いつか見た君に~picture of heart~文化祭が終わって、ほっと一息。今日の予定は午前中で教室の片付け。その後早香と陽一郎、梓川さんとどこへ遊びに行こうか……なんて昨日の帰りに話していた。朝、普段より少し遅めに家を出て、電車に乗り、学校について、教室までたどり着いたときだった。その知らせを聞いたのは……第20話・祭りの後 「……陽一郎が?」 「ああ、ちょっと前学校に電話があったらしい」 話す高階も、少なからず困惑している。 「詳しいことはよく分からないんだが……とにかく水瀬、行ってやった方がいいんじゃないのか? ……幸い、今日はそこまで人数が必要なわけじゃないし、もう長沼も行ってる。ああ、先生には俺から言っとくから」 少し悪いような気がした。でも、今は…… 「わかった。行ってみる……ごめん、高階」 「気にすんなって……むしろ俺のせいかもしれないし……」 クラスのリーダーとしての責任を感じているんだろうか、表情を曇らせる高階。 「それこそ『気にするな』って陽一郎に言われるよ」 どう考えたって、陽一郎は高階を責めたりしないだろうから…… 「水瀬……」 「じゃあ、ごめん、行ってくる」 「ああ、気をつけて」 挨拶もそこそこに、学校について20分もしないうちにまた校門を出る。 ちらっと教室のほうを振り返り、そして改めて駅のほうへと向いたとき、長い坂を登ってきた見知った顔がいた。 「水瀬さん?」 梓川さんだった。 「どうしたんですか? もう帰っちゃうんですか?」 「梓川さん……」 自分でもわかるぐらい、声が少し、震えていた。 「陽一郎が……」 「白根さんがどうしたんですか?」 僕のただならぬ様子に気付いたのか、心配そうな声になる梓川さん。とりあえず落ち着こうと、ふっと一呼吸ついてから、言葉を搾り出す。 「陽一郎が、倒れたんだ……」 「えっ……」 僕らの横を、一台の車が通り過ぎて行った。 「倒れたって……白根さんが?」 うなずく僕。 「いつですか?」 「よくわからないんだ……とにかく、運ばれたっていう病院まで行こうと思って」 そうい、今の時点では、詳しいことは何もわからない。陽一郎の家から学校に電話があって、それが先生に伝えられ、高階に伝えられ、僕に伝わった。 「そう……なんですか」 ようやく理解した様子の梓川さん。 「じゃあ、昨日の約束もなしになっちゃいますね」 約束……そう、4人でどこかに遊びに行こうっていう…… 沈んでいる梓川さんの声を聞くのは、少し辛かった。 「うん……そうだね」 残念だけど、今は陽一郎のほうが心配だった。 「でもまた、そのうちにチャンスはありますよね」 頑張って笑ってくれる梓川さん。でも僕は…… 「うん……」 沈んだ返事しかできなかった。 「……梓川さんも、病院まで行く?」 「えっ……私ですか?」 少し考える梓川さん。そして…… 「私はやめておきます……水瀬さん、行ってあげてください」 返ってきた答えは、意外なものだった。 (白根さんと私、まだそこまで親しくないですから、だから……白根さんも、なんというか弱っているところを見られたくないんじゃないかなって……そう思うんです) 電車の中で、梓川さんの言葉を思い出す。確かに梓川さんは、僕や早香と話すほど、陽一郎と話すわけでもない。でも、どうせなら梓川さんにもついてきて欲しかった。 ……もしかしたら、僕ら3人に気を使っているのかもしれない。 草神に着く。普段使わない草神駅バスターミナルは、デパートのあるにぎやかな方とは反対側にあった。高階に教えられたバスの乗り場を探す。 そこそこの数のバスが発着しているらしく、多くのバス乗り場がある。 (横橋からの方が近いんだけどさ、バスの本数は草神からのほうが多いから) ほどなくして高階から聞いた系統のバス乗り場が見つかった。幸運なことに停車中だ。発車前なのか、入り口の扉を開いたまま、静かに停車している。緑色のラインが入った小さなバス。確かいつもの電車と同じ系列の会社だったような気がする。 乗り込んで見ると、平日の昼間であるためか、お客さんの姿は2人。 すぐに乗車できた安心感もつかの間、発車する時間までがもどかしい。我ながら現金だなあ…… それにしても、陽一郎は大丈夫だろうか。 家から電話があったって高階は言ってたけど、桜ちゃんたちだったんだろうか。 早香はもう着いただろうか。 いろんな考えが浮かんでは消えていく。 そうしているうちに、バスは動き始めた。 乗客は僕を含めて5人。行き先は、少し離れた高台にある団地入口前。目指す病院は、終点と駅とのちょうど真ん中あたりになる。当然、利用客のほとんどはその団地に住む人と、その病院に向かう人なんだろう。 静かにバスに揺られる。 平日の昼間であるせいか、道路はそんなに混んでいない。行き先を告げるアナウンスに、降車ブザーの返事はなく、信号待ちで止まるときを除いてどんどん進んでゆく。 1つ、2つ……バス停を通過してゆく。少しずつ、目的地に近付いている。 陽一郎…… なんだか嫌な緊張だった。 何より、状況がよく分かっていないのが不安でたまらない。 案外けろっとしているのかもしれない。けど……もしかしたらという考えも、頭の片隅にある。運ばれたっていうんだから、相当悪いんだろうけど…… 住宅街を走るバス。その窓から見える景色は全然知らない場所で、本当にこのバスで良いのかと少し不安になる。その時、行き先のアナウンスがあった。 「次は、最上病院前、最上病院前……」 高階から聞いた病院……最上病院。 ふうっと一息ついてから、僕は降車ブザーを押した。 バスから降りてみると、バス停の名前通り目の前にその建物があった。 意外なことにその建物は、想像していたよりもずっと小さかった。どこにでもあるような、ごく普通の町の病院。3階建ての白い建物は自動ドアの入り口の上に『最上病院』と書いてあるだけ。 救急車が来るんだから、もっとこう、自動車もばんばん入れるような大きなロータリーとか、7階建てぐらいの建物に中庭なんかもあって、そこに看護婦さんに車椅子を押されて散歩を楽しむ入院患者がいるような、そんな大きなところを想像していた。 よくよく考えたら、そんな大きなところ、早々あるわけないか。 自動ドアをくぐる。 そんなに大きくない待合室には、あまり不健康そうではないご年配の方々が10人ぐらいいる。入院患者は、多分上の階だろう。奥に見える階段がそれっぽい。 待合室を通り抜け、階段を上がる。採光のためか、踊り場の窓は大きめに取られていて、階段全体は明るい。 2階。建物がそんなに大きくないこともあって、廊下もそんなに長くない。 一番手前の部屋の横には、何人かの入院患者のものと思われる名前のプレート。思った通り、ここに入院患者がいるみたいだ。部屋の数は多くないから、すぐに見つかるかな? 『白根陽一郎』の名前を探してみるものの、この階の部屋にその名前はなかった。 となると、もう一つ上……かな? また階段に戻ると、若い看護婦さんに出くわした。……聞いてみるのが一番早そうだ。 「あの……」 「はい?」 事情を話し、陽一郎の名前を言って聞いてみると…… 「ああ、白根さんなら今出られましたよ」 「ええっ!?」 今!? って、朝に電話があって運ばれたんじゃあ……えっ、ってことはそんなに深刻でもなかったってことなのか? 「先生は入院を勧めたそうなんですけど、どうしてもと言われて……」 困った様子の看護婦さん。もちろん、僕も困っている。 「そ……そうですか……」 「ついさっきですね。30分も経っていないと思いますよ」 ほほに手を当てながら、看護婦さんが教えてくれた。入れ違いってわけか……困ったぞ。 その時、ふと早香の姿が頭をよぎった。 「あの、出るとき誰か一緒でしたか?」 「えっと……ああ、同い年ぐらいの女の子と妹さん達がご一緒でしたよ」 多分早香だろう。桜ちゃんたちも一緒みたいだな。 「すいません。ありがとうございました」 「いえ……あ、白根さんにはご無理させないよう、気を付けてあげてくださいね」 そう言うと看護婦さんは、仕事に戻って行った。 無理をさせないように……か。ということは、やっぱり今回のことは陽一郎の無理が祟ったんだな…… それにしても…… 「はぁ」 階段を下りながらため息をつく。 これからどうしよう。片付けを休んでまでここに来たのに、肝心の陽一郎が帰っているなんて……今から学校に戻っても遅いだろうし、かといってまっすぐ家に帰ってもなぁ。 やっぱり一度白根家に行ってみるべきだろうか。当の陽一郎の状態がわからないと、何のために片付けを休んだのかわからなくなるし……踊り場の手すりを持ちながら途方にくれていると、 「お兄さん……?」 聞き覚えのある声が背中のほう……階段の上から聞こえた。 振り返って見上げてみると、紙袋を抱えた長い黒髪の女の子が……って、あれ? 椿ちゃんだ…… 「……椿ちゃん?」 「お兄さん……ですよね? えっ、どうして?」 ゆっくり階段を下りてくる椿ちゃん。 足取りがおぼつかない。 「椿ちゃんこそ……」 1段上に立つ椿ちゃんと目線がやや同じ高さになる。 「わ、私は……兄さんの忘れ物を取りに……お兄さんは?」 どうやら抱えている紙袋が忘れ物らしい。けど…… 椿ちゃん、声が震えているような…… 「陽一郎に会いに……って、帰っちゃったんだって?」 その言葉を聞いて、うつむく椿ちゃん。 「お兄さん……私……」 えっ、も、もしかして椿ちゃん、泣いてる……? 「椿ちゃん、とりあえず外に出ようか」 「……はい」 そう返事をする椿ちゃんは、誰が聞いてもわかる涙声だった。 とりあえず椿ちゃんと並んで歩く。病院から出てもまだ、椿ちゃんは抱えた紙袋で顔を隠したままだった。 どうしよう…… 早く帰って陽一郎の姿を見たい。でも…… ちらりと見た椿ちゃんは、目を伏せたまま。 「椿ちゃん……ちょっと休んでいこうか」 「えっ……?」 突然の提案に、少し驚いた様子の椿ちゃん。 やっぱり理由を聞いておかないといけないよなぁ……こんな椿ちゃん、初めてだ。 「はい……」 返事もやっぱり元気がなかった。 どこか休めるような公園を探して、その辺を歩き回ることにした。 普段の椿ちゃんは……そう、桜ちゃんほど元気いっぱいというわけでもなく、梢ちゃんぐらい静かというわけでもない。三姉妹のちょうど真ん中であるように、性格もちょうど真ん中といった感じだ。 暴走しがちな姉の歯止め役であると共に、妹のことも常に気遣う。バランスの取れた、しっかり者……そんなイメージだった。そんなイメージだったけど…… 「…………」 隣を歩く女の子は、ほんとに小さくて、頼りなくて、支えてあげないとすぐに倒れてしまいそうに見えた。 バス停を過ぎて少し行ったところで、小さな公園を見つけた。 「椿ちゃん、あそこでちょっと休もう」 無言でこくんとうなずく椿ちゃん。 僕は自動販売機で自分と椿ちゃんの分の紅茶を買うと、その公園のベンチに腰掛けた。 バス通り沿いだからかなりの車が近くを通って、それほど落ち着ける場所でもないけれど、今はどこかに腰を落ち着けたかった。 ミルクティーの缶を持って初めて、椿ちゃんは紙袋から手を離した。思ったとおり、少し目が赤い。少しだけの間、二人で静かにベンチに座っていた。 誰もいない公園。 バス通りには車こそ通るものの、人の姿は全然ない。 空を見上げると、小さな雲がいくつか浮いているだけ。気持ちいい快晴。でも…… 「…………」 椿ちゃんの表情は、今にも降り出しそうな空のように曇っている。 「椿ちゃん」 多分黙っていても椿ちゃんは話してくれないだろうな……そう思った僕は、空を見たままで話し掛けることにした。 「なにかあったの?」 「…………」 沈黙。構わず僕は尋ねた。 「陽一郎が帰っちゃたこと、気にしてるの?」 「…………はい」 小さな声で、返事が返ってきた。 「どうして? それは椿ちゃんが気にすることでもない気がするけど……」 詳しい状況はわからないけど、看護婦さんの話を聞く限り陽一郎が「帰りたい」って言ってたみたいだし。 見上げた空には2羽の鳥が飛んでいる。 「……私が止めなきゃいけなかったんです」 涙声ではなかったけれど、椿ちゃんの声は沈んでいた。 「止める? 椿ちゃんが、陽一郎を?」 椿ちゃんの方を見ると、両手でミルクティーの缶を持ったまま、じっとそれを見ていた。 「はい……無理させちゃいけないって、わかってるのに……兄さんは無理してしまうってわかってるのに……」 「そう……だね」 椿ちゃんの言葉が、痛かった。 陽一郎は働いている。食べていくために。それがどれだけ大変なことなのか、そこまで必死になって働いたことのない僕にはわからない。 「梢は何も言わないから……姉さんは兄さんのやりたいことを止めたりはしないから……だから、私が止めなきゃいけなかったのに……」 文化祭があった。 当日だけじゃない。準備もあった。打ち合わせもあった。 ……陽一郎は、無理をしていた。そんなこと、僕にだってわかっていた。でも、僕も無理をしていた。早香も、高階も、梓川さんも。 だから、同じだと思った。 「でも、兄さんは……私たちのために無理をしているから……止められなかった」 「椿ちゃん……」 同じだと思ってしまったんだ。 本当は、全然違っていたのに。 「……さっき、病室に置いてきた荷物を取りに行ったんです」 椿ちゃんは、下を向いたまま話し続けた。 「忘れられた、誰もいないベッドに置いてあった荷物を持つと……急にお母さんのことを思い出したんです」 「お母さん……?」 陽一郎たちのお母さん。 亡くなってもう、6年か7年になる。 「はい。確かあの時も、お母さんがいなくなった部屋から、荷物を抱えて帰っていったんです……」 ほほを伝う涙を、そっと袖でぬぐう椿ちゃん。 「あの時はどうしようもなくて、お父さんも一緒にいなくなっちゃって、ただ悲しくて……それを思い出したら、さっきも同じような気持ちになって……それで……」 ぽろぽろと、涙があふれてきた。 「兄さんも……お母さんと同じようにいなくなっちゃうような……気がして……」 ぎゅっとつむった椿ちゃんの目から、どんどん涙があふれてくる。 「椿ちゃん……」 「そんなこと考えちゃダメだって、わかってるんです! わかってるんですけど、どうしようもなくて、止まらなくて! 兄さんがいなくなったら、私たち、どうしたらいいのかっ……!」 椿ちゃんは、その涙をぬぐってあげようとハンカチを取り出そうとした僕に、がっしりとしがみついてきた。ミルクティーの缶が、地面を転がる。 「椿ちゃん……」 驚いた。 こんなに感情を出す椿ちゃん、初めて見た。 「お兄さん……」 僕の胸に顔を押し付けたまま、椿ちゃんがそっと言った。 「その場で泣きそうになって、我慢して、部屋を出て……そしたら……お兄さんがいたんです」 涼しい風がふっと吹き抜ける。その風になびく、椿ちゃんのきれいな髪。 椿ちゃんはそっと僕から離れると、じっと僕のほうを見て、 「安心して、安心したら、上手く話せなくて、なぜだか涙が出てきて……」 そう言って、最後に一言付け加えた。 「ごめんなさい……」 また下を向く椿ちゃん。転がったミルクティーの缶を拾い上げて、そっと砂を払う。そして自分のレモンティーを椿ちゃんに渡した。はっと顔をこちらに向ける椿ちゃん。 「ほら、少しでも飲んだら落ち着くんじゃない?」 「で、でも……」 自分の持ったレモンティーの缶と、僕のミルクティーの缶を見比べて、申し訳なさそうな表情になる椿ちゃん。 「いいから。それとも……レモンティーは嫌?」 「いえ、そんな……」 少しだけ迷った様子の椿ちゃんだったけど、やっと缶のふたを開けてくれた。 そして「いただきます」と小さくお辞儀をして、レモンティーを口に含んだ。 うん、椿ちゃん、少し落ち着いたように見える。 「椿ちゃん」 何をどう言っていいのか分からなかったけど…… 「陽一郎は、いなくならないよ」 我ながらへたくそな慰めの言葉だ。 「あと、椿ちゃん一人が背負い込むことでもない」 そんなことぐらい、自分でもよくわかっている。 ただ、椿ちゃんの不安を否定したかった。 「陽一郎は多分、椿ちゃんたちのために帰るって言ったんだと思う」 「私たちのため……」 僕の言葉を、小さく口の中で繰り返す椿ちゃん。 「自分が入院したら、働けないし、もちろん給料ももらえない。そしたら椿ちゃんたちが困るし、なにより……『入院してる』って思うと心配じゃない?」 『入院している』とか『病院に運ばれた』とか言われると、そんなに悪いのかという漠然とした不安がかなりある。今回の僕らがちょうどそんな感じだ。 「それよりは疲れた顔していても、家にいて、家で起きて、家に帰ってくるほうが安心させることができるって思ったんじゃないかなあ……」 全部推論だ。だけど、何とか椿ちゃんを『自分が悪いんだ』という考えから解放してあげたかった。 「でも……兄さんは無理をしすぎます」 ほんの少し、怒ったように言う椿ちゃん。椿ちゃんもそうなんだけどね……心の中で、くすりと笑う。似ている兄妹だ。 「そうだね。でもそれはきっと、陽一郎なりに責任を感じてるんだろう」 「兄さんの責任……?」 不思議そうな顔で僕を見る椿ちゃん。 「お父さんお母さんの代わりに……椿ちゃんたちを守らないとって」 今まで陽一郎と付き合って、これは間違いないと思うことだった。 「椿ちゃん……椿ちゃんは本当に陽一郎に入院して欲しかった?」 「はい……もちろん」 真面目な顔でうなずく椿ちゃん。 「でも椿ちゃん、陽一郎が入院して、家に帰ってこなくて、あの家に桜ちゃんと梢ちゃんと3人だけで、大丈夫だとおもう?」 「それは……」 目を伏せ、少しだけ考えている。 「不安じゃない?」 陽一郎が『入院している』ということ、女の子3人だけの夜。 「……不安……です」 小さな声で、椿ちゃんは答えた。 「多分桜ちゃんも梢ちゃんも一緒だと思うよ……それで陽一郎はその不安を取り除きたかったんじゃないかな」 「…………」 「だから椿ちゃん。そこは陽一郎に譲ってあげなよ。椿ちゃんは……家にいる間の陽一郎の負担を減らしてあげればいい……」 しっかり者の椿ちゃん。責任感が強いせいか、何も言わないでいると全部を背負い込んでしまいそうになる。だから、ちゃんと『椿ちゃんの範囲』を教えてあげないと、今度は椿ちゃんが倒れてしまいそうだ。 「お兄さん……」 「……って、それじゃあ今までと変わらないかな?」 少しふざけた風に言うと、 「……そうかもしれませんね」 椿ちゃんはやっと、少し笑ってくれた。 それからしばらく、また二人で静かにベンチに座っていた。 さっきと違って椿ちゃんの言葉を待っているわけじゃなく、椿ちゃんがレモンティーを飲み終えるのを、ゆっくり待っている。僕のほうはというと、さっき椿ちゃんが落としたミルクティーだったけれど、もう飲み終わっている。でも空き缶を捨てるゴミ箱がないので、なんとなく手に持ってぐりぐり転がしたりしている。 椿ちゃんがちょっと元気になってくれたのは良いとして……陽一郎のほうはどうなんだろうか。帰っていったとはいえ、入院を勧められるぐらいだから、相当弱ってると思うんだけど…… 「……それで椿ちゃん、陽一郎のほうは大丈夫なの?」 少し表情を曇らせる椿ちゃん。 「あまり大丈夫じゃないんですけど……」 それもそうか。なんともわかりきったことを聞いてしまったなあ。 「でも、早香お姉さんがいるから心配ないと思います」 表情を和らげる椿ちゃん。 そうか。早香がいたんだっけ。 「もう家に着いてるかなあ」 「そうですね……多分」 電話でもかけてみようかとあたりを見回してみたけれど、公衆電話も見当たらない。 そろそろ僕らも帰るかな……そう考えていると、 「お兄さん」 椿ちゃんがすっとベンチから立ち上がり、僕の正面に立った。 「うん?」 涼しい風が吹き抜けた。 椿ちゃんの髪がゆれて、木々の葉がざわざわと鳴る。 「手のかかる兄妹ですが、これからもよろしくお願いします」 そう言うと、深々と頭を下げた。 だんだんと風が弱くなる。 木々のざわめきも静まった頃、やっと椿ちゃんが顔をあげた。その表情は今日見た中で一番の明るい笑顔だった。 僕もつられて笑顔になる。そして、 「こちらこそ、よろしく」 そう応えた。 駅の公衆電話から白根家へ電話してみると、陽一郎が出た。電話口で話す限りには普段と変わらない様子だったけど…… ただ『心配かけた。すまん』とは言っていたけど…… とりあえず早香がいるということで、全部そちらにお任せしてしまった。今更僕が行っても、多分することはないし。ゆっくり寝かせてやるのがいいだろうし。 ああ、梓川さんや高階にも連絡しておいたほうがいいのかもしれない。とりあえずは大丈夫そうだって。結構心配していたみたいだったからな…… 依戸に着いて椿ちゃんと別れた後、ふっと空を見上げる。もう日が傾き始めていてなにやら涼しげな風が。 明日からはもう少し気を使ってやろう……本当に少しだけど。陽一郎も病人扱いして欲しくなさそうだし、早香がもう十分フォローしてくれてるだろうし。 早香か…… 陽一郎が一番頼りにしてるのって、早香なんだよなあ。それでいて、早香はきっちり支えてやれるから、はたから見てるとすごくいい感じの二人なんだけど。 今回は忙しすぎて早香も気が回らなかったかな……そのことで気にしてなきゃいいけど。 とりあえず……僕も疲れていないわけじゃないから、家に帰って休もう。 明日から、また普段通り学校だ。 第21話へ 戻る |
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