Hologram 後





さて。
アイが夕飯の支度に精を出している頃。
相変わらず居間のソファで読書中だった工藤新一の手元に置かれていた携帯電話が、単調なメロディを奏でた。
それは、隣家の住人からの電話で、しかも新一にとってあまり歓迎すべき情報ではなかった。

「何だって!何で、そんなモン作ったりしたんだよ!」
肖像権の侵害だと喚き立てる新一の声に驚いたアイが、何事かとキッチンからやって来た。
「マスター?」

『だって、仕方ないじゃない。盗られたものは盗られたんだから』
電話の向こうで、志保が溜息混じりに応えるが、そんな事、新一の関知する事ではない。
問題は。
「そもそも、オレ仕様のホログラムが存在していたなんて、聞いてねーぞ!」
珍しくエキセントリックな新一の態度に、アイは目を丸くした。

『私だって、あなたに知らせるつもりはなかったわよ。……嫌がると思ったし」』
「分かっているなら何で」
『だって、仕方ないでしょう!私だって、助手が欲しかったのよ。研究内容を決して漏らさない、口が堅くて愚痴も言わない助手が』
それには、この実体ホログラムが適任ではないかと、志保は続ける。

『まさか、黒羽君に奪われる事になってしまうなんて、思いもよらなかった事だけど、恐らくあなたも近い内に目にする事になると思うから、先に知らせておこうと思って』
あくまでこちらは被害者で、新一に対して親切心で教えたと言う志保の言葉に、新一は勝手な言い分だと憤慨しつつも、もう溜息しか出なかった。
そんな新一を、アイが心配そうに覗き込んでくる。

「何だよ……つまり、オレと同じ顔をしたヤツが、快斗の傍に居るって事だよな。……アイツ、一体何考えて……」
『兎に角、「shin_1」を見ても驚かないでね。伝えたから』
「ちょっと待て!……その、今から何とかならないか。姿を書き換える、とか」
『無理ね』
僅かな望みも、志保は素っ気ない程あっさりと否定する。
その態度に、新一は心のどこからか怒りがこみ上げてくる。
「じゃあ、何でオレの形した助手なんか作ったんだよ!姿なんて、いくらだって書き換えられた筈だろう」
目の前のアイがその例だ。何も、新一の姿に固執する必要性は無いはずだった。

しかし、そう言われた志保は、先程までとは打って変わって、歯切れが悪くなる。
『……そ、そうね。だけど……』
「なんだよ、はっきり言えよ」
『その……言ったら、工藤君が機嫌損ねてしまうかも知れないけど……』
それでも良い?と、念を押してくる。
「だから、何だよ!」
『好みだったのよ……その、工藤君の顔が』
言いづらそうにそう言う志保に、新一は目を見開いた。

「……は?」
『だから!……あなたの顔を見ているとね、たまらなく……こき使いたくなっちゃうのよ』
今までずっと隠して来たのだが、志保は、あの手の顔を目にすると、問答無用でこき使いたくなるというか、ズバリ、苛めたくなる習性があったのだ。
裏を返せば、志保はきっとその手の顔が好きなのだろうと思う。好きだから、苛めたくなるに違いない。

でも、いくら何でも、色々と恩義のある新一に対して、使用人扱いするなんて真似は絶対出来ない。なので、その代償行為に『shin_1』を求めたのだった。

『工藤君にとっては、迷惑な話かも知れないけれど……でも、お陰で黒羽君も手に入れる事が出来たし、嬉しいわ。彼等みたいな顔が相手なら、遠慮なく命令出来るもの』
何しても、罪悪感が沸かないのよね、あの手の顔を相手にすると。
志保はそう言って機嫌良く笑い声を上げた。……反して新一は、何故か背中に冷たいものを感じずにはいられない。

「マスター?お加減でも……」
暫くの会話の後、疲れた顔で通話ボタンを切った新一に、アイが気遣わしげに声を掛けてくる。そんな彼女に新一は乾いた笑いを一つ見せると、「アイの嫌な予感が当たっただけだよ」と、そう言って、そのままソファに倒れ込んだのだった。











焦燥の新一を気遣いつつも、アイは彼をダイニングの椅子に座らせ、夕食をテーブルに並べた。
あっさりした味付けの和食で統一された献立。具だくさんのみそ汁が湯気を立てながら、食欲を誘っている。
「さぁ、召し上がれ」
敢えて、いつものように振る舞うアイに、新一ものろのろと箸を掴んだ。
「今日は、1日何処にもお出かけになりませんでしたので、労働代謝量分のカロリーは少し控えめにしました。でも、ご飯はお代わりしても結構ですからね」
アイはそう言うと、まるで監視するかのように、新一の正面の椅子に腰を掛けた。これは毎食の事だ。にこにこと機嫌良さそうに新一の食事を見つめている。
彼女はホログラムなので、食事は摂らない。しかし、新一が食べ物を口に運ぶ度に、さも嬉しそうに微笑んだ。

「お味は如何ですか?」
「……うん、悪くない」
アイの作る料理は、食べる前はそれほど食欲を感じなくても、一度口にし始めると箸が止まらなくなる。
それは料理の上手さとは別の何かがそうさせているようで、新一は何時も不思議に思いつつも、毎回残さず食べてアイを喜ばせた。

そして……そんな穏やかな夕食の一時が過ぎ、アイが食後のコーヒーをいれている最中に、それは起きた。


「──マスター、……何か来ます」
新一にコーヒーを出している途中、突然顔が険しくなったメイドに、新一は顔を上げた。
「……何?」
小首を傾げる間もなく聞こえてくる足音に、新一は聞き覚えがある。

「新一、元気してた?」
まるでもう何年も会っていなかったような態度で新一の前に現れたのは、5時間前に顔を合わせたばかりの友人だった。
テーブルの向こうで、アイが嫌な顔をした。

「……快斗」
家人の許しを得ることなく、我が物顔で存在する相手には、何を言ってものれんに腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい。
新一はうんざりした態度を隠そうともせずに彼を見やった。
「え。何、何?新一ってば、オレに会えて嬉しいって?オレも嬉しいよ!」
ともすれば、ハートマークが飛び出しそうな勢いで応えてくる快斗に、只でさえひそめていた新一の眉が、益々寄る。
そんな相手の態度に気付かないのか、それとも脳天気なまでに無視しているのか。全く意に介さない快斗は、嬉々とした声で新一に笑いかける。

「今日は新一に是非紹介したい人を連れて来たんだよ」
「……オレは、会いたいくない」
先程の連絡のお陰で、快斗が誰と引き合わせたがっているのか、手に取るように理解した新一は、こめかみを押さえて呻く。
「そんなー。新一、会ったら絶対吃驚するからさ」
それに、もう、そこまで来ているんだよ。と、にこにこ笑いながら、廊下のに向かって手招きしている。
「何が来るのか知っているから、驚かないっ」
新一がそう叫ぶように言い放つのと、招かざるもう一人の客人がダイニングルームに入ってくるのは同時だった。
その姿を見て、アイが息をのむ。新一は見たくないと言うかのように、頭を振った。

現在の新一よりも幾分線の細い身体。そして、子供っぽさが抜け掛けていないその顔が、口元をきゅっと引き締めて、少し渋い表情でこちらを見ている。
「ほらシンイチ。これがシンイチのオリジナルなんだよー」
どう?そっくりたろう?と、はしゃいだ声が室内に響き渡る。

「ボクがオリジナルにそっくりなのは、当然の事ではありませんか」
ほとんど表情を変えることなく言い放つホログラムだが、快斗は意に介すこともなく、ご機嫌な顔そのものだ。
新一といえば、当然と言えば当然な事なのだが、その声までそっくりな事に頭をふらつかせた。反して傍に仕えていたアイは、大きな瞳を丸くしてシンイチを見ている。

その視線に気付いたのか、シンイチがふとアイに目を向けた。
白衣を着た少年が、メイド服を着た幼い少女に何か言おうと口を開き掛け……そして噤む。
代わりに口を開いたのはアイだった。

「私は今……シンパシィを感じました」
この場合、彼女の言う「シンパシィ」とは、同情や哀れみと言った意味ではなく、調和。あるいは、共鳴と称される類の感情を指して言ったものだった。
そして、それはそう言われた相手のホログラムも感じた事。
「マスター……これは私と同じホログラムです」
「……だろうね」
「私のオリジナルであり、コピーでもあります。……だから」
そう言うなり、アイはシンイチの元に駆け出した。そして、己の主人よりほんの少し線の細いその身体にしがみついたのだ。

「だから、これは私のものなの!」











「ち、違う。これはオレのだっ!」
突然の発言に快斗は一瞬呆然としたが、すぐに我に返るとシンイチからアイを引き剥がしに掛かった。
しかし、その前にアイはあっさりと質量を無くした為に、只の動くホログラムとして、相変わらずシンイチにしがみついていた。これでは、彼女に触れる事も出来ない。
「ひ、卑怯だぞ!」

「私は、私の大切なもう一人の自分を護っているだけです」
アイはまるで勝ち誇ったようにそう告げると、シンイチを見上げた。

「マスターと同じ顔、同じ声。そして、私と同じホログラム。私の仲間。私の原点。私の一部。私自身……ねぇ、そうでしょう?『shin_1』」
「はい」
シンイチは、考えるまでもなく即答した。

「オレは、君のコピー。そして、書き換えられたオリジナル。……だから、オレ達は同調する事が出来る」
「だから、あなたは私のもの」
「そして、君はオレのもの」

「違うっ!!これはオレが貰ったんだ!!」
しかし、彼女は快斗の言葉など全く聞いては居なかった。故意か無意識なのか、あっさり無視して、新一に言い募った。

「マスター、お願い。私はshin_1と一緒にいたい、ずっと一緒にいたいの。だから、彼も此処に居て構わないでしょう?」
「……いい加減にしろよ、この女」
アイのあどけなくも必死な願いに対して、口を開いたのはやはり快斗だった。その、まるで地を這うような声の響きに、アイもようやく不機嫌な表情を隠さずに彼に視線を向けた。
「コイツは、オレのホログラムだ。こいつのご主人様はオレなのに、何でお前がしゃしゃり出て来なきゃなんねーんだよ」
「ご主人様……?」
その言葉にアイは目を丸くし「本当なの?」とシンイチに訊いた。すると彼は眉を寄せて「不本意ながら」と応えてきた。
アイは益々目を丸くし、次いでその大きな両目を潤ませた。
「可愛そうなshin_1……こんな人間を主人としなければならないなんて」
なんて不幸なのだろう。彼のホログラムとしての人生は、最初から躓いてしまっているのだ。

「それ、どういう意味だよ」
憮然とする人間の事などアイはまるで気にも掛けなかった。
「仕方ありません。私達ホログラムにとって、マスターの存在は絶対です。……ならば、この愚かな人間も一緒に此処に居て貰いましょう。そうすれば、私達は離れないで済みます」
苦渋の決断を下すアイに対して、『災い転じて福となす』そのものな展開に思わず喜色満面な表情を快斗は見せた。

だが、それに反意の声を上げたのは新一である。

「冗談じゃない。そのホログラムは兎も角、快斗も一緒なんて、オレはゴメンだ」
「そ、そんな……新一」
快斗が情けない声を上げるが、新一は意に介さない。
「オレは一緒に住むなんて事で、お前の生活を崩したくない」
「だから……そんなの全然」
更に言おうとする快斗を、新一は視線で制した。
「オレはさ。……ずっとお前に甘えまくってきただろ?だから、もしお前と同居なんて事になったら、きっと益々つけ上がって甘えてしまう。……けど、そういうのって、ダメだと思うんだ。そういう馴れ合いも、そりゃたまには良いけど、始終そうではダメだと思う。……オレは快斗とは対等で、良い関係でいたいんだよ」
「……新一」
新一の言葉に快斗は喜んで良いのか悲しんで良いのか判らない、複雑な顔を見せた。
「……オレ、快斗みたいな気の合う友達持てたの、初めてだったし」
親しい友人は、他にも居る。けれど、一緒に居て、こんなにも心地良く居られるような人間は、快斗だけだ。

新一は、新一なりに今の良い関係を壊したくなかったのだ。
「だから、絶対にお前との同居は反対だ」


「……マスターのお気持ち、良く判ります」
アイはシンイチに抱きついたまま頷いた。
アイがシンイチと一緒に居たい気持ちは真実だったが、ホログラムとして、主人の意向こそが最優先で、彼の幸福が絶対なのだ。新一の意向を無視してまで我を通せるような構造は、ホログラムにはなされていない。
「私にとって、マスターは何よりも大切な方。……マスターの意向を無視して、我を通す事など考えられないもの」
言葉の前半は新一へ、後半はシンイチへと向けられる。それに反応したのはシンイチが先だった。
それまでずっと仏頂面をしていたその顔が優しく微笑みを湛えてアイに語りかける。

「元々一つの存在だったオレ達は、今も繋がっている。……だから、どんなに遠く離れていても、互いを感じる事が出来る」
語りかければ応えられる。嬉しいことも悲しいことも、回路を開放すれば全て伝わるのだ。
アイは小さく頷いた。
「……ええ、そうね。私達は機能停止するまで……ずっと繋がっていられるんだわ」
抱きついたままのアイの身体を、シンイチは一瞬だけ強く抱きしめた。まるでそれが合図であったように、アイはシンイチからゆっくりと離れた。
とん。と小さな音がした。床に足を着ける音で、彼女の身体がいつの間にか質量を取り戻していた事に、新一と快斗は気付いた。

白衣を纏った少年ホログラムが、徐に快斗の方に身体を向けた。
「……ご主人様、何かご用命はございますか」
「え?」
「ボクは彼女と違い、連続稼働時間が短いのです。既に5時間以上稼働し続けました。稼働時間が6時間を越えると、オーバーヒートする可能性があります」
「え、そうなの?」
「……てめー、何も聞いてなかったのかよ」
心許ない主人の言葉に、新一は呆れて快斗を睨んだ。
大切なシンイチを預けなければならないのに、当の本人の危機管理の薄さを知って、アイの瞳も険を帯びる。
「そ、そんな。ちょっと浮かれてて、聞き逃していただけだよ」
空笑いで事を納めようとする快斗の態度に溜息をついたのはシンイチだった。
「……何も無ければプログラムを終了してもよろしいでしょうか」
シンイチ自身、主人の命令には逆らえないが、防衛機能はちゃんと存在する。起動始めたばかりで停止はしたくはなかった。
「うん。……じゃあ、『プログラム終了』」
快斗の言葉と共に、シンイチの身体は一瞬にしてかき消えた。

「……6時間なんて短すぎるわ」
アイはぽつりと呟いた。連続稼働時間が240時間もあるアイに比べ、シンイチの稼働時間はあまりにも短すぎる。
先程の電話で、ある程度の事情を知る新一は、溜息をついた。

彼は、まだ開発途中だったのだ。
未完成のまま、快斗により起動を余儀なくされた。恐らくはこれから様々な不具合が生じるのだろう。その度に修正プログラムを組むつもりであると宮野志保は言っていたが……。

「……連続稼働時間は、あのままにして貰おう」
24時間フル稼働で快斗にこき使われる自分そっくりのホログラムを想像すると嫌な気分になる。自分自身ではないとはいえ、明らかにあれは『新一』なのだ。
新一は快斗の友人で居たいわけであって、快斗の召使いになりたいとは……天地がひっくり返っても思わない。

「ねぇ、新一。……オレ、別に新一と一緒に暮らしても全然文句ないよ。それ所か大歓迎。その程度でオレ達の関係が変わっていくなんて、考えられないし、新一の世話は彼女が引き受けるのなら、オレが出しゃばる必要ないし……結構上手くやっていけると思うんだけどなぁ」
そうすれば、シンイチもアイちゃんと常に一緒に居られるし、一石二鳥じゃないか。
諦め切れなのか、そう言う快斗だったが、新一の考えは変わらない。

「くどいな」の一言でバッサリ切り捨てられ、快斗はガックリ肩を落とした。

そして更に新一から「アイツをあんまりこき使うなよ」と、アイからは「苛めないで下さいね」と釘を刺された。
とんだ珍事にすっかり冷めてしまったコーヒーを取り替えるべく、アイがキッチンへと駆けていく。小さく首を竦めた新一は、招かざる客人を置いてリビングへと姿を消した。
取り残された快斗は、大きな溜息を一つ。

シンイチの存在はもう二度と手放したくない程に嬉しい事だったけれど、当の本人にあれ程までにキッパリと友達扱いされたのがかなり堪えたようで、肩を落としたままトボトボと引き返していった。
それに気付いたアイが、嬉しそうに玄関まで見送り(追い出し)に走る。
そんな彼等の気配を感じつつ、新一はリビングに放り出してあった単行本を取り上げた。

実家暮らしをしている快斗にとって、デメリットしかない新一との同居など、決して認められる事ではなかった。
例え家の事はアイが仕切ってくれるとはいえ……あの面倒見の良い快斗が黙って居られる訳はない。それ程の性格でなければ、只の友人である新一に対し、あれ程までに細やかに世話が出来る筈もないのだ。
快斗には快斗の生活がある。それを侵してまで新一の傍に居させたりするなんて……それは友達のする事じゃない。
今はそれで良くても、何時かうんざりして、新一から離れていかないとも限らないのだ。
快斗が新一から離れていく。
……そんな事、考えるだけで心が冷たくなる。


「だけどアイツも、もう二度と一緒に住みたいなんて言わねーだろうな」
新一は、小さく笑って本の頁を捲った。



しかし。
実の所、この決断が後に新一を凄まじいまでの後悔を引き起こす事になるのだが、……それはずっとずっと先の話。






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2003.10.01
Open secret/written by emi

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