9月のバレンタイン -快斗の気持ち-
臆病だった訳じゃない。
勇気がなかった訳じゃない。
只、少し躊躇しすぎた。
あんな事になるのなら、さっさと自分から言ってしまえば良かった。
快斗はそう思った。
黒羽快斗は、工藤新一が好きだった。多分、初めて出逢った時に心を浚われてしまったのだと感じるくらいに。
運の良い事に相手も自分を快く思ってくれたようで、二人はすぐに親しくなった。
側にいられる事に何の不満もなかった。このままで良いとすら感じた。
屈託ない微笑みを見せてくれる彼に、この気持ちが恋である事を何度も気付かされたけれど……それでもこのままで構わないと思っていた。
だけど、それは少し考えが甘かったということに、半年前に気付かされた。
今年の二月。
よりにもよって新一は男からのチョコレートをあっさりと受け取った。
女からのチョコには素っ気なく断っていたのに、あの男からのチョコは平気な顔をして。
快斗がそう言うと、新一は困った表情して言った。
「だって、知ってるヤツからのじゃ、無下に断る事も出来ないし……」
言葉も交わしたことのない女ならば、あっさりと拒否出来るけど。知り合い……それも友人からなら受け取らない訳にもいかない、と。
断っちまえ!との叫びが、喉元まで出かかったけど、寸での所で押しとどめた。
代わりに出たのが……イヤになるくらいな冷やかしの言葉で。
全てジョークで片づけてしまえば良いのに、新一は生真面目にも暫くの間考え込んでいた。
男と付き合うなんて軽蔑する。そう言いたかったけど、出来るはずもなく。
男と付き合いたい奴が此処にいる。新一の側に……誰にも踏み込めないくらい近くに居たい自分がいる。
「相手の気持ちには正直に応えてあげなよ」なんて、偽善めいたアドバイス……冗談でもするんじゃなかった。
アイツは考えて考えて考えて抜いて、……その一ヶ月後に二人は付き合い始めた事を知る。
まさか、あの工藤新一がこうもあっさりと他の男のモノになってしまうなんて考えてもみなかった。
「快斗には、軽蔑されたくなかったから」なんて、はにかむように告げられて、あんなアドバイスした事を心の底から後悔した。
流石に「良かったな」とも「お幸せに」とも言えず、ただ曖昧に笑って誤魔化した。
目の前の新一が幸せそうに微笑んでいるのを見て、いつもとは逆に快斗は悲しくなった。
何時も一緒に居た二人の時間はどんどん削られて、快斗と過ごした時間を新一は別の男と過ごす。
段々遠ざかっていく二人の距離に、快斗は堪らなくなった。
必然的に快斗は一人で過ごす事が増えた。別に新一以外に友人がいない訳ではない。むしろ顔は広い方で、快斗が声をかければ何人もの友人達が集まってきてくれる。
快斗が声をかけて付いてこない女なんて、皆無に等しかった。
だけど、他の人間で新一との時間を埋める事は、更に苦しくて。
どうしても、新一との事を重ねてしまう。
もちろん、新一が他の誰と付き合おうとも、快斗との関係が絶たれた訳ではなかった。むしろ誘うと嬉しそうに付き合ってくれた。
3回の内、2回の割合で誘いを断られたりもしたけれど。
だけど、相変わらず新一は別の男と付き合い続け、快斗とは良き友人とした関係は揺るがず。
春が過ぎ夏が来て、そして初秋の季節になっても、それは変わらなかった。
こんな想いをしていること……きっと新一は露ほども感じていないだろう。
快斗は、秋の高い空を眺めながら、そう思った。
夏の酷暑が嘘のように今の風は涼やかで心地よい。
太陽の日差しが柔らかで、時間は着実に流れている。
最近は新一ともあまり会わなくなった。会いたいと思ってはいるのだけど、なかなかつかまらない。
恋人との時間を過ごすことに夢中で、もしかしたら自分のこと、忘れてしまっているかも知れないなんて、少し寂しい事を考える。
「……秋だなぁ、もう」
だからなのだろうか。こんなにも切なく感じてしまうのは。
感傷的になってしまうのは、秋だから……と言うことにしておこうか。
と、快斗が考えていた時だった。
「快斗!」
突然快斗の世界に、愛しい人の幻聴が聞こえた。
「…………新一?」
まさかと、声のした方を振り向くと、向こうから彼が駆けてくるのが見えた。
幻覚ではなく、ホンモノの工藤新一だ。
新一は息を切らしながら快斗の側までやって来ると、はぁっ、と息を整える。
紛れもなく、そこにいるのは工藤新一。どうして?何で此処に!?
「久しぶりじゃん。何、どうしたの?」
それでも戸惑いを露ほども見せずにいつものように話しかけた。
この夏ちっとも会わなかったけど、何?アイツと『熱い夏』でも過ごしてた?
胸の奥の小さな痛みを隠してそうからかうと、
「ばーろ、んな訳あるか」
ほんの少し目元を朱に染めて、「夏バテでくたばってた」と告げた。
ああ、そういえば夏の暑さに弱かったっけ。冬の寒さにも極端に弱いけど。
「で、もう大丈夫なの?」
寝込んでたのなら、看病しに行ってあげたのに。あ、でも、恋人に色々面倒見て貰う方が楽しいか。
あまり想像したくないことを思い浮かべながら尋ねると、新一はこっくり頷いた。
「最近涼しいし、もう平気」
「良かった」
快斗はそう言って笑った。久しぶりに見る新一は、何時にも増して綺麗で可愛くて愛しくて、相変わらず好きだった。
「それにしても、今日はどうしたんだ?オレに何か用でもあった?」
最近滅多に会えなくなって、もしかして新一も寂しかった、とか?
……そんなコトないか。
「別に、用ってもんはないんだけど」
「何?彼氏放っておいてもいいの?」
フラレちゃうよ?大事にしないと。
そう茶化すと、新一は顔を上げあっさりとこう告げた。
「ああ、別れた」
「…………えっ?」
今、何て言った?……別れた、って。
「……うそ」
「ホント」
「何で?」
「何で……って」
新一はふと口ごもると、顔を伏せた。
「……その、まぁ色々あって」
この夏、考えて考えて考え抜いて達した結論だと言った。
「そっか……知らなかった」
「ああ、……今さっき別れてきたばかりだし」
「え、今!?」
あからさまに驚く快斗に新一の方が吃驚した顔をした。快斗が理由を問い質すと、躊躇いつつもぽつりぽつりと話し始めた。
「オレ、アイツと居てもそんなに楽しくなかった。友達の時と全然変わらなかったんだ。良い奴だとは思うんだけど、別に四六時中側に居て欲しい相手じゃないなって判ったし……」
今日も何となく誘われるままに出かけたんだけど、やっぱりあんまり楽しくなくて。かと言って、安心出来るとか、側にいると落ち着くっていう感じでもなくて、やっぱりコイツとは友達以上にはなれねぇなぁ……って思ってたら、此処にお前が居るのが見えた。
「オレ……?」
「ああ。何か、お前見たらはっきり『違う』って思った。だって、アイツよりお前と一緒に居た方が楽しいし安心出来るし、気持ちがゆったりした気分になって心地良いんだ」
そう思ったら、いてもたってもいられなくて、その場で速攻別れを告げた。
呆気にとられる元恋人を無視して、快斗の元にやって来たと言う。
「新一……それって」
何か、スゴイ。……っていうか、オレへの告白!?なんて、都合良い解釈。
「……あ、でもやっぱり性急過ぎたかな。もっと、ちゃんと場所設けて告げるべきだったかも」
快斗の内心など全くのお構いなしに、小首を傾げてあどけなく考える新一に快斗は思わず苦笑した。
「いや。多分、相手にもその程度の覚悟はあったんじゃない?」
「……?」
「だって、今日は『セプテンバー・バレンタイン』だろ」
今日は9月14日。バレンタインデーから半年目で、別れを切り出す日。
……ま、正確には、バレンタインから7ヶ月目が今日なんだけど。
バレンタインに想いを告げられ、ホワイトデーに想いを返し、半年後に別れちゃう。
なんて、合理的。
「だから、別に突然なんかじゃないんだよ。バレンタインデーは告白する日だって決められているように、今日はちゃんと別れを切り出しても良い日だって定められているんだからさ」
……恐らく、相手はそんな日があることなど知らないだろうけど。
新一も初耳、といった風情で快斗の話を聞いていた。しかし、都合の良いように解釈したようだ。
「じゃ、いいのかな」なんて言って、あどけなく微笑った。
ああ、どうしよう。やっぱり新一が堪らなく好きだ。
いっそのコト、これに乗じて告白しようかな。
新一、今日も「バレンタインデー」だって知ってた?
メンズ・バレンタイン。男から愛を告白する日だって。
知らないだろうなぁ、やっぱり。