Jewelry shop 4968 2th
誓い
「オレの仕事に付き合って」
そう言って快斗が新一を半ば強引に連れて来た場所は、小さな教会だった。
白亜の壁が朝日の光を受けて輝いているその教会の脇をすり抜けて、快斗は奥へと歩いていく。
「本日はご結婚、誠におめでとうございます」
落ち着いた物腰に上品な微笑みを浮かべ、快斗は花嫁の前で軽く腰を折った。
「本日、身につけていただきます宝石をお持ち致しました。突然の事でしたので、最高のものとは言いかねますが、それでも当店が自信を持ってお貸しできる代物でございます」
そう言って天鵞絨貼りの宝石ケースから眩い輝きを放ったアクセサリーを取り出した。
白金と見まごう程の輝きを土台として、ブリリアントカットされた宝石がいくつも並ぶ。
イヤリングは小粒の石が流れるように配置され、しかも自在に揺れるよう編み込まれている。
ネックレスとティアラは、繊細な細工を施した揃いのガーランド・スタイル。流れるようなラインを描いた正統派とも呼べるそのデザインは、豪華絢爛でありながら、清楚で愛らしい雰囲気を持ちあわせていた。
まさに花嫁を飾るに相応しい逸品だった。
「こちらは全て18金にパラジウムを入れた合金となります。石もジルコンですが、その分ふんだんに使用させていただいておりますのでとても華やかな作りとなっております。……お気に召すとよろしいのですが」
ほんの伏し目がちに窺うように尋ねる。既に純白のドレスを身に纏った花嫁は、にっこり微笑って頷いた。
快斗の手を離れたティアラとその他のアクセサリー達は、花嫁の身を華やかに彩り、共に教会へと向かっていった。
式の後、披露宴を兼ねたガーデンパーティが催されるらしい。ティアラ達は、そのパーティが済むまで彼女の身を飾り続ける。
彼女達が快斗の手に帰ってくるまでの間、店に戻っているのも交通時間の無駄にしかならない。快斗が新一を誘ったのはその為でもあった。
「何?暇つぶしの相手になれとでも?」と、新一は言ったが、その口調は楽しそうだった。
例えそれが知らない人のものでも、結婚式は人を幸せな気持ちにしてくれる。無条件で祝福を贈りたい気にさせてくれる。新一の心は、ふんわりと幸せだった。
「にしても……まさか、ティアラの貸出までやっているとは知らなかったな……」
二人が教会で式を挙げている間、居場所のない二人は澄んだ青空の広がる下を気ままに散策していた。
少し離れた教会からは、小さく賛美歌が聞こえる。
「お前の店でそんなサービスがあるのは知らなかったぜ」
大手宝石店などなら、良くエンゲージリング購入した時など無料貸出をやっているのを聞いた事があるが、開店当初からこの店を知る新一も、ここまでは知らなかった。
「今日は特別。普段はしません。……そもそも、うちの店にティアラはないから」
アンティークレンガが積み上げられた塀をなぞりながら、快斗は首を竦めた。
「え?」
「アレは借り物。今回は非常時だったから、骨を折っただけ」
そもそもの発端は、昨日掛かってきた一本の電話だった。
以前、店で婚約指輪を買い求めてくれた男性客からの切羽詰まった問い合わせ。
曰く、兼ねてから予約していた新婦のティアラを初めとしたアクセサリーが業者の手違いで使えなくなったと。
ウェディングドレスをレンタルした際に身につけるアクセサリーも借りた筈なのに、届けられた衣装にそれが入っていなかった。問い合わせするにも謝るばかりで代わりは届けてくれない。
折しも今は秋の結婚シーズン。休日ともなれば、何件もの式が重なる。この時期、レンタルショップにドレスは残っていても、付属品以外のアクセサリーは軒並み貸出中な場合が多い。
しかも、粗略に扱わなくても脆いのがアクセサリーだ。特に華やかな装飾を施したそれは、石の一つや二つなくなる事も多く、あっても使えない場合も多い。そして、その事も含めて常に充分な在庫を持ってレンタルしている店は、決して多くないのだ。
……何より、アクセサリー等は店のサービスである場合がほとんどで、だからと言う訳ではないが、ドレス以外での不手際に関しては、サービスを言い訳にして逃げる事がないこともない。
ウェディングシーズンでなければ、こんな事にはならなかっただろうが。
「一生に一度の花嫁の一大事だからね。オレ、知りうる限りのツテに電話かけまくったよ」
快斗はそう言って笑った。都合がついたからそう言って笑っていられるのだが、快斗は本当に嬉しそうだった。
「でも、良くあんな豪華なのが見つかったよな」
新一は一目見ただけだが、なかなかの逸品に思われた。ティアラもネックレスもイヤリングもふんだんに石が散りばめられていた。この時期、あれほどの物が何処にも行かずに仕舞われていたなんて、幸運といか言いようがない。
そんな新一の言葉に、しかし快斗は苦笑する。
「ああ、あれね。まぁ、ネックレスもイヤリングも申し分ない物なんだけど。……ティアラがね」
「……?」
「実はあのティアラ、石がいくつか外れてたんだよ。しかもかなりの目立つ場所がね」
気まずそうにそう言う快斗だったが、新一は軽く首を傾げた。
先程新一もその品を垣間見たが……石の付いていない部分など見当たらなかったからだ。
「……オレの目には、全部付いている様に見えた……けど」
「そりゃそうだ。慌てて代用品取り付けたから。1カラットダイヤ3個」
「なら良かったじゃねーか……って、あれ?」
確か、あのティアラに取り付けられていた宝石はジルコンだといってなかっただろうか。そもそも、数え切れないほどふんだんに施されていた石が全てダイヤだとしたら、天文学的な価格になって、レンタルとはいえとても庶民の手には渡らない。
「だって、丁度良い大きさの石が無かったんだよ。うちの店、元々ジルコンなんて扱ってないし」
しかもDカラー、FLの最高級品。
「で。……もし、何かの弾みで外れたりして、それでもって無くなったりしたらと思うと、……この辺がね」
そう言って快斗は自分の胸を軽く叩く。
「もうドキドキ。急かすつもりはないけど、パーティが終わったらすぐに返して貰わないと、気分が落ち着かない」
実の所、この場が離れ難いのはこういう事だった。快斗は、情けない声で肩を落とす。
快斗の話を聞いた新一は、暫くぽかんと口を開けて彼を見つめていた。それから次第に彼の言葉の意味を理解し始め、……最終的には、頬を紅潮させて声を上げた。
「バッ……!お前、いくら何でもそれはやりすぎだろ!?ニセモノの冠に本物のダイヤ取り付けて、どうするんだよ」
ダイヤは、高い。地球上で最も美しく価値の高い宝石だ。……それをしかも、3個。
普通なら、きっと絶対、そんな事しない。
思わず唸る新一だが、快斗は反射的にムッとした顔になった。
「ニセモノニセモノって……ジルコンの何処がニセモノなんだよ。アレだって立派な天然石だよ」
キュービック・ジルコニアなんかと間違えないで欲しいね。と快斗は憮然と言う。
それから、少し諦めたように首を竦め溜息をついて、新一を見る。
「……ま、確かにジルコンと言えば、ダイヤのニセモノ扱いされるのが常。混同されるような扱いではあるけど」
ジルコンは天然石だが、ジルコニアは人造石である。昨今はダイヤの模造品としてジルコニアが広く使われている。それは安価であるだけではない。ジルコンは複屈折性の所為で容易にダイヤのイミテーションだと判別されてしまうが、キュービック・ジルコニアはダイヤと同じく単屈折、等軸晶系。出回り始めた頃は、鑑定士ですら見抜けなかった程酷似しているのだ。
それでも、所詮は紛い物。
ダイヤと寸分違わぬ輝きを放つ人造石よりも、本物の天然石の方がティアラとして遙かに素晴らしいと快斗は思っている。
だからこその拘りでもある。
「折角の門出だろ?少しでも本物を身につけて貰おうと思って」
本当は、プラチナ台にダイヤのティアラを探したんだけど。と、快斗はそう言って苦笑したが、その顔はまんざらでもなかった。
ふいに、二人の耳に、華やかな音楽が聞こえ、滞り無く式が終了した事に気付いた。賑やかな参列者の声。二人はそれらに吸い寄せられるように振り向いた。
鐘の音が鳴り響き、扉が開かれる。
「終わったみたいだな」
「新一。あのティアラ、どれが本物のダイヤか判る?」
教会から姿を現した新郎新婦。遠くに見える二人の、花嫁のティアラを指さして、快斗が何処か楽しげに訊いてきた。
「……判る訳ねーだろ、こんな場所から」
恐らく近付いたって判る筈がない。手に取ってしげしげと眺めてみても、あの膨大な石の中からダイヤ以外を見付け出すには、きっとそれなりの時間がかかるだろう。
少し離れた場所に佇んで眺めていた二人だったが、参列者の一人がわざわざ二人にもライスシャワーを配りに来たのを見て、二人はそれらを幾つか受け取った。祝福は、多いほど喜ばれる物だ。二人は急いで参列者の列に並び、挙式を終えたばかりの新郎新婦に祝福を贈った。
「……教会での式も、悪くないよな」
小さなバラの飾りのついたライスシャワーを、二人にぶつけないように高く放り上げながら、新一は呟いた。
快斗もそれに倣いながら、手の中のものを空に放つ。
「そうだな。やっぱり、教会の挙式は親族以外でも参列出来る、っていうのが良いよな」
「神前とかだと、友達は出席出来ないもんな」
快斗と新一の前をゆっくりと通り過ぎる二人。新婦のティアラが秋の穏やかな日差しを受けてキラリと瞬いた。
それを眩しそうに目を細め見つめる。
口々に祝福の言葉を掛けられ、新郎は嬉しそうに、新婦は頬をほんのり染めて微笑んで応えていた。
二人の手によって、鐘の音が厳かに鳴らされる。誓いの鐘だ。新しい門出を迎えた二人に向かって、参列者は祝福を贈る。雲一つない快晴の空に2人が鳴らす鐘の音が吸い込まれるように消えていった。
セレモニーは、滞り無く進む。
他より少し下がった所で、祝福の列に加わっていた2人だったが、やはり部外者であるのは否めない。
そろそろ列を抜けようかと二人が踵を返し掛けた時、ふと視界に何かの塊が掠めて、新一は思わず後ずさった。
「……わっ」
反応が遅れた割には上手く回避した新一だったが、しかし「それ」が地面に落下する前に、隣に居た快斗がすかさず手を伸ばしキャッチする。
「信じられない。……何で避けるのかなぁ」
少し呆れた声で頭を上げ、快斗は「それ」を新一に手渡した。
差し出されて思わず受け取ったもの。それは、先程まで新婦が持っていたはずの、ラウンドスタイルの小さなブーケ。
「折角のブーケトスなのに、受け取らなくてどうするの」
怒ったような、困ったような顔をして新一を責めてくる。
「──どうするの、って。何でオレが」
それと判っていて避けた訳ではない。ただ、障害物を回避しただけのつもりだったのに、どうしてそんな事言われなければならないのか。新一は腑に落ちない。
「だけど、花嫁の投げたブーケを地面に落とす方が失礼だろ?」
ムキになって反論しようとした新一に、声を落として囁く様に快斗が言う。
新一が思わず周りを見ると、参列者達の注目を集めている事に気付いた、皆一様に笑ってる。投げた本人も微苦笑を浮かべてこちらを見ていた。
「貰っておけよ。……それとも何?やっぱりガーターの方が良かったとか?」
意味深な笑みを浮かべ訊いてくる快斗に、新一は思わず赤くなる。
女性が受け取るのが「ブーケトス」ならば、男性が受け取るのが「ガータートス」。
花婿が自ら、花嫁の足から外したガーターを男性に向かって投げるという少し色気のある習わしは、ブーケトスほどではないにしろ、海外などでは行われている。
「……ガーターを欲しがってるのは快斗の方だろっ」
声を抑えつつも反論するが、快斗は不毛極まりない新一の言葉などまるで意に介さず、秋晴れの爽やかな空気の中、悠然と笑って見せた。
ささやかなアクシデントの後、参列者が教会から披露宴会場へと場所か移った頃には、散らばったライスシャワーも綺麗に片付けられた。
新一は成り行きで受け取ったままのブーケを居心地悪そうに見つめている。
「参列者の誰かに譲れば良かったかも」
今更ながら気付いてがっくり肩を落とす。
まだ若い新婦の友人には独身者も多そうだった。譲ればきっと喜んで貰ってくれただろうに、気の利かない自分が情けない。
「別にブーケが貰えたから結婚出来るなんて、今時の女はそんな夢見てないと思うけどなぁ」
快斗はそう言うが、信じる信じないを別にしても、花嫁が持って式に臨んだブーケだ。貰って不快になる訳がない。それに、そうでなくても綺麗な作りのブーケだ。
「ピンク色の花のブーケなんて、可愛らし過ぎる……」
愛らしいピンクのバラを戸惑いがちに見つめる新一に、快斗も覗き込む。
「『ブライダルピンク』だよ。花嫁が持つに相応しいバラだな」
花嫁をイメージした甘いピンク。まさにその名の通りだ。
そっと顔に近づけると、仄かに甘い香りが鼻孔をくすぐる。
快斗の方はというと、無人となったにも関わらず、扉は開け放たれたままの教会を興味深げに眺めている。
「なぁ、この中をちょっと覗いてみない?」
そう言うと、新一の腕を取り、引っ張る。
新郎新婦が歩いた道を二人も歩いてそっと中を覗き込む。足元から祭壇に向かって真っ白なバージンロードが続き、その両サイドには愛らしいブーケが飾られていた。快斗はその小さな花束を指でつついて「結婚式の名残だね」と言って微笑んだ。
こぢんまりとした内部は落ち着いた雰囲気であり、両サイドにはめ込まれたステンドグラスが格式を醸し出す。
窓から穏やかな日差しが差し込んで、この場を厳粛な空間に変えていた。
「誰も居ない教会って言うのも悪くないね。……新一、来てみろよ。ここに立って、宣誓するんだよ」
そう言って祭壇の前に佇む快斗の立ち位置に、新一は怒って良いのか呆れて良いのか判断に苦しんだ。
しっかり「新郎側」に立って、手招きしている……きっと本人は無意識なのだろう。仕方なく新一は微苦笑を浮かべた。
「何だ、お前も結婚したくなった。……なんて言うんじゃねーだろうな」
そう言いながら近付いてくる新一を見て、快斗はさも心外そうに「まさか」と首を竦めた。
「結婚なんてどうでも良い。オレは、新一が居てくれるだけで満足なの」
『いつまでも一緒に居る事』が結婚だというのなら、しても良いかと思う。けど、もしそれだけで結婚出来るものならば、別にしなくたって支障はない。
誰かに認められなければ貫けない愛ならば、快斗には必要ない。
「オレさ……結婚って、都合が良いからするものだと思ってるんだよ。結婚すると、社会に認められるだろう?真実はどうであれ『この二人は愛し合ってます』って皆に認められる。それに、現代社会のシステムじゃ、婚姻結んだ方が色々スムーズに過ごせるしね。……でも、例え好き合っている者同士が結婚しないからと言って、二人の愛は認められないという訳でもない」
ある二人は夫婦で、もう一方は恋人同志な二組が居て、それではどちらがより愛し合っているかなどと訊かれたって、そんな事判る訳がない。
結婚している方が愛情深くて、そうでない方はその場限りの恋愛でしかないと誰が言い切れるだろう。
快斗も新一も人として生きている限り、社会の一員として生きていく。しかし、だからといって己の感情までも管理されやしない。
「別に誰にも認められなくても、オレは一向に構わない。……新一の事を想っている気持ちはオレだけのものだから」
でも。と快斗は言葉を続ける。
「もし……我が侭を言っても構わないのならば、新一さえこの気持ちを信じて貰えれば、それでオレは満足」
それこそが、最も大切な事で、それ以外はさしたる問題ではないのだ。
茶化す訳ではなく、かといって真摯な顔で言うわけでもなく、ただありのままにさらりと告げられただけなのに、何だか盛大に告白されたような気がして、新一は赤面した。
「好きだ」とか「愛してる」などと言われるよりも……ずっとずっと胸の奥にくる。
新一は否応もない恥ずかしさに堪らなくなって、ずかずかと歩みを進めると快斗の傍まで来て、ブーケを持ったその手で彼の胸を叩いた。
ブライダルピンクが可憐に花弁を揺らす。
「そんな事言うなら──オレの気持ちも信じろよ」
こんな事、今更だ。馬鹿馬鹿しい。……でも。
紅潮している顔を見られたくないと言うように頭を垂れて、新一は快斗の胸を何度も叩く。
「快斗さえ、オレの気持ちを信じてくれれば……オレもそれだけで満足だ」
快斗の胸で、些か乱暴に揺れるブライダルピンク。決して強く叩かれているわけではないのに……それは新一の想いの表れのようで、快斗の胸の奥まで強く響いた。
「信じるよ……信じる、うん。……オレは神に誓いたいなんて思わないけど、新一になら誓える」
想う気持ちに嘘偽りなどないと。
「なら、オレもお前に誓ってやる。もらえるものなら、……神の加護よりお前がいい」
新一の指が快斗の頬に触れ、引き寄せるように滑らせた。指はそのままそっと口唇に触れ、なぞる。
それから、一瞬だけ躊躇う素振りを見せて指を離すと、今度は彼の口元を自分の口唇で触れた。
快斗の口唇と触れ合うだけの誓いのキス。新一の手の中で微かな香りを放つそれも、彼が身に纏うと濃密に漂った。
結婚式の全てが滞り無く終わり、快斗の手元には多大な感謝と共にティアラ達が無事に戻った。
いくつも散りばめられた中から3石だけ取り外し、裸石となったそれを丁寧に元の場所に仕舞った。
カウンターには少々不格好に活けられたブライダルピンクのブーケ。
「……悪くないな」
開きかけた花弁を指でそっと触れて、快斗は嬉しそうに呟く。
それから扉の向こうで自分を待っている恋人に視線を移し、そしてまた微笑んだ。
何時までも出てこない事に、彼はきっと今、ほんの少し苛立っている。磨りガラスに映る影から、それは見て取れた。
可憐で華やかな薔薇が、まるで快斗の視線を独占出来ない事が悔しいと言わんばかりに、かさりと葉を揺らす。
「お前じゃ役不足」と、快斗もまたその花にちらりと視線を戻し、そして店の明かりを消した。
それに気付いたのか。恋人の身体が僅かに揺れたのを見て、快斗は急いで出口へと向かった。
静まり返った空間に残るのは、仄かに香るブライダルピンク。幸せの欠片。