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198X年 某国 議員会館
仕立ての良い背広を着た小太りの男がソファーに小さくなりながら座っている。
彼の前には国会議員、権俵金三郎(ごんたわら きんざぶろう)が大きな腹を突き出しながら座り、まるで値踏みをするような視線を彼に向けていた。
「それで・・・?」
分厚い唇にタバコを咥え、権俵が言うと、
「私の県にも空港が出来ました。 県庁の方でも航空会社と交渉をしましたが、需要が見込めないとのことでなかなか上手く行きません」
男は背広のポケットからハンカチを取り出すと、顔と掌を忙しく拭いている。テーブルの下に手を入れると、
「ここはひとつ、先生のお力にお縋りしたいと思いまして・・・」
そう言うと紙袋をテーブルにおいて、権俵の前に差し出した。
権俵は右手で紙袋を開くと中を覗き込んだ。「フン」と鼻を鳴らすと、
「わかった。航空会社に話しておこう・・・」
胸をそらしながら言うと、男に向かって『早く返れ』とでも言うように手を振った。
ユメノツバサ
作:逃げ馬
2010年 とある空港
榊原健太は24歳。この国のフラッグキャリアの若き整備員だ。
彼は少年時代から空に憧れていた。
小学生のころは、親にせがんでよく空港の展望デッキから飛び立つ飛行機を見つめていた。
中学・高校生の頃は、いわゆる航空マニアでグッズなどを集めていたが、空への情熱は強くなり、大学生になると航空工学を学んだ・・・そう、憧れの空を飛ぶ・・・・パイロットになるために!
しかし、運は彼に味方をしなかった・・・一流大学に進学し、航空工学を学び首席で卒業をしたものの、厳しい勉強が祟って、パイロットに必要な能力のひとつ・・・視力が落ちてしまったのだ。
いくつかの航空会社を受験したが、どこの航空会社も彼を“パイロット候補”としては採用してくれなかった。
それでも空への憧れは断ちがたく、今は大手航空会社で整備士として働いていた。
空にかかわる仕事をし、それが乗客の安全を支えている・・・彼にとっては満足の出来る職場だった。
「おはようございます!」
今日も健太が元気に出社してきた。
「おはよう・・・」
「・・・よお・・・」
先輩社員たちが返事をするが、その声には元気がない。
それはそうだろう・・・昨年の秋ごろから、この会社が“破綻”をするのではないか?・・・新聞や雑誌・テレビなどのメディアが盛んに騒ぎ立てているのだ。
「さあ、今日もがんばりますよ!」
健太はいつもどおりの元気な声でロッカーにいる先輩たちに声をかけ、つなぎの作業服に袖を通しヘルメットをかぶると、元気に格納庫に向かって歩いていった。
今日も健太はクリップボードにつけられたリストを見ながら、格納庫に入っているB−767の整備作業を進めていた。
彼の行う整備・・・一つ一つが安全を支えている。そう考えると、自然に作業にも力が入る。
その時、
「大変だ?!」
突然大声が聞こえて、工具を片付けていた健太の手が止まった。
ふと見ると、先輩整備員たちが皆、休憩室に向かって走って行く。健太もあわてて後に続いた。
休憩室のテレビではアナウンサーがニュースを伝えていた。
『政府は航空会社に対し、民事再生法を適用することを決定しました・・・・』
画面が切り替わり、脂ぎった顔を照明のライトでてからせながら、記者に囲まれた初老の男をテレビカメラが映し出していた。
『この権俵金三郎。再生委員会の委員長を指名された以上は、政治生命をかけて会社の放漫経営と不当に高い給料を正し、企業の再生に尽力することを・・・』
「一体俺たちはどうなるんだろうな?」
「そりゃあ、首切りがあるだろう?」
「俺、住宅ローンもあるし・・・」
「それは僕だって・・・」
「やってられないよな〜」
先輩たちの不安そうな声を聞きながら、健太はテレビ画面から視線を離せないでいた。
その日の夕方
勤務の終わった健太の脚は、ターミナルビルのロビーに向いていた。
出発ロビーから飛行機に乗り込む乗客は、だれが飛行機を整備しているかなどとは気にもしない。
しかし健太にとっては、“彼の整備した飛行機”に乗り込む乗客たちを出発ロビーで見送ることは、直接“空を飛んで乗客たちと接することはできない′酎セにとってのささやかな楽しみでもあった。
しかし今日の健太の眼に映る風景は、明らかにいつもとは違っていた。
出発ロビーの受け付けカウンターの前には、会社が法的整理を受けることを知らせる掲示が掲げられている。
思いなしか、ロビーを行き交うスタッフやフライトアテンダント達も元気がないようだ。
『駄目だよ・・・』
健太は知らず知らずのうちに拳を握りしめ、歯を食いしばっていた。
『駄目だよ・・・こんな時こそ、みんなで元気を出してお客様に・・・』
そう思った瞬間、健太は俯いてしまった。
そう、そう思っていても、健太は整備士・・・直接お客様には接することはできないのだ。空を飛べない健太にはどうすることもできなかった・・・自分の職場で全力を尽くすしかないのだ・・・。
『悔しい・・・』
健太は思った。
『直接お客様に接して、快適な空の旅をしてもらえれば、またうちの飛行機に乗っていただけるだろうに・・・そうなれば・・・』
溜め息をつきながらベンチを立ちあがり、モノレールの駅に向かう足取りは重かった。
モノレールに乗り都心に向かう。高層ビルの明かりが車窓を流れていく。
終点で降りると、人の流れに乗りながら銀色の車体に水色のストライプの入った電車に乗り換え、自宅の最寄り駅で降りた。
改札口を出ると、自宅のマンションに向かって歩き始めた。途中の弁当屋で夕食用に弁当を買った・・・あのニュースを見た後では、とても自分で作る気分にはなれない。
弁当の入った袋を片手に歩き始めた。夕方の街には家路を急ぐサラリーマンや学生。買い物帰りなのか、自転車の両側のハンドルに大きな袋を吊った主婦・・・いろいろな人たちが行き交っている。
たくさんの人が足早に行き交う歩道の一角に、白い髭を蓄えた老人が墨書きの“易”と書かれた布を被せた机を前にちょこんと座っていた。
その前を通り過ぎようとした時、
「もしもし?」
健太はそれに気がつかずに、通り過ぎようとしていた。
「もしもし・・・そこの若いお方?」
健太が振り返ると、
「そう・・・あんたじゃよ」
老人は優しい微笑みを浮かべながら、机の前に置かれた丸椅子を指差して、
「そこに座りなさい・・・」
そう言う老人をじっと見つめる健太。
やがて健太は、まるで吸い寄せられるように置かれた椅子に腰を下ろした。
「元気が無いなあ・・・」
老人は小さく笑うと、
「どれどれ・・・?」
健太の右の手のひらを虫眼鏡越しに覗き込んだ。
「ホ〜〜〜ッ・・・」
老人の顔に微笑が浮かんだ。
「良い手だ・・・」
健太をの目を見ると、
「あんた・・・誠実に仕事をしているね・・・」
視線をまた虫眼鏡に戻し、指で健太の掌を撫でている。
「手は正直だ・・・あんたの仕事ぶりが滲み出ているよ」
老人は虫眼鏡を覗き込みながら時々、「フム」とか、「なるほど・・・」とか一人で呟いていた。
退屈になってきた健太が、
「あの〜〜・・・?」
と言った瞬間、
「オオッ?!」
と、驚きの声を上げた。
驚いた健太が思わず椅子から飛び上がった。
「な・・・なんですか?」
「あんた、仕事で悩みがあるね・・・・?」
老人が言うと、
「ハイ・・・まあ・・・?」
健太は曖昧に答えた。
『この時間に、あんなみっともない姿を見られたのだから・・・』
さっきまでの、落ち込んでいた自分を思い出し、健太は思わず苦笑をしてしまった。
「それも単なる仕事のトラブルじゃない・・・」
老人は、急に真剣な表情になり、健太をしっかりと正面から見つめている。
「・・・あんたは、どうやっても“理想の仕事”ができない・・・皆に満足をしてもらう仕事ができないからじゃ・・・」
老人が微笑んだ。
「・・・分厚い壁の前でもがいているあんたの姿が、手相に現れているよ・・・・」
「・・・おじいさん・・・」
心境を言い当てられて、目の前に座っている老人を呆然と見つめるだけの健太。
「だがね・・・あんたの理想は、決して失ってはいけない・・・」
「でも・・・でも・・・」
健太が絞り出すような声で呟く。
目頭が熱くなり、いつしか熱い涙が頬を伝っている。
「僕は目が悪くてパイロットになれない・・・お客さんに、気持ちよく空を飛んでほしい・・・でも、僕はそれをすることができない!!」
搾り出すように気持ちを吐き出した健太に、
「そうかな・・・?」
老人は、優しい視線を健太に向けていた。
「・・・気持ちをじっと持ち続けていなさい・・・・そうすれば、願いは叶う・・・」
健太は目の前でやさしく微笑む老人を、じっと見つめ続けていた。
それから数日間、テレビのニュースは健太の航空会社の債権のニュースをトップで扱い続けていた。
『よくもこれだけ・・・』と呆れるほどのネガティブなニュースが連日報道をされる。
そのたびに権俵金三郎は、テレビカメラの前で『”私が”全力で改革をする』と力説をしていた。
まるで社員たちが『仕事をしない悪徳社員』のように報じられると、どんなに強い人間でも気分が萎えてしまうものだ。
職場の雰囲気はどんどん悪くなっていく。
それでも健太は、油のしみこんだスパナを握って懸命に整備を続けていた。
『・・・気持ちをじっと持ち続けていなさい・・・・そうすれば、願いは叶う・・・』
あの老人の言葉を信じたわけではない。
しかし、自分の思いを吐き出したことで、気持ちが楽になったのは事実だ。
その日も一日、機体の整備をし、同僚たちとともに一列に並んで、出発をする飛行機を見送り、また、到着をした機体の整備をする・・・慌しく一日が過ぎてい追った。
疲れた体を引きずりながら家に帰り、『いつものように』ビールを飲むと・・・。
「眠い・・・」
テレビドラマに出ている人間の顔すらぼやけて視線が定まらない。 いつもはこんな酔い方はしないのに・・・?
そう思いながら、立ちあがろうとする健太だったが、体は逆にソファーに倒れこんでしまった。
「・・・?」
誰かが健太の肩を揺すっている?
ハッとして目を覚ました。
大きなガラス窓と、室内の蛍光灯の光の眩しさに、思わず目を細めた。
「だめよ・・・居眠りなんてして」
健太の横から女性が声をかけた・・・『エッ? なぜ僕の部屋に女性が?』
首を回し視線を横に向けた、細く長い黒髪が頬にかかる。『長い髪?』
理解できない状態に戸惑う健太。ふと視線を落とすと、タイトスカートから美しい足が伸びている。
少し視線を上に移すと紺色の制服の胸の部分になだらかな・・・男性にはありえないはずの膨らみが?
慌てて手を胸に当てた。
自分のものとは思えない、細くきれいな指が胸を触ると、柔らかい感触が手と、そして触られている胸から伝わってくる。
『そんな・・・僕は・・・』
呆然としている健太に、テーブルの向かい側に座っていたフライトアテンダントの制服を着た女性が、
「疲れているのはわかるけどね・・・ちょっと外の空気でも吸って来たら?」
やさしく微笑んだ。
健太は一礼をすると部屋を出た。
廊下の窓を見ると、自分の姿が映っている。しかし、そこに映っているのは、見慣れた自分の姿ではない。
さっきの女性と同じ紺色の制服と胸元のスカーフ。長く美しい黒髪、タイトスカートから伸びる美しい足。
そう、健太はなぜか『フライトアテンダントの制服を着た女性』になってしまったのだ。
「どうして・・・」
呟いた声も、澄んだ女性の声だ。 窓に映る女性が、健太を大きな瞳で見つめている。
「榊原さん?」
健太が振り返ると、入り口からさっきの女性がこちらを見つめていた。
「もう大丈夫?」
「はい!」
健太が元気に返事をすると、彼女もうなずいた。
「さあ、フライトの時間よ・・・行きましょう!」
「はい!」
彼女に続いて健太も部屋に戻ると、他のフライトアテンダントたちと一緒にキャスターバッグを引っ張りながら歩き始めた。
だが・・・なぜ『自分のキャスターバッグ』がわかるのだろうか? そもそも、健太は整備員であって、ここにいる人間ではないはずだ。
扉が開き、“先輩たち”とともに空港のロビーを歩いていく。
ロビーの窓の向こうには、夕日に照らされたボーイング747−400が健太たちを待っていた。
飛行機に乗り込むと、パイロットを交えての打ち合わせと、乗客へのサービスの準備・・・初めてのはずなのに、“この体”が覚えているのだろうか? 自然に体が動き先輩たちの足を引っ張ることもなく準備を整えていく。
『搭乗を開始します』
アナウンスが流れると、先輩たちと一緒にドアの横に並んだ。
スーツ姿の男性や、子供を連れた家族連れが乗り込んでくる。
「ご搭乗、ありがとうございます!」
健太は飛び切りの笑顔を浮かべ、深々とお辞儀をした。
『お客様に、快適に旅をしてもらう・・・』
健太の夢が、今、叶いつつあるのだ。
搭乗が終わると、ドアを閉め健太たちはジャンプシートに座り、シートベルトを締めた。
ジェットエンジンの音が少し大きくなり、機体がゆっくりと移動を始めている。
健太は、ちょうど向かい合わせの形で前の席に座っている幼稚園くらいの女の子と視線が合った。
不安気に健太を見つめている。
健太は微笑むと、『大丈夫だよ』という気持ちをこめて頷いてあげた。女の子の顔に笑顔が浮かぶ。
『皆様、当機はまもなく離陸します。 今一度背もたれの位置ととシートベルトの確認を・・・』
アナウンスが流れると同時に、エンジン音の高鳴りは大きくなる。
コクピットでは、二人のパイロットが滑走路を見つめていた。
「よし・・・行くか?」
「はい!」
レバーを手前に引くと同時に、B747−400の巨体が動き出し、どんどん加速をしていく。
窓の外を、ターミナルビルや格納庫の景色が流れていく。
「V1・・・VR・・・」
副操縦士がメーターを見ながら声を上げる。
タイヤが滑走路の継ぎ目を拾う音が消え、機体がふわりと浮き上がった。
「V2!」
「ギア・アップ!」
「ギア・アップ!!」
副操縦士が復唱をすると同時に、レバーを操作した。
夕暮れの街角に、あの白い髭の老人が歩いていた。
老人が空を見上げた。
「・・・願いは・・・叶っただろう・・・?」
老人は小さく笑った。
「・・・後は、君が叶った夢で、どれだけの人を幸せにしてあげることができるか・・・だな・・・」
老人は、小さくなっていくジャンボ機をいつまでも見つめていた。
ベルト着用のサインは、既に消えていた。 あれだけパワフルだったエンジンの音も、今は心地よく聞こえている。
あなたは、座席の背もたれを少し倒して寛いでいる。今夜の空の旅は、まだまだ先は長いのだ。
通路をワゴンを押しながらフライトアテンダントがやってきた。
彼女は、あなたのオーダーしたドリンクを入れたコップを両手であなたに手渡すと、彼女はニッコリ微笑んで会釈をした。
なぜか・・・自然にあなたの顔にも微笑が浮かんだ。
ドリンクを一口飲んだあなたは、窓の外に視線を向けた。
既に日は暮れて、眼下にはまるで宝石をまいたような夜景が広がっていた。
ユメノツバサ(終わり)
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なお、この小説はフィクションであり、登場する団体・個人は実在のものとは一切関係のないことをお断りしておきます。
2010年6月 逃げ馬
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