外界に比べ、穏やかに流れる時間の中で、不躾にも彼のケイタイが店内に響く。

事件を知らせるそれに、最初は憮然としていた彼の表情が引き締まる。
そんな彼の様子を見ていた店主は、少しだけ残念そうな表情を浮かべていたが、……それはほんの一瞬の事で、すぐにいつもの顔に戻った。

良くあることだから、今更不満になんて思わない。


今日は、もうここには戻ってこられない。


そう告げる愛しい恋人の声は、彼の前を通り過ぎ、店の出入り口へと向かう。
心なしか昂揚しているその背中に、店主は慌てて声を掛けた。



「明日は、店に来るんじゃないぞ。新一」




………今まで聞いたことのない台詞が新一の背中に突き刺さった。







Jewelry shop 4968 extra
Three days









珍しく手間取った事件だった。

日付が変わろうとする時刻、ようやく自宅に帰り着いた新一はその日関わった殺人事件をそれとなく回想しながら上着を脱いだ。


「…………」


些か乱暴に縫いだ上着をソファの上に放り投げる。



………手間取った事件だったけど、別に大した事件でもなかった。


只、新一が事件に集中出来なかっただけだ。



彼が店を出る時に投げかけられた快斗の言葉が、新一の心を乱したのだ。
多分、言った本人は自覚はなかっただろうけど。



──────明日は、店に来るんじゃない。



新一の聞き違いでなければ、快斗は確かにそう言った。
そして、その言葉に言及することもなく店を飛び出してしまった事を今更ながらに悔やむ自分がいる。


一体、何の意味があったのだというのだろう。


例え相手が恋人であろうとも……人の言葉の裏に潜む想いを伺い知る事は難しい。
だから、新一は胸の奥に小さく苛むその痛みに蓋をした。

考えるだけ無駄な事と心の中で言い繕いながら……。









寝よう寝ようとしたにも関わらず、なかなか寝付けなかった新一が次に目覚めた時には、時刻は午後に差し掛かろうとしていた。
カーテン越しに零れる陽の光に目を細めつつ起きあがると、そのまま寝起きの顔で階下へと向かう。
洗面所で顔を洗い、キッチンで手軽にインスタントコーヒーを淹れると、そのままリビングに移動。
昨晩脱ぎっぱなしにしていた上着を退かして、ソファに腰を下ろす。
テーブルの上のテレビリモコンを取り上げると、スイッチを入れる。

途端に流れてくる音とブラウン管の光に、途端に室内が賑やかになった。

たった一人の空間に彩りを与えているのがこんな無機質な箱だなんて、それはそれで寂しいものだと、新一は自嘲する。
ブラウン管からは華やかなシーンが次々と現れて消えていく。
それを見るとはなしに視線を預け、コーヒーを口につける。



暫くそうしてくつろいでいると、ふいに玄関の呼び鈴が鳴った。

些か緩慢に立ち上がると、突然の訪問者の応対をすべく玄関へと向かう。
やって来たのは宅配業者。

その荷物の差出人は工藤夫妻。受取人は新一。

真っ赤な薔薇の花束と、有名ブランドのラッピングを施された大きな箱。


それを見て新一は唐突に思い至った。




「……今日は、バレンタインか」





リビングに戻ると、テレビではいかにも料理しなさそうなタレントが、一生懸命手作りチョコレートの作り方をカメラに向かって話し続けていた。


その情報は今更遅すぎやしないかと思いつつ、新一は片手に余るほどの真紅の薔薇をキャビネットの上に置く。
もう一方の贈り物はリボンを解き、箱を開けた。

そこには、新一が何時も愛用しているブランドであつらえた濃紺のスーツが一揃え、きれいに納められていた。


毎年、バレンタインになると届く、両親からの贈り物。
欧米では、恋人や親しい友達、家族などがお互いに贈り物をしたり、カードを贈ったりする。両親はそれに則って、こうして新一に送ってくるのだ。

「別に、こんなの送って来なくても良いのに」

別に嬉しくない訳ではない。遠くにいる両親が、今でもちゃんと自分の事を想っていてくれている、これはその証のようなもの。
側に居なくても、心や気持ちは繋がっている。それは、こんなモノを貰わなくてもちゃんと理解っているけど、こういう時は、深く彼等を想ってしまう。
日常の中で、時に忘れかけてしまうその想いを思い出させてくれるようなその存在に、口で煩わしい事を言う程この日を無用な日だとは認識していない。




そして。


「あいつにも………何か贈った方がいいのかな」



ふいに頭の中に浮かんだ人物に、新一は思わず呟いて舌打ちした。

昨日のあの言葉を思い出しからだ。



店には来るなと言っていた。……つまりは、今日は会いたくないという事。
いつもなら、訳もなくこんな事を言うヤツじゃない。……かと言って、今更理由を問い質すのも、気が引ける。
あの時は気にはなっていたけど、身体が事件優先を促した。心はそうじゃなかったケド。


別に、世間で騒ぐイベントなんかには興味ない。
誰のチョコも欲しくないし……あげるのは、それこそ論外だ。
例えあげたいと思う相手がいたとしても………。


「アイツ……甘いの苦手みてーだし」


意識することなく、たった一人の相手を思い浮かべ……また舌打ちする。
あんなヤツの事考えるよりも、わざわざプレゼントを贈ってくれた両親にお礼の電話を入れる方が、よほど建設的だ。
置きっぱなしにしてある薔薇の花の水揚げでもしていた方がマシ。


新一は、きっぱりと頭を入れ替えると立ち上がった。





付けたままのテレビからは手作りチョコレートからオススメプレゼント紹介へと移っていた。









街が次々と明かりを灯す時刻。

大手百貨店から紙袋を携えて姿を現した新一は、寒空の夕暮れの元、とある宝石店へと向かう。
大通りから一歩入った薄暗い路地。この場所は昼間から薄暗く、一種独特の空気が流れている。
小さな外灯を頼りにその細い通りを暫く進むとその先に、まるで目立たない小さな看板がひっそりと掲げられている。

『Jewelry shop 4968』

工藤新一は、その看板が掛かっているのを確認すると、目の前の扉に手をかけた。


ちりん。


控えめな澄んだベルの音に店主と、店内にいた客がこちらを振り返る。
複数の客がいるのにも関わらず、店主はカウンターの中に居た。
いつもはゆっくりとくつろぎながら商品を選んで貰えるように小さな応接セットで客の応対をするというのに。

新一は訝しみながらも、扉を閉じて店内のいつもの場所に移動しようとした。


しかし、新一が動くよりも早くお客の一人の声が上がる。


「店長さんの嘘つき、いらっしゃるじゃないですかっ!」


新一に向かって指さす少女に見覚えはない。その隣で黄色い声をあげている少女達にも。
しかしながら、相手はそうではないらしい。

事の事態を飲み込めない新一をよそに、ご機嫌な笑顔でこちらに駆け寄ってくる少女達。


が、彼女らが新一の元に辿り着く前に、カウンターから飛び出してきた店主に捕まってしまった。

「お客様、……もう閉店のお時刻ですのでお帰り下さい」
柔らかな言葉とは裏腹に口調には有無を言わせぬ迫力がある。

眼を瞬く新一はその場に立ちつくしたまま、彼女たちは強引な店主に引っ張られて店の外に追い出されてしまった。
ドアプレートを『Close』にして扉を閉めて、鍵をかける。

その一連の動作を呆気に取られて見ていた新一は、彼がこちらに振り向くのを見てようやく平静を取り戻した。


「何だったんだ………今の」
理解不能な出来事に、快斗は小さく呟いた。

「…………だから、今日は来るなって言ったんだ」
「何……?」
憮然とした態度でカウンターに戻る快斗に、新一はムッとする。


確かに、快斗は今日は来るなと言った。理由もなく、『来るな』と言った。


新一だって……来るなと言われて、それでも行こうなんて思わない。────いつもなら。


明らかに不機嫌な表情(かお)を見せる快斗。新一は手にしていた紙袋を側のテーブルに置くとカウンターに歩み寄った。

「オレに「来るな」なんて言うのなら、もう二度とこの店には顔を出さない。それでいいんだろ………って、何だコレ?」

つかつかと歩み寄ったその先に見えたモノに一瞬気が逸れた。


綺麗にラッピングされた小さな包みが、カウンターの上にいくつか無造作に置かれていたのだ。
それに手を伸ばしたが、触れる前に快斗によって退けられてしまった。

「こんなモノは触らなくてよろしい」
「何だよ、ソレ」

いつもは、とても居心地が良い店内だが、今日は少し違っていた。
快斗の態度に呼応するように新一も不機嫌になっていく。

「下らないモノだから」
「だから、何だよ」
「……見て分からない?」
「分からないら聞いてんだよっ」

新一の言葉に快斗は首を竦めた。

「本当に分からないの?……これがバレンタインのチョコレートだって」

「…………え?」

バレンタインのチョコレート。

そうだった、今日はバレンタイン。日本では、女の子が好きな人にチョコと共に愛の告白をする日。
新一の意識していた『バレンタイン』は他の誰もが意識しているコトで、女の子もチョコや贈り物をしているという行為を認識していなかった事に今更ながら気が付いた。

「ああ………そっか」
快斗は、どう贔屓目にみても『イイオトコ』だから。彼を目にした女達が放っておくはずがない。


────そうか……。


「だから……か。オレに今日は店に来るな、って言ったのは」
どういった心積もりだったかは知らない。他の女にセマられている姿を見せたくなかったのか、……それとも、受け取りたい相手がいたからなのか。

……快斗の思惑が後者なら、それは少し……悲しい事だけど、だからと言って新一が口を挟むべき問題ではない。

「今日は仕事にならなかった。……かき入れ時だっていうのに」
ぼやきながらもさっさとチョコレートの箱を片づける。それをカウンター下に用意してあった大きな紙袋の中に無造作に放り込んだ。

「受け取らないって言ってるのに、置いていくんだもんなぁ」
ブツブツ愚痴る快斗の視線の先を捉えようと新一が身を乗り出すと……同じような紙袋が他に二つもあった。

「………それ、どうするんだ?」
「ああ、商店街で集まった義理チョコをまとめて施設に寄付するとかで、この前回覧が回っていたから、それに出すつもり……っと」

新一が覗き込んでいる事に気付いて、気まずそうに紙袋を退かす。

その態度が、何処かヘンだった。

「…………?」
何処がと問われれば、……強いて言えば今快斗が退けようとしている袋は彼から一番遠くに置かれているモノで。普通なら手前から順番に退かしていくものではないだろうか。

それに…………何か快斗の態度が不自然に映る。

「なぁ、快斗」
「何?」

「………此処って、知る人ぞ知るって感じの店だけど、案外たくさんの女の子たちに知られているんだな」
「そ、そうだな」
「尋常じゃない、チョコの数だし」
それでも、大半は断ってたんだろ?それでもこれだけ贈られるんだから、スゴイよな。

「だな。…………だって、オレってモテるから、仕方ないよな」


「……………………………………」


………その言葉の割には、何処か焦っているような、快斗の表情。

その時、快斗が持ち上げた紙袋から、いくつかのチョコがこぼれ落ちた。
それらを慌てて拾い上げる快斗が放置した紙袋の中をそれとなく覗き込んだ。

そのチョコレートたちには、新一の目で確認する限り、どれもカードや手紙のようなものが添えられていた。

…………………?


「おい、快斗。……それって、もしかして」

カードたちのそのどれもに、何故か『工藤新一さま』と書かれているように見えるのは、目の錯覚だろうか。



「…………オレ宛の、か?」











「……だから、来るなって言ったのに」

快斗がほつりと呟いた。














全部で3つあった紙袋の、悠に2袋以上が新一に宛られたチョコだった。


「新一は、店の片隅でひっそりとしているつもりかも知れないけど、やっぱり目立つんだよ」

決して、いつもの定位置で座っているばかりじゃないし。店内をうろつく事はなくても、女の子達は敏感にその存在に気付く。
表立って騒ぐような女をこの店は客として認めていないが、…それでもこんな日は、勇気を振り絞って想い告げようとやって来る。

「オレ自身は、受け取らないって強く拒否出来るけど、……流石に新一へのチョコは、オレから断る訳にもいかなくて」
今時の若い女の子は、相手に恋人がいようが何だろうが、押しまくる。
本人でもない快斗が新一にと届けられるプレゼントを拒否するにも限度があった。

「……そんなの、オレが断れば済む事じゃないか。オレも、受け取るつもりはないし」
「そんなの……新一が他の女に迫られている様なんて見たくなかったし」
こういう事には疎い新一なら、バレンタインのこの日にこんな風に女の子からチョコを貰う立場にあるという自覚などあるはずがない。

なら、こういうモノは彼に気付かれる前にテキトーに処分してしまうに限る。
そうすれば、別に何の問題はなかったはずなのだ。


そう説明する快斗に、新一は怒って良いのか喜んで良いのか分からなくなった。
まるで、それが最善の方法だったと言わんばかりの言い訳に、……その手の問題には疎い新一は混乱する。

「ま、良いじゃないか。新一だって、別に女の子からチョコを受け取るつもりなんて更々なかっただろう?」
「…………そりゃまぁ」
「なら、これで良かったんだよ、……って、あっ!!」
突然大きく声を上げた快斗に新一はビックリする。

「何だ!?」

「性懲りもなく、あんな所に紙袋がっ!……ったく、何時の間に」
怒りながら指さす先。そのテーブルの上には見覚えのある紙袋が一つ。

「勝手に置いて行っても、こっちは処分するって、あれ程言ったのに!」
カウンターから出ると、ズカズカと大股で歩み寄り、取り上げる。

「あっ、それオレの……!」


その言葉を聞いた快斗の声が更に険のあるものになる。
「何!?何時の間に新一に手渡してんだかっ」


「そ、そうじゃなくてっ」
捻り潰さんばかりのそれに、新一は慌てて手を差し出して取り返す。

「新一、それがそんなに大事なのか!?……誰に貰ったんだよ」
「じゃなくて!」
いつもの快斗らしからぬその態度に、新一は取り返したそれを紙袋ごと押しつけた。



「これは、オレからお前にっ…………!」





「───────え?」







新ちゃんも、ちゃんとあげなきゃダメよ。
日頃お世話になっている人や大切な人に、こういう時でなきゃ、なかなか贈り物なんて出来ないでしょ?
感謝と愛を込めて、気持ちはきちんと伝えなきゃ、ね?








服と薔薇のお礼の為にかけた電話。
新一の母有希子は、電話越しにこう言ったのだ。

2/14は『St. Valentine's Day』。この日は女の子が愛を告白する日だけじゃない、全ての人間が大切な人達に愛を伝える日なのだと。

大切な人はたくさんいる。そんな人たち一人一人に、この日だけで想いを伝える事は難しい。
でも、たった一人の『大切な人』だけは、この日に告げなければいけないような気がした。

別に畏まった愛の告白、なんてものじゃなくて……それは、この目の前の大切な人が、何時までも自分の『大切な人』で居て欲しいと思う願い。

だから新一は「来るな」と言われていたのにも関わらず、この店にやって来たのだ。

この日を逃せば意地っ張りな新一の事、何も言えなくなってしまう。今の自分にとって快斗がどれだけ大切で大きな存在なのか。
ホントは言葉だけでも十分なのだろうけど……万が一、うまく伝えられなくても、プレゼントがあれば決して悪いようには取られないはず。

感謝の気持ちだけでもくみ取ってもらえればと、プレゼントを買った。
大したモノは思い浮かばなかったけど、一生懸命選んだプレゼントを、受け取って欲しかった。





「コレ……新一から、オレに……?」
少し戸惑った声。その問いにこくりと頷く新一からは、快斗の表情を伺い知る事は出来なかった。

「コレって…バレンタインのプレゼント……だよな」

再び新一が頷く。


それからは、快斗の言葉は無かった。


動く気配のない快斗を怪訝に感じ顔を上げた新一の目の前に飛び込んで来たのは、これ以上はないくらい嬉しそうな表情をした快斗だった。


「新一、うれしい。……ありがとう」

飾り気のないストレートな言葉が、新一には嬉しかった。

そんな気持ちのままにっこりと微笑むと、ふいに快斗の両腕が新一の背中に優しく巻き付いた。

新一からのプレゼントを持ったまま、ぎゅっと抱きしめる。


「新一……すごく嬉しいよ」

「…ああ」


胸の中に抱き込まれて、その心地よさにうっとりと瞳を閉じる。



新一からのプレゼントがよっぽど嬉しかったのか、快斗は暫くの間新一を抱きしめたまま動かなかったが、新一が小さく身じろぎすると、渋々ながらその身を解放する。

「コレ、今開けても良いか?」

掴んだままの紙袋に気付いた快斗が先程の渋面から打って変わって機嫌良く尋ねると、いそいそと袋の中から綺麗にラッピングされた細長い包みを取り出した。

決して華やかではないが、落ち着いた品の良い外装は有名ブランド社のもの。リボンと包装紙を解いて現れた箱の蓋を開くと、きれいなワインレッドのジャガード織りのネクタイ。
こう見えても、プレゼント選びにはかなり悩んだのだ。
服や靴にしようにもサイズが分からないし、仮にもジュエリーショップを経営する相手に貴金属類を贈るのも憚られた。
……結局、何本あっても邪魔にならない、且つ、何時も見慣れているデザインのネクタイを選んだのだ。

あくまで、『日頃の感謝の気持ち』を表したつもり、なのだったが、快斗は新一の想像以上に喜んでくれた。

「新一、本当に嬉しいよ。ちゃんと使わせてくらうから」
上機嫌で微笑む快斗に新一も嬉しくなる。



「…………で?」
上機嫌のまま尋ねてくる。

「何だ?」
何か、不都合な事でもあったのかと聞き返す。

「だから……もう一つ、何かない?」

「もう一つ?」

もう一つ、って……まさかもっとプレゼントが欲しいと言っている訳でないだろう。

そこで、はたと思いつく。しかしたら、バレンタインカードの事を指しているのか?
確かに、欧米ではプレゼントにカードを添えて贈るものだし。
……しかし、今更カードだけを渡すというのもヘンだ。何より、ちゃんと相手に手渡し出来るのなら、そんなメッセージカードなんて必要ないだろう。第一、照れくさい。

お店でネクタイを包んでもらう時にも「カードはご入り用ですか?」と問われたが、そんな思いもあって断っていたのだ。
だから。
「カードは、大目にみろ」

「…………じゃなくて」

「…?違うのか?……じゃあ」
何だろう。
首を傾げる新一を見て、快斗はさっきまでのご機嫌の笑顔から、少し心配気な表情に変わる。

「新一……チョコは」

「えっ?何!?」



「だから、オレへのチョコは……?」




「………………は?





新一のその言葉に、快斗は今にも泣き出しそうな、何とも情けない顔になった。
余談ながら、これほどまでに奇妙な表情をしている快斗を新一は今まで一度も見た事がない。

「え……そんなにチョコレートが欲しかったのか?……でも、お前って甘いの苦手だろ?」
快斗がチョコレートを食べている姿が想像出来なくて、と言うより基本的にオトコが甘いものを真から欲しがるとは思わなくて、端からチョコレートを用意しようという気はなかったのだが、快斗は違う。

「………誰が、甘いの苦手って言った?」
「ち、違うのか!?」

まさか……と思いつつ、身を引く新一に、


「オレ……甘いのはものすごーく好きなんですけど」

「……嘘!?




初耳である。

もちろん、快斗がそう告げるのは初めてなのだから、新一が知らないのも無理はない。

しかし、別に隠していた訳ではなかった。だから、新一が注意深く快斗を観察していれば彼が甘いもの好きであるという事は容易に分かるものでもあった。

例えば、彼の店のミニキッチン脇に備えられている冷蔵庫の冷凍室には、カップのアイスクリームがダース単位で詰め込まれている事や、何時も快斗が煎れるコーヒーには彼のカップにだけシュガーがたっぷりと入れてある事等々。

一般的に言われている『オトコは甘いもが苦手である』という常識は快斗には当てはまらなかった訳で。

「………快斗って、もしかしてチョコレート……欲しかった、とか」

………………………欲しかった

ぽつりと呟く快斗に、新一は考えるまでもなく身を翻すと店を飛び出した。

そのまま大通りへと出て周りを見回す。斜め前に営業中のケーキ屋を見つけると、そこへ向かい店内にずらりと並べられているチョコの山から適当な大きさの包みを取り上げた。



勘定を済ませ、店へと舞い戻ると、快斗は何時も接客に使っているソファに深く沈み込んでいた。
心なしか、表情は暗い。
そんな彼の目の前に新一は先程買ったチョコの包みを差し出した。

「お前矛盾してる。……オレからチョコレートが欲しかったのなら、今日はここに来ないはずのオレから貰えるはずがなかったじゃないか」

「……オレは、お前からバレンタインデーにプレゼントを貰えるとは思っていなかったんだよ」
新一に視線を合わせる事無く呟く。

快斗だって、欲を言えば新一からバレンタインチョコが欲しかった。
しかし、彼がバレンタインの事を考えているとは到底思えなかったし、何より世間一般では、女の子がチョコを贈るイベントと化してしてるこの日本で、オトコである新一に期待する訳にはいかない。

それに、これは相手の気持ちの問題であって、催促してまで欲しがるようなものじゃない。


だから、新一から何かを貰うなんてコトは最初からあり得ぬ事だと割り切っていたのだ。


──────なのに、思いもよらず彼からの贈り物。


これに狂喜しないはずがない。
期待していなかった分、喜びは大きかった。そして、こんなプレゼントをくれるのだから、当然チョコもあるものだと思い込んでしまったのだ。


たくさんの女の子から、チョコやプレゼントを差し出された。
きっと甘く美味しいそのお菓子。心のこもった贈り物。
──────だけど、快斗が欲しいのは彼女たちには与えられないもの。



たった一人の愛しい人からでないと与えられない。



新一が差し出したチョコ。もちろんそれは手作りでもなければ、吟味して買ったものでもない。
只の市販されているチョコレート。
今日、女の子達が置いて行ったチョコの中にも、これと同じものがあるかも知れない。


なのに、彼から手渡されるというだけで、それが『特別』になる。


それだけで、嬉しくなる。


「オレは……新一がくれるモノなら、一口チョコだって嬉しいんだから」

顔を上げて新一を見つめる。普段の彼らしい表情を見せた事に新一は、ほっとした。
差し出したままの新一の手。その手の中にある可愛くラッピングされた箱を受け取るように伸ばした快斗の掌は、そのまま彼の手首毎掴んで引き寄せた。
前屈みになって快斗を見下ろすようにして立っていた新一は、あっさりと快斗の胸の中に降りてくる。

「……ちょっ…快斗!」
そのまま倒れ込んでしまった新一に、快斗は囁く。

「いきなり飛び出して行くから、びっくりした」
快斗が触れる新一の身体のそのどこもが冷たくひんやりとしていた。
慌てて起き上がろうと身を起こす新一の動きを止めるように、そっと背に腕を回し優しく髪を梳く。

その仕種に新一も静かに力を抜くと、快斗の胸の中に大人しく抱かれた。

「甘いモン好きなら、最初からそう言えば良かったんだ」
ため息混じりの言葉。
そうすれば、ちゃんと買っておいたのに。

「別に殊更告げる機会がなかったんだよ。……それに、言わなくたって理解るだろ?」

腕の中で微かに首を傾げる新一の頤に手を滑らせると、仰向かせる。
少し戸惑った表情をした新一に微笑むと、そっと口唇を重ねた。


「………こんなに『甘い新一』が好きなオレが、甘いモノ嫌いな訳ないじゃないか?」

「───────!」


耳元で囁かれ、反論するより先に羞恥で目元が朱に色づいた。

「かい…っ…」

「だから、チョコより甘い新一を先に食べてもいい?」

耳朶を噛むようにそう尋ねてくる快斗を新一は押し退けようとして、止めた。


新一だって、快斗が与えてくれる『甘さ』は好きだから。
甘く囁く言葉も、その仕種も、彼が触れてくるそれは、何時も溶けるように甘い。

普通の甘い食べ物は苦手だけど…………これは特別。


「……後でちゃんと食えよ、チョコレート」
頬を上気させながらも、ぶっきらぼうに放つ言葉に快斗は微笑む。






「当たり前だろ。新一もチョコも……甘いモノは大好きだから、な」











翌日、快斗が身につけたのは新一から贈られたネクタイ。

カウンターの脇にはガラスボウル一杯に入れられた一口チョコレート。


それは甘いモノ好きの彼への…いわば愛の証。



ボウルの中身は、決して底をつくことはない。






Fin





NOVEL

2002.02.14
Open secret/written by emi

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル