開始
天威 理久
綾小路がその名前を皆に向かって告げると、理久は表情を変えることなく、無言で軽く頭を下げた。
頭を下げたといっても、それは儀礼的なものであって、決してそれに感情はこもっていない(それでも、上流貴族を思わせる端整な容姿は、それだけで皆を惹きつけたのだが)。
部屋はただ、静まり返った。誰も何も言わない。
けれど、現われた少年から、目をそらすこともできない。
綾小路は、生徒達のそんな反応に満足したらしく、ふっと目を細めると、理久に小声で何か耳打ちした。
すると理久は、すっと足を前に踏み出して、部屋の一番後ろ、ちょうど津田慎一郎(男子8番)の右となりの空いていた席の所までに歩みを進め、立ち止まると、そこに静かに腰掛ける。
それを見計らったように、綾小路がその涼やかな声を紡いだ。
「では、クラスの全員がそろいましたので、そろそろプログラムを開始いたしましょう」
理久に、ルールの説明はいらない。
この綾小路の言葉から、その事実を理解できた者がどれほどいただろうか。
といっても、そんな事など思いつかなくても、この転校生を信用しない方がいい、という事は、皆わかっているはずだ。
天威理久は、信じられない。
本能が、そう告げる。
人は、自分が知らないものを恐れ、忌み嫌うものだからだ。
クラスの友達なら、まだ信じることができたかもしれない。
けれど、この状況の中、正体のわからない存在を誰が信じることができるだろう。
周りに、敵がいる。自分を殺すかもしれない。
その思いが、ひどく、人を思い詰める。病のように、心を冒していく。
転校生、天威 理久。
その存在は、未だ水面下ではあるが、生徒の多くの疑心に火をつけたと言っていい。
そして、それこそが、転校生投入における、綾小路の思惑の一つだった。
いや、彼女の本当の思惑はまた、別のところにあるのかもしれない。
しかし、それを知る者は、彼女を除いて、天威理久、ただ一人。
生徒達はただ、何も知らぬまま、ゲームの始まりにおびえるしかないのだ。
まるで天から降り注ぐように耳の届く声に、従うしか道はないのだ。
「皆さま、精一杯頑張って下さいね。
これは、ゲーム・・・・一種の試合だと思っていただければよいと思います。
いいですか?負ければ終わりの、ゲームです。
そして、普通の試合がそうであるように、どんなに優れた方にも、必ず隙ができます。
弱ければ死ぬというわけではありません。絶対に。
大切なのは、心。生きようとする、そのために殺そうとする、意志なのです。
女子の皆さまも、諦めてはいけませんよ。優勝者の女子の割合は、現在49%強。
しかも、プログラム終了最短記録保持者は、女子でした。
・・・・・・つまり、このゲームにおいて、男女の差はなく、ほとんど互角。
加えて、女であるということが、武器になる場合だってあるのですから。
勝負の結果は、終わるまでわかりません。男子の皆さまも、それを肝に銘じて置いてください。」
そう言った彼女の目が、一瞬なつかしさを帯びたのに気付いたものはいなかった。
不安や恐怖に苛まれているであろう生徒達には、綾小路の微笑んだ表面上の顔しか映っていない。
「・・・・・それでは、男子1番の赤司亮介君から出発していただきます。
それから二分間隔で、男女交互に。
そして、転校生の天威理久くんには、男子の20番として最後に出発していただきましょう。
忘れないで下さい。ここを出た瞬間に、ゲーム開始です」
綾小路が何かを口にするたびに、ドクンドクンと鳴り響く心臓の音が、頭を支配していく恐怖が、皆を狂わせていった。
いつ、はじまるのか?どこに行けばいいのか?どうすれば、死なずにすむのか?
絶え間なく生まれる問いの答えが見つからない間に、無常にも、始まりを告げる声が響いた。
「では、男子一番、赤司くん。出発してください。」
【残り39人】