いつか見た君に         

                      〜picture of heart〜

 梓川さんと一緒に登校するために、瀬良経由にしてからはや一週間。当初の目標だった紅茶も、ほぼ全部渡すことができた。残念ながらその中の一つは、梓川さんいわく「どうしようもない状態」だったらしいけど……まあともかく喜んでもらえたようだし、うちの例の部屋も片付いたし、一石二鳥というやつではないだろうか。

  第25話・それは紅葉に囲まれて


 相変わらず、僕の瀬良通いは続いている。カーブのポイントも、もう大体把握したし、電車が加速・減速するところも覚えたので、もう電車の中で転びそうになったり、梓川さんのおでこに頭突きをすることもない。
 梓川さんと登校する僕を見たクラスメイトも、初めは冷やかしみたいなことを言ってきたけど、一週間も経つと特に誰も何も言わなくなった。それはそれでいいんだけど、何か違うような気もする……
「梓川さん、そのうち絵を描きに行かない」
 いつもの学校への長い坂。その終わりあたりでそう切り出した。
「えっ?」
 急な提案に、驚いた様子の梓川さん。
「ほら、前から何度か言ってたじゃない」
 梓川さんはクラスも違う、部活もある。となれば話ができるのって、この登校中ぐらいだ。だから、もっと梓川さんと話をしたいってのもある。
「新しい筆買ったんだ。だからそれ使いたくってね」
 画材店で買った、お得かどうか判断しづらい筆セット。お得だと思っておこう。その方が幸せだから。
「へえ、そうなんですか」
 少し考えた様子の梓川さん。でもそれも一瞬のことで、次には笑顔を見せてくれた。
「……じゃあ、次の日曜日に一緒に行きましょうか」
 まあ、断られるとはあまり思ってなかったけど。もともと梓川さんが行こうって言ってたし。
「うん、いいよ。どこに行こう?」
 そんなに遠くまで行く余裕はないから、近場にしたいところだけど……
「そうですね……あ、紅葉。早いところはもう色付いてますよ」
「そういえばそうだね。じゃあ、紅葉狩りも兼ねる?」
 たまには、季節の移り変わりを感じるのもいいかもしれない。梓川さんと一緒に。
「いいですね。じゃあ……どこかな。前言ってた瀬良の公園は紅葉がないんですよね……あ、志乃上の学校と反対側にある稲荷神社なんてどうでしょうか」
 梓川さんの言う神社は、それほど大きいところではないんだけど……お盆には夏祭りなんかあったりして、近所の人の憩い場になってるようなところだ。学校と反対側にあるのでそんなに行くことはないんだけど、志乃上の商店街の先にあるので、商店街で友達と遊んで、休憩がてらに立ち寄ったことが何度かある。
「あ、いいね。そんなに遠くないし」
 それにしても、あまり知られてない場所だと思ってた……意外に知られているのかもしれない。梓川さんに聞いてみると、クラスの女子と商店街に行ったとき、ゆっくり休憩するために寄ったそうだ。
 ……僕と全く同じじゃないか。
 もしかしてあの神社、志乃上生には結構知られているのかもしれない。
 描いてるときに誰も来なければいいけど……まあ、日曜日だから大丈夫か。
「じゃあ、決まりですね」
「うん。日曜日に」
 ……とまあ、そんなことを話していたのがほんの2日前。急な話といえばまあそうだけど、二人とも特に予定があったわけじゃないから何も問題はない。
 そして日曜日。朝起きて思い出したけど、明日は若葉の誕生日だった。
 完全に忘れてた……なにをプレゼントしようか。夏場だったらなあ、すいかを与えれば無条件で喜ぶから特に何も考えなくても良かったのに……
 手早く着替えて、荷物を持って外に出て、駅に向かって、電車に乗る。いつもと変わらない行動に、心の中でちょっと笑う。今日は目的地も志乃上……そんなことまでいつもと同じだった。
 梓川さんとの待ち合わせには、まだ時間があった。かといって草神で降りて若葉のプレゼントを物色している暇はなさそうだけど……
 電車の中で考えてる。見慣れた景色がどんどん流れていく。低層の住宅地が広がる沿線。たまに十何階もあるようなマンションが見える。今は晴れているけども……風が強いのか、木が揺れているし、道ゆく人も向かい風に苦労している様子。
 手元を見ると、小さな紙袋。中には梓川さんへの紅茶と、あとは……
 昨晩……
「よし、これで終わり……」
 紙袋に紅茶をしまいこんで、改めてお土産部屋の室内を見回す。
 小さな紅茶が消えたところで、その雑多さは全く変わった様子がない。なんとかしないとなあ……と思って視線を廊下に戻そうとしたとき、それが目に入った。
 鮮やかな黄色。今までなぜそれに気付かなかったんだろうと思うぐらいの明るい色。それは棚からはみ出していて、蛍光灯に照らされながら、自分の存在をアピールしていた。
「志乃上、志乃上でございます」
 昨晩の時のことを思い出していた僕を、車内アナウンスが現実に引き戻した。
 ホームに降り立ってみると、人の姿は少ない。まあ、日曜で学校も休みだし……
 そんな人の少ないホームを、ゆっくりと歩いていく。予想通り、少し風が強い。駅の近くにはあまりないけど、きっと風に吹かれた木がザアザアいっているに違いない。
 改札を出ると、待ち合わせの時間の15分前。さすがに少し早かっただろうか……と思っていると、駅の入り口近くに立つ見慣れた姿。
「梓川さん」
 僕の声に気付いた梓川さん。くるっと振り返っていつものように微笑む。
「あっ、水瀬さん。早かったですね」
 それは梓川さんが言う台詞じゃないような……
「梓川さんこそ、いつ来たの?」
「さっきの電車ですよ。今来たところです」
 ほんとかなあ……
 まあ、そんなことを気にしても仕方がないので、商店街を抜けて稲荷神社へと向かう。
「ああ、そうだ。これ、多分最後の紅茶。これでうちにあるのは全部だと思うんだけど」
 歩きながら紙袋を差し出す。
「あっ、ありがとうございます。お母さん、喜んでますよ。珍しいのがいっぱいだって……あれっ? これは……」
 そう言って梓川さんが紙袋から取り出したのは……リボンらしき細長い布。
「ああ、えっと……なんていうか、プレゼント」
「プレゼント……」
 僕の言葉を繰り返して、リボンを見つめる梓川さん。
 あの部屋にあったぐらいだから、きっとどこかのお土産だろう。編み方がちょっと変わってたから、どこかの伝統工芸なのかも知れない。
 それ以前にリボンかどうかも分からないわけだけど、でも細長い布で、きれいな色をしているそれは、リボンにしても何の不都合もなさそうだ。
「えっと、これ……つけてみてもいいですか?」
「あ、うん。もちろん」
 そう答えると、梓川さんは荷物を下において立ち止まった。そして、左右の耳の前にある髪を後ろにもっていき、それを真後ろで束ねてリボンでくくる。
 慣れた手つきに見えるけど……それを聞いたら昔リボンをつけていた時期があったとのこと。
「どうですか?」
 そう聞いてくる梓川さん。見た目がちょっとすっきりしたかな。
「いいんじゃないかな。似合ってるよ」
 自分で送ってこんなこというのもなんだけど。でも、明るい黄色のリボンは本当に梓川さんに良く似合っている。
「あ、ありがとうございます……」
 あ、ちょっと照れてる。
「は、初めてですよね、水瀬さんから私へのプレゼントって……」
 そ、そうだっけ……
「ごっ、ごめん」
「あ、いえ、そうじゃなくて、その……嬉しかったです」
 それっきり黙り合う僕ら。き、気まずい……? そんなことないか。いや、でも……
 そんな妙な雰囲気のまま、目的の神社に着いてしまった。30段ほどある階段を上って鳥居をくぐると、周りの景色が劇的に変化する。
 にぎやかな商店街から切り離されたような空間。
 何百年も変わらない姿でいるであろう神社の境内。赤や黄色の木々が外周をぐるっと囲んでいる。誰もいないその中に二人で立っていると、ひゅうっと風が吹いて、どこからか甘い香りが運ばれてきた。確か……そう、キンモクセイ。
「どこかに座りましょうか」
「そうだね……」
 周りをぐるっと見てみる。ベンチとか、そういう類のものはなさそうだけど……
「水瀬さん、こっちこっち」
 声のする方を見ると、梓川さんが手招きしている。本殿向かって右の方。境内の端っこに陣取って……
「じゃーん」
 と言いながらかばんから取り出したるは……
 『遠足シート』
 こ、これに座って絵を描くのか……ただでさえ絵を描くのは恥ずかしいのに、輪をかけて……二人分広げられたそれは、薄い青と赤の線が縦横に走っているどこにでも売っていそうなシート。まあ、ファンシーな柄じゃなかっただけましか……
「どうしたんですか?」
「いや……」
 仕方がない。覚悟を決めよう。
 座ってみると、ちょっと狭い。はたから見たらどう思われるだろうか。高校生の男女が仲良く遠足シートでスケッチ……妙な光景だ。もっとも、境内に人の姿はない。日曜の昼間なんて、散歩するにはもってこいだと思うんだけど……まあ、こちらとしては来ないでもらった方がやりやすい。
 スケッチブックと鉛筆、消しゴムで準備万端。今日は色塗れるかなあ……おニューの筆が活躍できればいいんだけど。
「じゃあ、始めましょうか」
 見れば梓川さんも準備できた様子。
「うん」
 そうして、少し風が強いぽかぽかした陽気の中、二人だけの神社でスケッチが始まった。
 まず大まかな構図を取って……と。
 うーん、よくよく見ると神社って細かい部分が多いんだよなあ。そういえば小学生のとき写生しに近所の神社に行ったっけ……小学校の近所にある菅原道真を祭った神社。その時もなんだか細かい部分がやたら気になって、なかなか描けなかったなあ……
 よし、今日は細かいところは気にしないで思い切っていこう。
 そうと決まれば話は早い。
 じっと本殿を見つめる。そのまま紙へ目を落とす……集中していると、ぼんやりと見えてくる。イメージそのままに、鉛筆を走らせる。柱、屋根、狐の像……
 やがて得たイメージも薄れていく。もう一度目を上げて、また紙へ……最初の方はこの繰り返し。見て、描いて、見て、描いて、見て……
 屋根のカーブが難しい。見上げるアングルだからなあ……それとあの賽銭箱。黒いところはなんだろう。汚れかな? 境内奥の林……暗くなってて分かりづらいなあ。手間に明るい紅葉があるだけに余計分かりづらい……
 そしてまた顔をあげたとき、目の前に梓川さんの顔があった。
「うわっ!」
「きゃっ!」
 びっくりした……
 と、それは梓川さんも同じ様子。
「ど、どうしたの梓川さん」
「水瀬さん……話し掛けても聞いてないから」
 げげっ、そうだったのか。全然気付かなかった……
「すごい集中力ですね……」
「あ、その……ごめん」
 いけない、いけない。久しぶりだから、つい張り切ってしまった。そうだよな、今日は梓川さんと来たんだから、二人で楽しみながら描かないと。振り返ってみればなんて余裕のない……
「いえ、本当にすごいですね。早いし、上手だし……」
 かく言う梓川さんの方は……スケッチブックを覗き込むと、なるほど、のんびりと描いてる。線にも余裕が感じられた。
「さやちゃんが言った通り」
「早香が? なんて言ったの?」
「えっと……秘密です」
 そこまで言って秘密なのか……まあ、悪いことではなさそうだからいいか。
 気を取り直して、細部に取り掛かる。今度は心に余裕を持とう。うん。
 相変わらず雲は早く流れ、天気がいいのに暑くない。それはまあ、風のせいだけでもないんだけど。
「もうすぐテストですね」
 梓川さんがスケッチブックを見つめたままで話し掛けてくる。黄色のリボンがちょっと風に揺られる。
「うん」
 僕も神社を見て、そのまま描き込んでいく。
「水瀬さんは……成績いいんですよね」
「いや、そんなことはないけど……」
 木々の葉がこすれあう音が聞こえる。大きくなったり、小さくなったり……
 聞こえてくるのはその音だけ。静かな境内に、二人の声だけが聞こえる。
「なにか……大学で勉強したいことってあるんですか?」
「うん、日本史……かなあ」
「日本史……」
 僕の言葉を繰り返す梓川さん。
「梓川さんは……何かないの?」
「私は……今は何も。数学が苦手だから文系に行くつもりではいますけど」
 来年一緒になれるといいな……なんていつか言ってたっけ。
 同じクラスになればいつでも会えるのになあ。
 そしてまた、木々の声だけが聞こえてくる。赤に染まった葉が、何枚か宙を舞っている。
「スケッチブックって、小さいと思いませんか?」
 今度は鉛筆を置き、こちらを向いて口を開いた。
「そうだね」
 うん、もう少しサイズが大きければ、細かなところも気が済むまで描けるのに。
「梓川さんは……画板使ってたんだよね」
 いつかの図書室で見た、梓川さんの絵を描く姿……床に座り込んで、画板に載せた画用紙にせっせと筆を走らせていたあの姿が思い出された。
「はい。昔から。なんていうか……やっぱり絵を描くのは画板じゃないと」
 面白いこだわりだなあ。
「だからスケッチブックって、本当は苦手なんです」
 照れたように笑う梓川さん。
「僕も昔使ってたんだけどね」
「あ、さやちゃんも言ってましたね」
「うん……今でも多分、家を探せばあるんじゃないかな」
 小さい頃はその画板を持ってふらふら出歩いたりしたなあ。たまに早香と陽一郎と遊ばなかったとき。何かの用事だとか、ケンカしただとか……
 それほど頻繁ではなかったけど。今となっては懐かしい。
「それにしても……」
 鉛筆を取って、周りに目をやる梓川さん。
「きれいに色付いてますね」
 梓川さんと同じように周りを見回すと、敷地の周りに植えられた紅葉の葉。まだ緑の部分が残っているけれども、すでに鮮やかな赤に染まっているものもある。境内に立つイチョウの木も、じんわりと黄色になった葉をたくさんつけている。
「うん……いい時に来たかな」
「誰もいませんしね」
 少し笑いながら話す梓川さん。言うとおり、周りを見渡しても誰もいない。
 いつもの商店街から少し外れて、ちょっと階段を上がれば、こんなにきれいな光景が見れるのに。
 そうしてまた、風に吹かれながらのスケッチ。
 この周りから切り離されたような場所にいると、ふっと時間を忘れてしまいそうだ。梓川さんと二人で、絵を描きながら。それにこうして梓川さんと鉛筆を走らせていると、懐かしいような、気分が落ち着くような……優しい気持ちになれる気がする。
 きっと小さい頃にスケッチしに行ったのを、体が覚えてるんだろう。こうして外に出て絵を描くのも、随分久しぶりな気がするし。
 できればずっとこうしていたい……なんて思ってしまう。
 でも現実はそうはいかず……
 お腹もすいてくる。
 いま何時だろう……時計持ってくるの忘れたから分からない。
 9割方スケッチの終わった自分の絵を見る。悪くはない。
 梓川さんの方はというと……
 丁寧に描き込まれたそれは、僕のものとは同じ物を描いたと思えないぐらい。なんというか……そう、雰囲気がにじみ出るような感じだ。
「あの……あまり見ないでください。恥ずかしいから……」
 そう言って、ちょっとだけスケッチブックを隠す梓川さん。照れたような、困ったような顔が少しかわいい。
「さすが、現役美術部」
「そ、そんな……水瀬さんだって上手じゃないですか。私なんて全然……」
「そんなことないよ。梓川さん、もっと自信持たなきゃ」
 自分のスケッチブックを見つめる梓川さん。
「そ、そうですか……?」
「うん。梓川さんの絵、すごく良いから」
「ありがとうございます」
 それでもやっぱり照れた顔。
「でも……」
 うつむき加減だった顔をあげて、僕のほうを向く梓川さん。優しい笑顔に少しだけ照れが見え隠れする。
「私、水瀬さんの絵、好きですよ」
 その言葉と表情に、ちょっとだけドキッとした。
「うん……ありがとう」
 なんだろう。ただ照れくさいのとは違う、前にもあったようなこの感じ。ちょうど、夏休みに出会ったときのような、不思議な感覚。
  ぐうぅ……
 そんないい雰囲気も、一瞬にして台無しになる。な、なんてタイミングの悪い……
 しっかりと僕の腹の虫が鳴くのを聞いた梓川さん、一瞬きょとんとしたけれど、すぐにくすくすと笑い始めた。
「ふふっ……水瀬さん真っ赤」
「なっ……」
 こんな状況で、恥ずかしくないわけがない。
「あ……もう4時ですね。お昼抜きで描いてたからお腹すくのも当然ですよね」
 ポケットから取り出した時計を見ながら言う梓川さん。
「恥ずかしいなあ……」
 と頭をかいていると、
「大きな音でしたね」
 追い討ちのようなこの言葉。言ってる本人は自覚がないんだろうけど……
「くすくす……」
 まだ笑ってる……
 そんなに可笑しかったのかな。
「どうする? もう夕方だけど……また来る?」
「えっ、あ、はい。そうですね……」
 じっと自分の作品を見る梓川さん。
「じゃあ、今日はこのくらいにしておきましょうか」
 パタンとスケッチブックを閉じる梓川さん。
「うん。近いうちに来ないと……紅葉が散っても困るし」
「そうですね。テストがあるからどうなるか分かりませんけど……できるだけ早くにまた来ましょうね」
 風が一段と強くなってきた。あの甘い香りも、少しだけ漂ってきている。キンモクセイだけど、神社の境内には植えられていないみたいだ。多分、この近所なんだろう。
 持ってきた荷物をまとめて、シートを片付けにかかる。
「水瀬さん、そっち側持ってもらえますか?」
「うん、大丈夫……」
 風になびく遠足シート。二人で協力して半分に半分にたたんでゆく。
 やがて、梓川さんのかばんに入るぐらいの大きさになった。
 何回折っただろう。あんまり多くなかったってことは、やっぱりシートが小さかったってことか。その狭いところに二人で座っていたのか……
「人、あんまり来なかったね」
 もう一度境内を見回してみる。
「そうですね……お陰でのんびり描けましたけど」
 梓川さんの言うとおり、好奇の目で見られることがなかったから随分と落ち着いて描けた。次に来る時もこうだといいんだけどなあ……
 そして僕らは、誰もいない稲荷神社を後にした。
「水瀬さん、新しい筆使えませんでしたね」
 志乃上の商店街まで来たところで、梓川さんがそう言った。
「そうだね……まあ、次もあるしね」
 その筆も口実のような気がしてきた。梓川さんと話をしたいだけだったように思うんだけど……その割にいざ絵を描くとなると本気になってしまったりして、自分で自分が良く分からない。
 それからまた、しばらく黙って二人で歩く。
 志乃上の商店街。普段ならそこそこにぎわっているんだけど、今日は日曜日。ほとんどの店はシャッターを閉めていて、道行く人の姿も少ない。
「水瀬さん」
 駅が近付いてきたところで、また梓川さんが話し掛けてきた。
「うん?」
 今日は梓川さんから話し掛けてくることが多い。いつもこんなだっけ。と思っていると、
「なんだか今日は……不思議な気持ちです」
 そう言って微笑む梓川さん。
「不思議な気持ち?」
 聞き返す僕に、微笑んだままの梓川さん。少し強めの風が、梓川さんの髪とリボンを踊らせる。
「はい……懐かしいなって」
 懐かしい……か。僕もちょっとそう感じたな。学年が上がるごとに自分の時間が取りづらくなって、絵を描くことに対しても疎遠になっていった。今日は本当に久しぶりにこうして外で絵を描いたなあ……
「初めて会ったときのあの気持ち……これだったんですよね」
 空を見上げながら、梓川さんがつぶやく。
 初めて会ったときって……僕と?
「梓川さん、それって……?」
 梓川さんの言葉の意図することが見えなくて、思い切ってたずねてみても、
「ふふっ」
 と笑うだけ。
 会ったって……梓川さんが初めて絵と出会ったときのことかもしれない。目的語を言ってくれないとちゃんとわからない。
 僕と会ったときって学校で、画材の調達から帰ってきた梓川さんが転んで、そこで……
 そう、初めて会った気がしなかったんだけど……それ? いや、でもなあ……
 なおも微笑む梓川さん。もしかしたら、その『初めて会った気がしない理由』……梓川さんはもう知ってるんじゃないのか?
 もうあまり重要なことじゃないと思ってたけど……もし梓川さんがそれを知っているなら聞いておきたい。
「もしかして……」
 ちゃんと確認しようと口を開いた瞬間、
  ぐぅぅ……
 食料の欠乏を訴える声があがった。
 恨みを込めて自分のお腹を見つめる。どうしてこう肝心なときに自己主張をするかな。
「水瀬さんっ、家に帰ったら若葉ちゃんの料理、お腹いっぱい食べてくださいね」
 その声に顔をあげてみると、駅入り口へと急ぐ梓川さんの姿。なんだ、もう駅の前まできてたんだ。と、少し目線をあげると隆山行きの表示のある電車がスピードを落としながら近付いてきていた。
「乗る電車が来ちゃったんで帰りますねっ。じゃあまた!」
 梓川さんは改札の前から2、3回手を振ると、急いで改札へと走っていった。その姿が見えなくなると同時に、僕の乗るべき電車が志乃上を出発するのが見えた。
 なんてタイミングだ……日頃の行いが悪いのかもしれない。
 強い風が、また吹いた。キンモクセイの甘い香りが運ばれてくる。きっとこの近くに木があるんだろう。
 それにしても……
 分からないな、梓川さんの言葉。
 なんだろう。
 多分、首まで出かかっているんだけどな……
 あと一歩なんだけど……
 思い出せないままに改札を通って、ぼんやりと電車を待って、通過してゆく電車を見送って、やがて到着した電車に乗って……
 そして、家の前まで帰ってきたときだった。
「あっ」
 突然に、でもはっきりと思い出された。
 とても重要なことだったのに、何で忘れていたんだろう……
 ものすごい後悔と、申し訳なさが頭をぐるぐる回る。明日だ。明日何とかすればいい。
 あの梓川さんの言葉……
 そのせいで、若葉のプレゼントのことをすっかり忘れていたのだった。

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