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思い出の遊園地



作:逃げ馬
















 その日、僕は会社が終わると、なぜか真っ直ぐ家に帰る気がおきなかった。

 地下鉄に乗り、都心のターミナルに向かうと、人の流れに流されながら私鉄の駅に向かう。改札口を通ると、僕は郊外に向かう特急電車に乗っていた。

 電車が発車した。三つの路線の電車が同時にターミナルを出て行くと、しばらくの間並んで走って行く。僕がもたれているドアの窓ガラスの向こうに見える電車の乗客達は、窮屈そうに体を寄せ合っている。乗客達の表情には、一日の疲れが見える。
 電車は、夜の街を走って行く。線路から、リズミカルな音が響く。郊外の駅に電車が停まる度に、スーツ姿のサラリーマンやOL達がプラットホームに下りて、急ぎ足で改札を出ると家路を急ぐ。

 やがて、特急電車が終着駅に近づいた。こげ茶色の電車が、夜の終着駅に入って行く。電車が停まると、ドアが開きプラットホームにたくさんの乗客を吐き出した。僕も電車を下りると、改札口に向かって歩いて行く。乗客達は、足早にバス乗り場や、迎えの車に向かって歩いて行く。僕は、その流れに背を向けて歩いて行った。




 夜の街を歩く僕の視線の先に、色とりどりの光が見えてきた。光に照らされて走るジェットコースター。カラフルな光を放ちながら、ゆっくりと回る花の形をした観覧車・・・僕は、窓口でお金を払うと、ゲートをくぐって夜の遊園地に入っていった。

 遊園地の中に入ると、たくさんのカップルや家族連れが、夜の遊園地で楽しい時間を過ごしていた。それを横目で見ながら、僕は遊園地の中を歩いて行く。遊園地の中にある動物園で、象が長い鼻を大きく持ち上げて客に愛嬌を振りまいている。ホワイトタイガーは、檻の中で寝そべって、自分を見ている客には全く興味を示さない。ふと見ると、この遊園地のマスコットのぬいぐるみが、子供達と一緒に母親の構えるカメラのフレームに収まっている。微笑ましい光景に、僕は思わずニッコリ笑っていた。
 
 遊園地の中を歩く僕の前に、色とりどりの光に照らされたメリーゴーランドが現れた。その光景に僕は思わず足を止めた。夜の闇に浮かび上がる光に照らし出されたメリーゴーランド・・・・それは、幻想的な光景だった。
 「ねえねえ・・・・・これに乗りましょうよ・・・・」
 「そうだな・・・・・」
 カップルの声が、僕の耳に飛び込んできた。女の子が、長身の男にもたれかかりながら歩いて行く。男は、優しい笑みを浮かべながら、女の子の細いウエストに腕を回しながら、体を支えている。その二人を見ているうちに、僕は目頭が熱くなってきた・・・。僕は、二人に背を向けて再び歩き始めた。
 「アッ?!」
 俯いていた僕は、気がつかずに人とぶつかってしまった。
 「ア・・・・大丈夫ですか・・・・?」
 驚いて前を見ると、紺色のスーツを着てステッキを持った、白髪の老紳士が立っていた。
 「アア・・・・大丈夫ですよ・・・・ハハハッ」
 紳士が笑いながら言った。優しい視線を僕に向けると、
 「あなたこそ・・・・大丈夫ですか?」
 「え・・・ハイ・・・・大丈夫です!」
 「いえ・・・・・・あなたの心がですよ・・・・」
 その老紳士の言葉に僕は驚いて、言葉も無く紳士の笑顔を見つめていた・・・。



 「わたしもね・・・・いろいろな事業をやってきたが・・・・・」
 僕と、老紳士は一緒に歩きながら話をしていた。老紳士は、ニコニコ笑いながら、メリーゴーランドや、コーヒーカップ・・・轟音をたてながら走り去るジェットコースターに乗って、悲鳴を上げる客達を、目を細めながら見つめていた。
 「いつも、お客には“夢”を持ってもらいたいと思っていたんだ・・・・この遊園地もそう・・・少女歌劇も・・・・プロ野球球団も・・・・デパートだってそうだった・・・」
 老紳士が、目を細めながらある一角を見つめている。その視線の先には、若い夫婦が、まだ2歳くらいに見える子供と一緒に歩いていた。
 老人が、僕の方に向き直った。ステッキで『トン』と地面を突いた。
 「・・・ところで・・・・あなたは、どうしてこの遊園地に来たのかな・・・・それも一人で・・・・」
 優しい視線で僕を見つめる老紳士。
 「・・・ぼくは・・・・」
 思わず口篭もると、
 「・・・あなたを最初に見たときから・・・・何か事情がおありだと思っていたんだけどね・・・・」
 「僕は・・・・・・・僕は、以前付き合っていた彼女と、この遊園地でよくデートをしていたんです・・・・・」
 またジェットコースターが走ってきた。悲鳴を上げている女の子。そんな女の子を、優しく見守る男・・・・その姿に、以前の僕と彼女の姿がダブって見える。
 「でも・・・・彼女は昨年、交通事故で・・・・・・」
 「そうですか・・・・・」
 老紳士が微笑みながら頷いた。
 「そんな時に、この遊園地が閉園すると聞いたので・・・・・思い出の詰まったところですからね・・・・」
 「ああ・・・・そうだね・・・・・」
 老紳士が周りを見まわした。
 「・・・・この遊園地は、たくさんの人達の思いが詰まったところ・・・・・ここに来た人達に夢を与えて来たところだよ・・・・」
 老紳士が明るく笑った。
 「・・・・どうですかね・・・・・せっかく来たんだ・・・・・あれに乗って見ませんか?」
 老紳士の指差した先には、花の形をした大きな観覧車があった。



 僕は、老紳士に言われるままに、一人で観覧車のゴンドラに乗った。係員がゴンドラの扉を閉めると、ゆっくり上に向かって登っていく。
 「しかし・・・・・男一人で、何でこんなのに乗らなきゃいけないんだ・・・・?」
 思わず呟きながらゴンドラの中から下を見ると、老紳士がニッコリ笑いながらこちらに向かって手を振っていた。思わず苦笑いをしながら、僕もぺこりと頭を下げる。大きくため息をつくと、
 「範子とここに来ていた時には・・・・よく二人で乗っていたなあ・・・・・」
 プラスチック製の座席にもたれて大きなため息をついた瞬間、
 「?!」
 耳鳴りがひどい・・・・いや、視界がドンドン暗くなっていく? 咄嗟に声を上げようとしたが・・・・。
 「・・・・・」
 声が出ない・・・・いや、それどころか体を動かすことも・・・・・。
 『いったい何が・・・?!』
 僕は心の中で叫んだが、当然誰にも聞こえない・・・・そのまま、僕の意識は暗い闇の中へ消えていった・・・・。



 どのくらいの時間が経ったのだろうか・・・・・数時間? 数分? それとも数秒?
 僕は、ゆっくり目を開けた。色とりどりの照明に照らし出された夜の遊園地が眼下に広がっている。
 『まだ・・・・観覧車に乗っているんだ・・・・』
 そう思って体を動かそうとしたが・・・・。
 『?!』
 体はピクリとも動かすことが出来ない。それなのに、視覚や聴覚・・・・それに、手で服を触っている触覚は、はっきりと感じることが出来る・・・・しかし、僕の掌に感じるのは、さっきまでのスーツの感触ではない・・・・この、柔らかい布地は一体・・・・。
 「ひさしぶりね・・・・」
 僕の口が、自分の意思に反してひとりでに動く・・・そして、その口から出た声は、聞きなれた自分の声ではなかった。高く澄んだ可愛らしい声・・・・いや、この声は、何か懐かしい感じが・・・・・。
 僕の意思とは関係なく、僕の顔は左を向いた。窓の外に広がる夜の遊園地の景色。そして、窓に映っているのは・・・?
 「?!!」
 白いワンピースを着た可愛らしい女の子が、こちらを見ている。そして、このゴンドラには、僕しか乗ってはいない。つまり、それは今の僕の姿なのだ。そして、その女の子には見覚えがあった・・・。
 『範子?!』
 窓に映る範子が、ニッコリと微笑んだ。
 「わたしたちの、思い出の詰まった・・・・この遊園地も、今日でなくなってしまうのね・・・・」
 『アア・・・・・』
 声は出せないが、僕は頭の中で答えた。
 「・・・・それで、今日は、この遊園地に来てくれたの?」
 『そうさ・・・・君との思い出がたくさんあるからね・・・・・』
 「そうなんだ・・・・」
 範子が窓から下を覗きこんだ。カップルや家族連れが楽しそうに歩いている。
 「この遊園地の、どの乗り物にも思い出があるわよね・・・・」
 範子が呟く。
 「・・・乗り物だけじゃない・・・・動物園にも、みんなと一緒に写真を撮っているマスコットのぬいぐるみにも・・・・・」
 『そうだな・・・・だから、僕は君と過ごした時間を思い出したくて・・・・』
 範子が窓から顔を離した。窓に映る表情は悲しげだ。小さく首を振ると、
 「お願い・・・・わたしのことは、もう思い出さないで・・・・・あなたはあなたの人生を生きて・・・・」
 『そんな・・・・範子!』
 「わたしも、この思い出の詰まった遊園地も、これから姿を消していくけど、あなたや、ここに来た全ての人たちの心の中で生きていくの・・・・・」
 範子は、無理をして笑顔を作っているようだ・・・声が震えている。
 「わたしは・・・・それで良い・・・・あなたの心にいられるだけで・・・・」
 『範子・・・・・』
 「だからお願い・・・・・あなたはあなたの人生を生きてね・・・・・」
 ゴンドラが下に下りてきた・・・・・それと同時に、再び、僕の視界が暗くなってきた。
 『範子!!』
 頭の中で僕は叫んだ。
 「・・・・さようなら・・・・・」
 意識が消えようとする闇の中で、僕は範子の最後の言葉を聞いていた・・・・。



 『ガチャン!』
 金属的な音が聞こえて、僕は目を覚ました。
 係員が、ゴンドラの扉を開けていた。慌てて、僕はゴンドラを降りた。
 「ありがとうございました」
 係員の声を背中で聞きながら、僕は自分の体を見下ろした。見なれたスーツを着た男の体・・・・。
 「あれは・・・・・いったい・・・・」
 立ち止まった僕に向かって、
 「どうでしたか・・・・・観覧車は・・・・?」
 ステッキを突きながら、老紳士が歩いてきた。
 「え・・・ああ・・・・・まあ・・・・」
 僕は、曖昧に笑っていた。老紳士も微笑みながら頷いた。
 「ここは・・・・みんなの思いの詰まった夢の国です・・・・・それも、今日で終わり・・・・だから、わたしも最後の別れをするために来たのです・・・・」
 老紳士は、目尻の皺をいっそう細くしながら、遊園地を見まわしていた。
 「これで、この遊園地は閉園です・・・・でも、これからは、ここに来た人たちの思い出の中で生きていくことでしょう・・・・」
 老紳士は、僕に向き直ると、
 「あなたの思いも、それは大事に心にしまって、これからは前を見て歩いて行きなさい・・・・・そうしないと・・・・相手が悲しみますよ・・・・」
 老紳士の言葉に、僕は小さく頷いた。老紳士も、満足げに頷くと、
 「それでは・・・」
 一礼すると、ステッキを突きながら歩いて行く。やがて、老紳士の体を淡い光が包んでいくと、紳士の姿は光の中に消えていった。
 どうしてだろう・・・・僕は、不思議なことに驚きは感じなかった。紳士の姿が消えてしまうと、僕は駅に向かって歩き始めた。
 『ここは・・・・みんなの思いの詰まった夢の国です・・・・・それも、今日で終わり・・・・だから、わたしも最後の別れをするために来たのです・・・・』
 老紳士の言葉が、耳に甦る。
 「そう・・・・・でも、僕は生きている・・・・・前を見て歩いていきますよ・・・・見ていてください・・・・範子と一緒に・・・・」
 


 青年が、遊園地のゲートをくぐって歩いて行く。
 その青年の後姿を、スーツを着てステッキを持った老紳士と、白いワンピースを着た女の子が見つめている。
 二人は、お互い見詰め合って満足そうに頷くと、光の中に消えていった・・・・。




 思い出の遊園地 (おわり)




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