永遠の子供 <the eternal child>


 

<IV>

 

「おねえちゃん、こんどはぼーるのなげあいっこしよ?」
「うん、いいわよ」
 平次とコナンは、土の上に引かれた線の外側から二人が遊んでいるのを気の抜けた様子で見ていた。
 先刻まで鬼ごっこをしていて、捕まった二人は線外退去を命じられたのである。
「はあ。朝あんなに気張って出てきたんになあ」
「だから、それはお前の勝手だろー?でも、確かに……おっちゃんは今仕事してるだろうし、今回ばかりは事件も無く終わりそうだ」
「やったらええんけど……」
「ああ。引っかかるのは」
「お前と反対の、あの子やな」
「―――反対、ね」
「………」
「どっちがいいんだろな」
 問いかけではなく独り言のような呟き。
 コナンが黄莉を、そしてそれよりもさらに遠くを、眺めている。
 その横顔に手が届かないような錯覚を覚え、平次は思わずコナンの腕を掴んだ。
「―――な、に?」
「あ……届いた」
「?何だってんだよ、服部」
「いや、何も。そ、それよりもアレや。10年前の」
 我に返り慌てている所へ、ボールがころころと転がって来た。
「とってとってー」
「はいな」
 叫んだ黄莉に平次が軽く投げ返し、話題はなんとか修正された。
「……10年前の事件、か」
「事件とは誰も言うてへんけど、事件やろなあ」
「何も起きなきゃ、いいけどな―――」
 黄莉がまたボールを取り損ねて黄の館の方へ追いかけて行った。

 

「全員、揃いましたかな……おや、鏡也は」
「そういえば、昼以来姿を見ていませんが」
「私もです」
 食堂に集まった面々が、顔を見合わせた。
 入って来た紅莉が静かに扉を閉じ、絳河に告げた。
「……先生。鏡也さんの部屋をノックしたのですが返事がありません。鍵も掛かっているようです」
「ふむ。最近疲れているようだったから熟睡しているのだろう。寝かせておこう」
「はい」
「毛利さん、お注ぎしましょう」
「ほおー。こりゃあ結構良いモノですなあ」
「未成年者はジュースだね」
「う……まあ、しゃあないか」
 全員を見回して、絳河がグラスを掲げた。
「それでは、乾杯といきましょうか。毛利さん達のご来訪を記念して」
 カチン、とグラスが触れた。
 夕食は矢張り、毛利探偵の活躍話が中心だった。初聞きの彼らには新鮮なようで、身を乗り出して夢中になっている。興に乗った小五郎は口から泡を出しそうな勢いで話に花を咲かせている。
 しかし初聞きでないコナン達にとってはそれこそ耳にタコが出来そうな程繰り返し聞いた話だから聞き流すだけで精一杯だ。ある意味、苦行である。
 黙々と食事をしていたコナンがふと前を見ると、紅莉が食事の手を止め、俯いて何かを眺めている。そういえば、と先刻も同じ仕草をしていた事を思い出す。どうやら、携帯を取り出しているようだ。
 気になって名前を呼ぶと、弾かれたように顔を上げた。
「どうしたの?紅莉さん」
「……ちょっとね、仕事相手からのメールを待ってるんだけど、なかなか来なくて」
「ふうん」
 隣の蘭は蘭で話の切れ間を狙っていたらしく、話題が一旦落ち着いた所で勢い込んで絳河の方へ向き直った。
「あのっ、絳河先生」
「なんだい?」
「先生は、今日は色染めの作業はされないんですか?」
「ああ、紅色を染める作業か。夕食後にいつもやっているんだ。紫外線に当たるとすぐ変色するからね」
「少しだけ、作業場を見せて頂きたいな……なんて思ったんですけど」
「こら、蘭ー。突然、失礼じゃあないかー」
 酒が回ってきた小五郎の声が間延びしている。絳河は苦笑しながらいやいや、と手を振った。
「済まないね。いつもなら構わないんだが今晩は少し立て込んでいて、見せられる状態じゃないんだ。代わりといっては何だが、この館に作品を保存している部屋がある。”紅の部屋”を紅莉に案内させよう」
「あ、嬉しい!ありがとうございます。先生の染める紅色、とっても綺麗だって聞いたもので」
 頬を紅くしながら喜ぶ蘭にコナンは思い出す。
 紅花の紅は、唇を彩る紅にもなったそうだ。身にまとう衣の紅といい、
「女はほんに紅が好きやな」
 囁く言葉に頷いた。
「本当に素晴らしいよ、先生の紅は。その”紅の部屋”には先生の代表作も保存されてるし」
「いやいや、色を出すなら蘭さん、君にも出来るよ」
「それを見事な作品に昇華させるのが先生の”紅の業師”と呼ばれる所以ですから」
「では夕食後、ご案内致します」
「ありがとうございます!」

 

「俺達も、ここは滅多に入れないんですよ。ね、剣司さん」
「先生のお許しが無いと駄目なんだ」
「そうなんですか……あれ?黄莉ちゃんは」
「部屋に帰しました」
 鍵を持って階段を昇ってきた紅莉が無表情で言った。
「どうして?」
「この部屋には入れませんから……鍵、開けました」
 重い両開きの扉を押し、照明を点す。
 薄暗い照明の下、広い部屋に整然と紅が並んでいた。
「申し訳ありません、明る過ぎると色が褪めてしまいますので」
 紅莉が部屋の中心に存在している紅を指した。
「こちらが先生の代表作”紅の乱舞”です」
 渦巻いている、黒に近い紅。そしてその上に散らばる、鮮やかな紅。
「―――」
 皆言葉も出ず、作品に飲み込まれていた。
「凄いでしょ?綺麗、というよりは壮絶だよね、この作品」
「先生の10年前の作品で……済みません、失礼します」
 電子音が鳴り、紅莉が両手で携帯を取り出す。
「メール……鏡也さんから……?」
 怪訝な顔でピピピ、と甲高い操作音をさせていた指の動きが停止した。
「―――何これ……遺書って」
 黒い携帯が滑り落ち、床で鈍い音をさせて跳ねた。
 衝撃でバッテリーの蓋が外れ、転がった。

 

「―――!!」  

 

 微かに悲鳴が聞こえた。
「!!」
「―――男の声だ」
「先生……?」
 階段を下りて、渡り廊下の手前まで走るとさらに悲鳴が聞こえた。
 間違い無い。
 黄の館。昼には閉められていた、突き当たりの部屋。
 闇の中、開け放たれた扉から光が漏れている。
 光の他に、薬の匂いも漂ってきた。
「何か……薬の匂いがキツイな」
「染料に混ぜる薬の匂いだな。けど……随分強い。余り吸っていると良くはない」
 最初に駆けつけたコナンと平次が、入り口で腰を抜かしながら少しでも遠ざかろうともがいている絳河を見つけた。
「―――どうしたんです!先生!」
「あ……ああ……」
 介抱しようとする弟子を横目に飛び込んだ部屋の明るさに一瞬、目がちらつく。

 目の前が紅い。
 布だと確認するまでに少し時間が掛かった。

「あれ、奥に……何か」

 紅で埋め尽くされた視界の奥に、紅ではないものの姿が垣間見えた。

「―――――!!」

 布が幾本か被さっている、その下に。

 俯せに埋もれた、男の姿。

「……鏡也……?」
「鏡也さん ―――!」
「紅莉さん!救急車を―――」
「いや、もう……駄目や。―――死んどる」
「黄莉!ここには来ちゃ駄目って―――」
「黄莉ちゃん!」
「――――!!」
 全身から甲高い悲鳴を上げて、黄莉は意識を失った。

 

 

 

 


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