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夜が来る。
雲のない夜は、空が綺麗だ。今夜は満月の夜。遮るもののないそれは、煌々と光の粒を地上に注ぐ。

新一は、二階のバルコニーの手すりに身体を預けるようにに手を掛けて、深い藍色の空を眺めていた。
ふと、星が流れる。
綺麗な尾を引いて、南の空を切り裂くように、それは流れ星。
「あ……」
新一が、思わず小さな声を上げた時だ。

地上の辿り着く前に流れて消えたように見えたその光が、くくっと屈折して、こちらに向かって飛んでくる。

それは、新一の居る場所に真っ直ぐに向かって……バルコニーの前で浮いて止まった。
「え……と。工藤新一さん?」
光は人の形に変えて、そう新一に尋ねる。
「はい」
くっと小首を傾げつつも、そう答えると、相手は少し申し訳なさそうな顔をして、新一に封書を手渡す。
「……申し訳ありません」
手渡されたそれは、新一が出したものだった。

宛先不明で戻ってきた、手紙。

「転居届が出されていなくて……」
そう頭を下げる彼は、郵便配達人。新一は、少し寂しそうに微笑みながら首を振った。
「……いえ、良いんです。何となく、そんな気はしてましたから」

郵便配達人は、最後まで恐縮した様子のまま、その場を後にし、また空へと戻っていく。金色の光の尾が宇宙へと昇って、そして消えていった。


新一は、小さな溜息をついた。
再び手元に戻ってきた手紙を寂しげに見つめる。

それは、新一がキッドに宛てた手紙。


「あら?やっぱり、ダメだったのね?」
ふいに背後から覗き込む人物に、新一は振り返った。
「あのボウヤも、本当に困ったものね」
月の光を浴びに来たのか、この屋敷の女主人は、新一の隣りに来ると、うんと伸びをした。

この屋敷には、彼女が一人で住んでいる。そして新一は、この家に滞在していた。……彼女に助けられてから、もう何度目の満月を数えただろう。
「佐藤さん」
「なぁに?」
艶めいた声が、新一に言葉の先を促す。新一は、躊躇うように言い淀んで俯いた。

「良いのよ。好きなだけ、此処に居なさい。私は気にしないから」
新一の言いたい事などお見通しと言わんばかりにそう言って、彼女は笑った。

「私も、もうずっと此処に一人で住んでいるでしょ?たまには誰かとおしゃべりしたいと思うし、それに工藤君ってば若いから」
「はぁ……」
「私にだって、今の工藤君のように若い頃があったんだから。もう、お肌なんて、ピチピチのね」
年老いた今は、こうして若者を傍に置いて、若さのエキスを搾り取っているのだと、本気とも冗談とも付かぬ声で言った。

「佐藤さんは、今も充分お綺麗ですよ」
「いやね。そんなお世辞言ったって、何も出やしないわよ」
満更でもないように微笑む。確かに新一が言う通り、彼女はまだまだ美しい。身体にぴったりフィットした服装から見ても、彼女の身体の線は、全く崩れてなどいなかったし、円熟した美貌と相まって見る者の視線を離させない。
彼女は、充分美しい女性であった。

「でもねぇ。肌の衰えは如何せん止めようがないのよねぇ。……これだけ長く生きていると、年を取るにつれて衰えるのは仕方ないのだけど」
「そんな、年だなんて……ボクよりもほんの少し長く生きているだけじゃないですか」
そう新一が言うと、彼女は思わず吹き出して、大声で笑った。

「やめてよー。いくら何でもそれは言い過ぎ。工藤君っては、あのボウヤ同様、まだまだひよっこじゃないの。……でもねぇ、まぁ、私もまだまだ若く綺麗なままでいたい願望はあるのよ、それでね」
彼女は、ふと声をひそめた。
「全身エステ、しようと思っているの」
「え!?」
新一は、びっくりしたように、両眼を大きく見開いた。
「やっぱり、定期的にお肌の垢を落として、栄養のあるものを全身にたっぷり塗って、マッサージもして……それから、良く寝ることね。やっぱり、寝不足はお肌の大敵だから」

彼女は何でもないようにそう言う。……確かにそうすれば、彼女はまだまだ綺麗なままで生きられるだろうが、しかし。

「前回エステしてから、大分経ったものねぇ……。そろそろチャレンジしてみても、罰はあたらない筈よ」
うんうん、と一人納得するように言う彼女に、新一は戸惑う。

「さ、佐藤さん。それはちょっと……」
「あら、大丈夫よ。あのボウヤが目的を果たせたら、の話ね」
彼女は悪戯っぽく微笑んで、綺麗にウィンクして見せた。
それを聞いて、新一は少しだけほっとする。……その後、ふいに自分はなんて偽善的なのだろうと、少し自己嫌悪に陥った。

キッドは今、一人の女を追いかけている。
キッドが生まれてからずっと、彼は彼女以外には全く興味を示さずに、只、何処に居るのかも知れない女を捜しに捜し続けている。
新一は、そんなキッドが好きだった。……好きだからこそ、彼を夢中にさせるその『パンドラ』という女が好きになれなかった。
……これが嫉妬である事を、新一は承知している。それでも、この気持ちを消し去る事は出来なかった。

「あの子も何時まで、あの女を追い続けるつもりかしらね」
事情を知る彼女は、少しうんざりした様子で呟いた。
「工藤君が、どんな気持ちで此処に来ているのか。……彼はきっと知らないのでしょうね」
知ってたら、真っ先に来る筈ですものね。 彼女はそう言って、煌々と光る月を見上げた。

今夜は満月。……もし、今夜やって来なかったら、また半月待たねばならない。
待った所で、次来る保証は何処にもないのだけど。

「心配、なんです。……アイツんち、突然爆発して、宿無しになって、それでも女捜しに駆けずり回っているから」
自分の事より、余程あの女の事が大事なのかと。……新一には、便り一つ寄越さないで。

最初、爆発の報を聞いた時、新一は一瞬意識を失い掛けた。死んでしまったのかと思ったのだ。しかし、知らせてくれた快斗が、彼は丁度その時外出中で、巻き込まれずに済んだ事、管理するものが無くなった分、前にも増してパンドラ捜しに熱が入ってしまった事を聞いた。
キッドと快斗は双子星だったから、快斗はごく当然のように、宿を無くしたキッドに一緒に住もうと申し出たのだが、あっさり断られた事も話してくれた。

キッドが宿無しになってから、新一は一度も彼に会っていない。それ以前も、滅多に会う事は無かったのだが、それでもたまに会えるのが新一は嬉しくて嬉しくて。
新一は、キッドが大好きだったのだ。


「若いって素晴らしい」
突然、彼女がそんな事を言った。
「若いから、無茶も出来るってものよね」

新一の力では、キッドが何処に居るのか判らなかった。もしかしたら、快斗なら彼の後を追えるのかも知れない。けれど、彼はそれほどキッドを気に掛けていなかった。新一がキッドの居所を尋ねてみても、知らないと言うだけで、何も教えてはくれなかった。

キッドに会いたくて会いたくて。じっとしていられなくて、新一はとうとう飛び出してしまった。

パンドラとか言う女は、かなり小賢しい女で、誰にも見付からないように、石の中に隠れているらしい。だからキッドは、可能性のある石を見付け出しては、一つ一つ確認していた。
確認方法は、満月の夜に石を月光に翳すと、その中に隠れている彼女が見える、というものだった。
見付けた彼女を石から引っ張り出すには、時期的な問題があって、すぐに出来るものではなかったが、それでもキッドは彼女が隠れていそうな石を捜し出しては、この地にやって来て、満月の光に翳す。

だから。
新一は、キッドが石を見付けたら、必ずやって来るであろうこの地へやって来たのだ。
それは長い旅だった。あまりにも遠い事に、新一は何度も挫けそうになった。それでも、此処に来れば、いつかにキッドに会えると信じて、疲れた身体を引きずるようにして、やって来たのだ。
最後にはとうとう耐えられなくなって、気を失って地面に倒れ込んでしまったけど、すぐに異変に気付いた美和子が助け出してくれた。

疲労はピークに達していたが、大した怪我も病気もしていなかったので、数日の静養で身体はすっかり元通りになった。
事情を説明して、暫くこの屋敷に逗留させてもらっているのだが、彼女は大して気にすることもなく、どちらかと言えば楽しそうに新一の相手をしてくれた。
彼女には、感謝してもし足りない。

だけど、待ち人は何時まで経っても現れない。


「ま、人生まだまだ長いんだから、気楽に、ね?……工藤君の気が済むまで、此処に居ても構わないんだから」
そっちの方が、私も退屈しなくて嬉しいんだけど。 彼女はそう言って、朗らかに笑った。
新一は、そんな彼女の気遣いが嬉しくて、と同時に、何時までも甘えてはいられないとも思う。

雲一つない夜空。新一は少しだけ恨めしそうに月を見上げた。月は、相変わらずの静かさで、新一を照らしている。
新一が美和子に気取られずに、小さな溜息をついた時だった。

まるで月から飛び出してきたように、星が流れた。
乳白色の尾が、優美に夜空に弧を描く。
美和子が、少しだけ弾んだ声を上げた。

「あら……高木君かしら?」
彼女が、何気ないふりして、恋人の名を呼ぶ。しかし、内心の期待が態度に現れていた。美和子はバルコニーの手すりから身を乗り出すように、空を見上げている。
彼女の恋人は月にいる。……確かに、その光はまるで月から放たれた様に見えた。
その乳白色の光は、先程の郵便配達人のように、こちらに向かって飛んでくる。

新一が気を利かせて屋敷内に戻ろうとした時だ。
踵を返したその背中に、懐かしい気配を感じた。

「ごきげんよう」
その声は、新一が待ち焦がれていた人のものだった。

「あら……ボウヤだったの?いやね、紛らわしい方角から来て……」
彼女の、あからさまにがっかりした声。しかし、響きは楽しそうだった。

「貴方にお客様よ。……もう、ずっとずっーと、待ち続けていたのよ」
新一に振り返る彼女に、キッドは片手を上げて制した。
「そんな事より。……貴女の大切な恋人は、少し体調を崩したらしく、臥せってましたよ」
「……あら、そうなの?」
何でもない振りして、そう応えるが、内心は穏やかではなさそうだった。どことなく、落ち着かないように視線を彷徨わせる。しかし、そんな彼女を気に掛ける風もなくキッドは頷いた。

「こちらにお伺いする前に、高木さんの所にご挨拶に伺ったのですが、余りお元気そうではなく……しかし、決して貴女には知らせて欲しくないと。心配かけては申し訳ないと言って……」

キッドの話は、最後まで続かなかった。その前に、彼女は突然バルコニーの手すりに足を掛けたのだ。スリットが入ったタイトスカートから形の良いすらりとした太股が剥き出しになったが、彼女は頓着などしなかった。
そのままバルコニーから宙に身を躍らせると、瞬く間に光となって、夜空に舞い上がる。その光は、真っ直ぐに月へと向かっていった。

キッドはそんな彼女を見送ると、ようやく宙からバルコニーの床面へと足を落ち着けた。入り口で固まったまま動けずにいる新一に、穏やかに微笑み掛ける。
「新一……久しぶり」
その声を聞いた瞬間、新一の身体は動きを取り戻し、キッドの胸に飛び込んだ。

「キッド、キッドっ!」
「新一」
「あ、会いたかった……!」
声を震わせてそれだけ言うと、声を詰まらせた。そんな新一に、キッドは優しく髪を撫でた。
「ゴメン、新一。……今まで、会いに行けなくて」
肩口に顔を埋めたまま、動こうとしない新一。キッドはその髪に優しく口づけ、何度も謝った。

「オ、オレ……心配で、心配で。」
爆発の事を言いたいのだが、上手く言葉を操れなくて、しかしキッドはきちんと判ってくれた。
「仕方のなかった事です。……元々、アレはそれ程長くは保たなかった」
爆発の直接的な原因は、隕石だった。
丁度、キッドの星の軌道上に隕石が接近して、星は為す術もなく木っ端微塵になった。欠片は全て流星となって、様々な星に落ちたり、宇宙空間の中で燃え尽きてしまった。

「本来は、快斗しか生まれなかった筈なのに、偶然にも双子星として誕生してしまった。けれど、星としては未熟で、上手く育つ事は最初からあり得なかったんです」
「そんな……。オレ、そんな事全然知らなくて……」
話してくれなかったのは、新一を信用していなかったから?新一の事など、取るに足らない奴だとしか思っていなかったから?
「キッドの星……凄く綺麗だった。まるで真珠みたいに白くて柔らかな光で輝いていたのに……」
もう、その星は何処にもない。

「新一の方が綺麗だよ。凄く綺麗な蒼い星で……佐藤さんの青とは違う、もっと濃くて透き通っていて、上質のコーンフラワーブルーだ……」
そんな新一が、私は大好きなんですよ。キッドはそう告白した。
「キッド……」
初めて、彼の口から好きの言葉を聞いて、新一は吃驚したように両眼を大きく見開いた。そのままキッドを見つめる。

「ずっとずっと、私は新一が好きだった。好きなんだ」
「……そんな事、オレ、一度も聞いた事、なかった」
「だって、好きって言ったら、手放せなくなるでしょう?……ずっとずっと、新一の傍に居たくなる」
それはとても幸せな事だけど、そんな事になったら、キッドはとてもパンドラを捜し出せない。

「そんな事より、新一はどうして此処に?……随分遠くまで、何を」
新一の星から此処まで、気の遠くなるほどの距離がある。此処は、将来は参考になる場所かも知れないが、星としては、まだ未熟な新一にとって、今は特に学ぶべきものはない処だった。
首を傾げるキッドに、新一はくぐもった声で言う。

「此処に来れば、キッドに会えると思って……」
「新一……」
「爆発に巻き込まれなかった事は、快斗から聞いた。けど、お前全然姿を見せないし、オレはお前が何処にいるのか知らないし。星が消えた今、帰ってくる場所がなくなったお前は……お前は、もう二度とオレの処にはやって来ないような気がして……」

その時、ふいに思い出したのだ。
パンドラを秘めた石は、地球から満ち満ちた月に翳すと姿を現す事を。

「オレの所には来なくても、佐藤さんの所ならきっと何時か姿を現すと思ったんだ」
真剣な瞳で、新一はキッドを見つめた。
「だけど……こんなに遠い所まで。新一、滅多に外に出たこと無かったのに」
新一はキッドと違い、滅多に外出をする事はなかった。何時もは屋敷の中で静かに本を読んでいるのが、キッドの知る新一だった。

「だって、オレって、思い詰めたら、周り見えなくなるタイプだろ?……だから、何も考えずに飛び出したんだ」
お陰で、あまりの遠さに何度も挫けそうになったし、とうとう着いたと思った途端意識を失ってしまい、そのまま地上に墜落してしまったのだが。……それは彼が心配するだろうから、新一は黙っておいた。

「手紙も……出したんだ。もしかしたら、何処かに腰を落ち着けたかも知れないと思って」
もしそうなら、気の回る彼の事だから、きっと転居届も出されている筈だから、新一の書いた手紙もちゃんと転送してくれると思った。
「けど、結局戻ってきたし……オレ、もうどうしたら良いのか、判らなくなってた」
美和子は、そんな新一に何時までも此処に居て良いと言ってくれたけど、迷惑を掛けている事に違いは無かったし……何時までも自分の星を空ける訳にもいかない。
美和子に比べれば、ひよっこもひよっこ。まだ卵の殻も外れていないくらいのひよっこではあるけれど、自分の星に責任はある。新一の星は未熟ながら、核はとても安定しているので、美和子のように何時か命を生み出す事だって出来る可能性を秘めていた。

何時かは、帰らねばならなかった。それでも帰りたくなくて、ずるずると今日まで居続けた。


「新一、本当にゴメン。私は、新一がそんなにも私の事を想っていてくれているとは思ってなかった」
新一がキッドの事を好きでいて欲しいという願望は、もちろんあったが、理想と現実をはき違えて、新一に想いを押し付けたくはなかった。
……そんな事をして、嫌われたりしたくなかったのだ。

「オレも、お前がオレの事好きでいてくれていた事、気付かなかった……だから」
これで、おあいこだ。 新一は、そう言って微笑んだ。

そんな新一をキッドは力一杯抱きしめた。

「新一、新一、大好き」
「うん、オレも」

お互いの身体をぎゅうぎゅう抱きしめ合いながら、二人は幸せそうに微笑った。












主不在とはいえ、勝手知ったる他人の家。キッドは手慣れた仕種でお茶を用意した。星空の見えるテラスにテーブルセッティングして、心地よい夜のお茶の時間。
「キッドが此処に来たって事は、石が見付かったって事なのか?」
全てキッドが準備したそのお茶を、ずずっと啜りながら新一が訊くと、彼は静かに頷いた。
「此処に来る前に確認しました。……ビンゴでした」
澄ました顔でそう言って、彼もミルクと砂糖たっぷりの紅茶を飲む。

「え、それってもしかして……パンドラが見付かったのか!?」
「はい」
キッドは微笑むと、胸ポケットに手を入れて、卵大の大きさの石を取り出した。
それをそっとテーブルの上に置く。

「これが……パンドラ?」
「正確には、この石の中に、彼女が眠っています」
「そっか……」
新一は何処か複雑な想いで、それを見つめた。

「見ますか?……月に翳すと、彼女が眠っているのが見えますよ」
キッドの言葉に、新一は暫く躊躇っていた。しかし、意を決すると、テーブルの上のそれを手に取り立ち上がった。
煌々と光り降り注ぐ月。新一は石を月の方へと翳した。

「……あ」
何の変哲もなさそうな石がすうっと透き通ってきた。暫く眺めていると、石の中心に紅い色の何かが見える。
「高木さんの放つ光は、全てを貫く力があります。巧妙に隠されているモノも想いも」
佐藤さんて、本当に好い男を掴んだと思いませんか? 微笑むキッドに、新一は複雑な思いで石の中の紅い光を見つめていた。

「それで……これからどうするんだ?」
石を降ろすと、テーブルの上に戻す。キッドは新一の事を好きだと言ってくれたけど、彼の未来は新一ではなく、彼女と歩むのだろうか。
今までずっとずっと捜し続けていた女だ。キッドがそうする事に、新一は反対など出来ない。

しかし、そんな新一の気持ちを知ってか知らずか、キッドは飄々とした表情で、新一を見た。

「暫くは、彼女と対面するのはお預けだな。何せ、今は時期が合わない」
「……そうなのか?」
「1万年に一度、ボレー彗星が地球近付く満月時に、石を翳せば、パンドラは眠りから覚めると言われているが、その彗星はつい数年前に地球を離れたからね。だから、あと1万年近くは待たなくちゃならない」
キッドはそう言ってテーブルの上の石を転がした。

「そもそも、私は、この女を目覚めさせるつもりはないんですよ。……コイツは人騒がせな女だから、うっかり誰かに見付かって被害を及ぼす前に、私が封印しようと思っていただけだから」
「封印……?その、お前は『パンドラ』に惚れて、だから捜していたんじゃなかったのか!?」
キッドの告白に、新一は吃驚した声を上げた。しかし、その発言に驚いたのは、キッドの方だった。

「な、なんで、私がコイツに惚れてなきゃならないんだ?私が惚れてるのは、新一ですよ?好きだって、言いましたよね」
「へ?……あ、ああ……うん」
ちょっと怒ったように告げてくるキッドに、新一はばつが悪そうに、頬を掻いた。
目元をほんのり朱に染めて、ふいと視線を逸らす。

「新一、もしかして、私の告白、無かった事にしようとはしていませんよね」
「そんな事……ない」
そんな事されたら……新一はきっと落ち込む。

「なら、先程の発言は取り消して下さい。そして、私の事を好きと5万回言いなさい」
「え……?」
発言を取り消すのは当然だが……好き×5万回は多すぎる。

「5万回でも少なすぎます。1日1回言ったとしても、5万日……約137年で終わってしまうではありませんか」
その気になれば何十億年も生き続ける彼等にとって、それは瞬きする時間と変わらないかも知れなかった。

「佐藤さんなんて、46億年生きて、まだ若々しいですからね」
彼女の恋人の高木だって、それより1億年程若いだけだ。それに比べれば、キッドも新一も赤子同然。

「佐藤さんと言えば……彼女、近々全身エステするって言ってた」
ふと思い出して、新一はさり気なく話題を変える。キッドはそんな新一に大きく肩を竦めると、その話に乗ってきてくれた。

「美容に気を遣うとは、流石女性ですね。……その無謀というか、無茶な所も彼女らしいというか」
「クリオテラピーとか言ってたかな。……でもオレ、今の佐藤さん気に入ってるから、暫くはこのままで居て欲しい」
「妬けますね、その発言は」
先程とは比べ物にならないくらい穏やかに言うキッドに、新一は微笑んだ。
「だって、ここから見る星空はとても綺麗だし。もし、佐藤さんがエステなんてしたら、こんな風に星見は出来ないよなぁ……と思って」
円熟味を増したこの星は、何処も凄く安定していて、とても過ごしやすかった。

「あ、でも、キッドがパンドラを見付けるまでは待ってるって言ってた」
「それは、かなり本格的に手入れするって事ですよね。……私達が降りられないくらい念入りに」
キッドは暫く考え込んで、それから一人納得するように頷いた。

「なら、暫くの間は、パンドラが見付かった事は伏せておきましょう。そうすれば、今暫くはこのままにしておいてくれるでしょう?」
そして、また機会があれば、二人で此処に遊びに来ましょう。とキッドは新一を誘う。
新一は、もちろん喜んで頷いた。




真夜中のお茶会は、とても話が弾んで、新一は久しぶりに沢山の話がキッドと出来て、とても満足だった。
しかし、彼は肝心な事を告げていない。
実は、少し不安なのだ。……新一の申し出を断ってきたらどうしようかと。

「なぁ、キッド」
「はい、何でしょう」
紅茶のお代わりを注ぎながら、キッドが首を傾げる。

「お前……快斗の申し出を断ったんだってな」
「はい……?」
お茶を注ぎ終えたキッドは、何の事か判らず、暫くの間逡巡していたが、ふいにぽんと手を打って新一を見た。

「私が快斗に招かれた事でしょうか」
新一は頷く。
「……もしかして、何処か住む所を見付けたのか?」
ほんの少しの不安を織り交ぜて、新一が問うと、キッドはあっさり首を横に振った。

「いえ、そう言う訳では。……まぁ、私が快斗の申し出を断ったのは、単純に悔しかったからで」
相手に借りを作るのが癪だっただけだと、彼は言った。
「居候というのも肩身が狭いものですし、元々あまり自分の星にも居着く事も少なかったので、まぁ、却って自由で良いかなと思いまして」
確かに、キッドは滅多に自分の家に居る事はなかった。新一も、ごくたまにキッドの家を訪問する事があったのだが、何時も留守で、その度にがっかりしていた事を思い出す。

「で、でも……やっぱり少しは羽を休める場所はあった方が良いと思う」
「それは……そうですね」
「それで、な、キッド。……もし良かったら、オレの所に来ない、か?」
しどろもどろにそう言って、新一はキッドを見られなくて俯いた。

キッドは未成熟のまま、自らの星の生命は終えてしまったが、同じ時期に生まれた新一の星は健在とはいえ、未だ生命すら誕生していない。
なので、新一は蒼い星で一人きり。

「その、オレの所はまだ満足に住めるような場所も少なくて、あちこちで燃えてたり爆発してたりするけど。……でも、オレの住んでいる丘は、そんな広くないけど、もう一軒家が建つくらいのスペースくらいならあるから」
つかえつつもそう言うと、ちらりとキッドを盗み見る。

キッドは吃驚したように眼を丸くして、新一を見ていた。

「……キッド?」
「それは……もしかして、プロポーズ……ですか?」
「え……?」
今度は新一の方が吃驚眼になった。

そんなつもりで言った訳ではなかったのだが……いや、心の奥底ではそんな想いが無かったとも言い切れない。
どう答えて良いのか、声も出せずに顔を赤くする新一に、落ち着きを取り戻したキッドが言う。

「もし、そうなら……その申し出、受けてもよろしいですか?」
「え!?」
「私も新一の事が大好きだし、パンドラの件が片付いたら、新一と一緒に過ごしたいと……ずっとそう思っていたんです」

だから、キッドは、何よりまずパンドラ捜索に力を入れていたのだ。
この件が片付いたら、新一に告白しよう。
ずっとずっと好きだったと告げて、これからずっと一緒に居ようと言おう。

「私には貴方を招く星を無くしてしまいましたが、そんな男でも良かったら……」
「そんなの関係ない。オレは、お前が好きだから、一緒に居てくれれば良いから」

新一は、少しだけ嫌な事を考えていたのだ。
キッドが星を亡くしたのだから、何を憂う事もなく、新一は彼を引っ張れると。
それは、とても自分勝手な気持ちだったが、もしそうして新一の元にキッドが来てくれたなら、きっと毎日が幸せでたまらないだろう。

そんな思いを余所に、キッドは幸せそうな笑顔で頷いた。
「私は貴方と共に居られるのなら、それが何処でだって構いません。新一が私を招いて下さるのなら、私は何時までも貴方の星に留まる事でしょう」

色好い返事を貰えて、新一はほんの少しの小さな罪悪感を抱きながらも、嬉しそうに微笑んだ。












月がどんどん傾き始める。

「佐藤さん、帰ってこないなぁ」
キッドとも出会えた事だし、そろそろお暇しようとしたのだが、家主に挨拶無しで帰る訳にもいかず途方に暮れる。
無断拝借していた食器類を綺麗に洗って片付けたキッドが、思案する新一にこう言った。

「帰りに高木さんの所に寄りましょう。そこで佐藤さんに挨拶すれば良いと思います」
「けど、高木さんは、臥せっているんだろう?佐藤さん、看病しているんじゃないか?」
そんな所にお邪魔しても、平気かな。 と、考え込む新一に、キッドは微笑んだ。

「ああ。……あれは、嘘です」
「……?」
何が? と、小首を傾げる新一の可愛い仕種に、キッドはうっとり見惚れながら言う。

「体調を崩している、というのがです。……折角、思いも寄らない所で新一に出会えたのに、お邪魔虫が居たのでは、喜びが半減しますから」
悪びれる事もなく、そう言い放つキッドに、新一は嬉しいような、彼女に申し訳無いような、複雑な気持ちになった。

「でも、私は良いことをしたと思いますよ。……高木さんだって、佐藤さんに会いたかった筈ですから」
彼女は、外見の華やかさとは裏腹に、その内面はかなり律儀な性格の女性だった。客人を放っておいて、恋人の元へと通うような人ではなかったし、当の相手の彼も、客人のいる屋敷を尋ねるような人ではない。

きっと、新一はそんな二人の気持ちなど気付かなかっただろうが。


「なら、月に寄ってから帰ろう。……お前も、ちゃんと着いてきてくれるだろう?」
「はい」
キッドはにっこり笑うと、窓を開け放った。そうして、夜空を確認し、背中に大きくて真っ白な美しい翼を広げる。

「長い時間を一人で飛ぶのは大変でしょう?私が連れていってあげます」
キッドの初めて見る白い羽に、新一は暫くぼんやりと見とれていた。

そうだ。新一の母も、キッドのように大きな翼を持っている。翼を持つのは、星を亡くした流離人だけだ。星が消え、それでも運良く生き残った人は、どんなに長い間飛んでも疲れない、魔法のような翼を手に入れる事が出来る。
留まる場所を無くした者が、この広い宇宙をいつまでも流離っていられるように。

新一の母の翼は、髪の色と同じだった。クリーム色した柔らかな翼。
しかし、キッドはまるで……。

「何か……天使みたいだな」
元々白い衣装を身に纏っていたキッドだが、羽まで白いと一層幻想的で美しかった。

うっとりと呟く新一に、キッドは微笑んでその手を取った。
「私が天使になれるのなら、貴方が何時までも幸せでいられる魔法をかけてあげます」

そんな天使のささやきに、二人は同時に微笑んで、ふわりと宙へと舞い上がる。
それは瞬く間に光となって、空へ空へと昇っていった。


しばらくの後、天空に浮かんでいた月が、一際強く瞬いた。





END




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2004.03.07(2004.01.17)
Open secret/written by emi

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