あ た た か な ご ち そ う (1)

 

 


 きっとこっちで合っているはず。学校で習った地図は上が北側と決まっていましたし、駅の横の商店街に貼ってあった地図には下の方に中学校が書いてありましたもの。だから南に向かって進んで…

 …きたのに。

 小さな鞄を肩から掛けて、幸鷹君はトボトボと見たこともない住宅街を歩いていました。予定ではこのまままっすぐ進んでいけば酒屋さんがあって、そのお店を右に曲がれば目的地である中学校のグラウンドが見えてくるはずなのです。でも、酒屋さんもグラウンドもどんなに目をこらしても行く手に見えてはきません。

 幸鷹君はキチンとしめられた小さな制服のネクタイをちょっといじって気持を落ち着けようとしました。じわっと涙が滲みそうになった眼をゴシゴシこすってキッと前を睨みます。だってこんな情けない顔をしているのを大好きな頼忠に見られたくはありませんでしたから。それに、頼忠は幸鷹君が泣き顔なぞ見せようものなら、すごく……ものすごく心配するのです。


 そもそも、幸鷹君は頼忠に会いに来たのです。夕方の5時には剣道部の練習が終わって、中学校の体育館から出てくるのを幸鷹君は知っていましたし、その中学校も一度行ったことがありましたから。

 頼忠は幸鷹君のお兄さんです。本当の兄さんではなくて幸鷹君とは名字も違いますが、幸鷹君の大事なお兄さんなのです。3つも年上のお兄さんを呼び捨てにするなんて変だと幸鷹君は言ったのですが、当の本人が名前のままが良いと頑として譲らないのでいつのまにか「頼忠」で定着してしまっています。
 何年か前、まだ幸鷹君が小学校2年生だった時に頼忠の御両親は事故で亡くなってしまいました。頼忠本人も生きているのが不思議なくらいの大怪我だったのですが、幸鷹君のお父さんがすごい手術をしたおかげで助かったそうです。半年の間ずっと入院していて……頼る親戚もなかった彼は幸鷹君のおうちに引き取られてきたのでした。幸鷹君のお父さんと亡くなった頼忠のお父さんは大の親友でしたから。

 頼忠は本当のお兄さん以上に幸鷹君を大事にしてくれます。勉強も見てくれますし、キャッチボールだってしてくれます。
 それまで幸鷹君はずっと、同じクラスの鍵っ子仲間アツシ君が羨ましくてなりませんでした。お父さんとお母さんが両方とも働きに出ているのはアツシ君も同じですが、彼には強そうなお兄さんがいてとてもアツシ君を可愛がってくれるのです。 
 でも、もう羨んだりはしません。幸鷹君にはアツシ君のお兄さんに負けず劣らずかっこいいお兄さんが出来たんですもの。


 それにしても。

 一体ここは何処なんでしょう?もう15分も歩いているのにいっかな目印の酒屋さんはみつかりません。いくら子供の足だと言っても、前に来た時に比べて時間が掛かりすぎています。これはどう考えても道を間違えたのではないでしょうか?

『きっと、どこか曲がり角を間違えたんだ……誰か、この辺の人に中学校への道を聞いてみよう』

 幸鷹君がキョロキョロと周辺を見回すと小さな児童公園が目に入りました。あそこなら、子供連れのお母さん達がいるかも知れません。
 トコトコと公園に入って行った幸鷹君は周辺を見渡してみてため息をつきました。もう、お母さん達は引き上げてしまったのでしょうか?砂場にもブランコにも人影はありません。ただ、ベンチに疲れたようなおじさんが一人、腰を掛けてタバコをくゆらしているだけでした。

 どうしよう。

 もう一度引き返して、駅からやり直してみようかな。

 今日はまったくついていない事ばかりです。
 本当は、今日は久しぶりにお父さんとお母さんが早く帰ってきてくれて、幸鷹君と一緒にお食事に行くことになっていたのです。それで幸鷹君はいつもの図書室には行かずに、急いで帰ってきたのでした。ワクワクしながらおうちで待っていると電話が入って……やっぱりお父さんとお母さんは急なお仕事が入って帰れなくなってしまったと言うことでした。
 「頼忠君が中学校から帰ってくるのをおうちで待ちなさい」とお母さんは言いました。でも、がっかりしたことに加えて誰もいないおうちでじっと待っているなんて余計に寂しくなるじゃありませんか。
 だから幸鷹君はお小遣いの入ったお財布を小さな鞄に入れて、頼忠の中学校まで彼を迎えに行こうと思ったのです。

 でも、まさか迷ってしまうなんて。

 ふぅ、ともう一度ため息をつくと、幸鷹君は公園のブランコに腰掛けて足をブラブラさせました。道を聞く人も見あたらないので、もと来た道を引き返すくらいしか方法はないように思えます。

「どうしたんだい、坊や」

 いきなり声を掛けられてびっくりした幸鷹君が顔を上げると、さっきベンチに座っていたおじさんが前に立って見下ろしていました。くたびれたスーツに古い鞄を抱えています。

「坊やの学校はここから随分と遠いんだろう?どうしてこんな所をうろついてるの?」

 そういえば幸鷹君は小学校の制服を着たまんまです。私立の制服を着ている幸鷹君は何処の学校の子か他の人にはすぐに解るのです。何か考え事をしている風だったおじさんが話しかけてくれたので、幸鷹君は頼忠の中学校の行き方を聞いてみました。

「それは反対方向だよ。ここからじゃ遠いから、おじさんが車で送ってあげよう」

 おじさんは優しそうに言いました。
 でも、お父さんやお母さんは絶対に何があっても、二人に断り無しで他の人の車に乗ってはいけないといつも言っています。おじさんは親切に言ってくれていますが、幸鷹君は遠慮して道順だけ教えてくださいと言いました。でも…

「小さい子が遠慮なんかしちゃいけないよ。いいからいいから」

 おじさんは問答無用とでも言うように幸鷹君の手を掴むとぐいぐい引っ張っていきます。公園の出口にはおじさんの車とおぼしき白い乗用車が停めてありましたが、その車のガラスは全部フィルムが貼られていました。外からは中の様子が全然わからない車です。幸鷹君はだんだん怖くなって、結構ですと大きな声で言って手を振り払いました。その途端。

「コイツ!乗れっていってんだよ!」

 さっきまでニコニコ笑っていたおじさんが急に恐ろしい形相になったかと思うと、大声で怒鳴りました。あまりの豹変ぶりに幸鷹君の身体は一瞬竦みましたが、すぐに身を翻せたのは幸いでした。
 次の瞬間、おじさんは掴みかかってきたからです。

 ランドセルも背負っておらず身軽だった幸鷹君は一目散に逃げ出しました。幸鷹君は短距離走ではクラスで2番目に速いのですが、この時ばかりは普段のかけっことは比べ物にならないくらいに必死に走りました。ただ、方向を確認する余裕があれば良かったんですがね。
 恐怖に駆られて無茶苦茶に走り続けた幸鷹君は今やすっかり道に迷ってしまいました。さっきまではまだ駅に引き返すという手段がありましたが、今はそれすらありません。人に聞こうにもここは目印もあまり無い住宅街の真ん中で、さっきの恐ろしい男に見つかるかも知れないと思うとそれだけで足が竦んでしまいます。

『さっきのおじさん、ひょっとしたら誘拐犯だったのかもしれない』

 行き場をなくしてしまった幸鷹君は目の前の公民館の敷地に逃げ込みました。今日は行事が何もなくて館内には人はいないようでしたが、掲示板の後ろ側には丁度幸鷹君が隠れるだけの隙間がありました。
 選択の余地はありません。小さく小さく丸まって、幸鷹君はそこに隠れました。

 しばらく息を潜めていましたが、時間が経つに連れ段々怖くなってきます。だれか、幸鷹君を助けに来てくれるのでしょうか?お父さん、お母さんはきっと忙しくて夜遅くまでお仕事をしています。おうちに帰って幸鷹君がいないのに気が付いても、こんな所に来ているなんてわかりっこありません。頼忠はもう少し早くおうちに帰ってくるでしょうが、きっと幸鷹君達は外に食事に行っていると思うでしょうからおんなじです。それからお巡りさんを呼ぶにしても、ここには一体いつ来てくれるのでしょうか?それまでに、さっきの恐ろしい男に見つからないとも限りません。

 学校では優等生で滅多に慌てたりしない幸鷹君も、小学生であることには変わりありません。どんどん膨張してくる不安にますます身体を小さくして、見つからないように息を潜めているしかありませんでした。



つづく→


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