はじまりのはじまり




 テレビがCMになった時、松山がぼんやりしているわけでもなく黙りこくっていることにフと気が付いた。少しでも動くと、沈黙に支配された部屋の空気は松山にそのことを伝えてしまう。

 その日は、Aマッチの親善試合を2-0で快勝することができ、久し振りに気分が高揚していた。言葉にはできないけれど、オレは、今夜ならお互い口には出さないことで続けてきた関係を、変えられるような気がした。
「日向んちで飲み? 明日オフだしいいぜ」
 松山とはじつはけっこうちょくちょく飲んでいて、スタジアムから乗り換えのよいオレのアパートでウチ呑みすることが多かった。移動用のウーブンで私鉄に乗り込み囲まれた経験から、雑な神経の松山も最近は着替えをドラムバッグに入れている。ベージュのチノパンに、白でアンブロのロゴが入った緑のTシャツ。できるだけ目立たぬよう奥の連結部前に進むと、帰宅で多少混雑した車内で洗いざらしの松山の髪が目の前にきた。ハッカの匂いがする。アパート近くのコンビニで冷えたビールをお互い半ダース購入すると、擦れ違う人もほとんどいないまま国道沿いを歩いた。駅から溢れた人々はみなオレ達と同じ方向に国道を辿り、それぞれの帰途へ道を折れて行く。街灯が落とす街路樹の影に、オレ達の影が重なったりまた伸びたりするのを目で追いながら、久し振りに涼しい夜風に気持ちがほぐれていくのを感じた。松山の髪は、いまはすっかり乾いている。4階なのであまり気にせず窓を開けておいたアパートは、夜風が通り外よりも気持ちよいくらいだった。
 ビールと一緒に買ってきた弁当を食べ、一人でいる時にはあまり見ないお笑い番組を見たり、スポーツニュースを見ながら今夜の試合を振り返ったり。深夜によくある、山場があるのかないのかよくわからない映画が始まった頃、オレはいつものように部屋の明りを消した。それは、いつもなら深い意味は無く、なんとなく涼しく感じるからとか、そのほうが眠りに落ちる時スムーズだからといった、一人でいる時のただの習慣に過ぎなかった。
「もう一本飲むか?」
 そう言って松山が手渡してきたビールのプルタブをおこし、冷えたビールを流し込む。松山は、落ち着くのかいつもベッドを背に床に座り込んでいて、ベッドに腰掛けるオレからはいつもそのつむじが見えた。座卓に並んだ空缶の影が、テレビからの明りで意外と濃く落ちている。松山の横顔が、その明りで輪郭を白く縁取られていた。鎖骨の窪みが、昼間よりも深く見える。こうしてアパートで飲む時は、試合後が多いこともあって、松山は深夜映画が始まる頃にはいつもうとうとし始めていた。
 でも今夜は、黙ってビールをもう一本開けた。炭酸の抜ける音が、吹き替えの音声だけが聞こえる部屋に響く。いつの間にか、窓の外の通りは静まり返っていた。
 松山と一緒にいると、松山が喋ることのほうが圧倒的に多かったので、こんな沈黙を気に留めたことはなかった。だけど、オレは。こうなることを期待して今夜松山を呼んだのではないか。だけど、松山の沈黙に意味があると思うのは、それもオレの勝手な思い込みじゃないのか?
 オレは、自分がどうしてこんなことを考えているのかを思い出していた。この前の壮行試合の後。なんとかく、めずらしくオレも松山の隣で床に座り今夜のように深夜番組を見ていた時。ほんの少し、指先が重なった。いつもなら無意識にただ指をどけるだけなのに、その時は指先が重なった、と考えている間に、いまさらどけるにも不自然なくらい時間が流れてしまった。ような気がした。結局、オレは、松山がチャンネルを変えるまでそのまま動けなかったのだ。
 もう一度。指先を重ねたらそれがなぜなのかわかるだろうか。だけどいまここで、松山の隣に座り直すのもそれはそれで不自然じゃないだろうか。そんなことを考えていると、松山がベッドの縁に頭を落とし、こちらを見上げた。パサリと、そのクセのない髪がシーツに落ちる。オレは、松山の黒々とした目から、今夜はなぜか沈黙している唇に視線を移し、そして、キスした。
 重ねるだけの、乾いたキス。だけど、松山の体温が触れていなくても近付く顔から伝わってくる。松山がふせていた瞼を上げた時、オレは、不覚にも驚いて体を起してしまった。その襟元を、松山が掴んで引き寄せる。もう一度、触れるだけのキス。
「するんだろ?」
 オレが、なんのことかわからず答えられずにいると、松山はオレのシャツを手離しながら言った。
「オレ達、今日はするんじゃないの?」
 それは、誘いの言葉などではなく。
 告白の言葉がなくても、始まっていることがあると告げていた。
「する」
 そう言って、オレは松山の腕を掴みベッドに引き上げた。

 もう一度、今度は舌が触れるキス。顎から、喉のラインを唇で辿り、戻ってまた口付けた。Tシャツをたくしあげ、脇腹に触れると松山がビクリと背を浮かしたので、そのまま手のひらを差し入れ背骨から肩甲骨を辿る。重ねた体がシャツの上からでも体温を感じるくらい熱い。何度も何度も、ただキスを繰り返した。
 オレのうなじを掴んでいた松山の右手が、襟首を掴み半袖のシャツを引き下ろす。肘を引っ掛けながら、脱いでいる間中それでもキスしていた。Tシャツを脱がなくてはならなくなって、ようやくしかたなく体を起こした。が、汗ばんだTシャツは思うように脱げなかった。跨るオレと向かい合うように松山も起き上がると、中途半端に脱ぎ掛けだったTシャツを床に落とす。
 松山の硬い腕が、力強くオレのうなじを抱き寄せる。汗ばんだ肌は、シャツの上からでもやっぱり熱くて、頭がどうにかなりそうだった。
「オマエがしたそうだと思ってたけど、オレがしたかったのかも」
 そう言って、松山はうなじを掴んでいた右手を髪に差し入れ、引き寄せるとオレにキスした。舌先で触れる唇の裏が気持ち良くて、互いの舌を擦り合わせながら口の中がこんなにも感じることをはじめて知った。
 いつの間にかオレのベルトを外し始めた松山が、トランクスの上から中心に触れてくる。すっかり勃ち上がっているソレを、中指で裏筋を辿るように包み込み、軽く握る。
「オレとオマエなのに、お互いよく勃ってんな」
 鼻先が触れるほどすぐそこで、松山がくすっと笑った。
 そんな松山のベルトも外し、トランクスの中に手を入れると息を詰め肩に顔をうずめてくる。
「…ッ、」
 ァッと、小さく感じ入った声がこぼれる。自分の中心に、グッと熱がこもるのを感じる。
 自分でするのと、ぜんぜん違うと言って松山はオレの背中にまわした両手でTシャツを握り締めていた。松山の、形のよいソレを上下に扱き、溢れてきた蜜を親指で塗り込めるとしがみつくようにオレを抱き締める。オレの手の動きにあわせて、息を詰める松山の呼吸が扇情的で、オレは空いているほうの手で松山の顔を上げさせ今日一生分くらいしたキスをもう一度した。松山の眉は、感じているのか苦しいのかわからないくらい寄せられていて、イク時にちょっと泣きそうになったその表情でトランクスの下のオレもイッてしまった。

「テレビ、終わってる」
 松山の言葉にリモコンを拾いいつの間にか終わっていたテレビを消すと、部屋の中を急に夜と朝の間の静けさが満たした。
「オマエと真面目にセックスしたら、サッカーより体力使いそうだ」
 そう言いながら松山は、オレの横でタオルケットにくるまりなおす。オレは、その松山のうなじの、ユニフォームのかたちに日焼けしたラインをフロアライトの明りだけで辿り、今日のキスは本当はどこから始まっていたのかをうとうとしながら考えていた。






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