「――で? どうなった?」
始業式が滞りなく済み、少し早めの放課後。綾と亜由美は肩を並べて駅前へ向かっていた。草加南中は線路沿いに立地し、駅へは一本道で行ける。無論、駅などの繁華街へ行く事は”建前上”校則で禁止されているが、駅前を通って通う生徒がいることからほぼ黙認の状態にあった。亜由美の家は片親。父親と母親は数年前に離婚し、いまは母親に引き取られ暮らしている。亜由美の母親は日中、働きに出てるので給食の無い土曜日や、こういう行事の日には二人してファーストフードで昼食を取るのがお決まりになっていた。
「――え?」
亜由美の突然の質問に綾は戸惑う。と、同時に同じクラスの森和彦の顔が浮かんだ。
「”え?”じゃないでしょー。森とはどうなった? 」
少しからかうようなニュアンスで答えを求める。
「・・・え? どうって? 」
「うわ、綾、顔真っ赤だよ? 」
「――だって・・・。」
「かわいいなー綾はっ。」
「・・・。」
「電話した? 休み中。」
「・・・できなかった・・・。」
「なんで? せっかく聞き出してあげたのにー。」
「だって、”なんだこいつ?”とか思われたら・・・。」
「んな心配してんの? いってるジャン、森は絶対あんたに惚れてるってっ。」
「・・・。」
二人はお決まりの”幕度奈留土”へ入る。米帝にある”マクドナルド”を摸して作られた、パンに焼いた肉を挟む、つまりハンバーガーを食べさせてくれるチェーン店だ。米帝の食べ物として開業当初は政府の監視が厳しく、国民も警戒していたらしいが今となっては日常生活に完全に溶け込んでいた。安さが売りで、中高生からも絶大な人気を誇る。
お昼時の割には店は空いていた。二人はトレイにセットメニューを載せ、2階の隅の”いつもの”席に座る。店内にはヴォリュームを抑えたヒットチューンが流れている。
ポテトを口に運びならがら、亜由美は話を戻す。
「――で、今日は? 森と話した? 」
綾は黙って首を横に振る。
「だって、千成くんとかとずっと一緒にいたし・・・。あと絵里ちゃんとか。」
「そっか。でもま、同じクラスになったんだし、チャンスは腐るほどあるよねー。」
「和くんってさ・・・絵里ちゃんと付き合ってるのかな? 」
「は? 」
「だっていつも一緒にいるし・・・。」
「恋は盲目ってよく言ったもんだよねー。」
「え? どういう意味? 」
「森と一緒にいるよか、千成と一緒にいるほうが多いでしょ?小出の絵里ちゃんは。」
「・・・そうかな・・・?」
「森しかみてないからそう見えるんじゃン?」
「・・・。」
亜由美は真っ赤に染まる綾の顔を見て、吹き出した。口に含んでいたオレンジジュースがテーブルにこぼれ、亜由美はそれを拭く為の紙ナプキンをとりに席を立つ。
紙ナプキンを2、3枚手に取った亜由美の視界に、階段から上がってくる人影が見えた。ぎゃーぎゃと騒ぐ口調からみて、中学男子。あまり気にせずに自分の席に戻る。
「あれ? 及川じゃん。」
その声を聞いて振り返ると、そこには――
綾の想い人――森和彦の姿があった。
トレイを持った和彦に続くようにその後ろから、比呂と広志、慶の姿が順番に見えた。
「偶然じゃーん。」
そう言いながら酷く自然な動作で綾と亜由美のテーブルの隣に座る。にこやかに広志もそれに続き、比呂と慶は仕方がなさそうな顔で後を追う。
綾は当然、赤面。突然の嬉しい誤算に我を失ったようにぼうっと和彦の顔を見つめていた。
「? 俺の顔なんかついてる? 」
そう和彦の言われるまでぼうっと見つめたままだった。口も恐らく半開きだっただろう。恥ずかしさでその顔を更に赤く染めた。
「しかし、偶然だなー新しいクラスメイトとこんなところで遭うなんて。」
広志がそういうと慶が反論する。
「この辺で昼飯食べるとこなんか、駅周辺しかないんだから当然だろ? 」
亜由美もその反論に賛成する。
「そうだねー。むしろコレしかいないほうが不自然なんじゃない? 」
比呂は話を聞いているのかいないのか、もそもそと学ランの内ポケットから”バスター”とライターを取り出す。すかさず和彦が制止する。
「おいおい、女子もいるんだぜ? ってかサッカー部一緒だぞ? ばれたら・・・なぁ?」
そう言いながら広志に同意を求める。
「うーん・・・。ばれたらさすがにまずいなぁ。」
広志は申し訳なさそうにそう言うと、比呂は「わりぃ」と一言言い、バスターをポケットにしまった。
「タバコ吸ってるから身長のびねーんだよ。」
和彦がぼそっと言うと、すかさずテーブルの下から比呂の鋭いキックが飛ぶ。
そんな二人のじゃれあいを綾はにこやかな顔で見つめていた。
しばし談笑。
トレイの上のフードを平らげると、サッカー部の二人、広志と慶は席を立った。
「才能ないやつは練習しかないのよ。」
と言い残し、足早にトレイを片付けた。小声で「やばいって遅れる。」とか何とかいいながら騒がしくスポーツ少年達は店を後にした。
沈黙。
「今日は絵里ちゃんたちは一緒じゃないの? 」
騒がしさで際立った沈黙を破るように、亜由美は比呂に尋ねる。絵里ちゃん”たち”というのは絵里と同じクラスの朋美の事だ。
「別に・・・いつも一緒に行動してるわけじゃない。」
表情を出さずに比呂は指のささくれをいじりながら答える。
「ふーん・・・。」と亜由美が答えると、比呂が口を開く。
「タバコ・・・吸っていい? 」
「私はいいけど? 綾だって別に苦手じゃないよね? 」
綾は頬を染めっぱなしのまま「大丈夫だよ。」と答える。
それを聞くと比呂は返事もせずに、灰皿を取りに行く為にさっと席を立つ。
綾は和彦にぼそぼそと何事かを尋ねている。視線がいろんなところに飛んでいるところを見ると、すさまじく緊張しているのだろう。亜由美は心の中で”がんばれ”と綾にエールを送った。
亜由美の予想どおり綾はすさまじく緊張していた。何を言ってるのか、自分がどんな顔をしているのか、はっきりとわからないほどに。それでも一生懸命に話す。和彦は綾の言葉でコロコロと表情を変える。笑ったり、驚いたり、眉間にしわをよせたり。そして、綾の問いかけに丁寧に答える。会話は弾んでいた。綾のトレイのハンバーガーとポテトは、和彦の登場以来ちっとも手をつけられずに冷め切っていた。もう、食べてもらえる見込みはないとハンバーガーも諦めているだろう。
「森って結構、女慣れしてる? 」
比呂が戻ってくると、唐突に亜由美が二人の会話に割り込んでみる。狙いは当然、身辺調査。そして綾はそれにいち早く気付き、ごくりと喉を鳴らした。
「は? 女慣れ? 」
和彦はすっとんきょうな声を上げる。
「こいつ童貞。」
比呂が素っ気無く和彦の代わりに答える。途端に綾と亜由美は吹き出す。
「お、お前だって童貞だろーがっ。」
顔を真っ赤にして反論するが、二人の笑いに油を注ぐだけだった。和彦は小さく溜息をつき、比呂に「ぶっとばす。」と悪態をついた。
笑いが落ち着くと亜由美は本命の質問に移る。比呂のおかげで自然極まりないタイミングで聞けた。
「じゃ、彼女いないんだ? 」
「いないんじゃない、作らないんだ。」
と、和彦はバレバレの見栄で答える。
比呂はそれを鼻で笑いながら、煙を吐き出す。少しだけ顔を外に向けて、壁側の亜由美や綾に直接かからないように。そんな比呂の優しさを、亜由美は視界の端で捕らえながらもうひとつ突っ込む。
「じゃさ、好きな子とかもいないの? 」
「うーん、とりあえず今のところは。」
まともに答える和彦を見、その後、亜由美と綾の表情を見る。比呂は気付く。恐らく綾が一番この答えを聞き出したかった事に。自分以外の事に関しては、なかなかの洞察力といえるだろう。
「ふーん。」
と亜由美は含んだような笑みをつくり、氷が溶けきってしまって薄くなったオレンジジュースを一口。
「まさか・・・。」
和彦がそう呟くと綾はまるで心臓をつかまれたように体をびくつかせた。
「まさか・・・及川、俺のこと・・・」
再び大爆笑。今度は綾と亜由美ではなく、比呂と亜由美だった。
和彦が勘がするどいのは比呂も知っていたが、恋愛がからむとその勘も全く働かないらしい。
綾はほっと胸を撫で下ろしていた。
やるべき事をやり遂げた亜由美は満足そうに残りのオレンジジュースを飲み干す。どうやらこの偶然の会食はまだまだ続きそうだと、代えのジュースを買いにいくために席を立つ。そして、トレイの上のフードを平らげた比呂も、トレイを戻す為に立ち上がる。
亜由美はそれに気付き、少しだけ歩幅を緩める。比呂が追いつき耳元で囁く。
「山岸は和狙いか? 」と。
亜由美は”抜け出そう”という誘いかと少しだけ期待していたが、それが過剰な期待だったとがっかりする。と同時になぜ自分ががっかりしているのかと戸惑う。
「――さぁね? 」
裏切られた期待の敵討ちのようにその答えをはぐらかす。
「あそ。」
比呂は素っ気無くそう答えると、亜由美を追い抜き、トレイを戻し階段を下りる。”教えろよー”と言うかと思った亜由美の期待は再び裏切られる。
自分に全く興味のなさそうな男の背中を見つめながら、なんとなく、比呂の興味を自分に向けさせたいと思った。
女の本能。
もしくは、ただの恋。