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目覚し時計が朝の静けさの中勢いよく鳴り響く。
時計の針は5:30を指し示していた。
カーテンから差し込む日の光はまだ、うっすらと千成比呂(男子13番)の部屋を照らしていた。
比較的きれいに片付けられている部屋の隅にあるベッドの上で、
比呂は目覚し時計を止めるため腕だけ伸ばして机の上をまさぐっていた。
時計をつかみ、音を止め、針を見ると、眠そうなけだるい声で比呂はつぶやいた。
「・・・まだ5時半じゃん・・・」
時計を放り投げ、再び夢の中へ入ろうとしてる比呂の頭に『修学旅行』の文字が浮かんだ。
「・・・・・修学旅行・・・・・?・・・・って何だっけ・・・・・?」
ベッドの下には、昨日夜遅くまでかかって荷物をつめ込んだバッグが転がっていた。
そう今日は”修学旅行”。
待ちに待った・・・・とは言わないまでも、比呂がまずまず楽しみにしていたイベントだ。
朝の6:15に、比呂の通う草加市立草加南中学校から、京都へ向かうバスが出発する。
いつもの登校時間よりも2時間も早いのだ。
もちろん、遅刻したものには『置いてきぼり』という厳しい罰則が用意されていることは昨日、担任から聞いていた。
しかし、低血圧で、朝がこの世で一番苦手な比呂の脳みそに、昨日の記憶をたどる力などあるはずはなかった。
「修・・・学・・・・・・・」
比呂はもう夢の中へ舞い戻っていた・・・・・。
zzzzzzzzzzzzzzzzz。
けたたましく電子音が鳴り響いた。
その音は、夢の中で大好きなアイドルとデート中の比呂にも届いていた。
「――・・・なんだ?この音・・・?」
「――電話?――」
「携帯――?」
比呂は飛び起きた。
携帯は実に13回目のコールを終えようとしていたときだった。
「・・・もしもし!」
『もしもし?!何時だと思ってるの?!』
その声はクラスメートの小出絵里(女子3番)のものだった。
「・・・?え?いま?」
比呂はさっき放り投げた時計を慌てて覗き込んだ。
――神様!嘘だといってくれ!
時計の針はもうすぐ6:02を指そうとしていた・・・。
携帯電話を放り投げ、ハンガーから学生服を剥ぎ取り、
いつものようにすばらしい集中力で着替えをはじめた。
『もしもし!!??今日修学旅行だよ!?おくれちゃうよ!?』
放り出した携帯電話から発する絵里の声は、比呂の耳には届いてなかった・・・。
もう比呂はバッグをつかみ部屋を飛び出していた。
「比呂くんでた?」
松本朋美(女子12番)は心配そうな声で聞いた。
「出たけど・・・・今・・・起きたみたい・・・・」
絵里はそう言うと小さくため息をついた。
比呂の遅刻には慣れっこだった絵里だが、まさか修学旅行まで遅刻するとは思ってなかった。
万が一のためにかけた電話が功を奏した。
比呂と絵里はいわゆる幼馴染というやつで、物心がつく前からの付き合いだった。
いつも絵里が、だらしない比呂を支える世話女房といったところだ。
初めてであった(らしい)公園でも泣いている比呂を慰めていたと、母親から聞いたことがある。
まぁ、それから10数年・・・はっきり言って比呂のそうゆうところは慣れっこだった。
絵里はクラスでも特に目立つタイプの女の子ではなかったが、不思議と男には評判がよかった。
普段はやさしい、ふんわりとした印象の絵里だが、
時に凛とした雰囲気をただ寄せるあたりで男子のハートをわしづかみにしているのだろう。
そんな、絵里といつも一緒にいるのが松本朋美だった。
絵里と同じくふんわりとした女の子だが、そのふんわり感は徹底している。
比呂もその他の男子もきっと、朋美の笑ってないときの顔など見たことがないだろう。
いつもやさしく微笑み、すべてを許してくれそうだった。
言い過ぎかもしれないが聖母マリアってのが本当にいたとしたら、きっとこんな感じだろうか
「大丈夫。比呂くんいつもぎりぎりセーフで登場してるじゃん♪」
いつもの微笑みに絵里は
「それもそうか。」
と、答え、笑った。
はあはあ・・・・・・・・・・。
――今何時だ?
はあはあ・・・・・。
――くそ、わき腹が痛い
はあはあはあ・・・・・・・・・・。
――ん?携帯ないぞ?
はあはあ・・・・・・。
――しまった、ほっぽりっぱなしだ・・・
はあはあ・・・。
――・・・間に合え!
はあはあはあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
公園を横切り、いつものタバコ屋(昨日バスターを1カートン買った。)の前を走り抜け、
整備工場の角を曲がれば、裏門の前だ。
いつも校外見学や移動教室のときはこの裏門の前にバスが待機している。
――この角を曲がって、バスがなければ・・・
笑い者である。
中学生活最大のイベントを、間抜けにも寝坊で欠席という汚名を着せられて・・・。
比呂はラストスパートをかけて、がむしゃらに走った。
――バスは?!・・・・・・・・・・いた!
待機中のバスは、アイドリングの低いエンジン音をうならせていた。
「比呂!」
すでにバスの座席に座っていた絵里が、窓から顔を出し手を振っていた。
――ふぅ・・・間に合った
息切れのままバスに乗り込むと、担任の竹内はげんこつで迎えてくれた。
「早く座れ。」
そう言いながら自分の座席(最前列)に戻っていった。
クラスのみんなの祝福?に答えながら、空いている席を探した。
「千成選手、今日のタイムは?」
森和彦(男子19番)はふざけて、こぶしで作ったマイクを比呂に向けた。
比呂は”うるせー”と返しながら和彦の膝をまたぎ、その隣にドカっと腰を下ろした。
「やると思った。」
と、和彦はそっぽを向いて呟いく。
いつものやりとり。
四六時中つるんでいるからか、あまり馴れ合いはしない。
どちらかというと、傍目からは仲が悪そうに見える。
付き合いはそれほど長くは無い。
中学に上がってから、二人は始めて出会う。
ふてくされた比呂と、粋がる和彦。
接点などどこにも無かったが。
なんとなくお互いに意識しあう。
中学一年の今頃――ある事件が起きる。
比呂達1年生の使う東校舎の男子トイレで、煙草の吸殻が見つかったのだ。
当然、教師はそんなところでは喫煙などしない。
そういう訳で、生徒の中でも素行の悪いものが職員室に呼ばれ、事情を聞かれることになる。
比呂のクラスからは、比呂と和彦がだけが呼び出しを受けた。
二人ともふてくされた表情のまま、教師の詰問には一切答えなかった。
和彦は終始、教師の顔を睨みつけたままだった。
”訳も無く疑われる”。
真面目な生徒であっても気分が良いものではない。
ましてや反抗的な二人に、その状況で素直に言うことを聞けというのは無理な話だった。
結局二人は無言のまま、社会科資料室で日が沈んでしまうまで過ごす。
担任の教師は溜息を吐き、首を横に振りながら資料室を後にする。
他のクラスの教師と相談でもするのであろう。
二人きりになり、ようやく和彦が口を開く。
「なぁ・・・吸ったの・・・お前? 」
沈黙を破るその声はひどくかすれて聞こえた。
社会科資料室の埃っぽい空気のせいだろうか。
その問いかけに、比呂は今でも変わらぬその愛想のない声で、答える。
「ガッコに吸殻落としてくなんてドジ、ふまねーよ。」
和彦はそのひねくれた答えを聞き、顔をにやりとさせた。
比呂も自分の答えを聞いた和彦の反応で”ふ”と少しだけ表情を崩す。
――面白い奴かもな?
と、お互いに思う。
そんな短いやりとりを境に、二人は四六時中つるむ事になる。
きっかけなど、いつも単純なものだ。
ちょっとした事件と、ちょっとした偶然があればいい。
やがて、草加南中の遅刻王のため出発を遅らせていたバスは、低いエンジンの唸り声とともに動き出した。
はしゃぐ中学3年生37名を乗せて・・・・
[残り37名]
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