幸福な世界





絶妙なタイミングで背後から抱き寄せてくる腕に、新一は素直に囚われる。
「私も大概、我が侭だと思ってる」
背中越しに感じる温もりに身を任せていた新一は、恋人の意味深な言葉に顔を上げた。
「何?」
二人の身長はほとんど変わらないから、見上げると言うよりも背後を見やると言った感じで顔を向ける新一に、キッドは軽くキスをする。

「貴方を大切に守っていきたい。貴方を守る事が出来るのは私だけだと思いたいと」
「守られる程、オレは弱くはないけどな」
怒る事なくさらりとかわし、新一は指でそっと恋人の頬を撫でた。

「守りたいと思う気持ちは真実。……だけど、同時に全く逆の気持ちにも囚われる」
「逆?」
「貴方をこの手で壊したい。泣かせて、痛めつけて、滅茶苦茶にしてしまいたい」

「加虐的だな」
新一は驚くことも、慌てる事も、怒る事もなかった。只、小さく肩を竦めて相変わらず指で恋人の肌を撫でていた。
その動きを封じ込めるように、キッドの掌が彼の指を包む。

「新一」
「何?」
「此処に……この箱の中に一生閉じこめておきたいと、そう言ったら……貴方はどうしますか?」
決して広くはない。しかし、狭くもない部屋。此処に閉じこめて、彼の社会生活を閉ざす。
この部屋だけを世界の全てにする。そして傍には自分だけ。

「……悪くはないかも」
予想外の言葉に、キッドの双眸が見開かれた。
「新一、本気で……?」

「きっと夢のように幸せな時を得られるだろうな」
「しん……」
「けど、そんな時間は長くは続かない」
新一はそう言って笑った。苛立ちも不安も焦りも悲しみもなく、淡々とした響きで笑った。


「オレも……同じ事を思うぜ?……お前を小さな箱に押し込めて、危険や災厄から遠ざけてやりたい。見たこともない女の為に生命を危険に晒すなんて事、させたくない」
彼が彼として存在する事がとても誇らしいと新一は思う。と同時に、何時どうなってしまうか予期出来ない世界に足を踏み入れている彼が、不安でならない。

何時自分を置いて行かれるか……。
存在するのかどうかも判らない女に、何時奪われるか。

そう思うと、強い焦燥感に囚われる。


だからと言って恋人を縛り付けようなんて思いたくなかった。そうする事の愚かしさを新一は判っているから。……そしてキッドも。


「オレ達、もう少しバカだったら良かったかもな。もっと自己中心的で一歩先の未来すら想像出来ないような愚鈍な人間なら良かったのに」
そうしたら……きっと二人はままごとのような幸福な世界に行けたはず。

でも、ほんの一時をそんな風に過ごすのは悪くない。……悪くない筈だ。

新一はそう呟くと、目の前の恋人を見つめた。ゆっくりと顔を寄せて、彼の口唇を吐息ごと奪うように口づけた。











不規則に軋むベッドのスプリングと、甘く上がる嬌声。
小さな箱の中で、だけど今だけはそれだけの世界で充分満足だった。

何一つ身に纏っていない姿が、ルームランプの小さな光に浮かび上がる。新一の薄く色づいた口唇が、恋人を欲しがるように喘いでいる。熱に冒されたような熱く潤んだ瞳がキッドに絡み付いて離れない。

「そんな瞳で見ないで」
耐えられなくなってしまうと、キッドは微苦笑を浮かべる。しかし、言葉とは裏腹に彼はちゃんと新一が欲しがるモノを与えた。甘いキスを。
「ん、ん……」
直に触れ合う肌と口づけに、互いの身体がどんどん熱を帯びてくる。ゆっくりと狂っていくその過程を二人は楽しんだ。
そして、どちらかが先に根を上げるのを待つ。

「キッド……」
相手の頭を掻き抱いて、吐息の合間になぞる言葉は恋人の名前。
「何?欲しいの?」
言葉にしたのは新一の方だが、限界を感じたのはキッドの方が先だった。それでも彼は穏やかな声を纏い、相手に気取らせることなく余裕ぶった空気を装ったまま。

「……くれないのか?」
「まさか」
切なげに訊いてきた新一に、キッドはきっぱりと言い放つと、誘われるようにまた口唇を寄せた。絡みつく舌は熱い。シーツの上の白い肢体は淫らに蠢いて、言い様のない程の色香を漂わせていた。もう、それだけでキッドは目眩を覚える。焦らされているのは己の方だと、改めて気付かされる瞬間。
彼の求めに応えると言うより、まるで誘われるがままに、キッドはほんのり色づいた恋人の身体を征服し始めた。

「……あぁっ」
それまで与えられていたものはまるで桁の違う、熱く、そしてずっと待ち望んでいたモノ。
その満たされた充足感に、新一の口から思わず声が零れた。
「新一……満足?」
「あっ……」
敏感な処をキッドに擦られて、新一が小さな悲鳴のような嬌声を漏らす。
「でも、まだこれくらいじゃ満足出来ないですよね」
してもらっても困りますから。と、新一の耳元に囁くと、彼の身体が小さく跳ねる。
キッドをしっとりと包み込んだ新一の内部は、絡みつくように彼を離さない。それどころか深く奥に誘うかのように蠢いている。
キッドは、目も眩むような恍惚の時をじっくりと堪能した。本当に気持ち良すぎてどうにかなってしまいそうで堪らなくなる。
新一の方はと言うと、既に身体がキッドに馴染んだのか、今以上の快楽を欲しがるように、縋るような双眸でキッドを見上げてきた。

「私に構わず、好きに動いても構わないのですよ?」
震える身体をそっと撫でて、その滑らかな肌に口づけて。
「それとも、動いて欲しい?」
ほんの少しだけ腰を押し進めると、彼の両足がそれ以上を望むかのようにキッドの腰に絡みつく。

「新一は、言葉より身体の方が素直で正直」
「……るせっ」
笑いながらからかうその言葉に、新一は不機嫌に顔をしかめるが、すぐに快楽の表情へと取って代わった。

タイミングを見計らったかのように、、ゆっくりと腰を使い始める。白いシーツが波打ち、抑え付けられている新一の身体が淫らに踊った。

「ああっ、……あっ、んんっ」
一度律動を開始すると、それを止める事は容易ではない。徐々に激しさを増すキッドに動きに、新一は声を抑える事も出来ずに嬌声を上げ続けた。そして、それが更にキッドの欲望を煽り立てる。

小さな室内に新たに響く、二人が交じわう淫らな音。
「新一って、ホント……いやらしい身体」
こんなにいっぱい広がって、私を全部飲み込んでる。……そして、もっともっと欲しがってる。
「キッ……てめ……っ」
「本当の事でしょう?」
激しく揺さぶりながらも、まるで平静を保ったままな声の響きのキッドとは裏腹に、新一は上手く言葉を声に乗せられないもどかしさと、与えられ続けられている快楽の深さに我を無くしそうになる。

「もっと欲しがって……もっと気持ち良くしてあげるから」
キッドはそう言い様、勃ち震えている新一自身を指でそっと絡め取った。
「あっ、は……、んっ」
「気持ちイイ?……ココが?」
絡めた指をきつく扱き上げる。
「んっ、ん…」
快楽に酔った新一は堪えきれなくなったのか、双眸から涙が零れた。
「でも、こっちの方がもっと気持ちイイでしょう?」
キッドの腰の動きが殊更強く打ち付ける。激しく敏感な部分を擦り上げられて、堪らなくなった新一は無意識の内に更なる快楽を得ようとキッドの動きに合わせて自らも腰を使い出した。

「キッド……もう……ああっ!」
切羽詰まった喘ぎにキッドもあっさりと理性を手放した。彼の欲しがるモノを素直に与え、己も高みを目指す。
新一は、今までになく本能的なキッドの動きに成すがままに翻弄されながら、そのまま一気に絶頂を駆け上がった。

一気に弛緩するその身体を抱き締めて、そしてキッドもまた新一の中に叩きつけるように全てを注ぎ込んだのだった。











不思議だと思う。
もう、何度も身体を重ねている。なのに、その度にまたキッドは彼に溺れてしまう。
それ程までに新一はキッドを捕らえて離さない。
身体も、心も。

だから、望むべくは一生二人だけの世界に留まっていたい。片時も離さず、ずっと何時までも二人だけの世界に……。


「……だよな」
キッドの労るように肩を撫でる感触に成すがままに身を任せていた新一が、ぽつりと何かを呟いた。

「何……?」
「今は、幸せだよな……って」
乱れたままのシーツの上に伏せている新一。
眠そうな、もしかしたら寝ぼけているのかも知れない。甘い疲労感に身を委ねたまま、とろりとした瞳は何も映し出していないかのよう。


「幸せなだけの世界には行けないけれど、一時の幸福の中には浸っていられる。……それくらいは許されるだろう?」
だから、『今』だけは此処が幸福で居られる処なのだと。
「私としては、もっと長くこの時間を共有したいと願っているのですが」
たったこれだけで新一を満足するなんて事は出来ないと、言外に告げてくる彼に新一は気怠げに頭を動かした。
シーツの上を彷徨っていた新一の視線が、愛しい恋人へと向けられる。てっきり呆けていると思っていた彼の瞳は、思いの外しっかりと彼を見据えてきた。

「本当に……人間って欲深いな」
そう言った新一の言葉は、自分自身にも告げているようだった。
「お前は、オレが欲しい。オレと片時も離れることなく、何時までも共に居たい。だけど……その癖お前は、別の女に恋してる」
捜して捜して捜し尽くして、それでもまだ見付からない、愚かな女の名を戴いた命の石。……彼女を捜し出すまで、彼は『KID』を捨てることはないだろう。

「新一……」
顔を曇らせるキッドの口元に、新一はそっと指を押し当てた。
「どうしても捨てられないモノって言うのは、誰にだってある。オレも捨てられない」
難解なパズルを解くがごとく、事件や推理に夢中になる事。もう、頭では制御できない、本能に近い感覚で新一は事件から離れられないし、離れるつもりもない。
それだけではない、大切な友人や家族。それ以外にも捨てられないモノはいくらでも存在する。
存在する事が、それまで生きてきた証明のようなものだ。

「だけど、だからと言って、お前の事……本気でない訳じゃない」
二人で居る時は特に強く思う。
この恋人以外に欲しいものなど何もない、と。
捨てられない癖に、本気で思うのだ。この、目の前以外の人も物も、世界にある彼以外の全てなんて、自分には一切必要ないのだ、と。

本当に人の心というのは、単純なように見えて複雑に出来ている。
しかし、今だけは。……こうして二人きりで居られる短い一時だけは、そう思ったって誰も責める事など出来ないだろう。

「オレはお前以外、何もいらない」
きっぱりと言い放った新一の瞳は、真摯な想いに反して優しく甘やかにキッドを見つめていた。
そんな彼の眼差しを受けて、キッドもまたこの短くも至福の時を胸に感じる。彼の視線を独り占めしているという、たったそれだけの事にすらキッドには堪らない幸福感が広がるのだ。
「新一……」
この胸の中のを想い全てを大切な恋人の名に託し、キッドは彼を呼んだ。しっとりと汗ばんだ滑らかな頬を指先でなぞり、そのまま紅く色づいた口唇に辿り着く。
先程までの行為の未だ名残の鮮明なその濡れた口唇が、恋人を誘うかのように薄く開かれた。そうするとキッドは必ず自分の欲しいものをくれる事を、新一はもう無意識の内に知ってしまっている。
もちろん、そんな新一の誘いにキッドが乗らない筈もなく、自らもその柔らかな彼の口唇にそっと触れると、新一は嬉しそうな微笑みを浮かべながら、両手を彼の首に静かに回した。

この時だけは、世界に存在するのは二人きり。互いにそっと瞳を閉じて、この時間を共有出来る喜びに心を飛ばす。


一時だけの、甘く幸福な世界。





NOVEL

2003.02.21
Open secret/written by emi

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