大通りを一歩入った薄暗い路地。
その細い通りを暫く進むとその先に小さな看板がひっそりと掲げられていた。
『Jewelry shop 4968』
そう掘られた店名の右上に小さな四つ葉のクローバーが浮き彫りされている。
工藤新一は、その看板を確認すると、目の前の扉に手をかけた。
『Jewelry shop 4968』
Open
立て付けの悪そうな扉は、予想外にも静かに開かれた。
「いらっしゃいませ」
少し照明を抑えた店内に店主が自慢の営業スマイルで応対する。
「快斗…?」
新一はカウンターの向こうで笑っている快斗にびっくり眼で暫し見つめてしまった。
そんな新一とは対照に営業スマイルから満面の微笑みに変えてカウンターから飛び出してくる快斗。
「新一、来てくれたんだ」
嬉しそうにに言う快斗の声にようやく我に返った新一はその手に抱えていた花束をぎこちなく差し出した。
「これ……開店祝い」
両手いっぱいとまではいかないが、それでも十分ボリュームのある白薔薇の花束。
「ホワイトサクセスだ……」
「良く知ってるな」
「そりゃ……ね」
快斗は意味ありげに笑うと素直に礼を言った。
にしても…と新一は思う。
薔薇の花束抱えて喜んでいる快斗も変だが、そのいで立ちも呆気にとられる。
真っ白なスーツにブルーのシャツ、緋色のネクタイ。
これでマントにモノクル、シルクハットがあれば正しく……。
「お前……何で、そんな格好してんだよ」
「ああ、これ…?────だって、これはオレにとって、戦闘服だからさ」
この商売も客相手にするんだ。
客に接する時、そこは決闘の場。
決して奢らず侮らず、相手の心を見透かし、その肢体の先に全神経を手中して。
なおかつ、笑顔と気品を損なわず……。
いつ何時たりと、
「ポーカーフェイスを忘れるな……ってね」
ウインクを投げかけてくる快斗にうんざりしたような表情を見せる新一。
そんな新一を置いて、快斗は薔薇の水揚げを行うべく、店の奥へと姿を消した。
店の主人が席を外した所で、新一はようやく店内をじっくり見渡すコトが出来た。
……にしても、かなり不便な場所に店を構えたものだ。
新一も地図はもらっていたが、この店にたどり着くまでに道を二本も間違えた。
客に来てもらうには、かなり分かりにくい。
ジュエリーショップと言うくらいだから、もっと華やかな店内を想像していたのに、これにも裏切られる。
極限まで明かりを落としたライティング。
これでは店内は暗すぎる。
それに、肝心の宝石を見せる為のショーケースがここには一つもないのだ。
バーのような小さなカウンターがあるだけで、後はかなりの年代物っぽいソファセットが一つ。
細々とした小さな家具は置いてあるが、家具らしい家具はこれだけだ。
これで、商売なんて出来るのだろうか……?
宝石店らしからぬ内装に首をひねっていると、奥から快斗がコーヒーカップを二つ持って戻ってきた。
「まぁ、座れよ」
立ち尽くしたままの新一に一声かけて、快斗はソファテーブルにカップを置いた。
新一は促されるままに歩み寄りソファに腰掛けた。
思った以上に座り心地が良い。
「結構いいだろ?このソファ」
新一の表情を読んだのか、快斗は満足そうに微笑むとコーヒーを啜る。
シェリーの純白のコーヒーカップから立ち上る香り。
新一は「まあな」と小さく受け答えると、出されたコーヒーに口をつけた。
壁に掛けられた古い柱時計の時を刻む音が店内に響く。
本当に…ここが宝石店とは思えない。
「なぁ……ここは、まだ開店準備中か?」
「いや。今日がオープン初日だけど」
新一の疑問にさらりと答えて、身体をソファの背に預ける。
「…の割には、閑散としているな」
嫌味でもなくそういう新一に快斗は笑って答えた。
「この店はな、客を選ぶんだよ」
だから、大した宣伝もしていない。
「今日の朝刊の広告欄見たか?」
「広告欄……?いや」
「うちの店名と住所だけ載せてもらったんだけど……宣伝と言えるのはそれくらいだな」
新聞の広告欄の片隅にたった2行で事済む宣伝。
本当は、それすら不必要だったのかも知れないが…。
「そんな胡散臭い店に客は来るか?」
「それでもやって来た客には、誠心誠意を尽くす。これがオレの経営方針」
それに忙しく働き回るのは性に合わないし、と付け加えて。
「だけど……どうもここは、店らしくない店内だよな」
先程から思っていた疑問を口にする新一に快斗は笑う。
ショーケースのない店内。
宝石の一つも置かれてはいない宝石店。
小さな看板に刻まれている通りの店とは、とても思えない。
「ここは、普通の……ただ売りまくるだけの店じゃないからさ」
既製のものは一切置かない。
宝石(いし)も選りすぐりのものだけ集めて、全て裸石(ルース)。
故に枠のデザインもオーダー可能。
「『貴女だけの逸品』をモットーに営業していくつもり」
「貴女だけの……ね」
相変わらずの気障な台詞は、どうしても月下の奇術師を彷彿させる。
きっと、わざとそうやっているに違いない。
うんざりしたようにため息をつく新一を置いて、快斗は席を外した。
胡散臭さは払拭出来ない店内だが、居心地だけは良かった。
もう少し照明が明るければ、ゆっくりくつろぎながら本を読むのも悪くないくらいに落ち着きはある。
それは店というより、サロンと呼んだ方が雰囲気は近いと新一は思った。
「ま、この店は『パンドラ』を捜す為の情報収集が目的だからな……それとあと一つ」
茎の処理された白い薔薇が生けられている、クリスタルの大きな花瓶をカウンターの脇に慎重に置く姿が視界に入った。
しっかり間接照明まであててライトアップする快斗に、新一は苦笑を漏らす。
「そんな態度じゃ、何時まで経っても客は来ないぜ?」
「別に構わないさ」
端から商売するつもりはないと言うかのように飄々としている店主に、新一は軽い気まぐれを起こした。
「仕方ねぇから、開店祝いも兼ねてオレがお前の第一号の客になってやるよ」
別に宝石を贈りたいような人物は新一にはいなかったが。
(まぁ……たまには母さんに何か贈ってやっても良いかな)
きっと新一が贈れるもの以上の宝石を所有しているだろ事は明らかだが、息子の贈り物に喜ばぬ母ではない。
多少は快斗への気遣いを見せた故の言動であったが、当の快斗はあっさり首を横に振った。
「ダメ」
「……何でだよ」
好意を拒絶されて、少しふくれっ面になる新一の頬に快斗の手が添えられる。
「ここでは、新一には何も売らないから」
「だから、何で」
頬に触れた手がそろりと撫でられる。
「だって、オレが新一に贈りたいからさ」
新一によく似合うとびっきり上質なスターサファイア。
針状の結晶が生み出すアステリズムの美しく、深い青の逸品をシンプルなプラチナの枠にはめて、新一の指に飾りたい。
『パンドラ』の行方を捜す手かがりになればと始めたJewelry shopとは別の……もう一つの目的。
何時か、最上級のコーンフラワーブルーを見付け出したい。
「はめて欲しい指は、新一に選ばせてやるよ」
素早くその手をとって、厳かに口づける。
その瞬間、新一の頬がさっと朱に染まったのを快斗は見逃さなかった。
何はともあれ、『Jewelry shop 4968』
本日開店です。