Jewelry shop 4968 extra
定休日
『Close』のプレートを掛けて、扉を閉める。
カチャリ…と鍵を掛けて、快斗は振り向いた。
「さて…と。明日は休みだけど、新一はどうする?」
何処か遊びに行く?
そう尋ねてくる快斗にいつもの場所で読書に耽っていた新一は顔を上げた。
「んー?別にオレはヒマだけど……」
栞代わりに使っていた紙を読み進んだ所に挟み込み、本を閉じながら答えつつ、ふと自分が何を栞代わりにしていたかに気付いた。
「あっ」
突然大きな声を上げた新一を訝しんだ快斗が彼の元へとやって来る。
「…何?」
「そうだ、これ。タダ券があるんだけど、明日行ってみないか?」
そう言って、本の間から取り出したのはペアチケット。
「明日定休日だったら都合良いじゃん。行って来ようぜ、水族館」
新一は嬉々とした声でそう告げる。
「すいぞくかん……」
突然ピキーンと固まった快斗に、新一は首を傾げた。
「?どうしたんだ、快斗?」
何か変な事を言っただろうか…。と、何故か硬直状態の快斗に首をひねる。
……。
珍しく、新一の方から誘った事に驚いた……という訳でもなさそうだ。
別に新一もデート♪のつもりで誘った訳ではない。
例えその場所が所謂「定番スポット」であったとしても!
「新一……そのチケット…どうしたんだ?」
脱・硬直状態した快斗が強張った声で尋ねてくる。
「うん?ああ、貰ったんだ、コレ。この前アイツの家に遊びに行った時に」
信じられないくらいに嗜好が重なっていて、特にその男のコレクションと言ったらもう、垂涎の一品ばかりを取りそろえている、とある友人。
新一は、誘われると嬉々としてその男の家へ遊びに行き、彼のホームズコレクションの数々を見せて貰うのだ。
同じ趣味を持つだけあって話も弾むし、新一にしては珍しく気の合った数少ない人物。
その彼が、先日遊びにいった際にくれたものだった。
「もし、誘う相手が居なかったら、ボクと一緒に行きましょう」
そう微笑って手渡されたチケットだったけど、生憎誘う相手はいるからと冗談交じりに言葉を返した事を覚えている。
「もしお前がダメだったら、白馬と行ってくるけど…」
「行く」
何気なく呟いた言葉に快斗はすかさず応えると、彼の手の中にあるチケットを一枚抜き取った。
「○×水族館」と明記されているその横にデフォルメされている生物のイラストを視界に入れた快斗は思わず息を飲むと、速攻見えないように二つ折りにした。
「快斗……お前、何か顔色悪いぞ」
新一は心配そうに尋ねるが、快斗は何でもないと一言告げると、店内を片付け始めた。
そんな彼の態度を訝しみつつも、実は久方ぶりに2人で出掛けられる事を密かに喜んでいた新一は、大して気にとめてはいなかった。
果たして気に留めていた方が快斗にとって幸せだったのか、それは誰にも解らない……。
折角の休日は朝から生憎の雨模様だった。
出掛ける場所が水族館で良かった。
新一は車の窓ガラスにはねる水滴を眺めつつ、そんな事を思った。
雨音が、軽快に走る車のボディを叩く。
そっと隣を伺うと、真っ直ぐ前を見て運転している快斗の横顔が見える。
その端正な横顔が何故か青く見えるのは気の所為だろうか。
隣接されている立体駐車場に止めて、車から降りた快斗の顔色はやはり良くなかった。
………というか、益々悪くなっていくような気がするのは、新一の思い込みだろうか。
改札ゲートを抜けてエントラスホールで出迎えられたのは、一面にはめ込まれた大きな水槽。
館内はAからKと11のゾーンで区切られている。
その一つ一つにテーマがあり、来場者を楽しませてくれる。
新一はインフォメーションでパンフを貰うと、メインストリートを歩き出す。
平日の午後に加え悪天候という所為もあるのだろうか、人はほとんどなく閑散としていた。
しかし人混みを嫌う新一にとって、それは却って好都合だった。気分がいい。
それに人が少なければ、一つ一つじっくりと見学出来る。水槽の前に立ち止まっても他の客に迷惑はかからないなんて、今日はツイてる
……ただ、いつもは何事も率先して歩く快斗が、3歩遅れて新一の後ろについてくるのは何故だろう。
「快斗……お前、変じゃねぇ?」
体調が悪いのを無理しているのなら、引き返しても構わない。
面と向かった気遣う言葉ではなくとも、快斗には新一の言っている意味が理解ったようだ。
「何でもない」と少し硬質な響きで答えた快斗に、何処か無理を感じてしまうのは、短くも深い付き合いのある新一だからこそ。
「別にタダで貰ったチケットなんだから、別に帰ったって構わないぜ?調子悪かったら、別の日でもまた来ればいいんだし…」
「調子は悪くないから大丈夫。新一と久しぶりに出掛けられるのが嬉しくて、ちょっと緊張しているだけだから」
………そんな事で緊張するタマか?
微妙に引きつった笑いを見せられて新一はそう思った。
何時もなら、2人で出掛けると不気味なくらいに上機嫌になる快斗を何度も見ている新一としては、何やら解せない。
しかし、新一はため息をついて、それ以上言及するのをやめた。
ゾーンはそれぞれ切り離された空間を保っている。
メインストリートから一歩踏み込めば、そこは途端に海底へと誘われる。
照明を落とした空間に浮かび上がる壁面の水槽にはたっぷりの海水とその中で止まる事無く泳ぎ続ける魚たちがいた。
「………すげぇ」
思わず零れた感嘆の響き。
スロープを降り、水槽のガラス越しに見る水の世界は、人が決して共存出来ない世界。
と同時に酷く懐かしく、自らもその空間の中に身を置きたくなるのは何故だろう。
人間の身体の何倍もある巨大魚が、人よりも素早くそして優雅に海中を泳いでいる。
少し離れた場所には小さな水槽がいくつか連なり、様々な魚たちが新一を出迎えていた。
新一はその小さな一つ一つの世界をゆっくりと眺めながら次へと移動していく。
ゾーンを一通り一周して、ふと顔を上げるとてっきり隣にいると思っていた人物の姿が見えなかった。
「あれ…快斗?」
今まで自分が歩いてきた通路には誰もいない。
振り返って見上げると、スロープの上から手すりにもたれるようにして見下ろす快斗の姿が目に入った。
「何だ、そんな所に居ないで、お前もこっちに来て見ろよ」
誘う新一にしかし快斗は小さく首を振った。
巨大過ぎる一面の水槽は、床に視線を落とさない限り見えなくなる事はない。
極限まで光を押さえた空間で新一を見下ろす彼の顔は青いを通り越して白に近い。
何時もの快斗なら煩わしい程に新一にべったりだった事を考えると、今日の彼はおかしかった。
「快斗、やっぱり今日のお前、少し変だぜ?」
快斗の元に戻ってきた新一が心配そうにその表情を窺ってくる。
「……大丈夫。全然平気だから」
そう言って微笑う快斗だったが、全然平気そうに見えなかった。
しかし、更に新一を安心させるかのように、そっと肩に手を回すようにその背を押して、次の場所へと誘っていく。
そんな快斗の態度に馴れ馴れしいと思いつつ、それがいつもの彼らしくて、新一は少しほっとする。
………だから恋人の視線が、水槽がはめ込まれた壁ではなく床ばかりに向かっている事に、新一は未だに気付かなかったのだ。
次のゾーンでは、生きている化石たちを目にする不思議を体験した。
仕切られた水槽の中にはおなじみのカブトガニやオウムガイ。
アジアアロワナのその美しさには、蒐集家が居ることも頷けるほどに。
新一の真後ろにいた快斗が小さく息を飲んだのが聞こえた。
「殺風景な店に一匹飼うのも悪くないんじゃないか?」
アロワナの中でもゴールデンアロワナは金龍魚と言って、富をもたらす魚だと言われてる事を思い出した新一は何とはなしにそう勧めると、快斗は視線を逸らしつつ「冗談じゃない」と吐き捨てた。
ワシントン条約で保護された古代魚は高価で魚の飼育なんてとても出来ないと言う快斗に、それもそうだと納得する。
「でも、中国では、宝石店で飼われていたりするだろ?」
「オレは、そんな迷信を信じて客を呼び寄せるつもりもないから」
彼らしからぬぶっきらぼうな口調で言いつつ歩き出したその目の前に飛び込んできた、たくさんのサメが泳ぐ姿に快斗は思わず絶句する。
「快斗…?」
突然立ち止まった快斗の顔を新一が覗き込むと、彼の表情はもとより、身体中が硬く固まっていた。
─────絶対におかしい。
ここにきて新一も快斗の尋常でない様子にそう結論付けた。
体調が芳しくないのだろうかと思っていたのだが、それとはもっと別の所に原因がありそうだ。
何より、こんな態度の快斗など、新一の記憶にはなかった。
黙々と考えながら次の場所へと向かう。背後に快斗の気配を感じながら、ふと気付いた事があった。
そう言えば、今日の快斗は新一が話しかけないと口を開こうとはしない……。
何時もなら、快斗の方から話題を振って成立するのが2人の会話なのに。
熱帯魚と珊瑚礁のエリアに入るのと入れ違いに一組のカップルが出ていった。
踏み込んだ先には人影はなく、出入り口と床以外の四方全てがアクリルガラスで覆われた世界は、まるで海の底にいるかのような錯覚さえ起こさせる。
しかも、人工とはいえこれほどの美しき大サンゴ礁が再現されたその中を極彩色の魚たちが優雅に泳いでいる。
見上げる天井にはウミガメの姿も見えた。
今までこんな風に見る水槽はドーム型でしか見たことがなかったが、この四角いガラスの箱に閉じこめられた空間もまたとても新鮮だと新一は思った。
ガラス張りの天井を見上げながら、ゆっくりと階段を下りていく。
誰もいない空間で楽しむのは、これ以上もない贅沢に思えた。
真ん前で手すりを掴んで、精巧に出来た珊瑚に感嘆しつつ、その間をするりと泳ぐ色鮮やかな熱帯魚に視線を移す。
美しく清潔に保たれた水槽は、自分が本当に海底の中に佇んでいる錯覚を生み出す。
だから、突然の快斗の行動に新一の反応が一瞬遅れた。
背中から覆い被さるように、彼の熱が伝わってくる。
抱きしめられている、と認識した途端、新一の頬が紅潮した。
「ちょっ、……てめぇ、此処を何処だと…!」
誰もいない空間とはいえ、何時誰が入ってくるとも知れない公共の場所で、何をトチ狂ったのか!
肘で小突きながら自由になろうとする新一だったが、背後から覆う快斗の力加減が普段の時とは明らかに違う事に気付いた。
何か、ずっしりと全体重を掛けられているような……。
「快斗……お前……?」
心配になった新一が首を僅かに動かして窺うと、もうこれ以上はないくらいに表情をなくした快斗の横顔が見えた。
「新一………オレ、もう限界」
耳元で呟かれた言葉は、本当に死んでしまいそうなくらいに弱々しかった……。
そして新一の疑問は、一気に氷解する。
メインストリートの幅は広く、所々に休憩スペースが儲けられていた。
船室にあるような丸い窓からは入り江が見える。
通りに背を向けるように座り込んでいた快斗に、新一は売店で買ってきた冷たいコーヒーを渡した。
「サンキュ…」
弱々しくも缶コーヒーを受け取った快斗に、新一は不機嫌だった。
「ったく。…最初から言えば良かったんだ」
水族館(魚)は苦手だって。
「……だって、それを言ったら新一はオレを誘わなかっただろ」
「当たり前だ」
自らも買ってきた缶コーヒーのプルトップを上げてそれを飲む。
それを見ていた快斗も、同じように口元に運んだ。
「言っておくけど、オレはおかしな所で気を回されるはキライなんだ」
「気なんて回してない。これは、オレがそうしたかった事なんだから」
加糖コーヒーを喉に流し込みつつ、そう答える。
だが、そんなことで新一は納得出来る訳がない。
「お前ってさぁ……もしかして、オレに弱味とか知られんの嫌がってねぇ?」
「そんなことない」
「……じゃあ、何で言わなかったんだよ」
言ってたら、無理に誘わなかったし、折角の休日をもっと別のお互いが楽しめる事に費やせたはずだ。
「………だって、折角新一が誘ってくれたたぜ?……オレ、マジで嬉しかった」
「だけど」
更に言い募ろうとする新一を快斗は制した。
「オレ、本当にここに来たかったんだ。本気でそう思ってた!」
新一が一緒じゃなかったら、こんな生物の巣窟になんて1秒だっていられない。
見るのも、その言葉を口に乗せることすらおぞましかったそれまでの自分に比べたら、今日の快斗は確実に進歩していた。
しかし、そんな風にムキになって言い繕ってみても、所詮の快斗の思っている事なんて、新一にはお見通し。
快斗が断ったら白馬と遊びに行くと言った新一に不満に思ったからだろう、きっと。
嫌味を込めてそう言ってやると、快斗はうっと言葉に詰まり……ぼそりと漏らす。
「だって、よりにもよって水族館のチケット渡すなんて、絶対白馬のイヤガラセだ……」
「…………」
それを聞いた新一の口からは、ため息しか出なかった。
にしても、…幼なじみとの仲を疑われるのならまだ納得出来なくもないが、何故男との仲を疑うような態度に出るのだ。
と言うか、本気でそう思っているのだろうか。
それに、彼は元々快斗の友人ではなかったか。
……それとも、信用されていないのか?と、少し不安に思う。
新一はそんな事を考えながら、隣の快斗を盗み見た。
悄然としつつ、缶に口を付けている快斗の横顔が伺えた。
その瞳はどことなくまだ虚ろ。
新一はそんな快斗の顔にほんの少しだけ首を竦めてみせた。
それから飲み終えた缶を床に置いて、廊下を2.3度確認する。
閑散としたメインストリートには視界入る範囲に人影はなかった。
新一はそれを確認すると、隣でうなだれている快斗の肩に手をかけた。
そっと、次第に重さを増していくそれに俯いていた快斗の顔が僅かに上がる。
持ったままのコーヒーの缶をさり気なく取り上げられて。
「しん……?」
間近に近付いてきた新一に驚く間もなく、彼の口唇が快斗のそれに触れた。
ふわりとした風のような口づけは、快斗がそれを意識する前に離れて消えた。
「………少しは元気になったか?」
そっぽを向いて尋ねてくる新一の目元は、ほんのり紅い。
「水族館(ここ)が好きになれそ……」
快斗は真面目な顔でそう告げたのだった。
後日。
明らかに「ソレ」と分かる土産を持って新一は白馬邸を訪れた。
チケットをくれたお礼と称して、「マンボウビスケット」と「イルカキーフォルダー」を手渡す。
「ありがとな、白馬。お陰で快斗とめちゃくちゃ楽しい一日が過ごせたぜ♪」
意識して上機嫌で告げる新一に、何故か引きつった笑みを見せつつ受け取る白馬。
そんな彼の表情を笑顔を張り付けたまま盗み見た新一は、あながち快斗の言うイヤガラセに間違いはなかったのかも知れないと感じたのだった……。