瞳
「ふふ、そんなに固くならなくても良いのですよ。」
虚ろな目をした死体を前に、湧き上がってくる不安や恐怖を押さえ込みながら、
石像のように動かずに話を聞こうとする生徒達を見て、綾小路はクスっと小さな笑みをもらす。
それに反応して、俯いていた結城姫乃(女子19番)がびくっと萎縮した。
大きな瞳に涙を浮かべ、小さな体をガタガタと震わせているのが、遠目にも分かる。
そばに、と律は一瞬腰を上げた。しかし、踏みとどまった。
隣りの達哉の鋭い視線が、やめろと言っていたのだ。今動くのは馬鹿のやることだろ、と。
確かに今の状況下、下手に行動すればどうなるかわからない。
妹分である姫乃を、律と同じく心配しているであろう達哉も、だからこそ動かないのだ。
姫乃のためにも、自分のためにも、今は黙っているのが正しい。
律にもそれはわかっていた。クスクスと笑っているこの女の話を、聞くしかない。
「ふふ・・・・いえ、失礼しました。でも、本当に固くならないで下さい。
わたくしに、皆さまを殺すつもりは全くありませんから。
実は、教官が生徒を殺すケースも少なくないのですが―――――――
けれど、わたくしはそんなこといたしません。
大切な研究材料を傷つけるなんて、無能な人間のすることですよね?」
血のにおいが、また律の鼻を掠めた。
・・・・・気持ちが悪い。
生まれて初めて目の当たりにした死体も。
それを気にもとめずに微笑みながら、人を研究材料と言い切る女も。
正気じゃない。
そう、律もやっと理解したのだ。
ここが、「普通」の通用しない空間である、と。
改めてそう認識すると、行き場のない怒りと恐怖が湧き上がってくる。
律にしては珍しく、感情が高ぶっていった。それと同時に、体中の細胞が一気に覚醒していく。
どこかぼやけて見えていた綾小路の顔も、はっきりと見えてきた。
彼女は穏やかに、言葉を紡ぎ続ける。
「あとで皆さまに一つづつお配りするデイバックには、食料と飲料水、それぞれに武器、あとは磁石、時計・・・・最後に地図が入っています。
あ、一応申し上げておきますが、ここは島です。一周5キロほどの、小さな。
その島を縦と横の線で、正方形のエリアに区切っています。島の地理やエリアについては後々地図をご覧になればお分かりになると思いますが。
ゲーム開始時は、全てのエリアに入ることが出来ます。が、ずっとそういうわけにも参りません。
六時間ごとに行う放送で毎回禁止エリアを3つづつ設け、増やしていきます。そして―――――
」
淡々と説明は続く。笑顔も変わらない。
律はそれを見て、寒気を感じた。
一見優しげな綾小路の瞳は、何も写していない。
彼女は何かを求めるように、ただ真っ直ぐに遠いところを見ている気がした。
たぶん、心が、ないのだ。少なくとも、ここには。
人形のように微笑んで、ただ話し続けているだけ。
・・・・・・・・・・。
例え様のない嫌悪感が、律を襲ってくる。これ以上、見たくなかった。嫌だった。
好きじゃない、こういう奴を見るのは。
だって、彼女はまるで――――――――
そう考えかけて、やめた。理由なんて、どうでもいい。
とにかく、嫌だ。
偽りの微笑みよりも、底のない海のような目が。真っ暗闇の光のない目が。
・・・・・・それでも、話を聞かないわけにはいけない。
それは、わかっている。だから、ちゃんと聞いていた。
さっきから、綾小路が至極丁寧に語っている殺人ゲームの説明を。
「・・・・・わけで、このプログラムには、反則などはありません。障害も人殺しも、正当防衛。
生きるために仕方なく行ったものとして考えられるため、罰せられる心配はないですから、何も気にせずに、頑張って人を殺してくださいね。」
皆がゴクリと息を呑む。
綾小路も一息ついて、それから少し神妙な顔つきになった。
「ただし、ひとつ注意していただきたいのが、首輪についてです。
既に気付いていらっしゃる方もいるとは思いますが。皆さまの首についている――――――」
そこで初めて自分を戒める首輪に気付いた生徒の何人かが、驚きで目を見開き、ひっぱったりして懸命にそれをはずそうとした。
あ、と綾小路は小さく声をあげる。
「やめてください。爆発しますよ?」
かちゃかちゃと首輪をいじっていた音は、その一言で完全に消えた。
それを確認すると、安心したように綾小路は軽く笑い、再び説明を始める。
「首輪は、政府による特別製で、しかも改良された最新式のものです。
外すのは不可能ですので、あらかじめご了承くださいね。
次に、首輪が爆発する時はどのような場合か、ということですが。それは大体、以下のような時です。
まず、今のように皆さまが首輪をいじったり、無理に外そうとなさった時。
次に、先ほどお話しした『禁止エリア』に入った時。
そして最後に、24時間誰も死ななかった時、です。
皆さまがプログラムを放棄し、24時間誰も死ぬことがなかった場合にも、首輪は爆発します。
以上の三点。この全ての場合、必ず首輪は爆発し、皆さまの首はどこかに飛んでいくことになります。
そんなことにならないよう、気をつけてください。」
言い終わると、にっこりと笑った。
「説明は以上です。何か質問はないでしょうか?ございましたら、遠慮なくどうぞ。」
綾小路の視線が、ぐるりと部屋を一回りする。
びくっと肩をすくめたり、視線を下にそらしたりと、怯えている生徒達は何も言えない。
律や達哉をはじめとする、一部の落ち着いた(ように見える)生徒達も、黙ったまま動こうとしない。
綾小路はそれを見て、うん、とうなずいた。
「――――――――なければ、」
言いかけた、その時だった。
凛として透き通った声で、氷上京(男子13番)が綾小路を呼んだのは。
まるで数学の授業中に、難しい問題の解説を求める時と同じような(といっても、氷上が授業中、教師に質問することなどまずないが)、落ち着いた態度で。
「はい、先生。質問があります。」
「ええ、氷上くん、なんでしょう。」
綾小路は視線を声の方へ向けると、さらりと氷上の名字を口にした(綾小路が氷上の名前を覚えていることに、律は驚いた。綾小路は、全員の名前を掌握しているのだろうか。それとも、それが氷上だったからなのか)。
目が合うと、氷上も薄く微笑んで、問い掛けた。
「これは、仮定ですが。
数日間決着がつかず、もし、全てのエリアが禁止区域になった場合は、やはり全員の首輪が?」
「爆発します。」
当然です、綾小路は答えた。
そうですか。ありがとうございます、と氷上は軽く頭を下げ、席に座った。
それを確認し、にっこりと微笑み返したあと、綾小路はまた言葉を紡ぎはじめる。
「といっても、時間切れでゲームオーバーというケースはほとんどありませんので、ご安心下さい。
加えて、今回は優秀な転校生を向かえることになっていますから、その可能性は皆無に近いでしょう。」
そこまで言って、思い出したように綾小路は近くの兵士に何か耳打ちした。
兵士は素早く部屋の外へ出て行き、綾小路も入り口の方向にゆっくりと歩みを進めた。
そして、彼女はすっと扉に手をかけた。
部屋中の視線が、そこに集まる。
「紹介が遅れましたが、このクラスには転校生をお迎えすることになっています。
私の勝手なお願いに快く了承して下さったので、本日急遽、クラスへの転入手続きを済ませ、皆さんと一緒にプログラムに参加していただくことになりました。」
綾小路は、静かに扉を開く。そして現われた少年。
絹糸のように繊細な黒髪に、恐いくらいに美しく整った顔を持つ奇妙な『転校生』の肩を抱き、綾小路は微笑んだ。
「天威、理久くんです。」
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