いつか見た君に〜picture of heart〜やっと思い出した。父さんと一緒に出かけた瀬良の公園。そこで女の子に出会った。いや、女の子が僕を見つけて、近付いてきて……次会ったときには一緒に絵を描いていたんだ。ずっと忘れていたけど、小さい頃にそんな事があった。でもそれは、梓川さんとは違う別の女の子。『あずさがわ しょうこ』という、別の…… 第27話・あの日の場所で 雨に打たれる電車の窓。そこから見える瀬良までの道のりでさえ、気のせいか懐かしく思えた。小さい頃、背伸びしてみていたドアの窓。父さんに連れられて来ていた瀬良駅。そこで僕を迎えるのは、いつもの笑顔。 「おはようございます、水瀬さん」 白い傘を持った梓川さん。 「おはよう、梓川さん」 待ち合わせは、隆山方面の先頭。分かりやすいのと、混雑が少しましなためだ。 それからすぐに、電車がホームに滑り込んでくる。その電車に乗れば、かなりの余裕をもって志乃上に着くことができる。 昨日は……まだ心の整理がつかなくて、言い出すことはできなかったけど…… やっぱり言わないとな。 電車に揺られること少し。志乃上生登校ピークよりも少し前の志乃上は、そこまでひどい混雑にならない。 そして本降りの雨の中、いつもの長い坂を登りながら、梓川さんのほうを見る。歩くたびに黄色のリボンが揺れる。思い出したことを……言わないと。 「梓川さん」 傘のせいだろうか。いつもより、少しだけ離れた梓川さんの横顔。 「はい、なんですか?」 話し掛けてはみたものの、どう言ったらいいんだろう。 「えっと、なんというか……初めて会った時のこと、覚えてる?」 「夏休み……でしたっけ?」 「うん、そう。その時さ、お互いに『初めてじゃない』って思ったでしょ?」 傘を差しながら、駆け足で坂を登っていく生徒がいる。そんな時間なのか? と思って時計を見たけど、まだまだ大丈夫な時間だ。 「はい、そうでしたね……私がさやちゃんに言って、さやちゃんが水瀬さんに聞いて……それで、水瀬さんと一緒に考えてたんですよね」 梓川さんの方をずっと見ていたので、バシャッと水溜りを踏んでしまう。 「うん……それでね、思い出したんだ。その理由」 「えっ?」 立ち止まる梓川さん。遅れて僕も足を止める。 少しだけ、雨の音が大きくなったような気がした。 「思い出したって……私と水瀬さんが昔に出会ってたことをですか?」 「……うん」 出会っていたことじゃなくて、僕が思い出したことに対して驚いているみたいだ。ってことは、やっぱり梓川さんとも……会っていたんだろうか。 「そうなんですか……」 君じゃないかもしれない……なんて、やっぱり言えない。どうしよう、どうすれば…… 「……あれだよね、瀬良の自然公園」 「はい……そうです」 多分、想像しているとおりだろう……あの場所には、僕と、梓川さんと、もう一人いたんだ……もう一人『あずさがわ しょうこ』という名前の子が…… そしてまた、二人傘を並べて学校に向かって歩き出した。 「……梓川さんは思い出してたんだね」 僕の持つ青い傘は、梓川さんの白い傘よりも一回り大きい。 くるくると傘を回す梓川さん。その仕草が少しかわいく、少し悲しく見えた。 「えっと、つい最近です」 「……一緒に神社に行ったとき?」 若葉の誕生日の前日。3日前の日曜日のことだ。あの日の帰り、別れ際に思い出したような、そんなことを言っていた。 その予想通り、僕の言葉にうなずく梓川さん。 「はい……でも、それより前にも『もしかしたら』って思ってましたけど」 そう言って微笑む梓川さん。 雨も降って、風も冷たくなってきたのに……なぜだか少し、温かい気持ちになれた。それと同時に、心の底がじとっと冷たくなる。これはそう……悲しみ。この冷たい感情を……ずっと閉まっておくのは辛かった…… 「あそこは、私の庭……いえ、その頃の私にとって、あの公園が世界の半分みたいものでした」 世界の半分……か。幼稚園の時だったら確かにそんな感じだろう。家と、幼稚園と、公園……梓川さんにとっては、それが自分の知ってる世界のほとんどだったんだろうな。多分それは、梓川しょうこという子にとっても…… 僕は両親があちこち連れて行ってくれたけど……歩いていける範囲なら、陽一郎と早香付きだったこともある。普通の4、5歳児よりは、自分の足で行ったことのある範囲ってのがかなり広かったように思う。 「初めは……見かけない子がいるなって、そう思ってました」 どこか遠くを見るような、梓川さんの目。 「大きな板を持ってて、お父さんに連れられて」 大きな板……多分僕のお気に入りだった画板のことだろう。絵が好きだった僕に、父さんが買ってくれたものだ。 「水瀬さん、アイス買ってもらってましたよね」 そう言って梓川さんがこっちを向くと、ふわっと髪が広がる。少しだけ、黄色のリボンが見えた。 「え、うん」 父さんも言ってたっけ。その頃の僕はそのアイスがお気に入りだったって。 「私、それが羨ましくて……私のお父さんもお母さんも、そういうのは買ってくれなかったから……いいなあって思って」 そう言って僕を見ながら微笑む。 周りの生徒よりも歩くのが少し遅いのか、何人かに追い抜かれていく。 「それで、遠くから見てたんです。噴水の近くに座るのが見えて……そのとき、その板が絵を描くためのものだって知ったんです」 なんで……隠してるんだろう。もう一人のこと。 断片的に思い出した中で、確かなこと……あいまいだけれども、あの帽子に書かれた名前……多分、あれを見つけなかったら『そうだっけ』って思い込んだだろう。 また前を向いて、なおも続ける梓川さん。 「しばらく遠くから見てたんですけど、どんな絵なのか気になって、近付いていったんです。それで見てみたらすごく上手で、私『すごいきれい』って言ったんです」 ……それは多分、少し違う。僕に帽子をくれた子が……最初に話し掛けてきた子だ。 また傘をくるくると回しだす梓川さん。 「そしたら……最後に『はい』って絵を手渡してくれたんです。それで私が『くれるの?』って聞いたら、黙ってうなずいて……」 絵をあげたんだ……それは忘れてた。 「そこまで覚えてないや……そんなことしたんだ」 そう言うと梓川さんは、こっちを向いて優しく笑いかけてくれた。 「はい。私、すごく嬉しくて……あ、それでおととい探してみたんですよ、水瀬さんの絵。そしたら出てきました」 「ほんとに?」 同じ日に同じようなことをやっていたのか…… 「はい。画用紙の裏に『水せ けい』って書いてました。凄いですよね。「水」だけでも漢字で書いてるなんて。幼稚園のときでしたよね?」 同じことをやっていたけれど…… 結果は反対で。 梓川さんは僕からの絵を見つけ、僕は…… お気に入りだった「水」の字だけはかなり早くから覚えていた……なんとなく形が好きだった。左右対称のようでそうでないところが。それは多分、僕のもので間違いない。 「ふふっ……でも、初めからその絵を見つけていれば、すぐに分かったのに。こんなことって……ほんとにあるんですね」 それはそうだろう。 でも…… 楽しそうな梓川さんを見ていると、どこか後ろめたい気分になってくる。このままじゃ……いけないような、そんな気がした。 だから少し迷って……口に出してみることにした。彼女の名前を。 「梓川……しょうこ」 「えっ……」 傘をくるくる回すのを止めて、梓川さんが立ち止まる。 「水瀬……さん?」 驚いた表情を隠さない梓川さん。 「今……なんて……?」 「しょうこ……って、誰」 目を伏せる梓川さん。そしてまた、ゆっくりと歩き始めた。 「……彰子は、私の姉です」 姉……でも梓川さん、前に両親と3人暮らしだって…… 梓川さんはすぐに立ち止まって、僕の眼をまっすぐに見つめてこう言った。 「姉は……小学校に上がる前に、亡くなりました」 少し、雨が強くなった気がした。 立ち止まったままの僕らを、他の生徒がどんどん追い抜いていく。 「麦わら帽子を……見つけたんだ」 「……麦わら帽子……?」 「うん、僕もおととい探したんだ……何か、もらったことを思い出して」 僕の言葉に黙って耳を傾ける梓川さん。 「そこに……名前が書いてあって、それが……」 リボンにあった、多分梓川さんのお母さんが書いたと思われる割と整った字。 「……梓川……彰子」 ポツリと漏らす梓川さんに、黙ってうなずいて答える。 そしてまた、二人は歩き出した。 僕のあげた絵。梓川さんのお姉さんからもらった麦わら帽子。 その情景を、少しだけ思い出した。3人……あの場所にいた。僕と、おかっぱが少し長くなったぐらいの髪の女の子、麦わら帽子をかぶった髪の長い女の子……おかっぱの子はすっかり髪が長くなって、今ここにいる。 「多分、水瀬さんが私に絵をくれたから……代わりに何かあげなきゃって……多分……私は何も持ってなかったから、姉が……」 懐かしそうに、少し寂しそうに話す梓川さん。その表情が、少しだけ胸に刺さる。 「水瀬さんからもらった絵、しばらくずっと私と姉の……二人部屋の壁に貼っていました」 視線を上げて、こっちを向いた梓川さんの顔は…… 「姉と二人の……大切な、大切な思い出なんです」 無理をしている、精一杯の笑顔。 雨の降る空は、今の梓川さんの心を表しているかのようだった。 気がつけば、校門はすぐそこだった。 まだ少しだけ時間が早いせいか、いつもよりは混雑していない。 「……梓川さんの家、公園の近くなの?」 「はい……家から公園が見えます」 白い傘に隠れて、その表情は見えない。 「マンションだっけ?」 以前そんなことを言ってた覚えがある。 「はい。生まれてずっと同じ所です」 下駄箱に着くと、やっと雨がしのげるだけの屋根があるけど……僕と梓川さんの下駄箱が離れているので、二人での登校もここまでということになる。 「水瀬さん、今日学校終わって、何かありますか?」 「……何もないけど、どうして?」 傘をたたむと、梓川さんは、 「行ってみませんか、今日。公園に」 そう言って、寂しそうに笑った。 相変わらず雨は降り続いている。昨日の晩から降り出して、明日の昼前には上がるらしいけど…… いつもより湿った空気の廊下は、なんとなく滑りやすいような気がする。傘は下駄箱近くの傘立てに置くし、靴も履きかえるから、廊下自体は濡れてないんだけど。 特に何も考えずにOKの返事をしてしまったけど……雨。なんだよね。 自分の教室に入り、少し濡れたかばんを机に置く。予鈴までまだまだ時間がある教室は、まだ数えるほどしかクラスメイトの姿はなく、教室内を照らす蛍光灯が1本切れかかっていることもあってどこか寂しい。 どうでもいいけど、切れかかってるの黒板の真上の蛍光灯だ……えっと、こういう時って、誰に言って替えてもらうんだ? あんなに点滅されたら、目が疲れるじゃないか…… 「よお、水瀬。早いな」 「おはよう高階……あれ、どうにかならないの?」 ここはクラス委員に言うべきだろう。というか、目に付いたクラスメイトが高階だっただけなんだけど。 「ああ、あれな。今誰か職員室に行ってるらしいぜ。俺も今来たとこだから詳しいことは知らないが」 「そうなんだ……」 じゃああのまま授業を受けるってことなはさそうだな。良かった。 「なんだお前、元気ないのか……?」 心配した様子で聞いてくる高階。確かに少し……元気はないけども。周りに分かるようじゃ、ダメだな…… 「えっ? そんなことないけど……」 「そうか? ならいいが。なんとなく元気がないよう見えたからさ」 そうなのか……でも、そういう高階もいつもと比べて元気なさそうに見える。見れば、他のクラスメイトも……というか、教室全体の雰囲気がちょっと静かと言うか、沈み気味だ。 「……多分雨だからだよ」 「雨だから?」 わからない。といった様子の高階。 「うん。だって、雨の日に濡れながら学校に来て、教室の一番前の蛍光灯が切れかかってたら、誰だって元気ないように見えるよ」 「あー、それはそうかもな……ははっ、そうだそうだ」 うんうんと納得して、蛍光灯を見上げながら笑う高階。 結局予鈴の直前あたりで蛍光灯は差し替えられた。少し明るくなった教室は、それだけで雰囲気が上向きになったような気がした。 雨が降り続けていることと、染草先生が英語の抜き打ちテストをしたこと以外、授業は何も変わらない、いつもの水曜日だった。 ただ僕の頭の片隅に、放課後梓川さんと一緒に公園へ行く……そのことが常にあった。 ちゃんと……聞けるかな。梓川彰子さんの話。 雨が降っていることと、梓川さんを迎えに行くため、瀬良まで不正乗車していることの後ろめたさから、あまり明るい気分にはなれなかった。 「ふあ……」 ホームルーム終了後の緩んだ空気に、思わずあくびが出る。すぐには帰らない数人のクラスメイト。今日は珍しくその中に僕も含まれている。要はかなり早くホームルームが終わってしまって、他のクラスのが終わっていないのだ。あー、でもそろそろC組も終わったかも…… すると、 「だらしないなあ、水瀬圭君」 「うわっ」 もう職員室に帰ったとばかり思っていた染草先生が、背後に立っていた。 「どうした?」 「先生……驚かさないでくださいよ」 ああ、びっくりした…… 「で、どうしたんですか?」 「いや、君宛にお手紙を預かっててね」 「お手紙?」 別に「お」は付けなくていいような気もするけど……そんな細かいことはどうでもいいとして、一体なんだろう? 染草先生から、安物の封筒を受け取る。封をされていない中を覗いてみると、紙が1枚入っている様子。 「ほら、確かに渡したぞ。じゃあ気をつけて帰りなさい。ぼんやりあくびしてたら車にひかれるぞ」 「あ……はい」 そしてそのまま染草先生は行ってしまった。それを見届けると、早速封筒の中身を確かめてみる。封筒には何も書かれてないけど…… 取り出して広げた紙を見て、 「はあ……」 思わずため息をついた。 『水瀬圭様 あなたは次の図書委員長です。 上諏訪』 ……なにをこんな回りくどいことを。直接会って言えばいいのに…… それ以上も以下もなく、ただその一文だけだ。しかも「委員長です」って勝手に決められてるし……ちょっと前にもそんなこと言ってたし、今更驚いたりはしないけど…… やれやれ、なんだか疲れた。 C組の前まで来て、もう一度手紙を取り出して、もう一度ため息をついた。 「ああ、そうだったんですか……」 瀬良駅で梓川さんが財布を取り出しながら同情してくれた。ホームルーム後に会った彼女は、意外にも普段と変わりない様子だったけど……どこか少しだけ違和感があった。 「どこか浮かない顔してるから……ここに来るのが嫌なんじゃないかって思いました」 「違う違う。あの委員長のせい」 「そういえば……さやちゃんも部長になるみたいですよ」 傘を留めてあるボタンを外して、出口から見える空を気にする梓川さん。 そうなのか……早香は美術部の副部長だったし、不思議じゃないな。まあ、その副部長ってのも上諏訪委員長が勝手に決めたことらしいけど。 「こっちです」 乗り越し清算をして瀬良西口改札を出ると、雨に濡れた見知らぬ町。 瀬良駅は最近よく来るけど、実際に降りたことってないよな……それこそ、父さんに連れられてきたとき以来じゃないのかな。 「梓川さん、公園って遠かったっけ?」 「そうですね……歩いて10分ぐらいです」 白い傘の梓川さんが、少し先を歩く。 西口から出た瀬良の町は、道幅が少し狭い。トラックが1台通るのが精一杯の広さだ。周りの建物も一戸建ての低いものばかりで、マンションはないみたいだ。 前からやってくる制服の一団は、以前梓川さんが言っていた瀬良南の生徒だろう。残念ながら男子生徒ばかりなので、梓川さんが『かわいい』と評する女子の制服にはお目にかかれなかった。 しばらく梓川さんの傘についていく。なんというか、僕が初めて見るこの景色……梓川さんにとっては毎日見るなじみの道なんだなって思うと、妙な気分になってくる。 時折、僕のほうを振り返る梓川さん。ちゃんとついてきてるかどうか確認してるんだな……そして、違和感の正体に気付いた。梓川さん、目を合わせてくれないんだ…… 何度目か振り返ったところで、梓川さんが足を止めた。 「えっと……ここを抜けます」 そう言って見つめる先は、人一人がやっと通れるかというぐらい狭い路地。いや、路地というより、家の塀と塀の間。地面もアスファルトじゃなくて、コンクリートだ。傘を差して歩けそうにないなあ…… 「ここ……?」 「はい……いつものくせで、近道を選んじゃいました」 「でも、傘差したまま通れないんじゃあ……」 「あ、えっとですね……」 傘を半分たたんで、梓川さんが目を伏せて苦笑いする。 「こうやって行きましょう」 中途半端な傘お化けになった二人は、狭い路地へと入り込んで行った。少しだけ傘のふちが塀をこすったけど、あまり気にしない。 10メートルぐらいの狭い路地を抜けると、足元はコンクリートから砂に変わった。いや、よく見てみると、敷き詰められたレンガの上に砂がかぶさっている。 「あ……」 そして顔をあげてみると、雨に濡れた緑の木々をバックに傘を差して立つ梓川さんがいた。 「着きましたよ」 深い緑の中にはっきりと見える、僕に背を向けた白い傘。その姿がなんだかまぶしい。 「ここ……なんだ」 広葉樹の林と、レンガの道。 雰囲気は……なんとなく分かる気がするけど、この景色に見覚えはない。 「はい。噴水はあっち……」 あちこちにできている水溜りを避けながら、レンガ敷きの道を歩いていく。くねくね曲がるその道を、梓川さんはゆっくり進んでいく。 「滑りますから気をつけてくださいね」 歩いてたんだろうか……この道。 そう、絵を描いてただけじゃない。少しだけど一緒に遊んだような覚えもある。2人の女の子……昔の梓川さんと、梓川さんのお姉さん。 「確かこの辺……でしたよね、アイスクリーム売っていたところ」 教室二つ分ぐらいの大きさの、小さな広場。 そう、ここでいつもアイスを買ってもらっていて……この隣が確か、噴水のある大きな広場。 「うん……少し思い出した」 「そうですか……」 傘に遮られて、その表情は見えない。 今日は雨が降っているせいか、それとも10月に入ってしまったからか、はたまた平日であるからか、アイスを売っている屋台はない。 しばらくぼんやりと、雨の中立っていた。 他に誰もいない、静かな公園。少しだけ周りは暗くなってきて、気温も低くなってきた。 雨音だけが聞こえていて、梓川さんが静かに傘を差して横にいる。 どのくらい時間が過ぎただろう。何も言わず、梓川さんが歩き出した。噴水のある広場の方に…… そう憶えてたわけじゃないけど、なんとなくそう思った。あっちは噴水の広場だなって。 僕も何も言わずに後に続く。 小さくて短い道。その道を5メートルも進むと……突然に視界が開け、おぼろげな記憶の通りの光景が広がった。 浅いすり鉢のような形で、大きな噴水を中心に階段が10段ぐらい同心円を描いている。薄闇に浮かぶそれは、まるで小さなコンサートホールのようだ。 「うん……そうだった」 あの階段のどこかに座って、絵を描いていた……少しだけ思い出した。 今その階段は雨に濡れているけど……多分晴れている日だと、何人もの人がここに座ってのんびりしてるんだろうな。 僕のつぶやきを聞いてか聞かずか、こちらを見るように傘を傾ける梓川さん。やっぱりその表情は見えなかった。 あれから随分時間が流れて、天気も悪くて傘を持っているけれど…… この光景はやっぱりどこかで見たような、そんな印象だった。 そして、梓川さんと一緒に階段を下りていく。 1段、2段。 大またで歩けば1歩で下りられそうだけど、梓川さんに合わせて歩幅小さめに歩く。 3段、4段。 梓川さんが足を止め、つられて僕も立ち止まる。 「……姉は、とても優しくて……大好きでした」 噴水を見つめたまま、梓川さんがポツリとつぶやいた 少し驚いた。梓川さんから話してくれるとは……思わなかったから。 「この公園で、いつも一緒に遊んでいました……それである時、私が『見かけない子がいるよ』って言って……」 今は誰もいない、雨の降る広場。 そこは昔、3人でいた場所…… 「……姉は水瀬さんと楽しそうにしてて、私は緊張してあまり話せなくて」 目を閉じれば、目の前にある噴水の音と、地面を打つ雨の音。 どこか懐かしい、小さい頃に聞いた音。これを聞きながら、梓川さんと二人で一緒に座って、絵を描いてたんだ…… 全部思い出したわけじゃないけど、心地よい、不思議な気分。 そっと目をあけて横を見ると、こちらを向いてほんの少し笑う梓川さん。 「1つ上だった姉は、水瀬さんのことが……好きだって言ってました」 胸がドキッとした。すっかり忘れていた女の子なのに……もう昔のことなのに。 なんだろう…… 何か言わなきゃ…… 「水瀬さんも……多分、姉のことを好きだったんじゃないかと思います」 「……よく、覚えてないけど……」 よく覚えてないけど、多分そうだろう。 あの夏休みに出会った梓川さんに、髪の長いほうの子……梓川彰子さんの面影を見たんだろう。 「よく考えたら……そうなんですよね。水瀬さんが好きなのは、姉の方で……姉みたいに髪を伸ばしてみても、やっぱり私じゃなくて、お姉ちゃんのことが……」 梓川さん……涙声になってる。 それは、違うのに……僕が好きなのは、今の梓川さんなのに…… でも、そう言ってあげられない……まだ、自信が……ない。 「梓川さ……」 「水瀬さん」 僕の言葉を遮って、梓川さんが口を開いた。 「今度のお彼岸、姉に……会いに行ってくれませんか」 久しぶりに目を合わせたその表情……その寂しそうな笑顔を見ると、胸が痛くなった。 そしてすぐに、噴水へと視線を戻す。 「うん……」 僕らが出会って、離れて、また出会って……その間ずっと同じ姿で、この場所にある。 ただ僕らだけが変わって、梓川さんとはまた会えたけれど…… 「ありがとう……ございます」 その声は、雨の音にまぎれてよく聞こえなかったけれど……梓川さんは泣いていた。傘を傾けて、顔を隠して。 僕は慰めることもできずに、ただ、無言で噴水を見つめる。 そして気付いた、自分の頬を伝う涙。 相変わらず雨は降り続いていて、もう薄暗くなってきた公園内。だけど僕らはそのままその場所に立っていた。 二人で……涙を流しながら。 第28話へ 戻る |