続・しんいち と かいとん
かいとんが、実は『怪盗キッド』であるという事は、新一とかいとんだけの秘密である。
そして、今夜はキッドがお仕事の日。
「迎えに行ってやる」と言った新一に、かいとんは笑って頷いてくれた。
だから、新一は他のファンや警備の人達の邪魔にならない秘密の場所で、かいとんがやって来るのを待っている。
バタン、という音を立てて、新一がその立付けの悪い扉を開けると、冷たい風が新一を出迎える。それを軽く目を伏せて受け流すと、新一は扉を閉めた。
「流石に、夜の屋上は寒いなぁ」
地上に比べ、上空の方が風の勢いも強く寒さも身にしみる。早く暖かいかいとんをぎゅうぎゅうと抱きしめて暖をとりたいなぁ。なんて考えながら、新一は夜空を見上げた。
都会の夜は、星がほとんど見えない。今夜は月夜というのもあって、余計に見えないようだ。
「早く来ないかなぁ……かいとん」
あまり待たせるようであれば、先に帰ってやろうかな、と思っていたその時だ。突然後方で、バタンと、大きな音がした。
慌てて振り返ると、そこには見知った人物が一人。
「あれ……白馬?」
全力疾走でもしてきたのだろうか。ぜいぜい、と大きく息を吐き出しているのは、新一の同業者とも言うべき、白馬探。
かいとんじゃなかった……と、ガックリと肩を落とす新一。そんな彼に、白馬は息を整えると、ギッ、と新一を睨み付けた。
「今夜こそは、逃がしませんよ。怪盗キッド!!」
ぴたり、と指をさされ、新一は思わず怯んだ。
「何言ってんだ、お前。……オレはキッドなんかじゃ」
「白々しい。よりにもよって、工藤君に変装するなんて、罰当たりなっ!!」
ズカズカと歩み寄られ、吃驚眼の新一の頬を掴まれ、ぎゅーっと引っ張られる。
「いひゃい、いひゃい……っ!!」
「何て、強力なマスクなんだ、これはっ!!」
更にもう片方の頬も掴まれ、びょーん、と伸ばされては溜まったものではない。
しかし、散々引っ張った末、ようやく白馬は新一を解放し、複雑そうに眉を寄せる。
「……あれ?……これって、本物?」
「バーロッ!オレとキッドを一緒にするな!!」
顔が変形してもおかしくない程に伸ばされた頬をさすりながら睨み付ける。すると、白馬はようやく納得してくれたのか、恐縮しながら謝った。
「けど、どうして、工藤君が此処に?」
「それは、こっちの台詞だ。何でお前が此処に居るんだよ」
ここは、かいとんとの待ち合わせ場所の筈なのに。
「ああ。ボクは、彼を……キッドを追ってきたんです。計算によると、この辺りが逃走経路に当たるので」
長時間飛行せず、まずはこの辺りで一度降り立つであろうと踏んだ白馬は、先回りしたのだった。
それを聞いた新一は、心底迷惑そうな顔をした。……折角、新一が迎えに来たのに、はっきり言って、白馬は邪魔だ。
それに……。
「何だ。お前も、キッドのファンなのか?」
「……は?」
「困るよなぁ……こんな所まで追いかけられて来られちゃ。アイツだって、一匹の犬なんだ。そんなストーカーみたいに追い回していたら、逆に嫌われるぞ」
「……へ?」
「もう、仕事は終わったんだろ?なら、今からはプライベートだ。なのに、お前みたいなヤツが居たら、はっきり言って迷惑だ。とっとと帰ってくれないか?」
此処に来ると言うことは、仕事を済ませ帰ると言うことだ。キッドから、かいとんに戻るのだ。そんな所に部外者が居てもらっては、かいとんだって迷惑だろう。
ファンならファンらしく察してくれれば良いものの……と思いつつ、大きな溜息を一つ。
「ちょっ、……一体、何を言ってるんだ、君は!キッドを捕らえる事が目的のボクが、どうして帰らなければならないんだっ!」
「何言って……どうして、キッドを捕まえなきゃならないんだよ!」
何処の犯罪者でもあるまいし。
「犯罪者でしょう、彼は!」
白馬の、そのあんまりな言葉に、新一は……キレた。
「アイツの、何処が犯罪者なんだ!テメー、かいとんを犯罪者呼ばわりするなんて、オレが許さねーぞ!!」
確かに、新一も昔はかいとんを犯罪者だと思っていた時もあった。それは、大いなる誤解であったのだが、新一はその事などすっかり忘れて、白馬を責め立てる。
しかし、白馬の方は、大きく目を見開いて新一を見つめていた。
「快斗……やはり、怪盗キッドは黒羽君なんだね!?」
「かいと?」
それまでとは一変して、新一の両肩をガクガクと揺さぶる白馬に、新一はあっけにとられた。
そして、暫くして、新一は思わぬ失言をしてしまった事に気が付いた。
(あ、オレ、キッドの事、かいとんって言った───!)
「工藤君!君は、最初から黒羽君がキッドだと───!」
「くろば……?確かに、かいとんはキッドだけど……」
「やはり、黒羽君が!!」
以前、採取した毛髪は、確かに黒羽快斗のものだった。その証拠を掴んでおきながら、正体を断言出来なかったが、新一ははっきりと「快斗はキッド」だと証言した。
「これで、確実に彼を確保出来る!!」
思わずそう漏らす白馬に、新一は柳眉を吊り上げた。
「おい、ふざけるなよ!何でかいとんが捕まらなきゃなんねーんだよ!」
「ふざけているのは、工藤君の方だろう!今まで彼の正体を知りながら黙っていたなんて、犯人隠匿じゃないか!」
「だから、かいとんは、犯罪者じゃねーって言ってんだろっ!!」
「じゃあ、犯罪者じゃなければ、何だと言うんだ!?今夜も彼は警察の隙をついて逃走したんだ!」
「それは、お前らみたいにしつこいヤツらが居たからだろう?あいつだって、何時までも周りに張り付かれていたら、息がつまるだろうし……」
「……?」
白馬はここにきて、ようやく新一の言葉に奇妙な不自然さを覚えた。
「工藤君。君は、一体キッドを何だと思っているんだい?」
「へ?そんなの決まってる───キッドは、スーパースターだろ?」
「………え?」
「だから、世界的に有名な、スーパースター。有名人だから、キッドの周りにはたくさんの警備陣が……」
もちろん、新一は素だった。素面だ。真面目だ。
しかし、白馬には、新一の言葉が宇宙語に聞こえたに違いない。
「な……何を言っているのか……」
理解できない。
「かいとん……いや、キッドが超有名人だって事は認める。ファンが暴動を起こすくらい凄くて、機動隊が出動するくらいのスターだって言うのは認める。……だけど、アイツは……アイツは、オレの前ではただの『かいとん』なんだ。オレの大事なペットなんだよ。……仕事を終えて、ここにやって来るアイツに、余計な神経使わせたくないんだ。だから……」
新一は、真剣だった。
もちろん、かいとんとの時間を他人に邪魔されたくないという気持ちもある。けれど、今此処に部外者が居れば、キッドは何時まで経っても、かいとんに戻れない。ずっと、キッドの仮面を被り続けなければならい。
……白馬だけの為に。
待ち合わせの時間は、刻々と近付いている。もう、そろそろ姿を現しても良い頃だ。
だから、新一としては、一刻も早く、白馬をこの場所から立ち去らせたかった。しかし……。
「───工藤君、病院行こう。この時間でも夜間受付している病院を知ってるから……」
白馬は、ほんの少し顔を青くして、新一の腕を掴むと引っ張った。
「白馬!?」
「おかしい……工藤君が、おかしい……狂った……」
何やらブツブツと呟いている。新一は、そんな彼の態度に、心なしか不安になる。
「どうしたんだ……何処かおかしいのか……?」
「おかしいのは、工藤君の方だよ。大丈夫、良い先生知っているから、見て貰おう」
そう言うと、今度は携帯電話を取り出して、何処かに電話を掛けようとしている。
新一は、怪訝に眉を寄せるのだが、───その時、突然風の音が大きく響いた。
「あ、かいとん!」
見上げると、そこには、ハンググライダーを操るキッドの姿。そのまま、ゆっくりと下降してくる。
新一は、急いで白馬の腕を振り切ると、優雅に降り立つキッドの元へと駆け寄った。
「かいとん!」
「しんいち、待った?」
上から下まで、白で統一された衣装。その中で、青いシャツと緋色のネクタイが良く映える。
キッドは、相変わらず恰好良かった。
(ああ、やっぱり、かいとんは世界で一番格好良い……)
新一は、己の自慢のペットにうっとりした。
そんな新一の表情に、キッドは満足そうな微笑むと、後方に視線を向けた。
「……おや。これは、白馬探偵」
今気付いたと言わんばかりに、声を上げる。その声に、新一はハッとして顔を上げた。
「ごめん、かいとん。……オレ、白馬にかいとんの正体知られてしまって……」
折角の、二人だけの秘密。
項垂れる新一に、キッドはやんわりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。白馬探偵とは、知らない間柄ではないですし……」
ちらり、と見やると、途端に白馬が気色ばむ。
「彼はきっと口外なんてしませんよ」
そう言うなり、キッドは白馬に向けて何かを放り投げた。月の光に反射してきらめくそれは、美しい放物線を描いて、白馬の手の中に収まった。
「何だ……?」
「只の舞台の小道具ですよ」
興味をそそる新一に、大したものではないという風に応えると、白馬に向かって笑いかける。
それは、新一に向ける極上の微笑とは違う、どこか人を喰ったような嗤笑だった。
「折角此処まで追いかけてきて下さったのですから、もう一働きして貰おうと思って」
悪戯っぽく笑うキッドに、新一は軽く首を傾げた。
「さあ、しんいち帰ろうか」
後は、白馬を完全に無視して、新一に笑いかける。新一も傾げていた首を元に戻すと、嬉しそうに頷いた。
そして、石を握りしめたまま、呆然と立ち尽くす探偵を残し、二人は空に舞い上がった。
「ま、待ちたまえっ!!」
慌てて叫ぶが、時既に遅し。
───虚しく風か屋上を吹き抜ける。
「……一体」
何だったんだ……?
その後、彼をフォローする者も居なくなり、一人残された恰好となった白馬探は、大きな疑問を抱えたまま、屋上を後にするしかなかったのだった……。
さて、ここは二人の愛の巣、工藤邸。
「やっぱさ、名前がいけないんだと思う。『怪盗キッド』なんて、いかにも『泥棒です』って言ってるみたいじゃないか」
キッドから、かいとんに戻った快斗に、新一は真剣な顔で言い募る。
「ここは一つ改名すべきだと思う」
「改名?どんな風に?」
ほんの少し、興味に引かれて訊いてみる。すると、新一は自信ありげに言い放った。
「『探偵キッド』っていうのはどうだ?」
「……」
「ダメか?」
良いネーミングなのに。それに、これなら絶対泥棒と間違われないはず。しかし、かいとんの反応は鈍い。
「ダサっ……」
「何か言ったか?」
「いや。何て言うか、語呂が悪いというか、何というか……」
響きが、イマイチ。と言うかいとんに、新一は唸る。
「うーん。じゃあ、『かいとんキッド』はどうだ?」
響きも怪盗キッドに似ているし、さり気なく、本名も入れ込んでみました。 と、胸を張る新一。
「何だか、マヌケっぽ……」
「何か言ったか?」
「いや、『キッド』が『かいとん』だとばれる可能性があるネーミングは控えた方が……」
「そうか?」
「だって……これは、二人だけの秘密、だろ?」
新一に顔を近づけて、囁くように言うと、新一はほんの少し頬を赤らめて、うーんと唸った。
「そ、それもそうだな」
「でしょう?」
二人だけの秘密。二人だけの特別な秘密。
そうなると、返す返すも、あの白馬にかいとんの正体がばれてしまった事が悔しくてならない。
「オレとかいとんだけの秘密だったのに……」
ぶつぶつと呟く新一に、快斗は笑う。
「大丈夫。そんなに気になるようなら、アイツの記憶を消してしまおう」
「そ、そんな事出来るのか!?」
「オレ、大得意!」
快斗の腕の良さは、目の前の名探偵で実証済みだ。しかし、そんな事を知らない新一は、尊敬の眼差しで快斗を見つめた。
「スゴイ……流石、オレの自慢のペットだ……」
「ご主人様の為なら、なんだってするよ?だって、オレは犬だからね」
ウインク一つがサマになる。そんな、ちょっぴり気障で格好良い自慢のペットを、新一は思わず抱きしめ、よしよしと頭を撫でる。
全ての真相を知らず幸せなのは、新一只一人。
この世で一番幸福にならなければならない名探偵。
そして、しんいちとかいとんの幸せ生活は、まだもう少し続いていくのでした。