いつか見た君に         

                      ~picture of heart~

 明日から梓川さんと一緒の電車に乗ることになってしまった。なんというか、不正乗車なんだけどな……ラッシュにも余分に巻き込まれるわけだし。とりあえず、今日は日曜日。何も予定がないので、10時ぐらいまで寝ていようかなと思っていたんだけど……

  第22話・親と子と


 洗濯機の音がうるさい。
 掃除機の音もうるさい。
 時計を見ると午前7時。若葉は日曜の朝からそんなことはしない。
「うー……」
 母さんが張り切っているということか……
 不器用なんだから無理しなくてもいいのに……
  ガコンッ
  ガンッ
 下の階から聞こえる、物が倒れる音……言わんこっちゃない。
  コンコン……
 部屋のドアをノックする音が聞こえた。もぞもぞと布団から出てドアを開けると、半そでパジャマ姿の若葉がいた。
「……お兄ちゃん、お母さん何とかしてよ……」
 少し寝癖のついた頭を見るに、今起きてきたようだ。
「何とかって……」
 まあ、いくらなんでも早すぎるとは思うけど……
「はりきってるんだから……そっとしておいてあげれば?」
「こっちがそっとしておいて欲しいんだけど……」
 そりゃそうだ。
「……眠いな」
「……眠いね」
 はぁ……と同時にため息をつく兄妹。
 これからまた寝れるような状況でもなさそうなので、仕方無しに1階へと降りる。するとそこには、掃除らしきものをしている母さんの姿があった。後ろでくくった髪は、くせ毛のために先が広がっている。
「あ、二人ともおはよう」
 僕らに気付いた母さんが、掃除機を手にしたままこっちを向くと……
  ガンッ バササ……
 積み上げていた雑誌の山に掃除機の先端がヒット。見事に崩れ落ちる雑誌の山。
「あー……」
 困った顔の若葉。多分僕も同じような顔だろう。
 でも、僕らが困ってるのは、雑誌の山が崩れたことに対してじゃない。
「もうちょっとでお掃除終わるから、待っててね」
 母さん自身がその事故に全く気付いてないからだ。
「お母さん、掃除なら私がやるのに……」
「若葉ちゃん、掃除苦手でしょ? 母さんがいるんだから、母さんに任せなさい」
 確かに若葉は掃除が苦手だ。けれど、母さんほどじゃない。これだけははっきり言える。若葉は掃除をしながら散らかすなんていう器用なことはできない。
「あっ」
 母さんが声をあげる。
「どうしたの?」
「雑誌を散らかしたの誰? もう、やんなっちゃう」
 僕らは顔を見合わせると、また同時にため息をついた。
 結局僕らが手伝って、なんとか掃除を終わらせることができたんだけど……
 若葉が掃除苦手なのって、もしかしたら遺伝なのかもしれない。まあ、幾分若葉のほうがましなんだけど、それはきっと人類が進化してきたように、水瀬家の掃除スキルも進化しているということなんだろう。
 いや待てよ。それじゃあ、母さんのほうのおばあちゃんなんかどうなってるんだ? 母さんに比べて若葉が4割減の掃除下手(?)だとすると、おばあちゃんの4割減が母さんなわけで……
 これ以上は怖いので、考えるのをやめた。
 掃除もひと段落し、若葉が3人分のトーストを次々に焼いていると、
「よお、おはよう」
 という声と共に、父さんが起きてきた。Tシャツに長ズボンという寝巻き姿そのまんまだ。1階なのにあの騒音を気にせず寝てたのか……
「あっ、お父さんの分のパンがないよ……」
 我が家ではいつも6枚切りのパンを使っている。1人2枚にすると、3人分しかないのは当然だ。
「別になくても構わないが……」
 あくびをしながら言う父さん。
「じゃあ母さん1枚でいいから、父さんに1枚あげるわ」
「おっ、さすがは母さん。ありがとう」
 はあ、仲のよろしいことで。
 父さんと母さんは同い年で、大学生の時に知り合ったらしい。それから一旦別々の仕事についたらしいけど、父さんの会社に母さんがヘッドハンティングさて入社。偶然の再会を喜び合って、それから交際が始まったらしい。
 大学生の頃はお互いなんとも思ってなかったらしいけど、今の仲むつまじい様子からじゃあ全然想像できない。
 母さんのへなへなしたくせ毛は天然で、本人は気に入ってないらしい。ちなみに僕の髪もややくせ毛で母さんからの遺伝だと思われる。
 二人ともほいほいとよく外国へ転勤していく。僕や若葉のことを信頼してるのか、それともただ落ち着きがないだけか……
 まあ、そこそこ収入があるから、その面では言うことないんだろうけど。
「どうしたの、圭ちゃん?」
「いや、転勤多いなと思って……」
 言ってから気付いたけど、転勤が多いんじゃなくて海外勤務が長いだけなんだけど。
「寂しいの?」
「そうじゃないけど、大変だなあって。言葉通じるの?」
 少なくとも5カ国は勤めてた覚えがあるけど……
「会社なら大体英語か日本語だな」
 へえ、英語を操る父さんか……
 想像できない。
「あれ? でも英語圏ばっかりじゃないよね」
 若葉が指摘する。現地の人は会社にいないのかな。それとも現地の人も英語喋るのかな。
「現地の人の言葉は分かるの?」
「分かるわけないじゃないか」
 即答する父さん。
「いつも身振り手振りよ。笑ってれば何とかなるものよ」
 笑ってればって……なんか危ないなあ。
 まあ、今ここに両親とも無事でいるわけだし、何とかなっていることは確かなんだろうけど……
  「そういえば、今回はお土産なかったね」
「ああ、すまんな若葉。空港で止められたんでな」
 はははと笑う父さん。止められたって……?
「母さんは、焼け焦げて曲がった鉄なんか持って帰ってどうするのって言ったのよ」
 焼け焦げて曲がった鉄……?
「いいじゃないか。めったに手に入るもんじゃないし」
「手に入る入らないじゃなくて……お父さん、一体どういうセンスしてるの?」
「良かった……空港の人がまともで」
 ほっと胸をなでおろす僕と若葉。そんなわけのわからないものを持って帰ってこられても、嬉しくないしどうしようもない。
「なんだ。さっきはお土産欲しいとか言ってたじゃないか」
「……それはお土産じゃないでしょ」
 逮捕されても文句言えないんじゃ……
「でも、お土産屋なんか開いてなかったのよ」
 そりゃそうだろう。内戦中にお土産売ってるなんてどうかしてる。
「そう。だからせめて、現地の様子がわかるような物をと……」
 内戦の様子がわかってもなあ……胸躍らないし、かえって沈むだけなんじゃないかと思うんだけど。
 ああ、そういえば……梓川さんにお土産あげる約束してたっけ。玄関入って左。お土産置き場。今度梓川さんが来たときに持って帰ってもらうとか言ったような……今度っていつだ?
 明日学校に持っていこうかな……?
 一度に全部持っていくのは重いしかさばりそうだけど、毎日少しずつ持っていけば何とかなるような気がする。
 梓川さんにわざわざ来てもらうのも悪いしなぁ……
 よし、数回の少量輸送。これで決まりだ。
 朝ごはんを食べ終わると、例の土産物置き場へと向かう。何ヶ月かぶりに入ったその部屋は、カーテンが閉まっているので薄暗く、見事なまでに散らかっていた。
「…………」
 そりゃそうか。
 若葉が片付けるわけないし、両親もいない。となると僕が片付けない限り、この部屋が余裕を持った空間になることはない。
 まず目に入るのはでかい壷。東南アジアのどこからか仕入れてきたものだったような覚えがある。壁には布でできた南アメリカの地図が掛けられ、天井からは木彫りの魚がぶら下がっている。足元にはせんべいの詰め合わせが入っていた空き缶に入れられた石。オーストラリアで拾ってきたんだっけ? どこかの民芸品らしき木でできた笛もある。
 ちなみに全部が全部、うちの両親が現地調達してきたものというわけではない。どうも両親の会社の中の転勤組同士でお土産の交換をしているらしい。
 ということは、他に何件かこういう状態の部屋が存在する家があるってことか……
 なんとなく、怖い。
「小物類はどこだっけ……」
 確か奥の棚にあったような……
 紅茶……どこだかの引き出しか棚に置いたような記憶がある。入って左奥の壁にある棚。あそこじゃないかな……
 民族衣装の入った透明なケースをまたいで目的の棚の前に立ってみると……
「違った……」
 出所不明なお酒らしきものの瓶がたくさん並んでいるだけだった。
 後ろを振り返り、向かい合って立っている棚に目をやる。あそこの引き出しかなあ……
 人の顔のような模様の盾らしきものの前を通り過ぎ、小さな動物のはく製につまずかないように気をつけながら、目的の場所まで移動する。何で部屋の中の移動でこんなに気を使わなきゃいけないんだ……
 右の引き出しを開いてみる……空だ。
 気を取り直して、左の棚をあけてみると……
「あった……これかな?」
 手ごろな大きさの瓶と缶が無作為に並べられていた。その中の瓶の一つを手にとって見ると、中身は明らかに葉っぱだ。
「これ……大丈夫なのかな……」
 多分、1年半ぐらい経つんじゃないかな……
 こっちのは前のお盆だから……まだ2ヶ月か。
 これは……その前のお正月だっけ? 10ヶ月ぐらい?
「……どうしよう」
 とりあえず、部屋の入り口に持っていって並べてみる。
「とりあえず、一つずつ持っていくか……」
 もし梓川さんがいらないのなら……どうしよう。まあ、その時は一家4人で謎のお茶使用の綱渡りなお茶会でもすればいいか……
  バタンッ
 廊下に出て、ワンダーランドへの扉を後ろ手で閉める。
「ふう……」
 気のせいか空気がおいしい。
 自分の部屋に戻ろうとしたとき、
「どうしたんだ、圭?」
 リビングのほうから父さんに声をかけられた。さっきまでのだらしない寝巻き姿じゃなくて、スーツを着ている。
「あれ? 会社に行くの?」
「ああ、いろいろ仕事が残っててな。でもまあ、それが終われば少し長い休みがもらえるんだが」
 そうなんだ……いろいろ大変だなあ。
「で、何かしていたのか?」
「え?」
 僕の後ろの戸を指差す父さん。
「ちょっと探し物」
「そうか」
 それだけ言うと父さんは玄関へ降りて靴を履いた。スニーカーだけどいいのかな……
「じゃあ、いってきます」
 こっちを見て、片手を挙げる。
「いってらっしゃい」
 ちょっと疲れてるように見えたなあ……父さん。
 まあ、もう少しでまとまった休みが取れるらしいから大丈夫かな。
  「あ、お兄ちゃん」
 父さんを見送って部屋に戻ろうと階段に足を掛けたとき、若葉に呼び止められた。
「お父さん、行っちゃったんだ」
 よく見たらもう寝癖が直っている。肩より少し上までのまっすぐストレート。どうやら若葉の髪には母さんの遺伝子が受け継がれなかったらしい。
「うん。ついさっき出たよ。なんで?」
 見ると若葉の手に、大きめの封筒が。
「忘れ物?」
 会社の書類か何かかなあ。
「あ、ううん。違うの。お母さんのなんだけど、郵便出してきて欲しいなって」
 なんだ。郵便か。
「駅前の郵便局で出してくればいいんじゃ……」
「それが……」
 若葉が封筒を見せる。
 うーん、特に変わったことはないように見えるけど……
 黙って封筒の左上を指さす若葉。
「ああ、切手……」
 そうか……そういうことだったのか!
 謎はすべて解けた!
「うん。だから本局でしか出せないんだよ……」
 困った顔の若葉。
「明日じゃダメなの?」
「学校終わる頃には郵便局閉まってるよ」
「父さんに頼んだら?」
「うーん、今日は余裕あったみたいだけど、明日はわからないよ」
 それもそうか。
「郵便局開いてる時間、会社か学校だな……」
「うん……」
 じっと僕を見てくる若葉。
「若葉、もしかして……」
「お願いっ」
 僕の言葉を遮ると、頭を下げて封筒を突き出す若葉。
 やれやれ……
「本局って草神だな」
 依戸と志乃上の間で、定期効くからいいけどさ。
「ごめんね」
 申し訳なさそうにする若葉。別に若葉が悪いわけじゃないんだけどな……母さんの荷物なんだし。そんなにしょんぼりされると、いじめたくなるじゃないか。
「いいよ、別に。その代わり、今度遠慮なくパシリで使うからな」
 持ち上げた封筒を上下に振りながらそう言うと、
「あう……」
 若葉は猫のようにそれをつかもうと手を泳がせる。
「……ぷっ」
 その様子がおかしくて、思わず吹き出してしまう僕。
「冗談だよ」
 そう言って、
  ぼすっ
 若葉の頭の上にまっすぐ封筒を下ろす。
「あうっ……お兄ちゃん、ひどいよ」
 頭に封筒を乗せたままでふくれる若葉。どうにもからかいがいのある妹だ。
「はは、冗談だってば……それじゃあ行ってきます」
「……うん、気をつけてね」
 若葉が普通の表情に戻ったのを見届けると、封筒を脇に抱えて玄関から出た。
 まあ、どうせ暇な身だったわけだし……こういう用でもなかったら、この日曜は一日中家にこもっていましたなんていうことになりかねない。
 玄関から家を出てみて気付いたけど、辺りがあまり明るくない。空を見上げて見ると、予想通りの曇り空。雨は降らなさそうだけど、日差しがないのでちょっと涼しい。
 自転車は……いいか。どうせ依戸駅には止めるとこないし。いや、駐輪場はあるにはあるんだけど、100円払うなら歩いたほうがいい。一介の高校生にとって、100円は重要だ。
 電車で2駅だから自転車で直接行くという選択肢もあるけど……万が一、雨が降ったら悲惨なのでやめておく。
 というわけで、いつも通りの道を歩く。時間は遅いけど通学路そのままなので、草神を通り越して学校に行ってしまいそうだ。
 もし若葉が希望の高校に受かれば、定期の効く区間が若葉のほうが長くなるから、こううやってこき使われるのは若葉の役目になるだろう……いや、なってもらわないと困る。
 ……いやまてよ。その論法からいくと、大学生になったとしたら使われ放題じゃないのか? ……やっぱ兄って損だ。
 日曜日の商店街は、どこもシャッターが下りていて、とても閑散としている。平日夕方のあの賑わいからは想像できない光景だ。何より、路上駐輪の自転車がとても少ない。普段は道の真ん中にこれでもかというぐらいに自転車が止められているんだけど……なんというか、人もいないこともあって「ああ、この道はこんなに広かったのか」と妙に感心してしまう。
 そして駅。ここ依戸町周辺は住宅街だから、混雑するのは朝夕のラッシュ時のみ。休日の午前中にはそれほど混雑しない。
 草神方面行きのホームに立ってみると、予想通りあまり人はいない。休日の遠出には中途半端な時間だし。とはいえ反対側のホームには、楽しそうな親子連れの姿がちらほらあるけれど。そういえばどこかの駅の近くに遊園地ができたとか、できないとか……あまり興味ないから良く覚えてないや。
 ぼんやりと向かいのホームを見ていると、
「間もなく、電車が通過します」
 とのアナウンス。それから1分も経たないうちに目の前を特急が通過していく。動体視力をフル稼働して観察すると、中には結構人が乗ってる様子。終点の隆山駅は海の見える温泉地だから、きっとそのお客さんなんだろう。
 向かいのホームに電車が到着すると同時に、また同じアナウンス。そして今度は急行がこちらを通過してゆく。残念なことに、依戸には各駅停車しか止まらない。高速で通過する急行を眺めながら、これに飛びついたら草神までいけるのになあ……とか危険なことを考えてしまう。
 こちら側を急行が通過したあと、向かいの電車はもう加速し始めていた。
「只今、到着の電車は、各駅停車隆山行きでございます……」
 そのアナウンスが聞こえたのは、向かいの電車が去って3分ぐらいした後だった。
 特に変わった様子もない、いつも通りの車窓。
 いつもと違うのはラッシュにもまれることなくゆっくりと乗れることかな。席こそ全部埋まっているけど、こう自由に空気が吸えるような余裕を持って電車に乗るのはなかなか嬉しい。
 依戸の1つ隣の横橋に到着。そういえばここで梓川さんの定期拾ったんだっけ……あのままほっといたら40分かけて終点まで旅をしていたかもしれないのか……そうなったら忘れ物取りに行くのも面倒だなあ。拾ってあげれて良かった。
 っと、次はもう草神だ……さすがに2駅だと早いなあ。もしかしたら電車乗ってる時間より、待ってる時間のほうが長いんじゃないか……?
 草神駅に降り立つと、さすがに人が多い。やっぱり草神市の中心だけはあるなあ。目指す草神郵便局は駅の目の前。デパートとは反対側、前に使ったバスターミナルがある方だ。
 正面から入ると、中には人が3人ほど。まあ、休日に郵便局に来なきゃならない人なんてそうそういないか。
 窓口で郵便物を渡す。
「普通郵便でよろしいですか?」
「あ、はい」
 何も聞いてなかったから普通郵便でいいや。
「270円ですね」
 高いなあ……ちょっと重かったからかな。
 きっちりとレシートをもらって郵便局を出る。後で母さんに請求しないと。
「さて……」
 外に出て、小さく深呼吸。
 これからどうしようかな……せっかく草神まで出てきたんだし、前に梓川さんと一緒に行った画材屋に寄ってみるか。最近久しぶりに絵を書きたい気分になってきたことだし。
 ……えっと、どうやって行くんだっけ。あの画材店。
 確か駅の反対側で、少し歩いたビルの中だったような気がするけど……
 とりあえず、デパートのある側に出てみよう。
 と、その前に……早香が陽一郎に告白したという例のベンチを見に行ってみようではないか。桜ちゃんの話によると、確かバス停と改札の間の道で……っと、あった。あれだ。
 背もたれのない、金属っぽい材質でできたベンチ。長さはというと、3人座れればいい方かな。
 なるほど……『草神で告白なんて、また人目につきやすい場所で……』と思ってたけど、比較的人のいない側で、さらにあのときは平日の昼間だったから、周りにはそれほど人がいなかったんだろう。
 それにしてもロマンチックとはいい難いけど。
 ベンチを後にし、改札を横目に駅を抜け反対側の出口から出る。
 確かあっちのほうに例のポットを買ったお店があったんだよね……
 実際にその場所に立ってみると、少しだけ梓川さんとのあの日のことを思い出してきた。
「あー、多分あっちのほうだったな……」
 あの時は梓川さんと話してばっかりだったから、道順がどうにもおぼろげだ。
 駅から伸びる片側2車線の大通りを歩いていくうち、次第に大きな建物はなくなっていって小規模の貸しビルが並ぶようになってきた。うん、確かこの辺だ。
 1階に普通の文房具店があって、2階に画材があったような覚えがあるけど……あ、あれだ。大通りをはさんで反対側。『文具のディスカウント』と書かれた看板が見える。
 ちょっと遠回りして横断歩道を渡る。
 店の前に立って見ると、意外に小さい。前来たときはもうちょっと大きいと思ったんだけど……まあいいや。
 1階の店内にある階段を使って2階に上がってみたものの……一人できても寂しいだけだということに気付いた。
 こう、一つ一つの画材を手に取りながら、あーだこーだ言うようなのが良いんだけど……前来たときは梓川さんが部活で使う画材を注文して、その後すぐに帰っちゃったしなあ。
 また二人で来たいな。
 手狭な店内をふらふらっとしていると、いろんなものが目に付く。
 大きなイーゼルや壁にかかった額縁なんかも、どうやら売り物みたいだ。種類豊富な紙は大きさ別に分けられていて売られている。A4で1枚50円なんていう高い紙もあるけど……一体誰が何に使うんだろう。
 後は絵の具に筆に、小学校のときに使ったような絵の具バケツなんかもある。
 筆もなかなか種類が豊富だなあ……
 ちょっと手にとって見る。形と大きさ以外に大した違いはないように思えるんだけど……この毛先が扇形に広がってる筆なんて、どういったものに使うのか想像できない。
 僕が使ってたのは確か……馬の毛だっけ? 注意してないからわからないや。ここに来てみると、今までそうやってこだわってなかったのが申し訳なく思えてくるな……
 ふと目に付いたのは手ごろな大きさの筆。僕が持ってた2番目に大きな筆と同じぐらいの大きさだけど……4500円かあ。高級品だ……
 少し離れたところに同じぐらいの大きさの筆がある。丁寧にケースに入れられてるけど、気になる価格の方は……い、1万4千円!?
 3倍!?
 これと? あれが?
 ……こっちの沢山立てられてるこの筆と同じくらいの大きさだよなあ……こっちは400円なんだけど……
 一体どんな違いがあるんだ……毛? 毛でそこまで違うものなのか?
 画材店……不思議な世界だ。
 ……高校の美術部ともなれば、こういう高級品使ったりするんだろうか。この前梓川さんに聞いておけばよかった。高階がサッカー部のユニフォーム買わなきゃいけないとかぼやいてたけど、美術部もなかなかお金かかるじゃないか……
 結局、セール中と書かれた画筆4本セットを、高いのか安いのか良く分からない1500円で購入。そのうちどこかで描こう。梓川さんを誘うのもいいかも。どこかスケッチに良い場所知ってるかもしれないし。
「ありがとうございました」
 店員の声を背に外に出ると日が高い。もうお昼か……
 用事も済んだし、寄り道もしたし。帰ってテスト勉強でもするか。中間テストなんだよな、もうすぐ……
 まあ、普段からそこそこ努力はしてるから、それほど心配することもないんだけど……やっぱり何もやらないよりはいいだろうな。
「はぁ……」
 筆を買ったのはいいけど、これじゃあ絵を描きに行くチャンスがないじゃないか。
 いや待てよ、気分転換にという言い訳はどうだろうか。
 ……って、誰に言い訳するんだ、誰に。
 そういえば……梓川さんが『今度一緒に行きましょう』っていつか言ってたっけ。いつだったか忘れたけど。どうも梓川さんは、僕が絵を書くことに対してかなり積極的だ。
 よし。梓川さんを誘って、それでOKが出たら行くということにしよう。一人よりも二人の方がいいし、早香は白根家のお手伝いで忙しいし、陽一郎は論外だし。
 梓川さん、なんて言うだろうか。明日朝一番に聞いてみよう。
 そんなことを考えながら、心の中でそっと気合いを入れた。

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