久しぶりに幼なじみに引っぱり出され、女の子のお買い物に付き合わされた土曜日の午後。
親友と出かける予定だったのにも関わらず、当の相手が急な用事でキャンセルした為のピンチヒッター。
最近ちっとも構っていなかったから、たまのわがままくらい聞いてあげようと、鷹揚に構えていたのが間違いだった。
若い女の子のパワーは止まる所を知らず。
あっちの店に入ったかと思えばこっちの店に居たり。さっき覗いたお店を何度も何度行ったり来たりした挙げ句、結局何も買わずに満足している。
……常々、不思議だと思う現象だ。
「わぁ、これ可愛い!」
付き合いで入ったファンシーショップで声を上げる幼なじみの手の中にある小さなアクセサリーを新一は何気なく覗き込んだ。
「何だこれ。ペンダント?」
「可愛いよね。このペンダントトップはムーンストーンね」
シルバーチェーンに通されたペンダントトップには、乳白色の丸い石が艶やかな光を放っている。
しかし、そのチェーンに付けられた値札のタグを見た、新一の一言。
「安い……」
『Jewelry shop 4968』
月の宿る石
「わぁ、可愛い!」
工藤新一がその扉を押し開けた時、真っ先に耳に飛び込んできた可愛い声。
頭を巡らすと、いつもの場所で快斗が女性客に商品を勧めているのが目に入った。
あの声は、その女性客のもの。
ここは、『Jewelry shop 4968』
綺麗なもの、可愛いもの、美しいものを売る宝石店。
「こちらのボールチェーンはもちろんプラチナです。ペンダントトップの台も全てそうです。後は、この石を引き立てるようにメレダイヤを散りばめれば、さぞかし豪華な仕上がりになるかと思いますよ……」
巧みに客を引きつける彼の言葉は、新一には到底真似出来ない事。
いつもながら鮮やかな話術で、女性客を虜にする。
小さい宝石店ながら、客の入りは上々。
扱う宝石も、快斗の眼鏡にかなった逸品ばかりだから、そこそこ良い値段がしている。
ここは、ウインドーショッピングをする為の店ではなく、店主と客がじっくり話し合って、そのお客に一番相応しい逸品を見つける───そんなお店。
「何だ、今日は来ないのかと思ったぜ?」
ようやく客が帰り、一人で勝手にコーヒーを煎れて飲んでいた新一の隙をついて、快斗はカップを奪うと、残った分を飲み干した。
「こら、それオレのだぞ」
「いいじゃないか。どうせ、うちのコーヒー豆なんだし」
快斗は悪戯っぽく笑う。
そんな彼に不満気に新一が頬を膨らませると、快斗は小さくため息つきつつ、店の奥へと消えていく。
暫くして、なみなみとコーヒーを入れたカップを二つ持って戻ってくる。
その一つを新一に差し出し、素直に受け取った新一は、すっかり機嫌を直してそれに口をつける。
元々新一はコーヒーを煎れるのがあまり上手くはない。
対して快斗は、コーヒーショップを開いても成功するのではないかと思うくらい、コーヒーを煎れるのが上手かった。
「別に用があるのなら、別に無理してまで来なくても良いんだぜ」
「無理はしてない」
「ならいいケド」
快斗はコーヒーカップを置くと、ケースから出しっぱなしにしてあったペンダントを持ち上げる。
それを垣間見た新一は、ふいに数時間前見た安物のペンダントを思い出した。
あの時見たペンダントは、おそらく量産品。所謂、型に流し込んで大量生産されたものの一つだろう。
確かに可愛いペンダントではあったが、作りは粗く、手軽に買えるが所詮それまでのオモチャ。
同じ様なものでも、今快斗の手の中にあるものとは全く趣は異なる。
「なぁ……そのペンダントの石って、もしかして、ムーンストーン?」
まさか、と思いつつ、店で見た乳白色の石と似通っているのが気になって尋ねると、快斗はあっさりと頷いた。
「よく知ってるな」
見るか?と新一の前に差し出す。それを受け取ってその乳白色の石を眺めた。
「ムーストーンって、所謂パワーストーンの一種だろ?そんなに価値のある石じゃないのに、宝石店でも扱うんだな」
確かにあの店で見たものより、石は大きい。………それに、よく見るとその石は青みがかっている。
「宝石なんて、全てがパワーストーンだよ。ムーンストーンだって立派な宝石の一種さ」
貴石という言葉がある。
普通、宝石と言うとダイヤやサファイア、エメラルド、ルビー……。産出量が少なく、貴重な鉱石は宝石としての地位も高く、『宝石』と言えば貴石だけを指すと考えてしまうのも無理はない。
宝石に興味のない人でも常識として知っているのが貴石と呼ばれる宝石たちだ。
しかし、それ以外の石もちゃんとした宝石であるには違いない。
ムーンストーンは、確かにパワーストーンとして一時期流行った石だった。
値段も手頃で、何より名前が美しい。
『月の石』なんて、その名前だけで神秘の力が秘められているように錯覚してしまう。
事実、サイキック・ストーンと呼ばれる事もある。
「そのムーンストーンは、ロイヤルブルームーンストーンって言うんだ」
「ロイヤル……確かに高貴な青って感じかな」
「月の光の効果って知っているか?」
月光には、人の苦しみを取り除く効果があると言い伝えられている。
「ムーンストーンは、月の影響を受けると言われていて、持ち主から災いを取り除く力が宿っていると信じられていたんだ」
「へぇ……」
光を浴びると青みがかった光が浮かぶ。このシラー効果により、月の満ち欠けによって神秘的なパワーを授けると言われていた。
特にインドでは、古い時代から『聖なる石』として、崇められていたという。
「このムーンストーンは2.30カラット。これだけの大きさのムーンストーンは珍しい方なんだ。それにロイヤルブルームーンストーンは評価も高いしな」
艶やかな丸味を帯びたそれにはキズ一つなく、柔らかな輝きを放っている。
「今日さ、雑貨屋で見たペンダントがムーンストーンだったんだよ」
もちろん地金は銀だったけど、作りもラフなものだったけど……。
「それの値段が、確か2800円だったんだよな。……何か、安くねぇ?」
「量産品と手作りの一品物と比べられても困るけど。……石の値段は大きさやキズの有無、輝き、後はそのカッティングの美しさで、いくらでも値段に差は出てくるからな。ちなみにコレは、地金は全てプラチナ。ムーンストーンの他にメレダイヤも散りばめて豪華にするんだ。トップのプラチナもふんだんに使うし」
石の値段が貴石に比べて安価な分、他の所に予算が回るから、無理に高価い宝石を使う必要はない。
それに、そのものの価値は、身につける本人が決めれば良いものだし。
「あのお客さんは若かったし、下手にエメラルドとかを選ばれるよりも、ずっとよく似合うはずだ」
そう言うと、快斗はふい口をつぐみ、新一をじっと見つめた。
「…………?」
突然、黙って自分を見ている快斗にどうしたのかと思う前に、快斗はすっと新一に向かって手を伸ばした。
「え?」
新一の紺のジャケットを脱がせるとカウンターに乗せる。そして、かっちりと締められていたネクタイもしゅるりと音を立てて取り外される。
「ちょ……快斗!?」
シャツのボタンまで一つ二つと外された所で我に返ると、慌てて怪しげな快斗の手を止めようと、腕を動かした。
すると快斗は、未だ新一が握りしめているペンダントを取り上げると、その白い胸元にそっと付けたのだ。
「な、何すんだ、快斗」
「うん、やっぱりよく似合う」
新一の真珠のような光沢を帯びた白い肌の上に、プラチナの鎖が吸い付くようにしっとりと重なり、その下方には存在感のあるロイヤルブルームーンストーンが高貴な青い乳光を放ち、清楚にその身を飾っている。
「やっぱり、新一って宝石がよく似合うよな……」
新一なら、どんな宝石でも似合ってしまう。しかも、彼が身につける事によって、宝石の格まで上がるのだ。
快斗は、甘い感動に震えながら、新一のその白い首筋にそっと舌を這わせた。
「ちょ……!何やってんだ、お前はっ!!」
頭の上から怒鳴るが、快斗は一向に怯まない。むしろ、徐々に下に向かって動いていくではないか。
「おまっ……今は営業中だろっ」
「たった今、閉店しました」
「………!!」
ああ言えばこう言う、の見本のようなやりとりが暫し続いたが、その間も快斗の動きは止まらない。
気付いた時には、シャツのボタンは全て外され、肌に直接快斗の掌が滑り込む。
「バッ……、これ以上のコトしたら……!」
顔を上気させてわめく新一。しかし、快斗はたじろがない。
それどころか……。
「なぁ、新一。お前、何で雑貨屋なんて所に行ったんだ?」
「え……?」
突然それまでと関係ないことを尋ねられ、一瞬戸惑う。
「女じゃあるまいし……一人でそんなトコ行かないだろ?」
「────ああ。今日は、蘭に買い物を付き合わされて……」
ようやく何が言いたいのか理解した新一は、ほっとした表情で快斗の身体を押しのけようとした。
が。
「……浮気者」
「は………?」
ぽつりと吐かれた言葉に思考が停止する。
「い、いまなんて……」
浮気?……何でそんなコト言われなければならないのだ!?
蘭の事を言っているのだうか。
しかし、彼女は新一の幼なじみであり、昔からずっと付き合いのあった女の子で……。
そんな風に言われるような関係では、全くない。
それは快斗も承知しているはずだ。
しかし、快斗の態度は変わらない。
「ムーンストーンのペンダント」
「何」
「その店にあった安物のやつ……どうした?」
「え?……まぁ安かったし、蘭も気に入ったみたいだから」
「買ってあげたんだ」
快斗の口調が険を含んできた。
「だ、だって……うわっ!」
反論する前に新一の身体が宙に浮く。
快斗が突然抱き上げた所為で、思わずその首に腕をまわしてその身を支えた。
快斗は、自分と同じ程度の体格の新一を軽々と抱き上げると、しっかりした足取りで長椅子の所まで進む。
「か、快斗!」
「うるさいぞ、新一」
快斗は新一をその上にいささか乱暴に降ろして、自らもその上にのし掛かった。
「女に物を買ってやってその気にさせるなんて、浮気者の上にタラシだな、新一は」
「そんなんじゃねぇって!」
「いいや、オレにとっては立派な『裏切り』だ」
ダカラ、オシオキ。
抵抗出来ないように、尚かつ新一に負担にならないように動きを封じて、これ以上の言い訳は聞かぬとばかりに口唇を奪う。
「……んっ」
新一の形の良い口唇を己のもので封じつつ、丹念に味わう。
ここまで来れば、新一も抵抗できない。暫くすれば、快斗の動きに応え始める事だろう。
ホントは、こんなに優しくはしたくないのだけれど。
幼なじみには、気軽に物をプレゼントするくせに。
快斗は、今まで一度だって、新一から何か貰ったことなんてない。
もちろん、自分から何かを求めるつもりは更々ない。
何かをして欲しいのではなく、快斗が新一にしてあげたいから、もらえない事を不満になんて思わない。
でも……やっぱり嫉妬はしてしまう訳で。
この鈍感な恋人にそれを求めるのは無理なのだろうけど、……やっぱり自重くらいして欲しいものだ。
本当に、新一相手じゃ仕方のない事だが。
快斗は胸の中でため息を一つ吐くと、新一の口唇を解放する。
上気した恋人の顔は、どう見ても…誘ってる表情だ。
「浮気したんだから、罰しても構わないだろ?」
有無を言わさぬ快斗に新一の喉がこくりと鳴った。
店の外は、まだ黄昏時。
「ま、まだ明るいのに……?」
月だって、出ていないのに。
「大丈夫……月はここにあるから」
新一の胸元を指さして。
「この石の中には月が宿っているんだぜ?」
知らなかったか?
悪戯っぽい笑みを見せる快斗に、新一も諦めに似た表情で目を閉じた。
「………勝手にしろ」
ムーンストーンは6月の誕生石。
特にその月生まれの人間が身につけると、人も羨む恋に出逢うと言い伝えられている。
宝石言葉は、『純粋な愛』
その石は、快斗の指にもちゃっかり輝いていた。