いつか見た君に〜picture of heart〜「染草先生、女装!」この話は、例のHRの翌日には学年全体に、週末には全校生徒に広まっていた。良くも悪くも有名な先生が、どうとらえてもお笑いにしかならないネタになる……これが早く伝わらないはずがない。また、次の中間テストで英語がべらぼうに難しくなるとか、いたずらの頻度が爆発的に上がるとか、よくわからないデマも飛び交っている。うーん、さすが染草先生というべきか…… 第12話・昼下がりの疑問 今日は久し振りの日曜日だ。 と言っても、毎週毎週あるはずなんだけど。いつも「久し振りの休日」というような気がする。 「はぁー……」 時計を見ると昼の12時前。ゴロゴロするのにもいい加減に飽きてきた。 いつもなら「ご飯だよー」といってくる若葉の声もない。 きっと僕と同じようにのんびりしてるんだろう。 「ぐぅ。お腹すいたなあ……」 10時過ぎまでぐっすり眠っていたので、当然朝ごはんも食べてない。 そろそろご飯食べに1階へ降りようか。 「くぅっ……!」 ぐぐっと伸びをする。結局1時間半もゴロゴロしてたことになるのか…… 階段を下りてキッチンへと向かう。廊下を歩いていると、テレビの音が聞こえてきた。 キッチンと繋がっているリビングからだ。きっと若葉が何かお昼の番組を見ているんだろう。 キッチンの扉を開けると、その声が鮮明に聞こえてくる。 「昨今の株価の低迷は深刻なものであり……」 げっ、てっきりバラエティーでも見ているものだと思っていたら、えらく難しそうな経済の番組じゃないか!? 「……政府は特別予算の計上を考慮していますが……」 「それについてはですね、やはり党内からも慎重論が……」 なにやら難しい顔のおじさんたちが難しい話をしている。 興味がない僕にはさっぱりだ。何でまた若葉はこんなのを見てるんだ……? 「若葉?」 「…………」 テレビの前で三角座りをしてじいっと見入っているであろう若葉の後姿。 そ、そこまで熱中しているのか? 「おい、若葉?」 「…………くー……」 そういうオチかっ! 「不安定な政局のための先行き不安が……」 確かに、こんな授業があったら一瞬で眠れるだろうけど…… 「おい、こら、若葉」 「…………へっ、お兄ちゃん? あれ?」 どうやら眠りのほうは浅かったようで、割とすぐに若葉の目はさめた。 「あれ? 寝ちゃってたんだ……うわ。もう12時」 驚くところを見ると、どうやらうつらうつらではなく完全に寝入っていたようだ。 「はぁ……昼ごはんある?」 「えっ、うん。朝に作ったそうめんが残ってるはず……私は寝ちゃう前に食べてたから、まだお腹すいてない……お兄ちゃん一人で食べちゃっていいよ」 多分若葉も起きるのが遅かったんだろう。休日は大抵どこかに遊びに行く予定があるが、今日に限っては何にもないらしい。 「うん。わかった」 朝昼兼用で一人でそうめんをすすることに決定。 冷蔵庫からそうめんを開放し、つゆを用意して準備万端。お椀を出すのが面倒なので、ガラスのプリン容器でそうめんを食べることにする。 実はこのそうめんスタイルがお気に入りなのだ。容器がガラスであるため横からつゆにつかるそうめんの様子が観察でき、かつ、ガラスの透明さが「涼をかもし出す」という、雰囲気を大事にする和風の心意気に包まれる。 ただ、コップでやってもいいのだが、洗うのが結構面倒なのだ。その点ガラスのプリン容器は洗いやすいので嬉しいところ。 「なーんにもないや。テレビ消しておくよ」 「ああ、ニュースにしといて」 「うんわかった」 適当にチャンネルを回していた若葉だが、日曜正午の番組ラインナップがお気に召さないようだ。 「ああ、そうだ。昨日お父さんたちから手紙来てたんだっけ」 突然重要なことを若葉が思い出す。 「なんで昨日の晩ご飯のときに言わないんだよ……」 「あはは……すっかり忘れてたの。昨日帰ってきてからすぐに遊びに行っちゃったし」 ああ、そういえばその遊びから帰ってくるのが遅くて晩ご飯もかなり遅かった。 「どこに置いたっけ……多分玄関だと思うけど」 そう言ってキッチンを出ていく若葉。まったく、しっかりしているのかしていないのかさっぱりわからない妹だ。 ずぞぞー そうめんをすすりながら、玄関を捜索中であろう若葉を待つ。正確には若葉じゃなくて手紙を待っているんだけど。 『両親から手紙がきた』これは水瀬家にとってかなり重要なことである。 海外赴任中の両親。最近はオーストラリアに落ち着いているらしいが、ころころ場所が変わる。ある時は3年リオデジャネイロの近く。ある時は1ヶ月ミュンヘンの隣。などなど、期間もまちまち。場所も「有名都市……の近く」とかいう曖昧なのが多い。 さらに、国際電話「○○一分何十円」とか言われても電話自体ないこともある。加えて両親が「電話は高い」とおっしゃるので、手紙しか通信手段がない。 まぁ毎年、年末年始と盆には帰ってくるので、会社はある程度融通がきいてるといえばきいてるのだが。 ずぞー あー、そうめん美味しい。それはそうと、この時期にもなってまだ残ってたのか。そうめん。お手軽に作れるのでやる気がないときはものすごく重宝するが、当の若葉はあまりスランプには陥らない。今日ほどやる気がないのは珍しいことだ。 「あったあった。危うく捨てちゃうところだったよ」 一体どこに置いてたんだか。ともかく、あの床屋でぐるぐる回ってるやつを連想させる赤と青に彩られたエアメールを、べりべり開封する若葉。 初めのほうは珍しがってハサミで丁寧に開けていたが、もう今ではなんとも思わない。 両親が見たらショックだろうが。 「えーっと『圭、若葉、元気にしているか? こっちはそこそこ良くやっている。とりあえず知らせておかなければならないことがある。それは、勤務地が変わったことではなく、少しの間だけ日本に帰ることになった』って、ええっ!?」 えらく驚く若葉。そりゃそうだ。今までは年末と盆以外、帰ってくるなんてことはほとんどなかった。 「おいおい、落ち着け若葉。それで、いつ?」 「あ、うん『詳しい時期はまだ決まっていないが、9月の終わりか10月の頭になりそうだ。その直前になったらまた会社からでも電話する』って……」 「……終わり?」 「うん……本当に用件だけで終っちゃった」 合理的というか何というか。他のことを書くのが面倒臭かっただけなんだろうな……決して愛想が悪い両親じゃなく、むしろあっちから「相手してくれー」ってな感じの両親なんだけど、どうにも手紙は苦手らしい。 「まぁ、お父さんらしいね……でも、帰ってくるんだ。珍しい」 何か用事でもできたんだろうか? 「そうだな。ちょっと見せて」 はい、と若葉から渡された、愛想のない便箋。ざっと目を通すと、本当に用件しか書いていなかった。近況のひとつも書き添えればいいのに。 封筒もまた、おおよそ愛想というものが感じられない。むしろいかつい……あれ? 「なぁ……父さんたちって、オーストラリアだよなあ」 「えっ? うん。そうだったと思うけど、どうして?」 封筒の差出人住所……明らかにオーストラリアではない。 はっきりいって、見たことも聞いたこともないような地名だ。つづりが読めない。 「これ……」 「えっ?」 若葉に封筒を差し出し、住所の部分を指さす。 「えっと、どう読んだらいいのか分からないんだけど……」 思いっきり首をかしげる若葉。 「あ、前にきた手紙もってくるね」 前にきた手紙……というのはオーストラリアからのやつで、ちゃんとつづりは読めた。去年に来たんだっけ。 どさどさっ 「きゃあ!……あーあ……」 棚を探っているであろう若葉の悲鳴とため息……何やってるんだか…… 「おーい、だいじょーぶかー?」 ずぞぞぞ…… あー、おいし。 「……心配してるんなら、そうめんすすってないで様子見に来るくらいしてよ」 非難じみた目をして若葉登場。手にはちゃんと前回の手紙を持っている。 「まあ、気にするな。で、どうだ?」 「えっ? ああ、これは『オーストラリア』ってちゃんと読めるよ。やっぱり住所全部違うみたい……じゃあ、今回のこれはどこから?」 「さあ……まあ、いいんじゃない? もしかしたらつづりを間違っただけかもしれないし。もともと父さん字、汚いし」 若葉はまだ「うーん」とうなっていたものの、考えてもどうしようもないことを悟ったのか「そうだね」と言って自分の部屋へと帰っていった。 残されたのは、つけっぱなしのテレビとそうめんと僕。 「停戦協定の終了する9月末に向け、再三の会談がもたれたものの……」 ニュースでは、どこか知らない国の内戦の様子を伝えている。こういうのって、大変だなあとは思うものの、やっぱりどこか信じられない。というより、自分とは遠い出来事のためか、はっきりと捕らえない自分がいる。 そんなことをぼーっと考え、気付けばそうめんももう無くなっていた。 午後はなにやって過ごそうかな…… やっぱりどこかぼーっとした頭でそんなことを考えていると、 「あ、お兄ちゃん、今日、暇?」 若葉がひょっこり顔を出した。 「うん、かなり。どうかしたのか?」 「あ、これ……」 と言って若葉が差し出したのは、手帳。 よく見たら生徒手帳じゃないか。僕のかな? 「ん、どうした?」 「ほらこれ、あの人のじゃないの? 私の部屋で寝てたお姉さん」 え? あ、ほんとだ。梓川さんの手帳だ。でも、どうして若葉が? 「そうだけど……どうしたんだ、これ?」 「ベッドと壁の間に落ちてたの。ほら、先週は私達の文化祭で掃除できなかったじゃない? だから今まで見つからなかったんだよ」 なるほどね。それを梓川さんのところまで持って行けと。 「でも、明日学校で会えるし、わざわざ今日行かなくても……」 「えへへ、それで……ついでに草神で買ってきてほしいものがあるんだ」 ああ、そういうことか。 「あのね、この葉っぱから紅茶をいれるやつ。前に壊しちゃって……」 と言って差し出された何かのカタログ。なるほど、前に家に似たようなのがあったなあ。最近姿が見えないと思っていたら、いつの間にやら不幸な最期を遂げていたのか。 「あ、お金は先に払っておくよ。ちょっと待ってて」 そういうと若葉は奥に引っ込んでしまった。 ……それはそうと、梓川さんって確か、瀬良駅だったよな。しまった。定期効かない。 第一、 家知らないし。それ以前に電話番号すら知らないや。 ……どうすりゃいいんだ? 早香に電話か。 「まあ、この際仕方ないか」 リビング備え付けの電話の受話器を手にとる。 ピポパパパッ! 秘技、電話番号早押し! 若葉には怒られるけど、たまにやりたくなるんだよね…… 「はい、長沼です」 お。長沼母だ。珍しい。 「あ、水瀬です。こんにちは」 「ああ、圭ちゃん、久し振りー。元気してた? ちょっと待ってね、早香呼ぶから」 相変わらず元気のいいお母上だ。 長沼家は現在父、母、早香の3人暮らし。 早香には二人の兄がいて、二人とも関西の大学へ進学している。長沼母は早香と同じく活発で、そりゃもうにぎやかな人だ。対照的に長沼父は穏やかな人で、同級生でも評判の凸凹夫婦だ。 「はい、電話代わりました。どうしたの?」 「ああ、早香。梓川さんの電話番号知ってる? 生徒手帳うちに忘れていってたみたいなんだけど、渡したくて」 「え? 恭ちゃんなら今うちにいるわよ。代わる?」 ……えっ? なんだ、遊びに来てたのか。 「うん、代わってもらえると」 「じゃあ、ちょっと待ってて」 えーっと、それじゃあどうなるんだ? 梓川さんにはすぐにでも渡せてしまうから、草神には行かなくてもいいわけだけど……まあ、どうせ暇だしいいか。 「あ、もしもし、梓川です……水瀬さん?」 「ああ、梓川さん、こんにちは。実は…………」 とりあえず、生徒手帳を忘れていったこととそれを渡したい旨を伝える。 あとは時間なんだけど…… 「梓川さん、何時ごろ帰る予定? 依戸駅で待ち合わせる?」 「あっ、えっと……私たち今から草神に行くんですよ。だから今からで大丈夫ですか?」 おや、奇遇。そういえば早香、文化祭で美術部が使うものを買いに行くとか何とか言ってたような気がする。 「うん、大丈夫。というか、僕も草神に用事があるんだけどね」 「えっ、そうなんですか? じゃあ、20分ぐらい後に依戸駅の東口に待ち合わせでいいですか?」 20分か……うん、準備して行くには充分だな。 「うん。それでいいよ」 「それじゃあ、また後で」 「うん、じゃあね」 電話を切って再び時計を見る。ちょっと余裕もたせた方がいいかも。 「はい、お金。もう今から行っちゃうの?」 いつからいたのか、隣で若葉が封筒を差し出している。 「うん。夕方頃には帰ってこれると思うけど」 「わかったよ。じゃあ、お願いするね」 さて……依戸駅まで徒歩。ああ、なんて健康的なんだ。 依戸駅に自転車置き場がないだけなんだけど。 ポケットに財布と若葉の封筒と梓川さんの手帳を入れて、靴をとんとん。 門を出たところでふと思う。風が少し涼しい。 思えばあと2週間もすれば余裕で10月なわけか。 うーん、時間がたつのは早いもんだなあ…… 駅に向かって歩きながら、ぼんやり空を見上げていると、飛行機雲が一筋、青い空を横切っていた。 そういえば、だいたい1ヶ月ぐらい前だっけ。梓川さんと会ったのって。全然そんな感じじゃないよなあ。 ほんと、初めて会った気がしなかったし…… 本当にどこであったんだろ。うーん…… まあ、考えて答えが出てくるなら、もうとっくの昔に出ているはず。 そんな風に結論付けて、依戸駅を目指して歩いてゆく。 昼間なのにずいぶんと柔らかくなった日差しに、少し涼しくなった風。秋……か。 駅前商店街の果物屋さんには、大量の梨が並んでいる。帰りに買っていこうかな。 そんなことをぼんやり考えながら、そこそこ人のいる商店街を歩いてゆく。そのとき、 「あ、圭ー!」 後ろから呼ぶ声がした。あの声は早香だ。 くるりと振り返ってその姿を探す。それに気付き、手を振りながら歩いてくる早香。 「結構早かったのね。あたし達のほうが先に着くと思ってたのに」 あたし達? そう言う割に一人だ。 「達……って、梓川さんは?」 「えっ?」 振り返る早香。しかし、その先は知らない人だらけ……あの特徴的な長い髪の姿は見えない。 「……あれ?」 あれ? じゃないだろ…… 「おかしいな……入り口までは一緒だったんだけど、その後あんた見つけて……」 ほったらかしにしてきた、というわけか。 「あのなあ……」 とまあ、文句をたれていてもしょうがない。 梓川さんが気付かずに通り過ぎて行ったりないように、注意しないと……なんだかんだいって駅前。かつ、商店街ってことで人通りはある。 まあ、入り口までは一緒にいて、それ以降見失ったらしいから、ここにいれば会えるだろう。 「まあ、ここで待ってればいいでしょ。それはそうと圭、前々から気になってたんだけど……」 いつもより、ちょっとだけ真剣な顔で、早香が聞いてきた。 「あんた、恭ちゃんのこと、どう思ってるわけ?」 「えっ……」 人々のざわめきが、少し遠くになった気がした。 「どうって……前にもそんなこと聞いてなかったっけ?」 なんだかよくわからないけど、とりあえず話をそらそうとしてしまう。 「それは第一印象がどうだったって聞いたのよ……ほら、恭ちゃんと知り合って結構たつし、文化祭のこともあって一緒にいることも少なくないでしょ?」 まあ、そんな話だったような気もするし、一緒にいることが多くなったのも確かだ。 「……あんたたち見てると、その……」 不意に言葉をつまらせる早香。 何かを迷っている表情だけど…… 「何? はっきり言ってよ。今更遠慮するような仲でもないだろ」 商店街を流れる人達を、なんとなく目で追いかけている早香。 僕もなんとなく駅の方を向いてみたりして、この妙な沈黙をやり過ごそうとする。 時間にしてみれば、1分ぐらいだったろうか。 僕らにとっては何倍にも長く感じたそれを破ったのは、早香のほうだった。 「……これは、あたしの推測でしかないんだけど」 と、前置きしてからゆっくりと話しだした。 「多分、多分よ……多分恭ちゃんはあんたが……」 「あー、いたー! よかったー……」 丁度早香のセリフをさえぎるように、梓川さんがやってきた。 「もう、ひどいよさやちゃん、待ってって言ってるのに先さき進んじゃうんだもん……」 いきなりの登場に、僕も早香もどう対応していいのかわからない。 「あれ? どうしたんですか? 二人して変な顔……」 「えっ……あ、ううん。なんでもない。ごめんねー、恭ちゃんのヘルプ、あたしには届かなかったみたいだわ。あはは」 取り繕うように笑う早香。それに対して気に留めた様子もない梓川さん。 「あー、ひどいよ。ほんと、どうしようかと思ったんだから」 怒ったそぶりを見せたりして、楽しそうに笑っている。 それにしても早香、一体何を言おうとしたんだろうか…… 「水瀬さん? どうかしたんですか……?」 「え? ううん。なんでも……ああ、それより渡しとこうか、生徒手帳」 ポケットに入れてあった梓川さんの生徒手帳を、そっと差し出す。 「あっ……すみません、ほんとに……」 「恭ちゃんってば、うちにもノート忘れてったのよ。実は今日、それを取りに来てたの」 うーん……やっぱり梓川さんってどっか抜けてるというか、ぼけーっとしてるとこあるんだよなあ。こっちが心配になってくる。 「あ、黙っててって言ったのにぃ……」 またもふくれる梓川さん。うーん、なんだかかわいい。 そんなこんなで駅の方に歩いていく間、なんだかんだとじゃれあう二人。三姉妹や若葉と一緒に駅まで送っていったときのような疎外感。寂しい。 「そういえば水瀬さん、草神に何か買いに行くんですか?」 あ、話をふってくれた。ちょっと嬉しい。 「うん。若葉に頼まれて……なんて言うの? 紅茶メーカー? あれを買いに」 「もしかして……あの細長くてぎゅーって押さえるやつですか?」 細長くてぎゅう。そのものずばりだ。 でも梓川さん、微妙な表情。 「そうだけど……どうかしたの?」 「あれ実はもともと紅茶用の抽出器ではないんですよ。あれでいれるとちょうど紅茶の『美味しくない部分』だけが抽出されて出てきてしまうらしいんです」 えっ!? 「ほ、本当?」 「ええ。だから紅茶はティーポットで入れるのがいいんです」 知らなかった……後で若葉に電話してご判断を仰ぐことにしよう。 「あと、急須とかもいいですよ。あれはいい具合に丸いので、実は紅茶に向いてるんですよ。ふたの内側に茶こしがあると対流の邪魔になるから、とっちゃうんです」 急須……梢ちゃんが怒りそうな気がするけど。 なるほどね……そんなこと考えもしなかった。若葉もまさか、美味しくない部分だけ抽出されてたとは、夢にも思うまい。 「なるほど。ありがとう、今度からはそうしてみるよ」 「でも知らなかった。恭ちゃんって紅茶に詳しいのね」 「えっ、あ、お母さんがそういうの好きなの。だから小さいときからいろいろと教えてもらってて」 ふーん。道理で詳しいわけだ。 「うちの母さんはそういうの全然ダメでねー……恭ちゃんのとこが羨ましいわ」 確かに。うちの母上はまあ人並みとして、長沼母はそんな細かいこととかに気を使ったりする人じゃない。 「そうなんだ……あ、切符買ってきます」 ああ、そうか。梓川さん、定期効かないんだ…… 「早香、定期効かないんなら、志乃上で待ち合わせてもよかったんじゃないのか?」 「そうなんだけどね……母さんが気に入っちゃって。恭ちゃんのこと。恭ちゃんからの電話、あたしに取り次ぐ前に家に誘っちゃったみたいなのよ。ほら、恭ちゃんあんな性格でしょ? 断れなかったみたい」 それはまた災難というか、なんというか…… 「お待たせしました。じゃ、行きましょうか」 草神までの切符を買ってきた梓川さん。 さあ改札を通ろうかというそのとき、 「あー、いっけない……財布忘れてきちゃった」 と、早香が言い出した。 「なにやってんだ……お金貸そうか?」 すると早香。 「ううん。それはだめ。恭ちゃん、今日は一人で行ってもらえるかな買い出し」 だめって……しかも梓川さんに仕事任せだすし。 「えっ……それは構わないけど……」 「ほんとごめんねー。この埋め合わせはいつかさせてもらうから」 そんな問答を何度か繰り返した後「じゃあね」とか言って早香は行ってしまった。 「えっと……どうしましょう」 「どうしようか……」 結果として、梓川さんと二人っきり…… これってやっぱり、早香にはめられたんだろうか。 というわけで、思いがけずに梓川さんとのお買いものと相成ったのだった。 第13話へ 戻る |