光の集まる処





ふと目の前に真っ白な泥棒が現れた。それは突然の事ではあったが、新一は不思議と驚きはしなかった。
泥棒はにこにこと、すこぶるご機嫌な笑顔で新一に夜の挨拶をすると、すっと彼の手を取る。
「……?」
唐突に、まるで子供の手を引くかのように歩き出す泥棒に、新一は少しだけ怪訝な顔をした。
「……何処かへ行くのか?」と訊ねると、泥棒は「とってもいい所」とご機嫌な表情を崩す事なく応えてきた。

なんとなくその先を訊く気にはなれなくて、新一は素直に彼の後をついていく。

泥棒の真っ白なマントが、歩く度にふわりふわりと舞っていた。今夜は月もなく、天空はたくさんの星々が瞬いている。雲一つない藍の夜空。その中に映える彼の純白の衣装。新一はぼんやりとした気持ちで彼の姿を追っていた。
繋いだ手はそのままに。
時折「寒くない?」なんて訊いて、その手をぎゅっと握りしめてくる。その手袋越しの温もりをうっとりと感じながら、新一は「大丈夫」と応える。
そんな会話を3回繰り返して、彼等はようやく目的地に到着した。

てくてくと歩いていた時間は長かったのか短かったのか新一には計りかねた。
どんな場所を歩いてきたのかも良く分からなかった。
木々が鬱そうと生い茂る森の中を歩いてきたようにも、冷たそうな水の音が聞こえる川辺に沿って歩いてきたようにも感じる。
ただ、何となく前を歩く彼の揺れるマントを見つめていたら、ふと視界が大きく開かれて、彼に「着いたよ」と言われたのだ。

其処は原っぱだった。見渡す限り何もない原っぱ。足元に感じるのは硬いアスファルトではなく、柔らかな草の感触。
月のない空の下、暗闇に慣れた瞳はそれ以外何も映さない。

「此処が、お前の言う『いい所』?」
何もない、ただの広い野原でしかないこの場所に、新一は幾分落胆の響きを声に乗せて目の前の泥棒に訊ねた。
……本当になにもない場所だったのだ。空も風もそのまま止まってしまったのように動かない。そこに空気が流れている事が不思議なくらい、なにもない処。
「そうだよ。此処がいい所。……新一を連れてきたかった場所」
泥棒は、今夜会った時と変わらぬ笑顔でそう応えた。しゃらり、と彼のモノクルが揺れる。その先端を飾っていた飾りが何かに小さく反射した。

「……?」
今夜は月のない夜。星以外の光のない場所で、今度は彼のモノクルのレンズが光った。
「何だ……?」
何かがいる?新一の目に入らぬ『何か』。

「新一……よく目を凝らしてごらん?……見えてこない?」
新一の周りにたくさん集まってきてるよ。

泥棒の言葉に新一は素直に従った。周囲を見渡し、目を凝らす。
目には見えなくても、新一も『何か』を感じる。気配のようなもの。
それは、決して不快なものではなかった。……胸の奥が暖かくなる、そんな感じ。
すると、ふいにその視界に光が生まれた。
ぽっ、と小さな明かりを灯したように、だけどそれは炎のようなモノではなくて、もっと白くて儚くて。
「蛍……?」
新一は小首を傾げて呟くが、彼はゆっくり首を振った。ふわりふわりと舞う様は蛍に似ているが、光源は遙かにこちらの方が勝っていた。しかも、蛍より遙かに大きい。
そして、新一が一つの光を認めると同時に、その数は次々と増えていく。

「何だ?」
「よく見て、分からない?」
くすくすと笑う。悪戯気な表情。早く当てろよと言わんばかりに笑う恋人。

新一はそんな泥棒に少しだけムッとしつつも、一生懸命考えた。
光って、ふわふわ浮いてて、何となく仄かに暖かい気持ちになって……一体何だろう?
新一の知識や経験から必死に該当するものを捜し出そうと頑張るが、一向に出てこない。

暫く考えて……そして漸く気付く。


これは、新一の知らないモノだと。


すると泥棒は幾分がっかりした顔で新一を見た。周囲の光もまるで同じように落胆したのか光が薄らぐ。
「……愛が足りない」
泥棒は、大きな溜息をつくと両肩をがっくりと落とした。
「だって、こんなモノ……オレ、今まで見た事ない」
きっぱり断言する新一に、彼はすかさず「嘘吐き」と言い放った。
「何度も見てるクセに、どうして気付かないの?……新一って、本当に私の恋人?」
「キッド!」
謂われのない疑いを掛けられて、新一は声を荒げた。
キッドにはどう見えているのか知らないが、新一の彼への気持ちは中途半端なモノではない。
この気持ちは、キッドが自分を想っている以上に強いものだと、新一は自負している。……彼には絶対に告げない事ではあるが。

キッドはそれでも落胆の体で新一を見つめていた。けれど、真剣な瞳をした新一を見つめて、ふと息を吐いた。
すっと姿勢を正し、軽く右手を持ち上げると、その掌の上にふわりと光が浮かんだ。その光は丸く湾曲している。金色とも銀色とも見て取れる小さな光。

「──これは月だよ」
キッドは微笑ってそう言った。




彼の言葉を受けて、その光は次々と姿を現す。
二人の周囲のみならず、広い原っぱが光に包まれた。それはたくさんの月。

「……月?これが?」
キッドにそう言われた新一だったが、しかし彼は信じられなかった。
だって、月は一つだろう?こんなにたくさんある訳ないし。
地球の月は空に浮かぶ衛星の事だ。
質量 7.35×10^22kg、密度 3,340kg/m^3 、そして重力が 1.62 m/sec^2。
地球から最も近くても35万km以上離れている。
新一の知る月はこれだ。

しかし、そう言った新一にキッドはまるで他愛のない子供の知識に触れたような顔をして微苦笑を浮かべた。

「新一って……案外無知なんだなぁ」
でも、そう言う所も可愛くて好きだけど。と付け加えて笑った。

「ちょ……この知識の何処が無知なんだよ!」
憤慨しそうになる新一に、キッドは笑いを引っ込めた。ほんの少し真面目な顔をしてゴメンと謝る。
「新一にだって、知らない事くらいあるよな。いくら頭良いからと言っても全能じゃないんだから」
でも、新一がこんな事も知らなかったって、やっぱり不思議。知識が偏りすぎかもしれないね。
最後の方の言葉はキッドの口の中だけで言われたけど、新一は益々不機嫌な様相を呈していく。すると、周囲に浮かんでいた『月』たちがふわりふわりと新一を慰めた。
そして、キッドの周りの『月』たちは、そんな彼を責めるように光を増していく。

知らない事は恥じゃない。知らないクセに知ったふりする方がずっと恥ずかしい事だ。
キッドは新一を優しい瞳で見つめると、徐に口を開いた。
「新一は知らなかったみたいだけど、月って人の目に見える数の分、……いや、それ以上あるものなんだよ?」
新一だって、毎晩違った形の月を見ているだろう?
「……それは、そう見えているだけだろう?太陽との位置関係で、満ち欠けを繰り返しているに過ぎない」
「可愛いな。新一の発想って」
思わずキッドの口元がほころぶ。

「今晩は月の出ない夜だからね。空に月が必要ない夜は、彼等にとって休日なんだ。休日は此処にこうして集まっているんだよ」
もちろん、此処に全ての月が集まっている訳ではない。全ての月が集まったら、此処は昼間以上に明るくなってしまう。月たちは、気のあった者同士で色々な場所に集まっている。二人が居る此処は、そんな月たちの集まる場所の一つだった。
「此処は特に小さな子供達が見る月たちが集まっているんだ。どれも皆あどけなくて可愛いだろう?」
キッドがそう言うと、周囲にいた月たちが、嬉しそうに彼の肩や頭の上に次々と浮かんでくる。キッドもそんな彼等に優しく微笑んだ。

「ほら、新一も。……皆が新一の傍に行きたがってる」
手を差し出してごらん。キッドにそう言われ、何が何だか分からないまま、戸惑いがちに両手を差し出した。
すると、月たちは一斉に新一の元へと向かっていく。キッドと戯れていた月たちもが、遅れまじと新一の傍へと寄っていく。

「あらら。振られちゃった」
苦笑するキッドだが、不機嫌になどならなかった。
だって、月は光を好むから。
キッド自身は、月と同じく光を発することはない。だけど新一は違う。光を受けて輝くのが月ならば、新一は『光』そのものなのだ。

新一の身体はすぐに光で一杯になった。
吃驚したように何度も瞬きする新一だったが、その光があまりにも眩しくて、キッドには見えない。
それは太陽のような強い輝きではなく、どちらかというと落ち着いた穏やかな光なのだが、それでもこれだけ集まると流石に凄い。
新一は小さな月たちの集まった光の中で、呆然と立ち尽くしていた。

「新一、大丈夫?」
少しだけ心配になったキッドがそう問いかけると、光の集合体と化した塊が僅かに揺れた。
それから暫くしてその光の中から新一が姿を見せた。月たちは相変わらず新一にくっついているが、全身を覆ってはいない。ある者は新一の周囲を旋回するように舞い、ある者は新一の背後に引っ付いている。極力新一の視界の邪魔にならないように、そしてキッドに彼の姿がちゃんと見えるように配慮したようだった。

その月たちから幾分解放された新一は、キッドの目の前に近寄ってきた。
その表情は少し優れなくて、未だ不機嫌なままなのだろうかとキッドは不安に思った。
「……新一?」
恐る恐る彼を呼んでみる。すると新一は戸惑った顔でキッドを見た。
気付くと新一は何かを捕まえているかのように、両手を包み込んでいる。

「キッド……これ」
新一が彼の名を呼び、首を傾げるキッドの目の前で両手をそっと開いた。

その手の中にあったモノ。……それは、漆黒の塊だった。
「……月って光っているんだろう?だけど……これも月、なのか?」
新一の掌の上に浮かぶソレ。夜空よりも深い深い黒。まるでそれは闇。

「ああ……もちろん、これも月だよ」
キッドはその漆黒の月を撫でるように指先で触れてそう言った。

「これはね、目が見えない子供が見た月なんだよ」
その声の響きが微かに震えていたのは、新一の気の所為ではないだろう。
光を知らない子供の瞳が映した、残酷な月

「そ……か」
新一は呟いた。
胸の中に、可哀想とか悲しいとか、そんな気持ちが溜まっていったけれど、しかし新一はそれを口にする事はなかった。
口にしてはいけない気がした。
同情とか憐憫とか……そんな気持ちを持ってはいけない気がした。
持つのなら、もっと別のものが良い。

夢とか希望とか、明るい気持ち。

誰も、憐れまれて喜ぶ人間はいない。例えそれが小さな子供だって。
新一はそう思った。


掌にふわりふわりと浮かぶ月を、新一はそっと包み込んだ。新一の手の中にいるそれは、とても嬉しそうだった。新一はそう感じた。
他とは違う真っ黒な月だけど、その心は他の輝く月と違うことはない。そう感じると、新一は知らず知らずの内に嬉しくなった。


するとどうだろう。突然新一の指の隙間から細い光が漏れ出した。
どうした事かと、そっと手を開いてみると……そこにあったのは先程の月。しかし、闇色だったそれは、キラキラと眩しい程の光を放って楽しそうに浮かんでいた。

「ああ、凄いね」
キッドは感嘆の声を上げた。
「今、漆黒の月に光が宿った」
……そして、この月を見ていた子の瞳にも。

新一が光を与えたんだよ。月に光を。

「……本当に?」
「私は嘘はつきませんよ。この月は、その子だけのものだから、……次に子供が目に出来るのは、たくさんの光を含んだこの月」
光を映さなければこの輝きを見る事は叶わない。だから、その子の瞳にも光が宿るはず。

その言葉を聞いて、新一は嬉しそうに微笑んだ。そんな彼の笑顔にキッドもまた嬉しくなる。

以前、キッドの知り合いの魔女が彼を光の魔人と称した事があった。
本当に、新一は光の源。光そのものなんだ。

月がこんな美しく輝くのも、光があってこそ。彼等は光を与えられて輝くのだ。そして、その月を守護に持つキッド。

「新一、愛してる」
「……何だ、今更」
唐突な告白に、僅かに目元を朱に染めて軽く睨み付ける新一を、キッドは愛おしげに見つめた。
「だって……今、スゴク言いたくなった」

別に新一が光だから好きになった訳ではない。新一が新一だから。


「新一」
「……何?」

「次の彼等の休日には、私達が見ている月の集まる処へ行きましょう」
其処もきっと素敵な場所ですよ。此処に負けないくらい幸せを感じる処。

「そうだな。……お前が見ている月をオレも見てみたい」
「私も、新一がその目に映す月を映してみたい」
二人はそう言って微笑み合った。

月たちも微笑っているかのようにふわりふわりと光り輝いていた。











暖かい温もりに包まれて、新一はふと目を開けた。さっきまでたくさん満ちていた光は消え、軽い混乱に陥る。
「……あれ?」
顔を上げようとしたのだが、何かが絡まって身動き出来ない。
少し呆けた頭で考えて……自分が恋人の腕に絡め取られている事実を知った。

新一は取り敢えずその腕を退けて自由となった身を起こし……そこでようやく自分がベッドの上に居る事に気付いた。

「ベッド……何で?」
さっきまで、二人は何もない野原でたくさんの月が集まる場所に居た筈だった。その仄かでやわらかな光や、身体中に感じる温かな感触は今も新一の中に残っている。

どうして……あれは、夢?


「……新一?」
半身を起こして考え込んでいた新一に気付いたキッドが寝起きの掠れた声で名を呼んだ。

「こんな時間に……どうかしたのか?」
怪訝に訊いてくる恋人に、新一も不思議そうに訊いた。
「キッド……月は?」
「月?」
突然の質問にキッドは首を軽く傾げ、そして細く開いていたカーテンの隙間から窓の外に視線を移した。

「今夜は新月だから、月は出てないよ」
「そうじゃなくて。……空に浮かんでいる時の月じゃなくて、休憩中のたくさんの月の事を訊いてるんだ」
「はぁ?月は……地球の衛星は一つだろ?何でたくさんあるんだ?」

頓珍漢な新一の言葉にキッドは眠気が吹っ飛んだと言わんばかりに起き上がる。その態度に、ふと先程キッドが自分に言った台詞を思い出した。
さっきは、あんなに自分をバカにした癖に、目の前の恋人は全然知らない顔をする。


「キッドって……案外無知なんだなぁ」
「……?」
「お前は知らないみたいだけど、月って人の目に見える数の分、それ以上あるものなんだぜ?」
お前だって、毎晩違った形の月を見ているだろう?

新一が自信あり気にそう断言すると、キッドはその眼を大きく見開いて恋人の顔をまじまじと見つめ、そして次第に彼の口元がほころんだ。

「……可愛い。新一の発想って」
くすくす笑いながら、キッドは新一の肩を抱き寄せる。

「な、何だよ。可愛いって」
お前がそう言ったんだそ!
思考が未だ夢と現実の狭間にあるのか、不機嫌そのものの表情と声でキッドを責める新一にキッドは意味深な笑みを見せた。



「じゃあ……次の彼等の休日には、私達が見ている月の集まる処へ行きましょう?」
そう約束しましたよね?

打って変わって、今度は新一が瞳を見開く。そんな恋人にふわりと微笑みかけて、キッドはその頬に羽のようなキスをした。





次の新月の夜にも、二人で月の集まる処に行こう。





NOVEL

2003.02.01
Open secret/written by emi

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