に促されて、美沙がカプセルに入った。蓋が閉められると、蓋に付けられた窓から美沙が手を振っている。
秀俊も小さく手を振ると、係員がスイッチを入れた。音がすると同時に、
「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ?!!」
スライダーのチューブの中から悲鳴が聞こえてくる。秀俊は足がすくんだ。
下を見る。遥か下にあるプールにスライダーのチューブから勢いよく美沙が滑り落ちた。大きな水しぶきが上がった。
「おとうさ〜ん♪」
楽しそうな美沙。しかし、秀俊はそれどころではない。
「次の方・・・」
係員に促されるが、秀俊は足が進まない。
「お先にどうぞ」
後ろのグループに先に行かせようとするが、
「お父さん、早く〜〜〜」
美沙が下から呼んでいる。
困った・・・高いところは怖い。しかも若い子たちが悲鳴を上げるようなアトラクションなのだ。娘の手前、悲鳴を聞かれたくない。
そんなことを考えているうちに、
「それでは、こちらにどうぞ」
係員が微笑みながら、隣の・・・今まで客を誘導していなかったカプセルを開けた。
「いえ・・・これも同じでしょう?」
「いえいえ・・・これは“お客様のような方”のためのスライダーです」
係員は、“後が痞えていますので”と、半ば強引に秀俊の腕を引きカプセルに入れた。
「お父さん!!」
美沙の声が聞こえる。
蓋が閉まる・・・秀俊の恐怖心が頂点に達した時、
「たっぷり悲鳴を上げてください!」
その一言と同時に係員がスイッチを入れた。軽い音とともに床が“抜けた”。
「うわ〜〜〜?!」
絶叫とともにほとんど垂直に落ちていく。
チューブに傾斜がついた。すごいスピードで秀俊の体がチューブを滑り落ちていく。
「ウオ〜〜ッ?」
秀俊のあげる声が、少し女性のように高くなった。
急カーブ。秀俊の体がクルッと回転する。
回転をした秀俊の体は、白くなり、メタボ気味だったはずのウエストには括れができていた。
秀俊の体は、カーブで体を揺すられるたびに変化していく。
あるカーブでは、ヒップが大きくなり、脛毛のたっぷり生えていた筋肉質の脚は美脚になり、またある場所では身長が縮んだ。
またある場所では、胸に美沙と同じような膨らみができ、またある場所ではトランクスタイプだった水着が、鮮やかなエメラルドグリーンのビキニになってしまった。
滑り落ちる先を見つめる秀俊、チューブの先が明るくなってきた。
「キャ〜〜〜ッ?!」
悲鳴とともにプールに滑り落ち、大きな水しぶきが上がる。
「はあ〜、美沙・・・参ったよ・・・」
そう言って立ち上がったのは、秀俊とは似ても似つかない、美沙と同年代のエメラルドグリーンのビキニを纏った、ロングヘアの美少女だった。
「お父さん・・・?」
「美沙・・・って?」
声がおかしい・・・とようやく気がついた秀俊、そう言えば、視線も・・・? 自分の体を見下ろすと、
「なんだ〜〜〜?」
パニックになり、胸や股間に手を当てる秀俊を見て、
「お父さん、可愛い!!」
思わず秀俊・・・だった美少女を抱きしめる美沙。
「ちょっと・・・」
「その格好なら、わたしといてもおかしくないでしょう?」
美沙が悪戯っぽく微笑むと、
「さあ、一緒に遊ぼう!」
すっかり細くなった白い腕を引っ張っていく。



二人の美少女が、夏の日差しにその健康的な身体についた水滴を宝石のように輝かせながら、楽しそうに泳いでいる。
プールサイドの男性の視線が二人に集中していた。
プールサイドを二人で歩いていると、若い男たちが甘い言葉をかけながら寄ってくる。
美沙は、思わず“男性の本能”で突っかかろうとする秀俊を止めて、男たちを上手にあしらっていた。
「お前、あんなことができるのか?」
「あら・・・女の子なら当たり前よ」
フフフッ・・・と笑う美沙を、秀俊は眼をパチクリさせながら見つめていた。

夕方
「そう言えば、おれの体はどうなるんだ?」
ビキニ姿の女の子の体を見下ろしながら、秀俊は呟いた。
「そうね・・・あの係りの人に聞いてみましょう」
二人は、あのウオータースライダーに行くと、係員を捕まえて尋ねた。
「あ・・・ご心配なく」
係員が笑った。
“戻れる”・・・そう思った秀俊に、係員は、
「女性として過ごせるように、こちらの方で“手続き”は済ませておりますので・・・」
「ちょっと待てよ! うちは俺が働かないと、食べていけないんだよ。娘はどうなるんだよ?!」
「ですから、お仕事の方は変わりませんので・・・」
係員が“大丈夫ですよ”というように笑いながら、横で心配そうに見つめる美沙に微笑みかけると、
「お嬢さんの横のロッカーと、お宅の方に必要な物は用意いたしましたので・・・」
それでは・・・と言うと、係員は二人を残して歩いて行ってしまった。

「ここに入るのか?」
女性の更衣室の前で、秀俊の足は止まってしまった。 そんな秀俊の様子を見て美沙が、
「お父さん、今の自分を見ればわかるでしょう?」
さあ、早く・・・と腕を引いて更衣室の中に入って行った。

更衣室に入った秀俊は、ずっと俯いたままだった。
あちらでも、こちらでも、女性が水着を脱いで服に着替えている。
目のやり場に困ってうつむいたままだ。
「あ・・・此処かな?」
美沙の声が聞こえた。
ふと見ると、美沙が自分のロッカーを開け、その隣のロッカーを開けている。
「アッ?」
思わず声を上げる秀俊・・・ロッカーの中の鏡に、女性が二人映っている。
一人は美沙、そしてその横に立つエメラルドグリーンのビキニを身に付けた美少女。 それは紛れもなく今の自分の姿なのだ。
その中にはタオルなどと一緒に女性の衣類が入っていた。
「はい、お父さん! これを着てね」
そういう美沙が秀俊に手渡したのは、水色のブラジャーとショーツだった。
「美沙…?」
「お父さん、今は女の子なのよ? その体を見れば、男物なんて着れないことくらいわかるでしょう?」
秀俊は、美沙の持っているブラジャーと、自分の胸を交互に見つめていた。
確かに美沙の言うとおりだ。 女性になって大きく膨らんだ秀俊の胸…ブラジャーなしで家まで帰れば“男たち”から好奇の目で見られることくらい容易に想像がついた。
「・・・わかったよ・・・」
秀俊は渋々ながら美沙の手から下着を受け取った。
なぜだろう・・・今までこんなものを着たことはないのに、滑らかな肌触りの下着を身につけ、ブラジャーを胸につけると妙な安心感を感じる。
「あ〜〜〜っ? こんなのを用意してくれているわ!」
美沙の声が弾む。 
美沙がロッカーから取り出したのは、綺麗に畳まれた純白の丸襟のブラウスと、赤いリボンタイ。そして紺色のチェックのプリーツスカートと紺色のハイソックス。
それは美沙の通う西北女子学園の制服だ。
ご丁寧に服の上には学生証まで置いてある。
そして、
「なんだ? これは・・・」
学生証の下には、ストラップの付いたカード入れがあった。 手に取ると、それはSONA電子のIDカードだった。
しかし、それは秀俊の見慣れたIDカードではなかった。
何よりも名前が『東 秀美』と書かれ、そこに貼られた写真は、ロッカーの鏡に映っている今の自分の顔・・・つまり、女になった秀俊の身分証明書なのだ。
一緒に置かれたメモには、
『放課後には“女子高生課長”としてお仕事をして下さい。手続きは終了していますのでご安心を・・・』
メモを見て呆然とする秀俊に、
「これで安心ね、お父さん!」
美沙の弾んだ声を聞きながら、これから娘と同じ“女子高校生”としての生活を思うと途方に暮れる秀俊だった。




ある夏の日
(おわり)









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