この業界に携わり始めてから、格段に情報量がアップした。
メディア以外から流れてくる貴重な情報は、快斗の手で更に一つ一つ綿密に調べ上げる。
そして一つ。
この手に抱きたい宝石を見つける。
Jewelry shop 4968
星の光
「不味いよなぁ…」
ここは、『Jewelry shop 4968』店内。
店主の黒羽快斗のため息混じりな呟きは、狭い店内に響く事なく消滅する。
今日は客は来ない。
新一も来ない。
快斗一人きり。
だからなのだろう。
いけないと思いつつ、こんな事を考えてしまう。
でもこれは快斗がずっと探し続けてきた、まさに理想の宝石で……。
これほどのものは、多分これ以後二度とお目にかかれない代物。
もちろん、値段もちょっとやそっとの金額ではないし、快斗の手が届くようなものでもない。
何よりそれは、既に他人の代物で、どこから手を伸ばしても、つかみ取ることの出来ない宝石。
それでも……やっぱり諦めきれないのは、怪盗の性なのかも知れない。
「怪盗KIDの予告状!?!?」
事件の依頼を受けて、とある富豪の屋敷に赴いた新一は、久しく聞いていなかった怪盗の名を目の当たりにして、素っ頓狂な声を上げた。
最近、宝石店の店主の顔しか見ていなかった新一にとって、突然のKIDの予告状には、軽い戸惑いを感じずにはいられない。
しかし……もちろん、目の前の依頼人はそんな新一の心の内を知る由もない。
依頼人にとって工藤新一とは、過去幾度にも渡って怪盗KIDから宝石を死守したという実績のみにおいて、彼に依頼したに過ぎない。
「で、この依頼、受けていただけるだろうか」
依頼人──佐久間義郎──は、新一に念を押すかのように尋ねた。
もちろん、新一の答えは決まっていた。
「お引き受けしましょう」
怪盗KIDの予告状は、今から二日前の朝に佐久間邸に届けられた。
月が全てをさらけ出す夜
「信頼」「希望」「運命」の名のもとに
光の帯は美しく輝きを放ち、消えることでしょう
蒼に纏われし、その後は
光と共に姿を現すだろう
夜が明ければ────全ては泡沫の夢
怪盗KID
「月が全てをさらけ出す夜とは、満月の夜。「信頼」「希望」「運命」の名のもとに、光の帯は美しく輝きを放ち、というのは、おそらく当家の家宝であるサファイアの事ではないとか思っているんです」
佐久間氏はそう言うと、宝石ケースをテーブルの上置いた。
新一が了解を取ってそのケースを開けると、────そこには星が光を放っていた。
美しくカボションカットされたコーンフラワーブルー。その中心から六条の光線を発する至高のリング。
「スターサファイア……」
初めて見るその深い色を湛えた宝石に暫し見とれてしまう。
「ほう……この宝石の名前を御存知でしたか」
「ええ。……でもこんな深い色のスターサファイアは初めて拝見します」
そう。このように六条の光を放つ宝石の多くは、色の抜けているものが多い。
透き通った青や紫色……売り物で目にするのは精々そんな所だろう。
「確か……『インドの星』と呼ばれるスター・サファイヤが、563カラットでしたか。もちろん、本物はお目にかかった事はありませんが」
「ははは。そんなものと比較されてしまえば、こんな小さな指輪など、取るに足りませんな」
気を悪くした風でもなく笑う。
もちろん、新一はそれと比べるつもりで言った訳ではない。
ただ、以前快斗の店で見せてもらった資料の中にあったスターサファイアを彷彿させるのだ。
それほどこの石はあの有名な逸品と似通っていた。
それに、小さな指輪などと佐久間氏は言い放ったが、とんでもない。
白金部分やとりまきのダイヤの重さを差し引いたとしても、ざっと50……いや、100カラットはありそうな重量だ。
正直言って、こうして手に取っているだけで震えがくる。
そう思うと、新一はくすりと笑った。
KID……いや、快斗に逢って、彼に触れ宝石の知識をそれとはなくに吸収しつつある現在は、そのものの価値だけでなく、宝石の持つ神秘性のようなものに深く感じ入る自分がいる。
それまでは、宝石をただの『死守すべきモノ』としか捉えてていなかった新一にとって、その変化は歓迎すべき事なのだろうか……。
「お任せ下さい。ボクが必ずこの宝石を無傷で守って見せます」
月が全てをさらけ出す夜
「信頼」「希望」「運命」の名のもとに
光の帯は美しく輝きを放ち、消えることでしょう
蒼に纏われし、その後は
光と共に姿を現すだろう
夜が明ければ────全ては泡沫の夢
予告状を眺めつつ、新一は暫し考え込む。
佐久間氏の予測しているように、KIDは満月の夜、佐久間家所有のスター・サファイアを奪いに来るのだろう。
それは、理解る。
しかし、その後の3行の文面がイマイチ分からない。
盗みに来る時間を指しているのか……?
「蒼に纏われし、その後は、光と共に姿を現すだろう……」
蒼とは何だ。光と共に、って?
スター・サファイアは光を受けて6条の光を発する。光と共に姿を現すとは、針状の結晶が生み出すアステリズムの現象を指しているのだろうか……。
「分かんねぇ……」
一体、何をヒントに解読すれば良いのか。
結局、新一は考える事を放棄した。
満月の夜は今晩に迫っていたし、標的がスター・サファイアならば、要はこれを盗られなければ良い事……。
既に屋敷内には、警官が警備固めつつある。
日没から夜明けまで……少なくともその間にKIDが出現するのは確実ならば、12時間体制で警備に当たれば防ぐことが出来ると、警察は考えたらしい。
新一はそんな警察側の対応を横目に見ながら、屋敷を後にした。
美しい夕焼けを残して、太陽は沈む。
そして何時しか、辺りは夕闇に包まれ……夜を迎える。
今宵は満月。
雲はほとんどかかってはいない。遮られるもののない夜空にその身の全てをさらけ出して、銀色の光を地上に降り注いでいる。
今夜の月の輝きの所為で、周りの星々たちはその光僅かに失い、空は藍色に塗られていた。
眩しすぎる、満月の夜。
新一は、佐久間邸から少し離れた所にぽつんと建っている空きビルに居た。
宝石の持ち主である佐久間氏が所有するそのビルの最上階。明かりを消した窓からは多くの月光が降り注ぎ、室内を仄かな光で満たしていた。
磨き込まれたフローリングは、新一の足音を室内中に反響させる。
時計の針は、午後10時を過ぎた。
窓から見える佐久間邸は小さくとしか見えなかったが、見る限り目立った動きはないようだった。
怪盗KIDは来るのだろうか……。
軽く息を吐いたその時だった。
閉鎖された空間に小さな風が起きた。
「………?」
何気なく振り返ったその先に映ったモノ………。
「KID─────」
白い衣装。シルクハットにマント……そして、モノクル。
怪盗KIDが目の前に突然姿を現した。
この場所は密室になっていて、出入口は封鎖してあったはずなのに……!
「こんな所に……何しに来た」
KIDを見据え、新一は言い放つ。新一の仕事上で出会うKIDは、敵だ。
「それとも、もう宝石は盗み出してきたとでも言うのか」
ここから見る限り、屋敷の周囲には動きはない。
彼が現場に現れた時には、新一にも連絡が届く手配になっているが、それもない。
きりきりと睨み付ける新一に、KIDは小さく苦笑したようだった。
「いいえ、仕事はこれからですよ」
ゆっくりと新一に向かって近付いてくる。
「……なら、ここで時間を潰している訳にはいかないんじゃないのか、怪盗KIDさんよぉ」
強気の姿勢など見破られているだろう。当然、KIDの歩を緩める事は出来ない。
緩慢だが、着実に歩み寄る一歩。
「時間を潰している訳ではないですよ。ご存知でしょう?─────ほら」
床の上を滑るように新一の元まで近付くと、その手を取って引き寄せた。
「キッ…………!!」
「確かに頂きましたよ」
耳元で囁く声。
「えっ?」
驚いて見上げた視線の先には、天鵞絨に包まれた小さな小箱がKIDの手によって掲げられていた。
「何故………」
呆然と呟く新一。
新一が宝石を持っている事を知っているのは、新一自身とそれを託した佐久間氏だけだ。
家の者はおろか、警察すらその事実を知る者はいない。
なのに、どうして目の前の男はそれを知っている?
「簡単なことだ。まず第一にこのスター・サファイアの持ち主は警察よりも先に工藤新一に依頼している。第二に、今晩の警備体制は明らかに中森警部の指揮の元に配置されている。第三に持ち主である佐久間氏の奇妙なまでの落ち着き……そして、新一、お前はこんな所に佇んでいる」
どう見ても、ここが怪盗KIDが逃走に使うようなルートには見えない。
「何処をどう取っても、工藤新一が本物のスター・サファイアを持っていると言わざるを得ない状況だ」
KIDの言い分に新一は軽く舌打ちする。
佐久間氏が警察よりも早く新一に依頼したのは仕方のないことだ。
しかし、警備に関しては新一も口を挟んだ。それに沿って動かなかったのは警察のミスだし、佐久間氏の強い要望で、こんな密室に隔離される事を了承したのは、新一のミスだった。
そして、持ち主本人の危機管理のなさ……。
二重にも三重にもミスが重なれば、いくら工藤新一が協力していたとしても、KIDにとっては非常に手応えのない仕事だったはずだ。
バカらしい茶番────。
そう思った時だった。
「新一………」
KIDの口唇が新一の耳朶を這う。
「え…?ち、ちょっと……キッド!!」
慌てて身を引こうとするが、容易に身体を束縛されて身動き出来ない。
「新一、今晩の目的はパンドラじゃない。……この宝石(いし)そのものにあるんだ」
「………え?」
囁くように告げられて、新一は訳も分からずキッドを見ようと身じろぎした。
すると、キッドはいともあっさりと新一を解放する。
手に持っていたままの小箱を開けて、その中身を取り出す。
月の光を浴びて6条の光を鮮やかに放つ、スター・サファイア。
その深いまでのコーンフラワーブルーは、宝石を見慣れたキッドですら魅了される。
「オレが、極上のスター・サファイアを捜しているのは知っているだろう?」
お前の為に……と告げるキッドに新一は小さく頷く。
別に新一はそんなもの貰うつもりは更々なかったが、キッド……快斗の「勝手にやっているだけだから」との言葉に何時も反論を封じられてしまっていた。
「もちろん、今のオレにはこれほどの宝石を買うだけの金はないさ。でも、そもそもこんな宝石を見つけられること自体、限りなく不可能に近い……」
そんな時、とある宝石業者から佐久間家のスター・サファイアの話を聞いたのだ。
その業者の最高値の取引話。それは、かれこれ20年ほど前に佐久間家に数億で売却したというもの。
「資料に載っていた宝石を見て、驚いた。…オレが探し求めている理想の宝石そのものだったから。そして思った……」
一度で良い。………新一のその白く細い指にコーンフラワーブルーの輝きで飾ってあげたいと。
その言葉に新一は顔を曇らせる。
「……他人のものを、しかも盗んだものを貰ったって、オレは嬉しくないぞ」
「……分かってる」
「こんな風にオレから奪っておきながらそんな事言うなんて、ムシが良すぎるだろ」
「分かってる。でも、オレはどうしても見てみたい」
誰より相応しい人の指におさまる事を、宝石だって願っている。
「これが、オレを呼んだんだよ。……オレに新一の元に行かせてくれって頼んだんだ。……その、声なき声で」
蒼に纏われし、その後は
光と共に姿を現すだろう
夜が明ければ────全ては泡沫の夢
「夜明けには、新一がまた佐久間氏に渡せば良い。今夜は、全て新一の責任でこの宝石を自由に出来るんだろ……?」
怪盗らしからぬ不安気な表情で見つめる瞳に、新一は仕方がないと言うように首を振った。
パンドラの可能性のない宝石。
「最初から、ちゃんと返すつもりだったんだな」
新一が念を押す。
「当然だろ。……盗んだモノを新一にはあげられない」
「なら仕方がない。……お前の言う通りにしてやるよ」
新一の少し苦笑したような表情共に首をすくめた。
「どの指が良い?」
「薬指」
右手を差し出し、あっさりと言い放つ新一にキッドは微苦笑を浮かべる。
出来る事なら、右手ではなく左手に……との思いを秘めつつも、キッドは新一の手を恭しく取り、その指先に儀式のように口づけて……そして、静かにリングをはめる。
白い指に、カボションカットのスター・サファイアが神々しくも星を描いて輝いている。
人の指全てには、それぞれの意味がある事を新一もキッドも知っている。
指一本一本には、秘められた力がある。その位置にはめることによって、指は宝石(いし)の力を借りる。
人は、宝石(いし)の力を借りる。
右の薬指は、自分らしさを出す事が出来るという。しかも、宝石が持つパワーを一番引き出してくれる指でもある。
何時もは、ちっとも素直になれなくて、意地っ張りで……何時だって、好きな相手には無関心な態度を取りっぱなしで、自分自身でも嫌になるこの性格。
だから、その力を借りて、新一も自分の今の気持ちを相手に告げる。
「快斗」
突然名前を呼ばれて、ほんの少しだけ表情を変えた。
この姿で対峙する時は、今まで一度たりとも本当の名前で呼ばれた事がなかった。
それは、新一にとっても
「……何?」
「……………快斗、好きだ。────愛してる、………ずっと」
新一の口から零れた言葉は、彼が今まで一度もはっきりとは告げた事のない言葉。
言わなくても、そんな事。快斗には端から理解ってる。
口で言わなくても、彼の態度は何時だって快斗に愛情を示していた。
そんなもの、理解らない方が不思議なくらいに。
多分、新一本人だけが気付かない事。
だが、そう素直に告げてくれる新一の言葉に喜ばない快斗ではない。
心の奥がゆっくりと暖かいもので覆われていく感じ。
好きな人に『愛している』と告げられて嬉しくないはずはない。
最初から理解っている事でもその言葉一つで、……こんなにも、心が熱くなる。
だから快斗は、こう告げる。今まで幾度となく告げてきた言葉。
代わり映えしない言葉でも繰り返し繰り返し、これまでもこれからも紡いでいくであろう言葉。
「新一……オレも愛してる」
新一と快斗。二人の心がいっぱいに満たされた瞬間だった。
空が白くなり始め、東から太陽が顔を出す時刻。
二人の姿は屋上にあった。
「何だ?今から逃げるのか?」
「退散する前に、一つやっておく事があるんだ」
快斗は、うきうきしながら新一の右手を取った。
スター・サファイアは、古くから『運勢を物語る石』とされてきたと快斗は言う。
「朝一番の太陽の光で見る、このスター・サファイア星の光で、一生の恋愛運を知る事が出来るんだぜ?」
「はぁ……?」
まさか、そんな事の為にこんな時間までこのビルに留まっていたのだろうか。
新一の思惑をよそに、占いじみたそんな迷信を信じている快斗は、彼の手に昇り始めた朝の光を浴びせた。
光によって、美しく伸びる光線。
快斗はじっと覗き込む。
六条に伸びる光。
それは、ほんの僅かな明かりにも反応し、その宝石は様々に表情を変えていく。
朝の光に照らされたその宝石は、まるで計算され尽くしたかのような精密さで光が伸びていた。
「………で、どうなんだ?」
星の光がそれぞれの方向に真っ直ぐバランス良く伸びていれば、運勢は素晴らしい未来を告げる。
「当然、オレと新一は最高のベストカップル♪」
新一の指にはめられたそれは、アステリズムの見本のような美しさで光を放っていた。
「これがやりたかったのか……」
呆れ顔で呟く新一。だが、本当にそう思っているわけではなくて。
一種の照れ隠しである事くらい、この長い付き合いの中で快斗はちゃんと理解している。
陽が昇れば、全ては泡沫の夢へと消える。
だけど、この一瞬は真実で……。
「新一、いつか必ず贈るからな……」
新一によく似合うとびっきり上質なスターサファイア。
針状の結晶が生み出すアステリズムの美しく、深い青の逸品をシンプルなプラチナの枠にはめて、今度こそ新一の指に飾りたい。
快斗はもう一度、彼に宣言したのだった。
管理人注)この駄文中にある『恋愛運占い(?)』は嘘っぱちです。
正確には、朝日の光で見るのではなく、夕日の光で見るらしいです。
(……が、定かではありません)
2001.01.19
Open secret/written by emi