第六話:運命

「それじゃ香、行ってくるよ。」
「いってらっしゃい・・・・。」
「まだ元気ないみたいだね・・・。」
「ごめんなさい・・・・。」
「謝ることはない、じき慣れるさ。」
女の浮かない表情に後ろ髪を引かれる思いだったが、男にはどうすることもできないことを悟っていた為、
女の肩を軽快に叩くと出かけていった。女はそんな男の後姿を夢うつつの状態で見送った。

この女―香は、男―テッドと共に住み慣れたあの街を離れ、二人での生活を始めていた。
女は昼間外資系の夫を持つ妻という表の顔、夜間は殺し屋"ミスティ"のパートナーとしての裏の顔を持つ。 しかし裏の顔はいまだ確立していない状況にあり、昼間の顔は単なる表向きのものでしかなかった。
その原因は女の顔がシティーハンターのパートナーとして裏の世界に広く知れ渡っていたことだけに留まらない。
女はかつてのパートナーの元を離れいく晩かの時を経た今でも、以前の生活に支配され続けていた。
最初のうちはかつてのパートナーの身辺を心配していたが、そのうちパートナーのぬくもりやあの街の温かさが
たまらなく懐かしく思えるようになった。
夜毎体が引き裂かれるような感覚を抱え、声を押し殺して泣くこともしばしばだった。
そんな夜を幾度か迎えるうち、女の思考回路は滞りがちになった。
(考えてもしかたない・・・・。自分で捨てたんだから・・・・。)
いつしか女の瞳からは明るさが消えていった。あの太陽のような笑顔も見られなくなっていった。

男もそんな女のことが気がかりでならなかった。
(自分の感情だけで女を陥れるようにして、自分の元へ引き込んだこと、後悔が無いといえば嘘になる。
 しかし、彼女が必要だった。今の私には、彼女しか・・・・。それにあんな男の元では彼女が幸せになれるはずがない!)
そう男は日々自分に言い聞かせてきた。日に日に弱っていく様子の女に、男は毎晩のようにプレゼントを用意した。
女は嬉しい、ありがとうとは言うものの、笑顔をたたえることは少なくなっていった。
男は自分が無力であることを悟っていった。



―深夜2時
男はターゲットの帰宅を雑居ビルの屋上で待っていた。
依頼があると秘密裏に実行し、依頼を受けたことを証明する。それが男のやり方だった。
今回のターゲットは自宅の居間がガラス張りになっており、狙撃には好条件だった。
「成金趣味が地獄行のチケットになりますよ・・・・。」
そうつぶやき冷たい微笑を浮かべると、男はターゲットが帰宅するのを見届け照準を居間の椅子へ合わせた。
ターゲットがいつもの椅子についたとき、仕事は終わる・・・・そのはずだった。
「う・・・・目が・・・。」
男の表情が一気に険しくなり、銃を構えるその腕は小刻みに震えていた。息遣い荒く、男は脂汗を流した。
「くそっ・・・こんなときに・・・。」
ターゲットはすでに男が照準内に捕らえていた椅子に深く腰掛けている。
男は必死で銃を構えターゲットに狙いを定めた。
男の手は振るえ、照準が定まらない。
「時間がない・・・・。」
そうつぶやくや否や男はターゲットに鉛玉をぶち込んだ。男のポリシーに反し、ターゲットに打ち込まれた鉛玉は2発。
男はやっと自身の集中と緊張感から解放され、その場にぐったりと横たわった。
「ジーザス・・・・。」
男は幾分かネオンから解放された夜空を仰いだ。
男の運命を暗示するかのように星が瞬いていた。

男が家につくと女が駆け寄ってきた。
「・・・・いつもより遅いから・・・・おかえり・・・。」
女は心配そうに男を見上げた。
「ただいま。ターゲットの帰りが遅くてね。大丈夫だ、心配ないよ。」
「こ・・・・殺したの?」
「依頼だからね。君のかつてのパートナーと同じ、裏家業の人間なんでね。」
「違うわ!・・・・・・ご、ごめんなさい。疲れたでしょう?休んだら?」
咄嗟に声を荒げた自分に女は自分で驚いた。
男はふっと柔らかな視線を女に向けた。
「そうさせてもらうよ。」
「明日は休日だから、すこし寝坊ができるわね。」
「ああ・・・。香、君は・・。」
「何?」
「いや、何でもない。こんな遅くまで、心配かけたね・・・・。」
そう言うと男はそっと女を抱き寄せ、耳元でおやすみとつぶやき自室へと向かった。
女は男のやさしさに触れ自身の心に残る感情に罪悪感を覚えた。
(早く、忘れなくちゃ・・・・。)
女は自室へと帰っていった。
男は自室でベッドに横たわりながら、未だ震える自身の手に苛立ちを隠せなかった。
「もう時間がない・・・。あぁなんて呪われた人生なんだ!いったい私が何をしたと・・・・!!」
男は自身の運命を呪った。
そしてしばらく苦悶の表情を呈した後、すっと穏やかな表情になった。
「香・・・・。私は大きな過ちを犯してしまったようだね・・・・・。」
男はそうつぶやくとベッドから起き上がり、キャビネットから小さな箱を取り出した。
そこには幾つかボタンが入っていた。
「こんなものを残しておくなんて、始めから分かっていたんじゃないのか?」
そう自身に問いかけると男はその中のひとつを取り出し、枕元に置いた。
そして男は意識を手放していった。

翌朝。
女は予想通り寝坊してきた男に、遅めの朝食を用意した。
男はコーヒーを飲みながら女に話しかけた。
「香。急で悪いんだが出張に出なくてはいけなくなってね。これから荷造りしなくてはならないんだ。」
「え?そんな・・・急に?大丈夫なの?」
「心配しなくても大丈夫だよ。これは表の仕事の関係だからね。」
「そう・・・・、じゃあ、あたしも手伝うわ。」
「悪いんだが、こういうことは一人でやる主義でね。今日一日出かけてきてくれないか。」
「え・・・でも、・・・。」
女は戸惑った。
今まで決して自分の手元から離さないようにし、女を軟禁状態にしていた男が女に対し自由にしていいと言ったからである。
(信じてくれている・・・・?)
この生活を始めて1ヶ月が過ぎ、女は自分が未だ被害者意識を色濃く心に留めている事にうしろめたさを感じた。
「お詫びと言っちゃあ何だが、プレゼントを用意させてもらったよ。今夜7時にこのレストランに来てくれないか。
とびっきりのおしゃれをしてね。二人で食事をしよう。」
「テッド・・・。ありがとう。・・・そんな気を遣わないでもいいのに・・・。じゃ遠慮なくご招待お受けいたしますわ。」
そう言って女は少しおどけて久々の笑顔を男に向けた。
「良い笑顔だ・・・・・。じゃ、香は出かける用意を、僕は朝食を済ませるから。」
そう言って男は女をせかした。
「わかったわ。」
女は快諾すると、パタパタと自室に向かった。

「じゃ出かけるから。出るときは戸締りと火の始末よろしくね。」
「はいはい。子供じゃないから大丈夫だよ。」
男は女に微笑みかけ、女は赤面した。かつての生活の癖であった。
「そ、そうよね・・・。じゃああとで。」
そう言って女は軽快な足取りで出て行った。男は愛しそうに女の背中を見送った。
「じゃあこっちもはじめるかな・・・・。」
そう言って男は自室に向かった。
そして枕元に置いてあったものをポケットの中に仕舞い込んだ。


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