しんいち と かいとん・完結編





かいとんは、基本的に一人で外出はしない。だって、一応犬だから。
けれど、それは新一だけがそのように理解している事で、本当はかいとんは犬ではない。……当たり前だ。
だけど、常に新一の前では『かいとんは犬』なのだ。だから、一人(この場合、一匹と呼ぶべきか)では、外出はしないものなのだ。

けど、やはり快斗だって一人の成人男子である訳だし、キッドでもある訳だし、……たまに一人でお出かけする時もある。
そして、今日がその時だった。
次の仕事の下調べに半日を費やし色々準備して、そして午後もまだ早い時刻に帰宅した。

「ただいまー」
今日は新一は休みだ。探偵に休みも何もあったものではないのだが、今日は休みだと新一は言ってた。そんな日に出掛けなきゃならない自分が悔しかったが、キッドも大事な仕事なので、涙をのんで己の職を優先させたのだ。

「ただいまー。しんいち、居るー?」
パタパタと廊下を歩く。ひょいと居間を覗いてみるが、新一は居ない。
大抵の休日は、居間に居ることが多い新一。けれど、自室に籠もっている事もある。
「部屋にいるのかなー?」
快斗はそう呟き、2階に向かおうとした。……が、その時、ふとキッチンに人の気配を感じた。
「しんいちー?」
ひょいと覗き込む。すると、キッチンと併設されているダイニングの椅子に腰掛けている人物が視界に飛び込んできた。

新一じゃない。

快斗は一瞬躊躇した。その人物は、快斗に背中を向けて座っていたが、明らかに新一では無かった。
姿そのものが違ったのだ。……だって、髪が長い。
身体も新一より2割方細いし、第一女だ。

誰だろう。そう思うのと同時に、相手が振り返った。

快斗は彼女を知っていた。
「あ、こんにちは」
女が挨拶をした。快斗も直ぐさまにこりと笑って挨拶した。
「こんにちは、毛利さん。久しぶりですね」
彼女は、新一の幼なじみの毛利蘭だった。快斗がこの家のペットになってからは、全くと言って良いほど姿を現さなかった。
そんな彼女が、何故か此処に居る。
取り敢えず、快斗は愛想良く相手をし始めた。何せ、大事な新一の幼なじみだ。丁重に扱って損はない。
全ての物事を新一中心に定めている快斗にとって、それは極当然の振る舞いだった。

しかし。

「お出かけしてきて、喉乾いたんじゃない?お水飲む?」
それとも、ジュースの方が良いかしら。 と、彼女は椅子から立ち上がると冷蔵庫の扉を開いた。
おいおい、それはオレの役目でしょ? と内心快斗は慌てたが、当の本人は慣れた様子で冷蔵庫からジュースを取り出すと、食器棚から持ってきたグラスに注ぎ込む。
「はい、どうぞ」
にっこり微笑まれ、快斗もぎこちなく笑った。……何だか、とても居心地悪い。
そんな快斗の事など我関せずと言った態度で、蘭はシンクの前に立つと洗い物を始める。いくつかシンクの中に放置されていたカップを綺麗に洗って水切りかごの中に入れると、次はキッチンの扉を開いて、何やら食料を取り出している。
「あ、あのっ、毛利さん!?」
現在、このキッチンを守っているのは快斗だ。もちろん、新一も一人暮らしをしていたのだから、簡単な料理くらいは出来る。しかし、彼の場合は作る能力はあっても作らない。そんな時間が捻出出来るのなら、それらは全て読書に回すからだ。
だから、快斗がこの家に住み始めるまで、この家のキッチンは大層シンプルで、且つ綺麗に整理整頓されいた。
そんな工藤家の台所に命を吹き込んだのは快斗であり、最早此処は彼のテリトリーでもある。
従って、客人にその場所を占領されては、快斗のプライドに関わる事だ。

しかし、そんな快斗の思いを余所に、蘭は食材を広げながら言った。
「あなたが此処に来る迄は、新一の食事の用意は私がしていたのよ。ほら、新一って、出来る癖にしないじゃない?下手すると、食事そのものを抜くでしょう?だから、時間があれば何時もこうして食事を作りに来ていたのよ」
彼女は楽しそうにそう笑い、くるりと振り返った。
「あなたのお口にも合うと良いのだけど……」
それとも、食事はペットフードかしら? 小首を傾げる仕種をしてみせる蘭に、快斗は何とも理不尽な怒りを感じ始めていた。
彼女が買ってきたのだろう、スーパーの袋から野菜を取り出すのを見て、快斗は彼女の元につかつかと歩み寄った。

「そんな、お客さんに食事を作らせるなんて事出来ません。毛利さんはリビングで休んで居て下さい。オレが作りますから」
料理には自信がある。新一に美味しくて栄養のある物を食べさせるために、日夜研究を重ねているのだ。だから、彼女には負けない。
だが、蘭は困ったような顔で見つめるだけで、そこから離れようとはしなかった。
「あのね、私の作る料理をあなたにも食べて貰いたいのよ。これから、そうなるんだし……」
「これから?……何のこと?」
彼女の言葉の意味が分からず怪訝に眉を寄せた時、家主が姿を現した。

「あ、かいとん、帰ってきてたのか?おかえり」
「あ、しんいち!ただいま!」
途端に相好を崩す快斗に、新一は頷くと、蘭に向かって微笑んだ。
「待たせたままで悪かったな、蘭」
「ううん、良いのよ。……彼ともお話出来たし」
蘭はそう言って笑う。快斗の顔が僅かに曇った。

「今からご飯作るから、ちょっと待ってて」
どうやら、本気で快斗の城を攻め落とすつもりらしい。益々険しくなる快斗だが、新一が軽く手を挙げた。
「ああ、そんなのは構わないよ。それより、こっちの方が先だろう?」
気付けば、新一の腕に沢山の冊子を抱えている。それを見た蘭は、嬉々として新一の元に駆け寄った。

何だろう。快斗の眉が寄った。

新一がテーブルの上に広げたのは何かのカタログ……いや、パンフレットだ。
「都内にあるの全部かき集めてきた」
そうふんぞり返る新一に、蘭は思い出したように口を開く。
「最近は、ホテルだけじゃなくて、もっとカジュアルに挙げるのが流行りなのよ。レストランもチェック入れた?」
「めぼしい所は全てリサーチ済みだ」
任せておけと胸を叩く。そんな彼等の会話に、快斗は得も言われぬ不安を感じた。

「ねぇ、しんいち……何の話をしているの?」
二人の会話に、おずおずと割って入る。すると二人はお互い見合わせると、にっこりと微笑んだ。

「ああ、言うのが遅れてしまったな。かいとん、オレ達もうすぐ結婚するんだ」
「なーんだそうなんたー。……って、結婚!?
そう。彼がテーブルに広げた物。……それは、都内のホテル、結婚式場のパンフレットだったのだ。
快斗にとっても、正に寝耳に水。衝撃の告白だ。
「新一が結婚なんて、そんなの聞いてない!」
「当たり前だろ?今まで言って無かったんだから」
あはは、と新一は朗らかに笑った。よく見ると、何となく頬が赤い。

「だ、誰と!?誰と結婚するの!?」
「誰とって……見て判らないのか?」
新一は隣にいる蘭の方に視線を向けて苦笑を漏らした。蘭も微苦笑を浮かべて言った。
「だって、新一。仕方ないじゃない。どんなに利口でも、彼は所詮なんだもの。判らなくて当然よ」
はにかみながら新一に寄り添う。そんな彼女の態度に新一も「それもそうか」と言って笑った。

「あのな、かいとん。オレ達、もうずっと前から付き合ってたんだよ。それで……」
「嘘だ!」
「嘘じゃないって」
「嘘に決まってる!だって、オレがこの家に来てから、毛利さん、一度もこの家に来なかったし、それに、付き合っている素振りなんて少しも見せなかったじゃないかっ!」
「蘭が今まで来なかったのは、お前の事を考えたからだ。我が家に一日でも慣れて貰うために、暫く来ないようにオレが言ったんだよ。でも、かいとんもこの生活に随分慣れてきたようだし、そろそろ新しい家族を紹介しても良いかな、って」
何時までも放っておくと嫌われるしな。 新一はそう言うと、照れたように頬を掻いた。

そんなの信じられない!

快斗は、正に全身の毛を逆立てるかのように怒っていた。しかし、当の新一の態度はつれない。それどころか、心配そうな眼で快斗を見つめてくる。
「かいとん……お前は、祝福してくれないのか?でも、蘭の事は嫌わないでくれよ。コイツとは、これから一生一緒に過ごすんだから」
「大丈夫よ、新一。私も精一杯彼の面倒をみるわ。そして、好きになってもらう。だって、新一の大事なペットだもの」
私は、この子を嫌ったりしない。 蘭は新一を安心させるようにそう言って微笑んだ。
「悪いな、蘭。かいとんも、普段はこんなんじゃないんだ。とても素直で、甘えたがりで……」
「きっと、大切なご主人様を取られてしまうようで混乱しているのよ。そうでしょう?」
蘭は、まるで慈愛に満ちた聖母のような表情で快斗をを見つめた。
「大丈夫よ。貴方のご主人様は、一生新一なんですもの。私は、新一と……そしてあなたと家族になるだけなんだから」
大丈夫、大丈夫、と連呼されるが、快斗は全然大丈夫じゃなかった。

本気?本気でこの女と結婚なんてするの?
ずっと前から付き合っていたって?そんなの嘘じゃないか。だって、オレと……黒羽快斗とずっと付き合ってたでしょう?
そりゃあ、正体がばれた時は、別れる素振りを見せたものの、それまではすごくラブラブだったじゃないか!
その後、強引にオレが記憶ねじ曲げちゃったけれど、誰も彼女と付き合ってたなんて記憶は捏造していないよ?
……それとも、オレと付き合っていた時、まさか二股なんて掛けていたの!?
そうなの!?ねぇ、そうなの、新一!答えてよっ!!

と、快斗は叫び詰め寄りたかったが、当然の事だか出来なかった。
そんな事をしたら、今までの「かいとん生活」が破綻してしまう。
だから快斗は、うるうると潤んだ瞳で、二人を睨み付けるしかなかった。
……嗚呼、神様。これは、こんな事になったのは、オレが新一の記憶を歪ませた罰なのですか。

だから、そんな快斗が出来る事と言えば、
うわぁぁぁん!しんいちなんて、大嫌いだぁぁぁぁ!!
と、叫んで部屋を飛び出すのが関の山だっだ。











快斗は反省した。
深く深く反省した。
やっぱり、新一の傍に居る事なんて、快斗の身分では過ぎた望みだったのだ。
彼は、日本でも有名な探偵で、名探偵で、超名探偵で、お日様の、それも燦々と降り注ぐお天道様の下を両手を振って堂々と闊歩出来る人なのだ。

それに比べて快斗はどうだ。
彼も日本では有名で、いや、世界的にも有名で、だけど決して世間に受け入れられない犯罪者。それも、超A級の犯罪者。国際指名手配とかされちゃってて、あの国際警察機構が全力で追いかけている犯罪者。中森警部なんて、実はICPOから派遣されてきているのではないかと専らの噂だ。

泥棒達からは、まるで神様のように崇め奉られているかも知れないが、しかしそれは世間では大変不名誉な事でもある。

所詮、快斗は新一に相応しくない人間だったのだ。
そんな快斗の正体を知って、新一はどんなに悩んだことだろう。
本来の新一ならば、有無も言わさず警察に突き出していたであろうに、なまじ恋人なんてやっていたから情が移りまくって、とうとう正しい判断を損なわせてしまった。なのに、快斗はそんな新一に乗じて、催眠術などという曖昧な手段を用いて、彼のペットとして工藤家に潜り込んだのだ。

幸せだった。それが間違っている事だと判っていても幸せだった。
例え、恋人らしい事が出来なくても幸せだった。
しんいちが、かいとんを見て、柔らかく微笑んでくれる。何度カッコイイと訂正させても、彼は快斗を可愛いと言って、頭を撫でてくれる。快斗の我が儘にも困った顔して、それでも受け入れてくれる。散歩だって、可能な限り付き合ってくれた。
かいとんが、キッドである事を誇りに思ってくれた。

「しんいち、本当はね……キッドはスーパースターなんかじゃないんだよ」
極悪犯罪者なんだよ。きっと捕まったら、すんごい懲役食らっちゃうくらいの……執行猶予をもぎ取るのは、どんな敏腕弁護士でも、きっと無理。

だから……。

「新一の術を解いて、この家を出て行こう」
何なら、その足で警察に行っても良い。両手一杯の証拠品を持っていったら、きっとみんな信用してくれる。
そして、拘留されて送検されて起訴されて裁判して有罪判決が出て刑務所行って模範囚になろう。
そうすれば、きっと新一も喜ぶし、快斗も幸せな彼等の新婚生活を目の当たりにしなくて済む。

今の快斗にとって、それはとても素晴らしい名案のように思えた。










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2005.08.15
Open secret/written by emi

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