サイレントサイレン <silent siren>
<VIII>
祭りの灯りが幾つも見える。
ざわめきで賑わう空間がすぐそこにあった。
長く急な階段は止めて、緩やかな横道を入る。
近付くごとにそれらの賑わいは笛や太鼓、人声などに分かたれて耳に届いた。
人の出入りが多い。境内に入るまでの道にも夜店が軒を連ねていた。小さい祭りと言いながら、町の住民が総出で行き交っているような人波だった。
「……結構大きいなあ」
「確かに。更陽子ちゃん、大丈夫?」
はぐれないよう繋いだ手の先で、浴衣をまとった更陽子は頷いた。表情は分からない。
行き交う人が皆、揃いの面を着けている。
嘴が尖り獰猛な面構えは紙製ながらも夜分には十分な迫力があった。そして三人も、また同じモノを着けていた。
絹斗と綾子、それぞれの部屋も時々掃除をして風通しを良くしているらしく、戸棚や箪笥、書棚の多くの蔵書を紐解いてみても特に気になるものは無かった。もし存在していたとしても、既に処分されている可能性は十分に考えていたけれど。
「これよ、これ」
絹斗の部屋の物置から行李を引き出して、木綿子は祭りに使うらしきモノを手に取った。
「その面は」
「祭りには必ず被る、神の化身とされるモノです。人の肉を喰らい、血を啜る」
「物騒ですね。――そういえばあの神社、何を祀っているか聞いてませんでした」
「人を喰らう神です」
更陽子が言っていた通りだった。素知らぬ風で聞いたが、それでは本当なのだろう。
「珍しくないと思いますけど」
「まあ――確かにそうやけど、んなストレートに言われると」
「あら。食べるわよ本当に」
「木綿子」
「さ、着付け着付け」
「着付けって――」
「だから、祭りは皆浴衣なのよ。その中で洋服着てたら変に目立っちゃうでしょ、だから」
行李から次に取り出したのは、二枚の浴衣。
「父さんの貸してあげる」
「木綿子サン、着付け出来るんかいな」
「まあね。舞台衣装は着物だから」
「へえ。何やっとるんや」
「日舞」
「――」
「何かな? その唖然とした顔は」
「べ……別に」
「姉さんも舞台衣装は時々着物よね」
「……ええ」
「亜麻子さんは、何を」
「――演劇を、ちょっと」
「なんちゅうか……ヒトは見かけによらんわなあ」
「服部――」
お前こそストレート過ぎだと口には出さず小突いたが、怪訝な顔をされただけだ。伝わらなかったらしい。
「あ、着付けは俺出来るさかい大丈夫やで」
「なんだ、残念」
「残念って……」
「あ、更陽子の分もあるわよ。あたしのお下がりでも良い? 着せてあげるから」
『うん!』
履き物まで揃えられ、出で立ちは祭りに参加している人々と変わりがない。面を被れば、一層余所者とは思われないだろう。
更陽子は車の中では緊張していたが、祭りの雰囲気と夜店の明かりにすっかり魅せられたようで全部を回ろうとうろうろして、境内まで辿り着くにも時間が掛かってしまった。
境内では舞台で郷土芸能らしき舞が舞われている。お囃子や観覧している客からの囃子詞が場を盛り立てており、興味を持った新一が立ち止まる。
と、右手からするりと手が抜けた。
「あ――」
駆け出す更陽子の姿が人波に飲まれ、消えた。
「更陽子ちゃん!……工藤! 探すで!」
「あ、ああ」
(「カミサマが人を喰らったの」)
駆け出そうとした刹那、耳元で声がした。
「――え」
通りすがりに囁いた女がそのまま人混みに紛れた。
「ちょっ――」
「工藤!」
追い抜いて独り駆け出した新一も行き来する人の影に消え、残された平次は呆然と残像を追った。
「ったく――工藤!」
駆ける。駆ける。
僅か止まっては辺りを見回す。
「更陽子ちゃん!」
面を外して泣きそうな顔の少女を見付けた。
「アカンやん、一人で走ったりしたら」
『ごめんなさい』
「工藤、見んかったか?」
驚きの顔で首を振る少女の手を引き、再び駆け出した。立ちふさがる人を切り開くように。
面を被り人の波に紛れてしまえば。
もう見つからない。
「――な訳あるか!」
いや。
見つけた。
「工藤」
「……見失った、あの女」
面を外し悔しそうに振り返ったのは、やはり。
「更陽子ちゃん、居たで……スマン、無理させたな」
息継ぎに喘いでいた更陽子は、それでも少し笑みを作って首を振った。その様子に察した新一は目を伏せた。
「ああ――悪い。俺」
「ええって。それより――ホンマに工藤だったわ」
「……んだよ、それ」
「イヤ、やっぱ俺も探偵なんやと思うて」
「バーカ」
「何やと」
「そんなの俺が一番良く知ってるだろ」
「……」
予想もしなかった言葉に平次は照れて頬を掻いた。その反応に新一は自分が何を言ったのか反芻し、気付いて顔が赤くなった。
「……何笑ってんだよ」
「べっつにー」
「――帰る」
「何や、調査終わりか」
「境内の様子も分かった。祭りも昔からのようだし、更陽子さんも大丈夫だった。他に何かあるか」
「せや、先刻は何で一人で走ってったんや。はぐれたら大変やったで」
『おとうさん、と、おかあさんがいて』
「――!?」
『でも、ちがってた。べつのひとだったの』
「ほか。人違い――か。したら工藤は」
「俺も人違い」
「……何やそれ」
「いいだろ。帰る」
人混みに当たったのか、確かに具合は優れなさそうだ。
「けど、歩くには館までは遠いで。しかも俺等鍵持ってへんから入れんし」
「ぶらぶら歩いてれば車で追いついて拾ってくれるだろ」
「……んな事言うて途中でバテても知らんで」
帰りも鳥居へと下りる急な石段は更陽子が恐がり、横道を戻ってきた。そのまま、三人は坂を上る。
月の朧な夜。薄い星の光。外灯も無い坂で、頼りになるのは足元の砂利の感触だけだ。
だいぶ歩いたと思ったが、後ろを振り返ると神社の明かりがまだ近い。傾斜のせいでそう見えるのかもしれないが、無言だと余計に疲れが増した。
「更陽子ちゃん、疲れたやろ」
『だ……いじょうぶです』
言葉とは裏腹に、吐いた無音の言葉も途切れ途切れだ。馴れない履き物のせいもあるだろう。
「俺の手、掴まり。引っ張るさかい」
平次が差し出した手に一瞬躊躇ったものの、そっと手を伸ばした。
「少しは楽やろ?」
更陽子は頷いて、微笑んだ。
「工藤も。ほい」
もう片手が新一の前に出された。
「……んだよ」
「体力戻っとらんやろ。捕まり」
伸ばしてきた手を払う。確かに坂は傾斜がきつく、先が見えない。けれど、だからといってこんな事で。
「……一人で歩けるっての」
「何や、更陽子ちゃんは素直に手え出したんになあ。せやな、したらおぶってやってもええんやで?」
「……ちくしょ」
振り返り、笑んで後ろ手に開いた掌に拳を飛ばす。
当てたパンチが、そのまま掌にくるまれる。
「最初から素直に言っとればええんや」
「言ってない」
「まあまあ」
平次は手を繋ぎ直し、二人を引っ張るように歩き出した。無理矢理ではなく、丁度良いペースで。
繋がれた更陽子がもう片方の指先を振って合図しているのに、新一は気付いた。
『くどうさん』
「――?」
『やさしいひとですね』
彼を指差して、更陽子は微笑んだ。
それは。確かに。
知っているけれど。
不承不承頷いた自分の顔に、何故熱が登るのだろう。
「何や、俺抜きでこそこそと」
「何でもねえよ」
手の熱を気取られないようにぶっきらぼうに返すと、言葉の調子がおかしかったのか今度こそ更陽子は破顔した。
しばらく上っていると、エンジン音が遠くから響いてきた。降りてきたヘッドライトの眩しさに目を細めると、車は脇で止まり、常盤木が顔を出した。
「常盤木さん」
「更陽子様。お二方、こんな所に居らしたんですか。お迎えに出た亜麻子様と木綿子様が、皆様がいらっしゃらないと戻っていらしたので、私も探しておりました」
「すんません。ちょっと散歩しとうて……な」
『はい。ごめんなさい』
「けど流石にお屋敷までは遠かったわ……おおきに」
車に乗り込もうと平次が手を離した。
離された手が新一の方へゆっくりと戻る。
名残の熱が、じわり沈んだ。