いつか見た君に〜picture of heart〜少しやわらいだ梓川さんの人見知り。図書室への廊下でも、少しずつ僕の話に答えてくれるようになった。そして、梓川さんから話しかけてきてくれることもあった。この調子で仲良くなっていきたい。そんなことを考えていると、いつの間にか図書室の扉が目の前にあった 第4話・図書室の二人 ガラガラガラ…… 図書室の扉を開ける。今日は図書室の開放日ではないので、中には誰もいない。もちろん冷房もかかっていない。そしてもちろんのこと暑い。 「ちょっと暑くない? クーラー入れようか?」 「え? いいんですか?」 どうも梓川さんは、ずっとこの暑い中で絵を描いていたようだ。かわいそうに…… 持って来た絵の道具を床に置いて、冷房のスイッチをいれる。図書委員だから責任をもって退室する時に消せば、このくらいは許される……と、思う。 「あ、ありがとうございます。実は、いつも暑くて」 そんなに気をつかわなくても、勝手につければよかったのに。もし熱射病にでもなったら一大事だ。涼しい風が頬にあたる…… 「これからもつけていいよ、冷房。あとで消してくれたら」 「はい。でも、もうすぐ完成するんですよ。私の絵」 くすっと笑う梓川さん。 「あ、そうか。もう夏休みも終わりだから」 「はい。私の場合は、あまりのんびりできません」 8月も27日。そりゃ、そろそろ完成させないとまずいか。図書室だから、学校の授業がはじまってから絵を描きに入るってのはちょっとな……一般生徒もたくさんいるし。 それに比べて美術室ときたら、放課後は完全に美術部の領域。文化祭直前までのんびり描けるってわけだ。 「梓川さんはどんな絵を描いてるの?」 ちょっと楽しみ。どんな絵だろうか。 「あ、これです……」 本棚に裏向けにして立てかけてあった絵を、梓川さんが手にとって見せてくれた。 それは、きれいな水彩画だった。窓からの景色……というよりは、空を見上げているような感じだ。外の情景はほとんど空。両脇に描かれている本棚が、図書室であることを物語っている。後残っているのは空の半分と本の色だけ。確かにもうすぐ完成しそうだ。 うーん、これは本当に、 「きれいな絵だ……」 思わずつぶやいてしまった。梓川さん、すごく絵が上手なんだなあ。 「あ、ありがとうございます……なんだか恥ずかしいです」 恥かしがる気持ち、少しわかるな。でも本当にきれいだし。全体的に淡く、明るい配色。なんとなく梓川さんらしい。 あ、ぼーっと見ている場合じゃない。 「あっ、そうだ、準備とか手伝うよ」 「あ、はい。ありがとうございます。それじゃ、お願いします」 静かな図書室。いつもはそれなりに生徒がいる光景しか見たことが無い。だから誰もいないのを見るのは、なんだか不思議な気分だ。そんな中、ゆっくりと絵を描く準備をする僕と梓川さん。 ミーン、ミーン、ミーン…… かすかに聞こえるセミの声、遠くに聞こえる運動部の声、たまに聞こえる飛行機の音……その中で、床を歩く音がやけに大きく響く。 どうやら梓川さんも準備を終えたようだ。水彩絵の具、水バケツ。図書室の中に、いかにも「絵を描く」といった空間が出来上がる。大体のことは終わったかな。 と、あれ? 何か足りないような気が…… 「あのさ、何か忘れてない?」 「え? いえ。別に何も無いですけど」 いや、何か忘れている。うーん……あ! そうか、あれだ。 「あの、なんていうんだろ、ほら……」 「なんですか?」 うっ、名前が出てこない。いかにも「絵描き」なあれ。 「えーっと、ほら、絵を書くときの、あの、木でできてて、こう……立てるやつ。あーっ、なんていったっけ」 「木? 立てる……ああ、イーゼルですか」 「あっ、そうそう、イーゼルだ。ははは、全然名前が出てこなかった」 くすっと笑う梓川さん。 「そうですね。でも、普通の人はあまり知りませんよ。普段出てくる言葉でもないし……忘れても仕方ありませんよ」 と、フォローを入れてくれる。 「私はイーゼルを使わずに、あれを使うんです」 といって、指差した方向にあるのは、一枚の画板。 「え? 画板?」 「はい、私、床に座って書くんです。ぺたんって」 ふーん、それで空を見上げるアングルだったのか。 画板か……僕も昔使ってたな。立って描くのは疲れるし。 早くも梓川さんは、床に腰をおろして描き始めようとしている。 「あ、そうだ梓川さん、絵を描くとき、僕って邪魔じゃないかな?」 唐突だが、ちょっと気になっていたので聞いてみた。 「え? いえ、そんことないですけど……どうしてですか?」 実は僕、人の見ている前で絵を描くのが苦手。自分のつたない筆使いを見られるのは、とても恥ずかしい。事実、美術の授業の時は大変だった。結局、居残りで仕上げるはめに……それに付き合わされた早香の文句が、まあうるさいことうるさいこと。 「いや、恥ずかしくない? 絵を描いてるところを見られるのって……」 梓川さんは少し考えて、 「恥ずかしくない……ことはないですけど、でも、美術部ですから」 何だか良く分からないけど、そういうことか。 「それじゃ、描いてるところを見てもいいんだ」 それを聞いた梓川さん、 「あ、じゃあ、やっぱりだめです」 顔が笑っている。冗談のようだ……かわいいなぁ。どうやら僕に対する人見知りは、ほとんどなくなったみたいだ。ちょっと嬉しい。 ミーン、ミーン、ミーン…… 梓川さんは、一心不乱に筆を走らせて……いるわけでなく、微笑みながら筆をとっている。なんとものんびりとした時間が図書室の中を流れる。 青い空を流れる雲はただ白く、ゆっくりとした動き。夏の空は1年の中で一番濃い青に見える。きっと、クーラーがあるからこんなに余裕なんだろうな。 「あの、水瀬さん……」 空の水色を塗りながら、梓川さんが話しかけてきた。 「えっ? なに、梓川さん?」 「あ、えと……2−Aでしたよね。さやちゃんと一緒で」 そう、僕と早香と高階は同じA組。梓川さんは、陽一郎と一緒だったから、 「うん。梓川さんは2−Cだったよね。それが?」 「はい。あの、さやちゃんって、優しいですよね」 唐突になにを……確かに悪い奴じゃないけど、優しい? まあ、否定はしないけど。 あんまりしっくりこないなあ。梓川さんが言ったんじゃなかったら、間違いなくネタだと断定してしまうところだけど。例えば、早香が自分で「あたしって、実はとっても優しーのよ」なんていった日にゃあ、突っ込んでもらうのを待ってるとしか思えないもんなあ。 「うーん、よく分からないけど。どうして?」 「あの、今まででも分かると思うんですけど、私、人に話しかけるの苦手で……最初美術部に入ったときも、ずっと一人だったんです。そんな時、話しかけてくれたのが、さやちゃんだったんです」 梓川さんの話によると、最初のクラブ結成の日、自分はずっと一人でいたのだが、一番初めに早香が「あたし、長沼早香。あなたは?」と、軽く話しかけてきたらしい。お互い友達が美術部にいなかったので、二人はすぐに仲よくなった。 「まあ、あいつらしいな」 早香は高階と同様、割と誰にでも話しかける。だが、高階と違うところが一点ある。それは、「すでに出来上がっているグループには話しかけない」ということだ。つまり、独りでいる人に話しかける。 「私、とても嬉しかったんです」 微笑む梓川さん。 「あのとき、さやちゃんが話しかけてくれてなかったら……多分、今こうして美術部で絵を描いていなかったと思います」 不意に手を止めて、梓川さんがこっちを見た。 「なに? どうかした?」 「水瀬さんも、さやちゃんと同じ、優しい目をしています」 僕はどう答えていいものか迷った。「優しい目」だなんて、梓川さんみたいな子に言われると、なんだか照れてしまう…… 「そんな……優しい目だなんて、初めて言われた」 梓川さんはもう一度微笑むと、 「おなか、すきませんか?」 と、聞いてきた。 「え……あ、そういえば」 図書室の時計を見ると、針は1時20分を指していた。いつの間にそんな時間が経ったのだろう。 「いつも、このくらいの時間になると、みんなでお弁当買いに行ったり、食べに行ったりするんです。美術室に行きましょうか」 「あ、うん」 理科棟を抜け、美術室のある芸術棟まで歩いて行く。 ミーン、ミーン、ミーン…… セミの声は相変わらずだが、運動部の声は聞こえなくなっていた。たぶん、昼の休みをとっているのだろう。 照り返しで明るい理科棟の廊下。それでも空気は多少ひんやりとしてるような気がする。 「あの、水瀬さんは、どうして美術部に入らないんですか? 絵、とっても上手なのに」 ちょっと遠慮しつつ梓川さんが聞いてきた。この質問は答えにくい。 「うーん、理由はいろいろあるんだけど……梓川さんこそ、どうして美術部に?」 「えっ、わ、私ですか……」 突然の切り返しに、戸惑う梓川さん。かなり困った顔をしている……ちょっとかわいそうだったかな。 「私は……絵を書くことが好きだから」 梓川さんは、うつむきながらボソッと答えてくれた。ふーん、やっぱりそうだよなあ……実際に絵を描いているときの梓川さんは、とても楽しそうだったし。絵が好きじゃないと、あんなにきれいに描けないよな。 「うーん『好きこそものの上手なれ』か。納得」 それを聞いて「えっ」と驚く梓川さん。 「そんな、上手じゃないです……私」 「ううん、そんなことないよ。とてもきれいな絵だった」 梓川さんは、恥ずかしそうに顔を伏せ「ありがとうございます」と、小さく、少し嬉しそうにつぶやいた。 ミーン、ミーン、ミーン…… 少し暑くなった理科棟の校舎。太陽が真上に見える午後の日差しは強く、横に見える運動場からの照り返しだけで、校舎内は、かなり明るく照らされていた……と、芸術棟の方から歩いて来る人影……早香だ。 「あっ、恭ちゃーん」 こちらに気付き、駆けよって来る早香。 「ちょうど今からそっちに呼びに行こうと思ってたのよ。お昼、食べに行くでしょ。圭も一緒に行きましょ……あ、他のみんなはもう行っちゃってるから」 「うん、私も今から行こうと思ってたの。水瀬さんも一緒に……行きますよね?」 おそらく、ここで行かなかったら、お昼ごはんは抜きだろう。 「うん、行くよ」 「じゃ、決まりね。駅前の商店街だから、通用口から行くわよ」 志乃上駅前商店街。ここ、志乃上が住宅街ということもあって、ほどよく賑わっている。駅から見て、学校とは反対側にあるのだが、帰りに立ち寄る志乃上高生も多い。僕もよく立ち寄るのだが、若葉に頼まれた晩ごはんの買物をするためで、ゲームセンターに行ったりする時間はない。帰りが遅くなると、若葉がうるさいからだ。 ミーン、ミーン、ミーン…… いつもは夕暮れに見る帰り道。昼間に見ると何だか違った雰囲気のような気がする……言うなればテスト期間の気分。 「恭ちゃん、絵の方はどう?」 早香が梓川さんと話しているが、 「うん、あと少し。さやちゃんは?」 「まだまだ。こっちは気長にやれるからね……」 やっぱり。そういう計算があったか。 「どう? 圭、恭ちゃんって、絵上手でしょ」 早香も梓川さんの絵を評価しているようだ。僕は素直にうなずいた。 「うん、すごくきれいな水彩画だったよ」 「あのね、美術部で水彩画描くのって、あたしと恭ちゃんと、つぐみちゃんだけなの。他はみんな油絵。あ、圭も水彩画だったわね……」 そう、実は僕も水彩画を描く。色がやわらかい方が自分らしいような気がするから…… 「水瀬さんも水彩画ですか……何だかイメージ通り」 くすっと笑う梓川さん。 「でね、画板使ってたでしょ。そこらへん、ちょっと変よねえ」 変という言葉に、少し反応する梓川さん。 「えっ? 変だなんて……さやちゃんって結構ひどいね、水瀬さん」 怒ったふりをして笑っている。特に気にしている様子は無いみたいだ。 「うん、早香はひどいやつだから。画板、別に変とは思わないけど」 意外そうな顔をするのは早香。 「そう? でも、床に座るのよ?」 うーん、それもおかしくはないと思うけど。図書室の床はじゅうたんだし。 「いいと思うよ。ずっとイスに座ってるより楽みたいだし」 喜ぶのは梓川さん。 「ほら、水瀬さんもこう言ってる。やっぱり変じゃないよ」 「うーん……そうかしらねえ」 早香はいまいち納得がいっていない様子だった。 ……割とゆっくりと、住宅街の緩やかな坂道を下ってゆく。そんな長い坂も、終わりに差しかかったころ、 「あっ、そういえば、何か分かったの?」 と、早香が思い出したかのように、僕達二人に尋ねてきた。 でも、分かるって、何が? 「何かって……?」 「……何なの? さやちゃん」 はあ? 忘れてるの? といった様子の早香……「はあっ」とため息をつき、うんざりとした口調で言った。 「あのねえ……今日私は、一体何のために圭を連れてきたのかしら? 圭はともかくとして、恭ちゃんまで忘れるなんて」 ともかくってなんだよ。 まあそれは置いといて、なんだっけ? 何のために連れて来たかって? 「…………?」 首をかしげる梓川さん。そのとき、あることが頭に浮かんだ。 「あっ、そうか。梓川さんといつ出会ったのか、考えるんだった……はは、もうすっかり忘れてた」 梓川さんも「あっ」といった感じで、ポンッと手を叩く。二人とも、完全に忘れていた。図書室にいる間、一度も考えなかった気がする。梓川さん、ずっと絵を描いていたし、僕はただボーっと見てただけだし。 「じゃ、結局何も分からなかった……じゃなくて、何も考えなかったのね。あきれた、何のために二人で図書室に行ったわけ? あたしはね、圭と恭ちゃんがラブラブするようにしたわけじゃないのよ? あーあ、しょーもない。ほんっとにもー」 ぶちぶち文句を言う早香。それにラブラブって…… 「あのなあ早香、別にいちゃついてたりしたわけじゃない。ちょっと忘れてただけじゃないか」 だいたい心当たりっていっても何回考えても出てこないし、そうやすやすと出て来るんだったら、何も苦労はしない。 前方に志乃上駅が見えてきた。あの反対側が商店街だ。 「……んで? お二人さん、なに食べる?」 まだ少し機嫌の悪い早香が言った。僕は無言で梓川さんの方を見る。視線を感じたのか、こっちを見つめる梓川さん。 「…………」 「…………」 ……妙な沈黙が訪れる。何かしゃべらないのかな? もしかして梓川さんも、僕が話すのを待っているのかも…… 「「あのっ」」 漫画のようだった。2人のタイミングばっちり……って、そういう問題じゃなくて。 「あっ、す、すみません……どうぞ」 顔を真っ赤にする梓川さん。 「い、いや、そちらから……え、えっと、何?」 あわてふためく僕。 「…………」 「…………」 またもや沈黙。なんだ、この空気は…… 「あのねえ、どうでもいいけど、駅の前でそういう風にラブラブしないでくれる? こっちが恥ずかしいのよね……あたしとしては、なにを食べるのかさえハッキリしてくれれば、それでいいんだけど」 えらく冷静な早香。またもや顔を真っ赤にする梓川さん。あわてる僕。ああ、一体なにやってるんだ、恥ずかしい…… 「あのねえ、いつまでやってんの? 昼ごはん食べる時間、無くなるわよ? 二人とも、ちょっと落ち着きなさい」 ため息混じりに言う早香。 「あ、ごめん……」 とりあえず謝る僕。一体何を謝ったのだろうか、自分でも分からない。まあ、いいか……またもやため息をつく早香。 「はぁ……まあそれは置いといて、結局何を食べるの? あたしはお弁当買うのでもいいけど、圭と恭ちゃんはどうするの?」 「僕もそれでいいよ……」 もう自分が何を食べたかったのか、すっかり忘れてしまった。思い出すこともできない。それは梓川さんも同じようだった。 「私も、それで……」 と、短く答える……それを聞いた早香、 「あのねえ……はぁ、もういいわ。それじゃ、あそこのお弁当屋さんでいいわね」 大袈裟にうんざりして見せる早香。間をおかずに、問いかけてくる。 「二人とも、何の弁当がいい?」 そんなこと、急に言われても……何て早い展開なんだ。 「…………」 「…………」 またもや黙る二人。流れる妙な空気。 そんな展開に早香がしびれをきらすのは、さほど時間のかかることではなかった。 「もうっ、三人ともシャケ弁っ! 異論は?……なしっ、決まりっ!」 強引に進める早香。その迫力に圧倒される梓川さんと僕……二人とも何も言い返せず、ただぼう然と立ちつくす。そんな二人を置き去りにして、早香は弁当屋へと行ってしまった。 「怒ったん……でしょうか、さやちゃん」 ぽつんとつぶやくように問いかける。 「怒ったの……かなあ」 僕も、つぶやくようにしか答えられなかった。 それから学校までの道はよく覚えていない。言うなれば、早香の独壇場……僕達二人はただ引っ張られていっただけ。早香はそんなにせっかちというわけではないけど、あの展開が気に食わなかったのだろうか? 梓川さんも僕も、ただ黙るしかなかったからな……あんな場の空気の時は、何を言えばいいのかよく分からない。 ……そして今、僕達三人は美術室に戻ってきていた。 「……あら」 という早香の声に気づいたのは、 「あ、おかえりなさーい」 あの暴走新幹線、上諏訪つぐみちゃんだ。美術室の中には彼女しかいない。どうやら他の部員達はまだ帰ってきていないようだ。幸いつぐみちゃんは、落ち着いているように見える。 「つぐみちゃんは、食べに行かなかったの?」 なぜここにいるんだろう。ごはんを食べに行かなかったのだろうか……気になった僕はつぐみちゃんに聞いてみた。 「あれえ? 言ってませんでしたっけー? つぐみの家、この近くなんですよー。だから、みんなとは別行動なんですう」 つぐみちゃんの話によると、学校から家までのんびり自転車で10分程度らしい。だからわざわざ駅前商店街まで行くより、自分の家に帰った方が早い……というより、昼ごはん代がういて安上がりなわけである。 「今の時間はー、いっちばんあっっっっつうぅーいんです。だからあ、つぐみ、ここで涼んでたんですぅー」 「ふふっ、お疲れ様、つぐみちゃん」 梓川さんの言葉に「ありがとうございますう」とうれしそうにつぐみちゃんは答えた。 ……それから小一時間ほどつぐみちゃんを含む4人で、食事をしながら会話を楽しんだ。 つぐみちゃんの絵も、もうすぐ出来上がるそうだ。昼間……特に今日みたいな快晴の空の下では、暑すぎてとても絵なんか描いていられない。よって、午前中にがんばるしかない。早香のようにのんびり書いていたんじゃ、干物になってしまう。とのこと。 「つぐみ、描く時間が先輩たちの半分ぐらいしかないんですう……だから、いっぱいがんばらなきゃいけないんですう」 なるほど、つぐみちゃんがほかの子より少し早く来ていたのは、そういう理由があったのか。がんばった甲斐あって、めでたく完成間近……というわけである。午前中さえ踏ん張れば、午後からのんびりおしゃべりができるらしい。 つぐみちゃんって、真面目なんだろうな。変わってるけど。 「それじゃ、私もそろそろ続きを描きに……水瀬さん、行きますか?」 美術室の時計を見ながら、梓川さんが言った。 「うん。それじゃ早香、後でな」 ちなみに、早香は食べるのが遅い。梓川さんも遅かったが、それにも増して遅い。僕はシャケ弁を1時間かけて食べる人間を、他に知らない。ただでさえ遅いのに、よくしゃべるから、もっと遅くなる。今日もご多分に漏れず、割とおいしかったシャケが、まだ半分ほど残っている。 「うん。あ、そうだ恭ちゃん、今日は早めにきりあげろって先生が言ってたから。4時までに終わるようにね。それじゃ、がんばって」 梓川さんに箸を持ったままエールを送る。 「梓川先輩っ、がんばってくださいっ」 残り少ないとはいえ、まだシャケ弁を食べている早香と、元気のいいつぐみちゃんに、梓川さんは「うん」と答え、微笑んだ。 ……4時か。今が3時過ぎぐらいだから、あと1時間弱ってとこかな。 図書室への道すがら、そんなことをぼーっと考えていた。 「結局、前に会ったことがあるのか分かりませんでしたね」 本館に来たところで、梓川さんがくすっと笑って言った。でも、そんなに残念がっているようにも見えない。それは僕も同じだった。 「いいんじゃないのかな、無理に思い出さなくても。きっとそのうち思い出すよ」 まあ、あんまり自信はないけど。 それにもう友達だから、あんまり昔のことは関係ないのかもしれない。その言葉は梓川さんが、図書室の前で立ち止まって続けてくれた。 「それに、私たちもう友達だから、気にしなくても……あ、水瀬さんと私、友達……ですよね?」 自信なく確認するところがなんとも梓川さんらしい。 「うん、もちろん」 そんな彼女にだからこそ、僕は自信をもってそう答えた。 「あ、ありがとうございます」 ほっとしたのか嬉しかったのか。梓川さんは優しく微笑んで図書室の扉を開いた。 もう、梓川さんの人見知りは完全になくなったようだ。これも、早香が会話の間に立ってくれたことと、つぐみちゃんがうやむやにしてくれたお陰だな。昨日とは大違い……要は、馴れてしまえばいいわけで、初対面の人とかが苦手なだけなんだろうな。 それから後、微笑みながら筆をとる梓川さんを、何だか幸せな気持ちでぼんやり眺めていた僕。そして…… 「できた……できました、水瀬さん」 達成感いっぱいの笑顔の梓川さん。嬉しそうに見せてくれた絵は、午前中に見たときとは違い、すき通るような青い空の色が、穏やかな白い雲との対比も美しく、鮮明に描かれていた……と、専門家っぽく考えたわけでなく、一つの単語が頭に浮かんだ。いや、それしか浮かばなかった。それは「きれい」 「あの……どうですか?」 ……はっ、ボーっと見てしまった。 「あ、お、おめでとう、お疲れ様。うん、すごくきれいな絵だと思うよ」 「あの、やっぱりちょっと変ですか? さっき……」 おっと、あの沈黙か。少し心配させちゃったか。 「はは、ちょっと見とれちゃったんだ。すごくきれいなもんだからさ……大丈夫。もっと自信持って。これがいい絵だって、僕が保証する」 梓川さんの顔がぱっと明るくなった。 「水瀬さん、ありがとう……ございます」 ふと見た図書室の時計は、3時48分を指している。4時まで10分強。 僕の視線の先が気になったのか、梓川さんも同じ時計を見る。 「あ、そろそろ片付けないと。水瀬さん……」 目が「いいですか?」と聞いている。 「うん、僕も手伝うよ。早香もそろそろ終わってるだろうし……みんなで一緒に帰ろう。駅までだけど」 そう言うと、梓川さんは、 「はいっ」 と、元気よく答えた。 夏の明るい図書室の中には、大急ぎで後片付けをする、二人の足音だけが響いていた。 第5話へ 戻る |